散りぎわのお花見水路…10
(『散りぎわのお花見水路…9』のつづき)

●これまでの週末が天気に恵まれなかったせいか、日本橋船着場周辺も、いつもより倍して賑わっているようですね。着桟している艇、順番待ちで遊弋している艇と、顔見知りの船長さんたちに手を振ってあいさつしながら、間を縫うようにして歩かせるのは楽しいものです。
すぐ下流の鎧橋付近で、名残の花筏を一枚。観光船に乗られた皆さんも、春限定の花びらが流れる川面を目にして、歓声を上げられたのではないでしょうか。

●そして帰路も、水際の桜を拾いながらのんびりと。えーと、これは潮見運動公園だったかな? まだ盛りのまとまった桜があり、ちょっとトクした気分。ここ、「ネッコロ日和?」のときは、銀世界だったよなあ‥‥(遠い目)。
砂町運河では、大形のバージを曳いた曳船に出会いました。甲板室には「水戸丸」、常陸海事建設(株)の表示が。タイプ的にちょっと古典味のある造作、それが爆音を響かせて迫るのですから、たまりませなんだ。

●被曳船たるバージは、旧綾瀬川でおなじみ、伊沢造船の103号。こちらの所属艀は、ホールドの縁を山吹色に塗り上げているので、遠目にもすぐわかります。
ピーンと張った曳索にぐいぐいと引っ張られ、四角い船首で押し分ける波、空船らしく高々と上がった錆色の舷側と、春霞にけぶった青空の下、業務船らしい雰囲気を振りまいて進む巨体を堪能して、お花見散歩のシメといたしました。
【撮影地点のMapion地図】
(28年4月9日撮影)
(この項おわり)

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すぐ下流の鎧橋付近で、名残の花筏を一枚。観光船に乗られた皆さんも、春限定の花びらが流れる川面を目にして、歓声を上げられたのではないでしょうか。


砂町運河では、大形のバージを曳いた曳船に出会いました。甲板室には「水戸丸」、常陸海事建設(株)の表示が。タイプ的にちょっと古典味のある造作、それが爆音を響かせて迫るのですから、たまりませなんだ。

●被曳船たるバージは、旧綾瀬川でおなじみ、伊沢造船の103号。こちらの所属艀は、ホールドの縁を山吹色に塗り上げているので、遠目にもすぐわかります。
ピーンと張った曳索にぐいぐいと引っ張られ、四角い船首で押し分ける波、空船らしく高々と上がった錆色の舷側と、春霞にけぶった青空の下、業務船らしい雰囲気を振りまいて進む巨体を堪能して、お花見散歩のシメといたしました。
【撮影地点のMapion地図】
(28年4月9日撮影)
(この項おわり)

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日本橋架橋100周年記念の榮太樓飴

まあ、勇んで買いに行ったというわけではなく、連れがたまたま見つけてきたというレベルなのですが…。開けてみると、なかなか行き届いたパッケージで、眺めるほどに嬉しくなってきました。

●ご当地日本橋の老舗、榮太樓飴本舗による飴二缶の詰め合わせで、箱の表面には「日本橋架橋100周年記念」と大書きされ、薄墨でバックに描かれた絵柄は、日本橋の高欄にその雄姿を誇る麒麟像。老舗らしい上品さが感じられるデザインですね。
中には飴二缶のほか、巻き折りの解説紙と、別紙で缶の絵柄が記念切手にも採用されている旨、特に注記がありました。

●缶のフタの絵柄は、説明によると初代広重の浮世絵「日本橋より富嶽遠望図」、「日本橋開通記念絵葉書」とのこと。プリントも美しく、高級感あふれるつくり。
紙器と違って、金属の缶ってどこか夢がありますよね。特にこういった飴の缶は、小物入れなどに使った思い出のある方も、少なくないのではないでしょうか。きれいな絵柄で、しかもなじみのある日本橋とくれば、愛着もわいて長く使いたくなりそう。もちろん中身も、味わいながら少しづついただいています。

●表ばかりでなく箱の裏にも、さりげなく日本橋のネームプレートを模した絵柄が刷られているあたり、さすがですね。15代将軍・徳川慶喜の揮毫によるものです。
ここで、解説を読んでいて「あれ?」と思い当るものが。缶の絵柄になったこの記念絵葉書、どこかにあったような…。

写真下のキャプションを読むと、「總坪四百五坪 長廿七間巾五十間 經費五十二萬三千余圓 明治三十九年起工 同四十四年四月落成」とあり、また両脇に配された「日本橋」「にほんばし」の字の下には、それぞれ「慶喜公書」と、念を押すように書かれているのが印象的です。
なお裏側には、宛名欄と通信欄を分ける罫線に沿って、「日本橋開橋紀念繪葉書 日本橋區祝賀會發行」と発行者名が記され、さらに下端には「日本葉書倶楽部謹製」と製造元名まで。表面の印刷の丁寧さ、用紙の質のよさもさることながら、書籍並みに印刷・発行元名が入っているあたり、ただの絵葉書でないことが感じられ、興味深いものがありました。

