加茂川・中海遊覧船に乗って…2
(『加茂川・中海遊覧船に乗って…1』のつづき)

●うひょひょ、いやもう低いぞ天神橋。最低橋認定してもいいくらい(いつ『最低橋鑑定士』になったんだと)。いっしょに渡っている管路が、鈑桁の間にきれいに収められていて、桁下に突起物がないのもポイント高し。
●お次は「私設橋」らしく無名ながら、茶色い塗装が素敵な鈑桁橋。ボルトの打ち込まれた継手が、少し偏った位置にありますね。帰りに反対側を見たら、継手が点対称の位置にありました。
下路式らしく、桁下はだいぶ余裕がありますが、やはり低いことには変わりありません。

●橋詰には扉のついた塀があり、右側には川面に下りる石段も見られます。テラスができる以前は、水仕事や、舟への乗り降りに使っていた石段だったのかもしれませんね。
橋台はコンクリート造りながら、橋よりも年季が入っていそう。先代橋があったとしたら、どんな橋だったのでしょう。先ほどの「私設橋過密地帯」などは、木橋がズラリと架かっていたのかな?
●ここで、一つ気づいたことがありました。このあたりの“大型”「私設橋」は、公道側の橋詰に、扉のたぐいが一切見られないこと。橋を渡っても、行く先が個人の敷地しかないのなら、公道に面した側に門扉くらいあっても、よさそうなものだと思ったからです。これが東京なら、間違いなくそうするでしょう。
もしかしたら、橋は各戸の持ち物などではなく、例え行き先が一軒といえど、玄関先までは公道扱いなのでしょうか? それとも、橋を扉で閉ざしておくなどというのは、東京流の料簡の狭い考えで、単に米子の人がおおらかだからでしょうか。
●昔読んだ本だったと思いますが、こういう下りがあったのを思い出しました。「××歳までに、煙突の×本は立てたいものだ」つまり、煙突を林立させた工場を持てるくらいに出世したい、と抱負を語ったわけです。
この伝でいくと、米子は旧加茂川畔なら、さしづめ「橋の二本や三本は、持てる男になりたいものだ」になるのかなあ…。60歳までに石造アーチ・木造刎橋各1本と、鋼ポニートラスが目標とか!
イヤ、妄想をふくらませ過ぎました。このあたり、左側には桜並木があり、約60本の桜が植えられているとのこと。春先は岸辺も河上も、お花見客で賑わう区間だそうです。
●出航2本目の「私設橋」、橋詰に向かって桁にテーパーが付き、継手も2ヶ所と、この手の橋では割と凝った感じですが、塗装のボロボロっぷりがちょっと気になりますね。
整備状態に差があるのを見ると、先の「『私設橋』公道扱い説」(わけがわからないな)も、疑わしくなってきます。少なくとも維持管理は、橋を使っている各戸に任されているのでしょうか。このあたり、ご教示いただければ幸いです。
【撮影地点のMapion地図】
(23年11月9日撮影)
(『加茂川・中海遊覧船に乗って…3』につづく)

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●うひょひょ、いやもう低いぞ天神橋。最低橋認定してもいいくらい(いつ『最低橋鑑定士』になったんだと)。いっしょに渡っている管路が、鈑桁の間にきれいに収められていて、桁下に突起物がないのもポイント高し。

下路式らしく、桁下はだいぶ余裕がありますが、やはり低いことには変わりありません。

●橋詰には扉のついた塀があり、右側には川面に下りる石段も見られます。テラスができる以前は、水仕事や、舟への乗り降りに使っていた石段だったのかもしれませんね。
橋台はコンクリート造りながら、橋よりも年季が入っていそう。先代橋があったとしたら、どんな橋だったのでしょう。先ほどの「私設橋過密地帯」などは、木橋がズラリと架かっていたのかな?
●ここで、一つ気づいたことがありました。このあたりの“大型”「私設橋」は、公道側の橋詰に、扉のたぐいが一切見られないこと。橋を渡っても、行く先が個人の敷地しかないのなら、公道に面した側に門扉くらいあっても、よさそうなものだと思ったからです。これが東京なら、間違いなくそうするでしょう。
もしかしたら、橋は各戸の持ち物などではなく、例え行き先が一軒といえど、玄関先までは公道扱いなのでしょうか? それとも、橋を扉で閉ざしておくなどというのは、東京流の料簡の狭い考えで、単に米子の人がおおらかだからでしょうか。

