7月22日の多摩川水門めぐり…10
(『7月22日の多摩川水門めぐり…9』のつづき)

●フェンスがあって近づけないとなれば、ズームでたぐるほかなく。巡察に使う少し大きめの通船といった風で、見たかぎりスマートな感じの艇です。船名は「けいひん」。
検索の仕方が悪いのか、活躍の具体例がヒットしませんでしたが、現在この場所が防災拠点であることから、用途は何となく推察できました。荒川下流河川事務所の「あらかわ」に近いポジションなのでしょう。
●ここで愛でられるだけでも十分楽しいのですが、これ以上進入がかなわないとなれば、撮る角度も限られてしまいます。何より逆光で、ディテールがつぶれてしまい、撮っても後で拡大して検討するのも難しいのには困ってしまいました。
巻上機室が載っていた梁の正面に、一文字づつの銘板が掲げられているにもかかわらず、何枚撮っても判読できるだけの画質が得られないのです‥‥。

●10枚以上撮った中から、一番ましなものがこれ。それも、明度をかなりいじってなお、かろうじて7文字あること、左から3字目「本」と7字目「門」が、ギリギリ認識できるかできないか、というレベルに留まりました。
有名な物件ということもあり、水門名で検索すれば、複数の記事がヒットします。検索結果のトップが「『新日本製鉄水門』へ。」(後藤健太郎のブログ)。現地を訪ね、堰柱の銘板を押さえているだけでなく、新日本製鐵水門がなぜここに在るのか、簡潔に歴史にも触れたよい記事です。なるほど、水門ができた昭和46年は、新日本製鐵発足の直後なのですね。
●製鉄所となれば大規模な工場だったでしょうから、水門ができる前からご当地にあったに違いありません。当時の大師河原は、どんな川景色だったのでしょう。
詳しい歴史はさておいて、水門の現役時の姿はもとより、「水門以前」の風景にも好奇心が湧いてきて、ちょっとのぞいてみたくなりました。となれば、Googleマップ先生と、国土変遷アーカイブ大明神の空中写真に、おすがりするしかありますまい!

●ホンモノのGoogleマップで大師河原河川防災ステーションを表示
●まずは現在の姿を。対空標識として大書きされたとおり、「大師河原河川防災ステーション」を名乗る、ヘリポートや学習施設まで備えた防災拠点。
水門から扉体が取り去られたことでもおわかりのように、「けいひん」がいる堤内地のポンドの周りの地表は、計画高水位をクリアした高さになっています。いわば、一種のスーパー堤防に囲まれた堀割港なわけです。

●「CKT7415-C42-37」(昭和50年1月3日:国土地理院撮影)
●こちらは水門の現役時、昭和50年の姿。なるほど、現在のポンド終端である幅広になった部分は、入港するバージの待機場所で、さらに奥には建屋から伸びた、天井クレーンがまたぐ荷役施設があったのですね。
本流の高水敷にも繋留施設があり、2隻のバージが横付けしています。前回上流側に見えたタイヤフェンダーのあったところ、現役時に設けられたものと思って間違いなさそうです。

●「MKT637-C1-19」(昭和38年6月30日:国土地理院撮影)
●さらに遡り昭和38年、水門の出現以前になると‥‥。おお! 高水敷が大きく掘り込まれている! 荷役はどうしていたんだろう? 堤防を越えて行ったとは考えづらいものが。
拡大してよく観察してみると、左右2カ所に堤防を切って、橋を渡したように見える部分があります。これはどうやら、運搬路を確保するため堤防を切断し、増水時は陸閘の閉鎖で対応していたのではないでしょうか。つまりバージと工場の間に、トラックなどを介する手間があったわけ。工場の横まで水路を掘り割ったことで、荷役の効率も飛躍的に向上したことでしょうね。
(30年7月22日撮影)
(『7月22日のフネブネ…1』につづく)