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日本橋の絵葉書
●「日本橋が洗われたらしい…1」ほかで、すっかりキレイになった日本橋を堪能してから、改めてこの橋のかつての姿に興味がわいてきました。集めた昔の絵葉書から、日本橋を主題としたものを取り出しては眺めていたのですが、その中でも特に気に入っているのが、以下に掲げた5葉の人着写真です。
日本橋の絵葉書は点数が多いこともあって、比較的入手しやすく、書籍やウェブ上で公表されているものも少なくないため、あるいはご覧になったものもあるかと思いますが、水路とともに栄えた商業街の中心として、輝いていたころの日本橋と、人着写真独特の味わいを楽しんでいただければ幸いです。

●下流側南岸、現在の野村証券があるあたりから望んだ日本橋。市電の型や背景から、大正末から昭和初期といったところでしょうか。右径間をくぐる舟に、竿さす船頭さんの姿が見えるのもいい感じです。
バックの帝国製麻ビルのレンガ色がよく出ていて、目に沁みるようですね。帝国製麻ビルは、東京駅も手がけた建築家・辰野金吾によるもので、大正3(1914)年の竣工。日本橋の外観ともよくマッチした、橋詰を代表する建物でした。のちに大栄不動産の所有となってから、惜しくも解体され、現在は大栄不動産の新しいビルが建っています。

●これも南岸、やや西側の上空から見たところで、現在では絶対に拝めないアングルでもあります。画面右手には旧魚河岸の建物と桟橋群が見られることから、震災前は確実で、大正初めごろでしょうか。中央、今でいう室町1丁目の家並の中に、仁丹の広告がにょっきり突き出しているのに目をひかれますね。
おっ、と気付かされたのは、上流の橋脚左側に、防護杭が見られること。舟がひしめいていた時代ですから、増水時には流れ出した舟が橋脚に衝突することも、少なからずあったことでしょう。

●洋風建築が増えていることから、こちらは2枚目よりだいぶ後の撮影のようです。荷足か艜(ひらた)かはわかりませんが、かなり大型の荷船が竿さして橋をくぐりゆくさまに、嬉しくなったものです。ここでも帝国製麻ビルが目立っています。橋詰広場の位置に緑が見えますが、今と違って、木を植えていた時期もあったのでしょうか。
三越をはじめとする巨大ビル群を背景に、電車の轟音と、行きかう人々や船頭たちの話し声までが聞こえてきそうな活気あふれる一枚で、「あきんどの街」の魅力が詰まった写真ですね。

●一枚目とよく似たアングルながら、こちらは珍しい夜景を写したもの。ほのかに浮かび上がる日本橋の白い石積み、窓から漏れる白熱球の灯りと、それを映した水面が実に美しく、ボカシ処理も見事で、人着写真としても秀逸なものに思えます。

●最後も「日本橋の夜趣」と題した夜景ですが、こちらはアングルも背景もぐっとモダンで、昭和戦前も二桁といった感じがします。人着写真というよりはもはや絵画で、いかにも明治風な装飾を施した橋灯と、バックの直線的なビル群のシルエットが対照的です。
撮影者(いや、画家?)も、そんな「モダン東京」と、星霜を経た日本橋のコントラストを意識して、視点を決めたのかもしれませんね。

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日本橋の絵葉書は点数が多いこともあって、比較的入手しやすく、書籍やウェブ上で公表されているものも少なくないため、あるいはご覧になったものもあるかと思いますが、水路とともに栄えた商業街の中心として、輝いていたころの日本橋と、人着写真独特の味わいを楽しんでいただければ幸いです。

●下流側南岸、現在の野村証券があるあたりから望んだ日本橋。市電の型や背景から、大正末から昭和初期といったところでしょうか。右径間をくぐる舟に、竿さす船頭さんの姿が見えるのもいい感じです。
バックの帝国製麻ビルのレンガ色がよく出ていて、目に沁みるようですね。帝国製麻ビルは、東京駅も手がけた建築家・辰野金吾によるもので、大正3(1914)年の竣工。日本橋の外観ともよくマッチした、橋詰を代表する建物でした。のちに大栄不動産の所有となってから、惜しくも解体され、現在は大栄不動産の新しいビルが建っています。

●これも南岸、やや西側の上空から見たところで、現在では絶対に拝めないアングルでもあります。画面右手には旧魚河岸の建物と桟橋群が見られることから、震災前は確実で、大正初めごろでしょうか。中央、今でいう室町1丁目の家並の中に、仁丹の広告がにょっきり突き出しているのに目をひかれますね。
おっ、と気付かされたのは、上流の橋脚左側に、防護杭が見られること。舟がひしめいていた時代ですから、増水時には流れ出した舟が橋脚に衝突することも、少なからずあったことでしょう。

