9月28日のタイクーン
(『9月28日の中村川…2』のつづき)
●横浜の川を訪ねたとなれば、昼食はやはり桟橋付きレストラン、タイクーンに寄らなければウソというものでしょう。到着が13:30と少し遅かったせいか、桟橋にもやっているのは持ち船だけで、すいていますね。他の艇とメザシにならず、桟橋に直接着けられるのは、これが初めてだと思います。
ちょっと暑いくらいの天候でしたので、もちろんテラス席へ。何しろ、目の前に展開されているのは…。

●こんなバージの入れ替え風景なのですから、屋内に入って見逃す手はありません!
左手から正面にかけて、すべてみっちり詰まった黒いバージの群れ、群れ! その間を曳船が排気を噴き上げ、重い爆音を轟々と響かせて、器用に曳き出しを演じてくれるのですから、料理を口に運ぶ手もおろそかになろうというものです。

●楽しいランチを終えて、桟橋で出港準備。例によって、隣接する新山下貯木場閘門の遺構を一枚。蔦の絡むひなびた姿、こちらもお変わりなく。
天気予報は終日晴天のはずでしたが、タイクーンに着いたころからにわかに空がかき曇り、怪しい空模様になってきました。帰りは、ちょっとピッチを上げた方がよいかもしれませんね。
【撮影地点のMapion地図】
(25年9月28日撮影)
(『曇り空の京浜運河で』につづく)

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ちょっと暑いくらいの天候でしたので、もちろんテラス席へ。何しろ、目の前に展開されているのは…。


左手から正面にかけて、すべてみっちり詰まった黒いバージの群れ、群れ! その間を曳船が排気を噴き上げ、重い爆音を轟々と響かせて、器用に曳き出しを演じてくれるのですから、料理を口に運ぶ手もおろそかになろうというものです。


天気予報は終日晴天のはずでしたが、タイクーンに着いたころからにわかに空がかき曇り、怪しい空模様になってきました。帰りは、ちょっとピッチを上げた方がよいかもしれませんね。
【撮影地点のMapion地図】
(25年9月28日撮影)
(『曇り空の京浜運河で』につづく)

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新山下貯木場閘門の遺構
(『船溜とタイクーン』のつづき)
●タイクーンに立ち寄るたび、撮っておこうと思いながら、なぜかいつも撮り忘れていた物件がありまして。まあ、「呼ばれていなかった」せいでしょうか、ご縁が薄かったわけです。
桟橋からもその一部が見える、お隣さんといってもよい好立地(?)。この写真にも写っています、わかりますか?
●これは接岸準備の合間を縫って、カメラを向けたもの。大型クルーザーの向こうに、古びた水門らしいものが見えますね。
この角度からは、クルーザーに隠されてよく見えないものの、スマートな艇を圧倒するような濃いオーラを発散して、四周を圧する存在感があります(少なくとも船頭にはそう見える)。
●このゲート、新山下貯木場閘門といって、かつてタイクーンの裏手に9.8haに及ぶ貯木場、通称「保管堀」があり、その水位を一定にするために設けられたものだったのです。
昭和8(1933)年12月に貯木場とともに竣工、輸入材の保管場所として機能してきましたが、平成7年に貯木場の埋立工事が始まり、同14年に完了、閘門は半ば埋まって放置され、今に至っています。

●こちらは離岸時に撮ったもの。落書きされて蔦がからまり、だいぶくたびれた表情ですが、スピーカーや電動機らしいもの、それに送電線も残って、手を入れれば動きそうな雰囲気ですね。
「運河と閘門」によると、新潟の新井郷川閘門(『新井郷川閘門…3』参照)と同じ形式のストーニーゲートで、ゲートの径間7.5m、閘室全長60.9m、巻上機は5馬力の電動機だったとのこと。水門に乏しい神奈川県の東京湾岸では、遺構ながら、唯一ともいえる大型物件でもあります。
●ちなみに、hozhoさんのKunlun☆blog「閘門」タグでは、奥に残るいま一つのゲートや、昭和28年当時の貯木場の地図まで掲載され、間近で見たディテールが楽しめますのでぜひご覧あれ。
また、横浜市港湾局の「新山下の街づくり 歩み」には、貯木場建設と埋め立ての歴史、貴重な写真も掲載。さらに「みんなでつくる 横濱写真アルバム」(新山下タグ)にも、貯木場の竣工式の写真があるなど、現役当時をしのぶことができます。
検索してみると、他にも結構な量の記事がヒットしました。横浜唯一の閘門遺構として、愛されている存在なのですね。