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●フェンスがあって近づけないとなれば、ズームでたぐるほかなく。巡察に使う少し大きめの通船といった風で、見たかぎりスマートな感じの艇です。船名は「けいひん」。
検索の仕方が悪いのか、活躍の具体例がヒットしませんでしたが、現在この場所が防災拠点であることから、用途は何となく推察できました。荒川下流河川事務所の「あらかわ」に近いポジションなのでしょう。

巻上機室が載っていた梁の正面に、一文字づつの銘板が掲げられているにもかかわらず、何枚撮っても判読できるだけの画質が得られないのです‥‥。

●10枚以上撮った中から、一番ましなものがこれ。それも、明度をかなりいじってなお、かろうじて7文字あること、左から3字目「本」と7字目「門」が、ギリギリ認識できるかできないか、というレベルに留まりました。
有名な物件ということもあり、水門名で検索すれば、複数の記事がヒットします。検索結果のトップが「『新日本製鉄水門』へ。」(後藤健太郎のブログ)。現地を訪ね、堰柱の銘板を押さえているだけでなく、新日本製鐵水門がなぜここに在るのか、簡潔に歴史にも触れたよい記事です。なるほど、水門ができた昭和46年は、新日本製鐵発足の直後なのですね。

詳しい歴史はさておいて、水門の現役時の姿はもとより、「水門以前」の風景にも好奇心が湧いてきて、ちょっとのぞいてみたくなりました。となれば、Googleマップ先生と、国土変遷アーカイブ大明神の空中写真に、おすがりするしかありますまい!

●ホンモノのGoogleマップで大師河原河川防災ステーションを表示
●まずは現在の姿を。対空標識として大書きされたとおり、「大師河原河川防災ステーション」を名乗る、ヘリポートや学習施設まで備えた防災拠点。
水門から扉体が取り去られたことでもおわかりのように、「けいひん」がいる堤内地のポンドの周りの地表は、計画高水位をクリアした高さになっています。いわば、一種のスーパー堤防に囲まれた堀割港なわけです。

●「CKT7415-C42-37」(昭和50年1月3日:国土地理院撮影)
●こちらは水門の現役時、昭和50年の姿。なるほど、現在のポンド終端である幅広になった部分は、入港するバージの待機場所で、さらに奥には建屋から伸びた、天井クレーンがまたぐ荷役施設があったのですね。
本流の高水敷にも繋留施設があり、2隻のバージが横付けしています。前回上流側に見えたタイヤフェンダーのあったところ、現役時に設けられたものと思って間違いなさそうです。

●「MKT637-C1-19」(昭和38年6月30日:国土地理院撮影)
●さらに遡り昭和38年、水門の出現以前になると‥‥。おお! 高水敷が大きく掘り込まれている! 荷役はどうしていたんだろう? 堤防を越えて行ったとは考えづらいものが。
拡大してよく観察してみると、左右2カ所に堤防を切って、橋を渡したように見える部分があります。これはどうやら、運搬路を確保するため堤防を切断し、増水時は陸閘の閉鎖で対応していたのではないでしょうか。つまりバージと工場の間に、トラックなどを介する手間があったわけ。工場の横まで水路を掘り割ったことで、荷役の効率も飛躍的に向上したことでしょうね。
(30年7月22日撮影)
(『7月22日のフネブネ…1』につづく)

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7月22日の多摩川水門めぐり…9
(『7月22日の多摩川水門めぐり…8』のつづき)
●ふたたび葦原の水路を通って、本流へ。「5月4日の六郷水門」に掲げた、5年前のほぼ同位置からの写真とくらべると、葦の背が高くなったせいで、ずいぶんと雰囲気が違いますね。
ある程度見通しがきくのと、周りがほとんど見えないのとでは、探索気分の盛り上がり方にも大いに差が出てきます。仮に舵を誤って突っ込んだとしても、ふんわりと受け止めてくれそうな優しさすら感じられます。