この伝でいくと、米子は旧加茂川畔なら、さしづめ「橋の二本や三本は、持てる男になりたいものだ」になるのかなあ…。60歳までに石造アーチ・木造刎橋各1本と、鋼ポニートラスが目標とか!
イヤ、妄想をふくらませ過ぎました。このあたり、左側には桜並木があり、約60本の桜が植えられているとのこと。春先は岸辺も河上も、お花見客で賑わう区間だそうです。

整備状態に差があるのを見ると、先の「『私設橋』公道扱い説」(わけがわからないな)も、疑わしくなってきます。少なくとも維持管理は、橋を使っている各戸に任されているのでしょうか。このあたり、ご教示いただければ幸いです。
【撮影地点のMapion地図】
(23年11月9日撮影)
(『加茂川・中海遊覧船に乗って…3』につづく)

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加茂川・中海遊覧船に乗って…1
(『旧加茂川周辺を歩く…3』のつづき)
●天神橋から川沿いの通りに出て、少し上流に向かったところが乗り場。ご覧のように幟や看板も立てられてわかりやすく、天神橋バス停も近い交通至便なところです。
だいぶ早く着いてしまったので、入口からテラスに入って、ベンチに荷物を置いて周囲の写真を撮ったり、しばらくウロウロしていました。

●テラスに2隻もやっていたうち、対岸の1隻を眺めて。船体は既製のFRP和船ですが、側面に張ったシートに配された「城下町米子 加茂川・中海遊覧船」のロゴが効いていて、悪くない雰囲気です。シートは客用ベンチの並べられた長さに等しく、風やスプレーよけも兼ねているのでしょう。何より視界をさえぎるオーニングや、屋根のたぐいがないのが素晴らしい。もっともこれは、橋の低い桁下高のためと後でわかりました。
舷側中央に書き込まれた「笑Ⅲ」が船名なのでしょうか? 私の乗った船は、こちら岸にもやったもう1隻のほうだったので、船名はわからずじまい。
●船頭さんに電話すると、約束の時間よりかなり早かったにもかかわらず、さっそく準備に取りかかってくれました。写真のベンチは板のままですが、この上にチェック柄のクッションをかぶせてくれます。
船頭さんの後ろに見える橋たちも、川沿いのお宅に直結しているので、やはり「私設橋」のようですね。先ほど見た橋たちより規模が大きいせいか、がっちりした高欄を備えるなど、造りもより本格的。
●準備が完了すると、エンジンを始動していよいよ出航、花壇のある船着場を離れ、旧加茂川を下ります。
目の前には、防水なのかビニールにくるまれたスピーカーがデンと置かれ、テープに録音された説明が流れてきました。説明の合間には、船頭さんの肉声でのガイドもあり、質問にも適宜答えてくれます。

●さて、視界を圧迫し始めたのは、さっき渡ってきたばかりの天神橋。簡素ながらも桁側面に袴をはかせ、橋灯はガス灯に似せた擬古典風味の橋ですが、もう桁下高が異様に低い。テラスに立ったら、路面が見えそうな低さです。
袴を垂らしているのも低さを強調して、はなからイイ感じじゃないですか! 米子に来てすり抜け気分を味わえるとは、思いませんでした。
【撮影地点のMapion地図】
(23年11月9日撮影)
(『加茂川・中海遊覧船に乗って…2』につづく)

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だいぶ早く着いてしまったので、入口からテラスに入って、ベンチに荷物を置いて周囲の写真を撮ったり、しばらくウロウロしていました。

●テラスに2隻もやっていたうち、対岸の1隻を眺めて。船体は既製のFRP和船ですが、側面に張ったシートに配された「城下町米子 加茂川・中海遊覧船」のロゴが効いていて、悪くない雰囲気です。シートは客用ベンチの並べられた長さに等しく、風やスプレーよけも兼ねているのでしょう。何より視界をさえぎるオーニングや、屋根のたぐいがないのが素晴らしい。もっともこれは、橋の低い桁下高のためと後でわかりました。
舷側中央に書き込まれた「笑Ⅲ」が船名なのでしょうか? 私の乗った船は、こちら岸にもやったもう1隻のほうだったので、船名はわからずじまい。

船頭さんの後ろに見える橋たちも、川沿いのお宅に直結しているので、やはり「私設橋」のようですね。先ほど見た橋たちより規模が大きいせいか、がっちりした高欄を備えるなど、造りもより本格的。

目の前には、防水なのかビニールにくるまれたスピーカーがデンと置かれ、テープに録音された説明が流れてきました。説明の合間には、船頭さんの肉声でのガイドもあり、質問にも適宜答えてくれます。