●タイクーンを離れた後は、山下埠頭をぐるりと迂回し、北防波堤突端にある明治の灯標、通称「赤灯台」を眺めつつ、みなとみらいへ。
●日本丸の前まで来ると、「大岡川・ジョイフロート」の足漕ぎパドルボートが、盛んに行き来していました。外の水面で遊べる時間貸しボートって、今や珍しいですよね。
「日本丸ボートパーク」(横浜ナビ)によると、2つの浮標間を往復するだけで、勝手にそこらをフラフラしてはいけないようですね。汽車道の鉄橋も間近いところですから、私なら鉄橋をくぐりたくてウズウズし、欲求不満になりそうですが、閉ざされた水面よりはよほど楽しめそうです。
【撮影地点のMapion地図】
(23年10月10日撮影)
(『大岡川に拾う…1』につづく)

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桟橋からもその一部が見える、お隣さんといってもよい好立地(?)。この写真にも写っています、わかりますか?

この角度からは、クルーザーに隠されてよく見えないものの、スマートな艇を圧倒するような濃いオーラを発散して、四周を圧する存在感があります(少なくとも船頭にはそう見える)。
●このゲート、新山下貯木場閘門といって、かつてタイクーンの裏手に9.8haに及ぶ貯木場、通称「保管堀」があり、その水位を一定にするために設けられたものだったのです。
昭和8(1933)年12月に貯木場とともに竣工、輸入材の保管場所として機能してきましたが、平成7年に貯木場の埋立工事が始まり、同14年に完了、閘門は半ば埋まって放置され、今に至っています。

●こちらは離岸時に撮ったもの。落書きされて蔦がからまり、だいぶくたびれた表情ですが、スピーカーや電動機らしいもの、それに送電線も残って、手を入れれば動きそうな雰囲気ですね。
「運河と閘門」によると、新潟の新井郷川閘門(『新井郷川閘門…3』参照)と同じ形式のストーニーゲートで、ゲートの径間7.5m、閘室全長60.9m、巻上機は5馬力の電動機だったとのこと。水門に乏しい神奈川県の東京湾岸では、遺構ながら、唯一ともいえる大型物件でもあります。
●ちなみに、hozhoさんのKunlun☆blog「閘門」タグでは、奥に残るいま一つのゲートや、昭和28年当時の貯木場の地図まで掲載され、間近で見たディテールが楽しめますのでぜひご覧あれ。
また、横浜市港湾局の「新山下の街づくり 歩み」には、貯木場建設と埋め立ての歴史、貴重な写真も掲載。さらに「みんなでつくる 横濱写真アルバム」(新山下タグ)にも、貯木場の竣工式の写真があるなど、現役当時をしのぶことができます。
検索してみると、他にも結構な量の記事がヒットしました。横浜唯一の閘門遺構として、愛されている存在なのですね。

●タイクーンを離れた後は、山下埠頭をぐるりと迂回し、北防波堤突端にある明治の灯標、通称「赤灯台」を眺めつつ、みなとみらいへ。

「日本丸ボートパーク」(横浜ナビ)によると、2つの浮標間を往復するだけで、勝手にそこらをフラフラしてはいけないようですね。汽車道の鉄橋も間近いところですから、私なら鉄橋をくぐりたくてウズウズし、欲求不満になりそうですが、閉ざされた水面よりはよほど楽しめそうです。
【撮影地点のMapion地図】
(23年10月10日撮影)
(『大岡川に拾う…1』につづく)

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