●さて、初訪問の新日本製鐵水門‥‥もう水門としては役目を終えているので、本来は「旧」を冠すべきところですが、あえてこのままいかせていただきます。
スロットルをしぼり、魚探の感をチラチラ見ながら及び腰の初接近。すでに触れたようにこのすぐ上流、南岸(神奈川県側)は全体に浅いので、水門をほぼ正横に見るまでやや北岸寄りを進み、90度変針してそろりそろりと近づいたところ、うまくゆきました。
引退してだいぶ経つとはいえ、元来業務船が出入りしていた水門とあれば、かつて維持していた澪筋は残っているだろうと推測したのです。

●逆光で黒くつぶれていま一つですが、こうして間近に拝むことができるのは嬉しいもの。左手、下流側の高水敷は柵を備えた垂直護岸になっていて、古タイヤのフェンダーが下げられ、接岸できるようになっていました。
●これは上流側も同様ですが、写真のとおり草ぼうぼうで、もやって乗り降りするのは難しそうです。ここまで手入れに差があるのは、何か理由がありそうですね。
ともあれ、水門前は幅員が十分に取られており、繋留も複数隻できるようになっていたので、現役時も出入りするフネブネの待機場所として、活用されたに違いないでしょう。

●フェンスの前、ギリギリまでつけて仰ぐ水門。遠くからズームでたぐって撮った姿とは、いうまでもなく違って、扉体を失ってなおこの迫力。来てよかったです!
やはり、ポンドにもやう水上バス風の船が気になります。この先に入れないのが残念ですが、あの船から観察とまいりましょう。
【撮影地点のMapion地図】
(30年7月22日撮影)
(『7月22日の多摩川水門めぐり…10』につづく)

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ある程度見通しがきくのと、周りがほとんど見えないのとでは、探索気分の盛り上がり方にも大いに差が出てきます。仮に舵を誤って突っ込んだとしても、ふんわりと受け止めてくれそうな優しさすら感じられます。

●さて、初訪問の新日本製鐵水門‥‥もう水門としては役目を終えているので、本来は「旧」を冠すべきところですが、あえてこのままいかせていただきます。
スロットルをしぼり、魚探の感をチラチラ見ながら及び腰の初接近。すでに触れたようにこのすぐ上流、南岸(神奈川県側)は全体に浅いので、水門をほぼ正横に見るまでやや北岸寄りを進み、90度変針してそろりそろりと近づいたところ、うまくゆきました。
引退してだいぶ経つとはいえ、元来業務船が出入りしていた水門とあれば、かつて維持していた澪筋は残っているだろうと推測したのです。

●逆光で黒くつぶれていま一つですが、こうして間近に拝むことができるのは嬉しいもの。左手、下流側の高水敷は柵を備えた垂直護岸になっていて、古タイヤのフェンダーが下げられ、接岸できるようになっていました。

ともあれ、水門前は幅員が十分に取られており、繋留も複数隻できるようになっていたので、現役時も出入りするフネブネの待機場所として、活用されたに違いないでしょう。

●フェンスの前、ギリギリまでつけて仰ぐ水門。遠くからズームでたぐって撮った姿とは、いうまでもなく違って、扉体を失ってなおこの迫力。来てよかったです!
やはり、ポンドにもやう水上バス風の船が気になります。この先に入れないのが残念ですが、あの船から観察とまいりましょう。
【撮影地点のMapion地図】
(30年7月22日撮影)
(『7月22日の多摩川水門めぐり…10』につづく)

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7月22日の多摩川水門めぐり…1
(『7月22日の海老取川』のつづき)

●上流側、首都高横羽線高速大師橋、その向こうに斜張橋、産業道路の大師橋を望んで。高速大師橋は、これから5年かけて改架工事(参照:『高速1号線 高速大師橋更新』)をするそうですが、鋼管矢板で囲まれた橋脚は、その準備でしょうか。
このあたり南側は浅く、中洲もあるので、張り出した桟橋群や船溜を横目で見ながら、北岸に沿ってゆるゆる遡上します。