●さて、視界を圧迫し始めたのは、さっき渡ってきたばかりの天神橋。簡素ながらも桁側面に袴をはかせ、橋灯はガス灯に似せた擬古典風味の橋ですが、もう桁下高が異様に低い。テラスに立ったら、路面が見えそうな低さです。
袴を垂らしているのも低さを強調して、はなからイイ感じじゃないですか! 米子に来てすり抜け気分を味わえるとは、思いませんでした。
【撮影地点のMapion地図】
(23年11月9日撮影)
(『加茂川・中海遊覧船に乗って…2』につづく)

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旧加茂川周辺を歩く…3
(『旧加茂川周辺を歩く…2』のつづき)

●アーケードから延びる「笑い通り」に入って西へ進むと、旧加茂川がクランク状に曲がるところに、これも年季の入ったRC橋が。高欄のデザインが魅力的だったので、側面をのぞき込んでみたら…水管がべったり寄り添って、やはり少々残念な状況でした。
親柱の銘によると、名前は加茂川橋、昭和25年10月竣工とのこと。旧加茂川最下流部のこのあたり、古い橋がほとんど見られなかったのが、街並みにくらべて意外な感じを受けました。あるいはこういった戦後間もないころのRC橋が最近まで多くあり、通行量の増加や耐用年数などの理由で、近年になって次々と架け替えられたのでしょうか。
【撮影地点のMapion地図】
●旧加茂川と離れて、「笑い通り」を直進。右手に現われたのは、昭和初期のモダニズム風味の建物。植え込みも含めてきれいに保たれていて、まるで保存されているようですね。2階建てながら「ビルヂング」と呼んであげたい重厚さがあります。
正面玄関右手には「坂口合名会社」と表札がかかっていました。その筋には有名そう…と思って検索してみると、「坂口合名ビル」(建築ノスタルジア)、「米子・坂口合名ビル」(風呂屋の煙突)と、やはり建築愛好家の皆さん、注目の物件でした。昭和6年の竣工なのですね。
【撮影地点のMapion地図】

●街並みを楽しみつつお散歩していたら、もう目的地の近く。現在地はコレ(⇒)の赤矢印のところ。いえ、避難場所でなくて。
あちこち見ながら、ずいぶん長い間歩いたように錯覚していたのですが、時計を見たら10分と経っていませんでした。
●天神橋の上から、みたびの旧加茂川を望んだところが目的地。いましたいました、上流側のテラスにもやう、2隻の小舟が! 「加茂川・中海遊覧船」の船ですね。
ささやかながら、江戸時代以来の堀割に息づく、これも立派な河川航路。大潟湖・中海の風物も同時に楽しめるというのですから、内水好きとしては期待大です。
【撮影地点のMapion地図】
(23年11月9日撮影)
(『加茂川・中海遊覧船に乗って…1』につづく)

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●アーケードから延びる「笑い通り」に入って西へ進むと、旧加茂川がクランク状に曲がるところに、これも年季の入ったRC橋が。高欄のデザインが魅力的だったので、側面をのぞき込んでみたら…水管がべったり寄り添って、やはり少々残念な状況でした。
親柱の銘によると、名前は加茂川橋、昭和25年10月竣工とのこと。旧加茂川最下流部のこのあたり、古い橋がほとんど見られなかったのが、街並みにくらべて意外な感じを受けました。あるいはこういった戦後間もないころのRC橋が最近まで多くあり、通行量の増加や耐用年数などの理由で、近年になって次々と架け替えられたのでしょうか。
【撮影地点のMapion地図】

正面玄関右手には「坂口合名会社」と表札がかかっていました。その筋には有名そう…と思って検索してみると、「坂口合名ビル」(建築ノスタルジア)、「米子・坂口合名ビル」(風呂屋の煙突)と、やはり建築愛好家の皆さん、注目の物件でした。昭和6年の竣工なのですね。
【撮影地点のMapion地図】


あちこち見ながら、ずいぶん長い間歩いたように錯覚していたのですが、時計を見たら10分と経っていませんでした。

ささやかながら、江戸時代以来の堀割に息づく、これも立派な河川航路。大潟湖・中海の風物も同時に楽しめるというのですから、内水好きとしては期待大です。
【撮影地点のMapion地図】
(23年11月9日撮影)
(『加茂川・中海遊覧船に乗って…1』につづく)

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旧加茂川周辺を歩く…2
(『旧加茂川周辺を歩く…1』のつづき)

