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令和4年度川走り納め・新河岸川…3

(『令和4年度川走り納め・新河岸川…2』のつづき)

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曳船をアップで。常陸海事建設の「大子(DAIGO)」とあり、押船の機能も兼ね備えたタイプのようですね。

不審船の接近に気づいたらしく、わずかに行き足をかけてゆっくりと回頭し、こちらに船首を向けてきました。ジロリ、と睨んで凄まれたような感じがします。

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作業船は「あくあまりんⅢ」。右側の機付きオープン艇には、8人もの人が乗っていて、そのうち一人は竿で河底を突き、何事か調査している様子です。護岸を修理する下準備でもしている風情でした。

単なる調査としては大所帯で、物々しい雰囲気ですね。これからさらに工事の船が到着するのか、それとも潜水夫でも入れるのか‥‥。

291023.jpg「大子」は軸線をこちらにピタリと合わせ、警戒感もあらわな表情です。頼めば通してくれたのでしょうが、体が冷えてやる気が萎え気味のところにこれでは、気もくじけようというもの。

う~ん、ご迷惑になるのもことだし、今回は「呼ばれていなかった」ということで、またの機会にしましょう! というわけで、反転、下航することにしました。


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291025.jpg皮肉なことに雲もだいぶ薄れて、新河岸大橋を振り返ると、天真爛漫な実にいいお顔。右は中の橋から東北本線の鉄道橋トラス群を望んだところ。下路式橋天国、いいですなあ。

当初の目論見は潰えたものの、ふと石神井川を訪ねてみようか、と思いつきました。水面の浮流物も少ないようだし、前回のようにゴミが障害になって入れない、ということはないでしょう。
撮影地点のMapion地図

(令和4年12月28日撮影)

(『令和4年度川走り納め・隅田川…1』につづく)

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タグ : 新河岸川曳船

令和4年度川走り納め・新河岸川…2

(『令和4年度川走り納め・新河岸川…1』のつづき)

291016.jpg国道122号線、新荒川大橋手前で。左手の護岸上には、先ほど同様水鳥たちがみっちりといっていいくらい並んでいたのですが、不審船の接近に気づくやいなや、警戒音を発していっせいに離陸。

まあ、静かな川面が、ときならぬ騒ぎになってしまいました。そ、そんなにイヤなんでしょうか‥‥(悲)。


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新荒川大橋~東北本線鉄橋間の北岸は、堤防の天端に植えられた桜並木が見事なところ。もちろんこの時季とて、葉も全て落ちていますが、枯草色の法面とともに雲の切れてきた空に映えて、冬枯れの爽やかな空気を感じさせる川景色に。

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川の上の駅、埼京線北赤羽駅に並行して架かるトラス、浮間橋を仰いで。新河岸川といえば、眺め応えのある下路式鋼橋が多いところ、トラスやタイドアーチのメッカといってもいい過ぎではありません。

この先はテラスも途切れて、無骨ながら星霜を感じさせる、コンクリートの堤防と法面が続くグレー一色の河畔に。釣り人さんはいまのところ、予想より少ないようで、気遣いなく艇を歩かせられます。

291019.jpg荒川の広い川面にくらべて風が抜けず、また行き足も落としているので合成風速も穏やかなせいか、だいぶ体の冷えも回復してきました。

浮間の大屈曲区間を曲がり切ったあたりに至ると、、新河岸橋のすぐ下流に船影が。おや、何か工事でもしているのかな? と、スロットルをしぼって近づいてみると‥‥。


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左に青い船体の曳船、中央に通船タイプの作業船、右には岸に接して数人の人が乗ったオープンボートと、三隻も。台船やクレーン船の姿はなかったので、工事をしているわけではなさそうですが、さて何でしょうか。
撮影地点のMapion地図

(令和4年12月28日撮影)

(『令和4年度川走り納め・新河岸川…3』につづく)

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タグ : 新河岸川曳船

令和4年度川走り納め・新河岸川…1

(『令和4年度川走り納め・荒川…2』のつづき)

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くぐったところで陽が差したので、予想どおりいい表情がものにでき機嫌がよくなるのが現金なところ。ツヤツヤの扉体が陽光を反射してきれいですね。つぎはぎの巻上機室外壁が痛ましいので、補修してあげてなお完璧を期してほしいもの。