●高速大師橋と大師橋がつくる、南北に細長い三角形の底辺に位置するのが、羽田第二水門。ありゃりゃ、しばらく見ないうちにずいぶん扉体や巻上機室が色褪せてしまって、ガクッと老け込んだ感じになりましたね。
堰柱に補強らしき跡が見えるのは、第一水門と同様ですから、放置されているわけではなさそうですが‥‥。この差は何なのでしょうか。
●大師橋の下り線をくぐりながら、斜張橋のシンボルたる主塔を見上げて。いつもながら、天地のあるものを撮ると、ズームの歪みがひどくて恐縮です。
しかし、くぐるたびにこの主塔周りの、魅力的な造作には感心させられます。ちょうど、水面下からぬっと出てきた腕が、わっしと桁をつかんだような形もさることながら、歩道が半円形に迂回するあたりも、すごく惹かれるんですよ。
あの歩道を歩いて、主塔の立ち上がりをのぞき込んでみたい、誰しもそんな、ワクワクする気分になるのではないでしょうか。ここから眺める川面も素敵でしょうね。一度歩いてみたいものです。
【撮影地点のMapion地図】

●大師橋をくぐると、やはり南岸が気になってしまうなあ‥‥。以前も紹介しましたが、新日本製鐵水門‥‥跡ですね。すでに役目を終え、扉体を撤去された水門遺構です。
写真はズームでたぐったもので、近づいたわけではありません。あっ、中のポンドに船がいる。後のお楽しみということで、帰りに寄ってみるとしましょう。
●新日本製鐵水門の少し上流、南岸近くに写真のような倒木がいくつか。増水時に根こそぎ流されてきたのでしょうか、いかにも剣呑な雰囲気で、しかも見るからに浅そう。
そう、浅瀬に怖気づいて尻込みし、今に至るまで新日本製鐵水門への接近が成されていなかったのでした。今日こそ勇気を奮って近づいてみるぞ! (でも帰路に後回しするヘタレ)
(30年7月22日撮影)
(『7月22日の多摩川水門めぐり…2』につづく)

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●上流側、首都高横羽線高速大師橋、その向こうに斜張橋、産業道路の大師橋を望んで。高速大師橋は、これから5年かけて改架工事(参照:『高速1号線 高速大師橋更新』)をするそうですが、鋼管矢板で囲まれた橋脚は、その準備でしょうか。
このあたり南側は浅く、中洲もあるので、張り出した桟橋群や船溜を横目で見ながら、北岸に沿ってゆるゆる遡上します。

●高速大師橋と大師橋がつくる、南北に細長い三角形の底辺に位置するのが、羽田第二水門。ありゃりゃ、しばらく見ないうちにずいぶん扉体や巻上機室が色褪せてしまって、ガクッと老け込んだ感じになりましたね。
堰柱に補強らしき跡が見えるのは、第一水門と同様ですから、放置されているわけではなさそうですが‥‥。この差は何なのでしょうか。

しかし、くぐるたびにこの主塔周りの、魅力的な造作には感心させられます。ちょうど、水面下からぬっと出てきた腕が、わっしと桁をつかんだような形もさることながら、歩道が半円形に迂回するあたりも、すごく惹かれるんですよ。
あの歩道を歩いて、主塔の立ち上がりをのぞき込んでみたい、誰しもそんな、ワクワクする気分になるのではないでしょうか。ここから眺める川面も素敵でしょうね。一度歩いてみたいものです。
【撮影地点のMapion地図】

●大師橋をくぐると、やはり南岸が気になってしまうなあ‥‥。以前も紹介しましたが、新日本製鐵水門‥‥跡ですね。すでに役目を終え、扉体を撤去された水門遺構です。
写真はズームでたぐったもので、近づいたわけではありません。あっ、中のポンドに船がいる。後のお楽しみということで、帰りに寄ってみるとしましょう。

そう、浅瀬に怖気づいて尻込みし、今に至るまで新日本製鐵水門への接近が成されていなかったのでした。今日こそ勇気を奮って近づいてみるぞ! (でも帰路に後回しするヘタレ)
(30年7月22日撮影)
(『7月22日の多摩川水門めぐり…2』につづく)