●対岸、建物の下の護岸は、その多くが石垣。しかも各戸で石の組み方に個性があり、建物ごとに微妙に凹凸もあったりするのを見ると、橋同様沿岸の家々が私的に組んだ石垣のようですね。基礎護岸がなければ、河水は直接、石垣を洗っていたのでしょう。
ちなみに、水は意外と澄んでいて、水草の生えた浅い河底が透けて見えました。水深はもちろん浅いようでしたが、ベカやカヤックなら大丈夫そう。実用されていたころは、小伝馬くらいは入ってきていたのでしょうね。
●上の写真の橋の手前、基礎護岸の際に一対立っている電灯、何でしょう? 水路幅を示す航路標識のように見えなくもありませんが、通船はよもやないでしょうから、橋を下から照らすためのものでしょうか。
右写真、橋を正面から見ると、ビルの入口に「すえよし通り」の看板が。どうやらこのビルは、飲み屋さん街のようですね。通路はアーケードまで貫通しているのかしら。

●さらに川沿いの道を下流へ歩いてゆくと、古そうなRC橋が架かっていました。あっ、この橋の手前にも、「航路標識」っぽい電灯が立っていますね。
しかし、橋脚から右手前に鋼桁が渡され、橋の鑑賞にはまことに具合の悪い状況。こりゃ一体何だろうと、橋詰に回ってみると…。
●立派なお地蔵様をまつった、祭壇ともいうべきものでした。これは失礼。このお地蔵様「咲い地蔵」と書いて「わらいじぞう」と読むそう。アーケード「笑い通り商店街」の名前も、ここから採られたのでしょうか。
左側にある額には、沢山のお札が貼られて、篤い信仰を集めていることが感じられました。この他にも、川沿いにまつられたお地蔵様がいくつかおわしたので、あるいは水と関係の深い由来があるのかもしれません。
●橋詰からのぞいた道が、またいい雰囲気。ウチの近所も、ついこの間までこんな路地があったなあ…。里心がついた(?)のを理由に90度変針、南西へ。
ちなみに、橋の名前は覚證院橋、竣工年はわかりませんでした(反対側の親柱に書いてあったかも…撮り忘れました。)が、全体の雰囲気から、昭和20年代は下らないのではないでしょうか。
【撮影地点のMapion地図】
(23年11月9日撮影)
(『旧加茂川周辺を歩く…3』につづく)

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●対岸、建物の下の護岸は、その多くが石垣。しかも各戸で石の組み方に個性があり、建物ごとに微妙に凹凸もあったりするのを見ると、橋同様沿岸の家々が私的に組んだ石垣のようですね。基礎護岸がなければ、河水は直接、石垣を洗っていたのでしょう。
ちなみに、水は意外と澄んでいて、水草の生えた浅い河底が透けて見えました。水深はもちろん浅いようでしたが、ベカやカヤックなら大丈夫そう。実用されていたころは、小伝馬くらいは入ってきていたのでしょうね。

右写真、橋を正面から見ると、ビルの入口に「すえよし通り」の看板が。どうやらこのビルは、飲み屋さん街のようですね。通路はアーケードまで貫通しているのかしら。

●さらに川沿いの道を下流へ歩いてゆくと、古そうなRC橋が架かっていました。あっ、この橋の手前にも、「航路標識」っぽい電灯が立っていますね。
しかし、橋脚から右手前に鋼桁が渡され、橋の鑑賞にはまことに具合の悪い状況。こりゃ一体何だろうと、橋詰に回ってみると…。

左側にある額には、沢山のお札が貼られて、篤い信仰を集めていることが感じられました。この他にも、川沿いにまつられたお地蔵様がいくつかおわしたので、あるいは水と関係の深い由来があるのかもしれません。

ちなみに、橋の名前は覚證院橋、竣工年はわかりませんでした(反対側の親柱に書いてあったかも…撮り忘れました。)が、全体の雰囲気から、昭和20年代は下らないのではないでしょうか。
【撮影地点のMapion地図】
(23年11月9日撮影)
(『旧加茂川周辺を歩く…3』につづく)

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タグ : 旧加茂川
旧加茂川周辺を歩く…1
(『日野川河口を歩く…3』のつづき)
●米子市の中心街に入り、東倉吉町にやってきました。旧市街を貫流して中海に注ぐ、旧加茂川や街並みを眺めながら、次の目的地までお散歩です。
加茂川は安来市の鷲頭山を水源とする延長9.5kmの一級河川で、現在は後に触れる、放水路として開鑿された部分が、加茂川最下流部の本流となっていますが、やはり気になるのは、慶長年間に整備されたといわれるかつての本流、旧加茂川のほう。古い建築が随所に残る街とともに、水運時代の残り香が楽しめそうと踏んだのです。