291012.jpg隅田川流頭部で楽しみなのは、水門下流にある繋船場で、国交省所属の清掃船たちを眺めること。よく目にする都環境局の緑の清掃船や、東京港埠頭の黄色い船隊とは違った塗色とスタイルが魅力です。

もっとも清掃作業で出払っていたのか、この日は写真の「ちどり」一隻のみでした。か細い冬の日を浴びて、枯草色の法面をバックにたたずむ表情、寂しげな感じで風情があります。

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水門をくぐったら、右へほぼ180°回頭して新河岸川へ入るわけですが、二つの川が合流するその突端、いわゆる「鼻」と呼ばれる部分を眺めつつ、艇を回してゆくこの瞬間がいいんですよね。

分流点とか合流点を目にして盛り上がるたち、それも鋭角であればなおよし、といった性癖の持ち主なので、何でもないようなこの光景が、導入部として気分を高揚させるのです。

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地味な物件ですが、ここで船着場をご紹介。志茂防災船着場、国交省荒川下流河川事務所の管轄です。

テラスに浅い凹部をつくり、護岸にフェンダーやビットを備えただけの、一見簡略なタイプに見えますよね。しかし、柵はレールに沿って全幅いっぱいに開き、背後の法面には同じ幅員の階段も設けられ、と充実装備。さすが、荒川知水資料館を控えた国交省管轄ならではです。
撮影地点のMapion地図

291015.jpg船着場対岸はテラスこそないものの、コンクリートブロックの法面と、水際にわずかなフラットがあるという、トリさんの休憩所としては格好のつくり。結構な数の鴨さんがズラリと並んで、ツブれたり羽繕いをしたりと、思い思いに憩うていました。

通航船艇も少ないとあってすっかりおくつろぎのところ、お邪魔して申しわけない。不審船を見て立ち上がったり、ガアガア鳴いたりしておかんむりだったので、少し距離をとって早々に立ち去ったのでした。


(令和4年12月28日撮影)

(『令和4年度川走り納め・新河岸川…2』につづく)

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タグ : 隅田川新河岸川岩淵水門清掃船水辺の鳥たち

消えたマイタゲート閘門、二題

すでに撤去されて久しい、マイタゲートの閘門を写した絵葉書を2枚ご紹介します。いずれも竣工間もないころの撮影と思われるものです。

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ROCKENYA-LOCK AT NEZUMIJIMA
裏面に「大阪若林獨立軒製版印刷」の記載あり。
宛名・通信欄比率2:1、明治40年4月~大正7年3月の発行。


新淀川開鑿を主とした淀川改修工事の一環として、中洲である鼠島に明治43年竣工した、六軒屋閘門を写したものです。扉室両岸に洋装の人物が多く集まっているところを見ると、竣工からさほど日が経っていないときに行われた、記念撮影のように思えます。

「運河と閘門」によると、最小幅10.91m、有効長89.08mで、大正12年に六軒屋第二閘門が併設されたため、以後は六軒屋第一閘門と呼ばれるようになりました。用途廃止は昭和25年3月だそうで、鼠島とともに現在は埋め立てられて面影はなく、「六軒屋閘門」(北摂の街道・道標)によれば、記念碑が立つのみとのこと。

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扉室をアップでトリミングしてみましょう。ゲートの様子からして、開いている手前は後扉室(低水位側)で、六軒屋川の上から写した写真ということになります。閘室の岸は、土のままか、何らかの護岸を施してあるのかはわかりませんが、法面ですね。すでに多数の舟が入閘し、注水を待っているのがうかがえます。

六軒屋閘門の消長については、「ある小さな島(鼠島)の生涯 その6」(なにわ ふくしま資料館)に詳しくまとめられており、私ごときがつけ加えることはありません。ぜひご覧いただきたいのですが、それとは別に、今回大いに驚かされたことが一つ。

絵葉書に書かれた版元名「若林獨立軒」で検索したところ‥‥、「若林鍼灸院のブログ『獨立軒雑記帳』」がヒット。これがナント、獨立軒のご子孫の方のブログなのでした!