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羽田の水門と船溜…5
(『羽田の水門と船溜…4』のつづき)
●船溜とお別れして、羽田第二水門を再びくぐり多摩川へ。かつての入堀・船溜ギッシリ地帯の後継者たる二つの船溜、大いに楽しませていただきました。
二つの大橋梁に挟まれた「三角水域」だけあって、くぐって外へ出る瞬間の眺めは雄大そのもの。土木趣味が横溢する風景ですね。

●水門を出た直後の眺め。この角度から眺めた大師橋、実にいい感じですね。
逆V字形主塔2本の力強さもさることながら、厚みを抑えた桁のラインも軽快で、この橋の魅力が存分に味わえる視点のように思えます。橋ばかりでなく、手前にもやうフネブネの姿で、生きた水路としての川を感じさせてくれるのがまた佳し。多摩川下流部を代表する景色といえるでしょう。

●大師橋の桁下をかすめて遠望する、対岸の新日本製鐵水門(過去ログ『多摩川の帰路に』参照)――正確には「水門跡」なのかもしれませんが――。こちらもやはり入堀式の船溜、しかも水門跡つきということで、そそるものがあります。
一度入ってみたいものですが、河道中央付近はきわめて浅く、行きつくまでの澪筋が判然としないので、また潮時の良い機会に再挑戦することに。
●薄曇りのおかげで、広大な川面を渡る風も穏やか。静かな川面をしばらく楽しみながら帰ろうと、最微速で下ります。
前方はるかには、つい最近竣工した、羽田空港の国際線ターミナルが。17年前、ここを通って初めて江戸川ほかを訪れたときから考えると、信じられないくらいの変貌ぶり。トシをとるわけですわ…。
●ふたたび海老取川澪筋に進入。
通い慣れた区間とはいえ、それ相応に緊張してはいるので、いつも同じアングルからの写真ばかりになってしまうのですが、今回は珍しく、五十間鼻とカメノコ、その上に立つ無縁供養堂をほぼ正面からとらえることに成功。左手奥、羽田水門との位置関係もわかりますね。
さて、都心の桜たちを見て回るとしましょうか。
(23年4月10日撮影)
(『4月10日の平和島運河』につづく)

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二つの大橋梁に挟まれた「三角水域」だけあって、くぐって外へ出る瞬間の眺めは雄大そのもの。土木趣味が横溢する風景ですね。

●水門を出た直後の眺め。この角度から眺めた大師橋、実にいい感じですね。
逆V字形主塔2本の力強さもさることながら、厚みを抑えた桁のラインも軽快で、この橋の魅力が存分に味わえる視点のように思えます。橋ばかりでなく、手前にもやうフネブネの姿で、生きた水路としての川を感じさせてくれるのがまた佳し。多摩川下流部を代表する景色といえるでしょう。

●大師橋の桁下をかすめて遠望する、対岸の新日本製鐵水門(過去ログ『多摩川の帰路に』参照)――正確には「水門跡」なのかもしれませんが――。こちらもやはり入堀式の船溜、しかも水門跡つきということで、そそるものがあります。
一度入ってみたいものですが、河道中央付近はきわめて浅く、行きつくまでの澪筋が判然としないので、また潮時の良い機会に再挑戦することに。

前方はるかには、つい最近竣工した、羽田空港の国際線ターミナルが。17年前、ここを通って初めて江戸川ほかを訪れたときから考えると、信じられないくらいの変貌ぶり。トシをとるわけですわ…。

通い慣れた区間とはいえ、それ相応に緊張してはいるので、いつも同じアングルからの写真ばかりになってしまうのですが、今回は珍しく、五十間鼻とカメノコ、その上に立つ無縁供養堂をほぼ正面からとらえることに成功。左手奥、羽田水門との位置関係もわかりますね。
さて、都心の桜たちを見て回るとしましょうか。
(23年4月10日撮影)
(『4月10日の平和島運河』につづく)

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