●国道9号・山陰道に架かる旭橋の上から、旧加茂川の上流方向、南東側を眺めたところ。店や住宅が全て正面を河畔に向け、間口の数だけ橋が架かる、圧倒的な光景にビックリ!
十二橋どころではない橋梁密度、しかも見渡す限り、私設橋(で間違いないと思いますが)のオンパレード! I形鋼に床板を打っただけの簡素なものから、コンクリート高欄を備えた豪華版(?)まで、個性豊かな小橋の共演に、めまいがする思いです。
【撮影地点のMapion地図】
●こちらはレストランなのか、ガス灯風のランプを2本立て、両脇にレンガの花壇、床板もレンガ色のタイルをおごったお洒落なもの。この街では、橋が玄関であり、その家の顔なのですね。
維持管理やお役所への申請など、大変なことも多いだろうなあとは思うものの、「橋を所有できる」という誘惑には、抗しがたい魅力がありますね!
自分がもし、この並びに居を構えたら、どんな橋をかけようかなあ…などと妄想すると、果てしがなさそう。リベット組みのポニートラスがいいかしら、イヤやはり、鋼桁橋のラーメン橋台橋か!
●さて、目的地は西側にあるので、山陰道を渡って下流へ。あちらも橋の多そうな雰囲気です。
このあたりの旧加茂川は、すぐ南にアーケードのある「笑い通り商店街」が並行しています。地図を見ると、商店街から旧加茂川に抜けるかたちの、「うなぎの寝床」のように、細長い地割をした家も少なくないようですね。
米子城下町が成立して以来の、古い街割りの名残なのか、近代以降のものなのかはわかりません。しかし、通り筋に面した各戸が、旧加茂川に接した「勝手口」を持っていたであろう、かつてを想像すると、いかにも「小江戸」ならぬ「小大坂」らしい、水運の盛んな商都の水路風景が目に浮かぶようで、楽しくなりました。

●おお、こちらもまた素晴らしい、私設橋梁過密地帯。鋼桁に滑り止め鉄板の床板、木桁にコンクリート床板、鋼桁にパイプの高欄付きと材質・スタイルともさまざま。もしかしたら、延長に比して、日本一橋の多い川じゃないでしょうか?
【撮影地点のMapion地図】
(23年11月9日撮影)
(『旧加茂川周辺を歩く…2』につづく)

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加茂川は安来市の鷲頭山を水源とする延長9.5kmの一級河川で、現在は後に触れる、放水路として開鑿された部分が、加茂川最下流部の本流となっていますが、やはり気になるのは、慶長年間に整備されたといわれるかつての本流、旧加茂川のほう。古い建築が随所に残る街とともに、水運時代の残り香が楽しめそうと踏んだのです。

●国道9号・山陰道に架かる旭橋の上から、旧加茂川の上流方向、南東側を眺めたところ。店や住宅が全て正面を河畔に向け、間口の数だけ橋が架かる、圧倒的な光景にビックリ!
十二橋どころではない橋梁密度、しかも見渡す限り、私設橋(で間違いないと思いますが)のオンパレード! I形鋼に床板を打っただけの簡素なものから、コンクリート高欄を備えた豪華版(?)まで、個性豊かな小橋の共演に、めまいがする思いです。
【撮影地点のMapion地図】

維持管理やお役所への申請など、大変なことも多いだろうなあとは思うものの、「橋を所有できる」という誘惑には、抗しがたい魅力がありますね!
自分がもし、この並びに居を構えたら、どんな橋をかけようかなあ…などと妄想すると、果てしがなさそう。リベット組みのポニートラスがいいかしら、イヤやはり、鋼桁橋のラーメン橋台橋か!

このあたりの旧加茂川は、すぐ南にアーケードのある「笑い通り商店街」が並行しています。地図を見ると、商店街から旧加茂川に抜けるかたちの、「うなぎの寝床」のように、細長い地割をした家も少なくないようですね。
米子城下町が成立して以来の、古い街割りの名残なのか、近代以降のものなのかはわかりません。しかし、通り筋に面した各戸が、旧加茂川に接した「勝手口」を持っていたであろう、かつてを想像すると、いかにも「小江戸」ならぬ「小大坂」らしい、水運の盛んな商都の水路風景が目に浮かぶようで、楽しくなりました。

●おお、こちらもまた素晴らしい、私設橋梁過密地帯。鋼桁に滑り止め鉄板の床板、木桁にコンクリート床板、鋼桁にパイプの高欄付きと材質・スタイルともさまざま。もしかしたら、延長に比して、日本一橋の多い川じゃないでしょうか?
【撮影地点のMapion地図】
(23年11月9日撮影)
(『旧加茂川周辺を歩く…2』につづく)

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