業種こそ創業時と違うとはいえ、つい最近まで同じ屋号を名乗って営業されており、しかもご先祖の業績を顕彰されている! 素晴らしいことではないでしょうか。船頭もかくありたいと深く感銘を受けたのでありました。

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志木町商工會(伊呂波橋)横内辰男撮影
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。


右上の写真、3径間の水門に併設されたマイタゲート閘門は、宗岡閘門。新河岸川にもかつて閘門があったことは、「川越舟運」(斎藤貞夫著:昭和57年6月初版・さきたま出版会)を読んで知り、非常に短命だったこともあって、以前から気になる存在でした。

10年前、「新河岸川再訪…4」でも少し触れましたが、直線河道化にともない、長きに渡り「川越夜船」でその名を知られた通船を、昭和6年に禁じられた新河岸川。この宗岡閘門が竣功したのは、驚くなかれ昭和4年! 通船禁止後もしばらくは通航が続いたであろうとはいえ、「悲劇の閘門」と呼んでも、決して大げさではないでしょう。

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宗岡閘門、直線河道化により水深が保てなくなった宗岡村(現志木市)から上流を、堰上げと閘門によって舟航を維持する目的で建造され、工事の労働者には近隣の農民はもとより、失業した船頭たちも参加したとのことです。

ふたたび「運河と閘門」から諸元を引くと、閘頭部幅6.0m、全長37.1m、ゲート間25.76m、扉体は鋼製。躯体は用途廃止後も長らく残っていたようで、昭和53年より閘門部分撤去開始との記述も。ウェブ上では、「新河岸川を歩こう! 6日目 柳瀬川合流点から南畑橋まで」(ハイフィネス・ジャパン株式会社)に、現地の説明板とおぼしき写真が掲載されていますが、それによれば昭和55年に撤去とありました。

写真を目にしてまず違和感があったのは、水門の堰上げの低さにくらべて、閘門がやけに高く造ってあること。素人目には、いずれは堤防や護岸を嵩上げできたら、水門も閘門に合わせて高める計画でもあったのかな、と勘繰ってしまったほど。まあ、このレベルの堰上げで、通船できる水深には十分ということなのでしょうが、それにしても閘門の高さは気になります。

通船禁止を間近にしての建造といい、首をひねらざるを得ないものがありますが、短命であったがゆえに希少な竣工直後の写真に出会えたことは、閘門好きとして嬉しいことには違いありません。このあたり、新たな史料の発見やご教示に待つところ、大なるものがあります。

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タグ : 絵葉書・古写真閘門六軒屋閘門宗岡閘門六軒屋川新河岸川

12月30日の川景色…1

(『最西端の狭水路・白子川…7』のつづき)

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以下、帰路に拾った師走の川景色です。新河岸川を下って、荒川大橋の手前まで来ると、法面から降りてきたのか、えらい数の水鳥たちがわらわら、といった感じで湧きだしてきました。

冬の川といえば水鳥ということで、トリ好きとしてもここは楽しみたく、デッドスローでそろそろ近づいてはみたものの‥‥。

166072.jpgう~ん、やっぱり。バサバサという羽音を残して、いっせいに飛び立たれてしまいました(泣)。

私の子供のころにくらべると、公園のスズメやムクドリなど、小型の野鳥たちはずいぶん人に馴れるようになって、中には人の手から餌を食べる鳥もいるくらいですが、東京の水鳥界(?)ではまだまだ、人間どもは信用ならない輩のようです。松島の鴨さんたち(『第三芭蕉丸の船旅…8』参照)のように、船までおねだりに来るようになりませんかねえ。

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166074.jpg隅田川に入って間もなく、日本化薬専用渡船の桟橋を久しぶりに見てみたら、桟橋が更新され、周りもすっかり様変わりしていました。以前「5月14日の水路風景…7」で紹介したときは、まだ基礎護岸のみだった水際が、テラスの工事が始まって前進し、その分延長しなければいけなくなったのですね。

渡船たちは西岸、北区側にもやっていました。さすがに会社はお休みでしょうから、年内の運行も、もう終了しているのでしょう。

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今や都内可航部では数少なくなった、鞍馬のようなA字形の橋脚を持つ鋼桁橋・新田橋を見上げて。耐震補強工事をしているのか、橋脚天端周りをすっぽりと足場で覆っていました。
撮影地点のMapion地図

(26年12月30日撮影)

(『12月30日の川景色…2』につづく)

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タグ : 新河岸川隅田川渡船