●洋風建築が増えていることから、こちらは2枚目よりだいぶ後の撮影のようです。荷足か艜(ひらた)かはわかりませんが、かなり大型の荷船が竿さして橋をくぐりゆくさまに、嬉しくなったものです。ここでも帝国製麻ビルが目立っています。橋詰広場の位置に緑が見えますが、今と違って、木を植えていた時期もあったのでしょうか。
三越をはじめとする巨大ビル群を背景に、電車の轟音と、行きかう人々や船頭たちの話し声までが聞こえてきそうな活気あふれる一枚で、「あきんどの街」の魅力が詰まった写真ですね。

●一枚目とよく似たアングルながら、こちらは珍しい夜景を写したもの。ほのかに浮かび上がる日本橋の白い石積み、窓から漏れる白熱球の灯りと、それを映した水面が実に美しく、ボカシ処理も見事で、人着写真としても秀逸なものに思えます。

●最後も「日本橋の夜趣」と題した夜景ですが、こちらはアングルも背景もぐっとモダンで、昭和戦前も二桁といった感じがします。人着写真というよりはもはや絵画で、いかにも明治風な装飾を施した橋灯と、バックの直線的なビル群のシルエットが対照的です。
撮影者(いや、画家?)も、そんな「モダン東京」と、星霜を経た日本橋のコントラストを意識して、視点を決めたのかもしれませんね。

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日本橋が洗われたらしい…3
(『日本橋が洗われたらしい…2』のつづき)

●くぐって上流側に出ると、こちらの方が光線の塩梅がよいのか、よりさっぱりと清められた感じがします。橋詰近く、高欄に陽のあたった部分などは、まさに「まぶしい橋」の片鱗を見たような美白(?)の輝き。
●少し離れて見ると、橋脚の右側近く、アーチリングが欠けたようになっているのがわかりますが、こちらもだいぶきれいにはなっているものの、凸凹のせいか黒ずみが残っていますね。
伊藤孝氏の「東京の橋」によると、これは関東大震災時に受けた傷跡とのこと。橋の下にいた船に、沿岸の火事が燃え移り、その熱で輪石の表面が剥落したのでしょう。こうした歴史が読み取れるのは、改築などではない、原形を保ったリニューアルである「丸洗い」ならでは。

●要石を厳めしく飾る、獅子面君も心なしかさっぱりした表情。
「名橋『日本橋』保存会」の皆さんによって、毎年水洗いはされていますから、他の橋にくらべればずっと良い状態ではあるものの、ここまで徹底的に洗われたのは、竣工100年目にして初めてのことでしょうから、さぞビックリしたことと思います。
●上流側から、橋台地を含めた全景を見て。やはりこちらの方が、陽が射していることもあって、洗われぶりが一目瞭然。
陽の当たっている部分の輝きを見ると、やはり今回ばかりは、一瞬でもよいから首都高を取り外して、お天道様の下で本来の姿を眺めてみたい…そんな気にさせられました。いや、取り外さなくとも、もうあと5m桁下が高ければ、陽当たりも良くなって、より洗った甲斐のある眺めになった気がします。
●側面や高欄はご覧のとおりで、まず文句のつけどころがない仕事ぶりでしたが、「橋の裏側」愛好者としては、アーチの裏の洗われぶりも気になるところ。
写真がブレてしまったのは痛いところながら、まだらに付いた煤、目地から垂れ下がる石灰質のツララもそのままで、まず手が入っていないと思って間違いない状態でした。
「フネから目線」でしか見られないのは、橋の裏側のみならず、洗われる前の、100年の垢をまとった日本橋の姿。皆さん、通られる際はお見逃しなく!
(23年2月13日撮影)
(この項おわり)

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●くぐって上流側に出ると、こちらの方が光線の塩梅がよいのか、よりさっぱりと清められた感じがします。橋詰近く、高欄に陽のあたった部分などは、まさに「まぶしい橋」の片鱗を見たような美白(?)の輝き。

伊藤孝氏の「東京の橋」によると、これは関東大震災時に受けた傷跡とのこと。橋の下にいた船に、沿岸の火事が燃え移り、その熱で輪石の表面が剥落したのでしょう。こうした歴史が読み取れるのは、改築などではない、原形を保ったリニューアルである「丸洗い」ならでは。

●要石を厳めしく飾る、獅子面君も心なしかさっぱりした表情。
「名橋『日本橋』保存会」の皆さんによって、毎年水洗いはされていますから、他の橋にくらべればずっと良い状態ではあるものの、ここまで徹底的に洗われたのは、竣工100年目にして初めてのことでしょうから、さぞビックリしたことと思います。

陽の当たっている部分の輝きを見ると、やはり今回ばかりは、一瞬でもよいから首都高を取り外して、お天道様の下で本来の姿を眺めてみたい…そんな気にさせられました。いや、取り外さなくとも、もうあと5m桁下が高ければ、陽当たりも良くなって、より洗った甲斐のある眺めになった気がします。

写真がブレてしまったのは痛いところながら、まだらに付いた煤、目地から垂れ下がる石灰質のツララもそのままで、まず手が入っていないと思って間違いない状態でした。
「フネから目線」でしか見られないのは、橋の裏側のみならず、洗われる前の、100年の垢をまとった日本橋の姿。皆さん、通られる際はお見逃しなく!
(23年2月13日撮影)
(この項おわり)

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