川崎の枝運河めぐり…10
(『川崎の枝運河めぐり…9』のつづき)

●東端近く、土堤に沿った形で設けられた、入江崎運河唯一の橋。この橋も桜堀運河の橋同様、構内専用道のものなので名称不明です。
●橋の向こうには、特筆すべき物件もなかろうとは思いながら、一応くぐっておこうとスロットルを倒すと、先ほどからおかんむりだった水鳥たちが、いっせいにギャアギャアと大騒ぎしだしたのです。水面低く飛んで逃げ回るものですから、その水音と羽音も加わって、静かな運河は時ならぬ喧騒に包まれました。
ここまで騒がれ、嫌われては、トリ好きとして引き下がらざるを得ません。水鳥たちにお詫びしながら転回、入江崎運河を出ることに。
なお魚探の感は右のとおり、西端付近で5m弱。最低潮位がこのマイナス1mくらいですから、艀船運河としては、そこそこの水深といってよいでしょう。

●帰路、東から先ほどのクレーン群を眺めて、この角度からだと、バージに隠れていた西側のクレーンが見え、こちらは先端まで塗り替えられていることがわかりました。順次手入れされているようですね。
●十字流に戻ることみたび、これでいったん京浜運河に出て、次なる枝運河を目指さなければなりません。今回の目玉物件だった、新大扇橋を遠望しながら南へ。
距離を取って眺めると、新大扇橋と都心のビル街のように固まったプラント群、ガット船の横付けする岸壁との位置関係が明瞭に。ほんの短時間の滞在なのに、何か去りがたい気持ちが湧き上がってきて、しみじみしてしまいました。

●まあしかし、雲はなかなか薄まらず、我が身の行いの悪さは棚に上げて、天の意地悪さをくさすばかりです。
池上運河を南下し、東洋埠頭の近くまで来たところで、前方から台船を曳いた曳船が北上してくるのを発見。向かって気持ちやや右‥‥西側に寄せ気味で向かってきたので、通常なら右側通行の原則から左に避けるところ、やむなく右に見て行逢。
曳船は「十三長生丸」。重苦しい曇天にも鮮やかな、美しいブルーの船体で、黒い水面にくっきり浮き上がって見えるようです。
【撮影地点のMapion地図】
(30年12月9日撮影)
(『川崎の枝運河めぐり…11』につづく)

にほんブログ村

●東端近く、土堤に沿った形で設けられた、入江崎運河唯一の橋。この橋も桜堀運河の橋同様、構内専用道のものなので名称不明です。

ここまで騒がれ、嫌われては、トリ好きとして引き下がらざるを得ません。水鳥たちにお詫びしながら転回、入江崎運河を出ることに。
なお魚探の感は右のとおり、西端付近で5m弱。最低潮位がこのマイナス1mくらいですから、艀船運河としては、そこそこの水深といってよいでしょう。

●帰路、東から先ほどのクレーン群を眺めて、この角度からだと、バージに隠れていた西側のクレーンが見え、こちらは先端まで塗り替えられていることがわかりました。順次手入れされているようですね。

距離を取って眺めると、新大扇橋と都心のビル街のように固まったプラント群、ガット船の横付けする岸壁との位置関係が明瞭に。ほんの短時間の滞在なのに、何か去りがたい気持ちが湧き上がってきて、しみじみしてしまいました。

●まあしかし、雲はなかなか薄まらず、我が身の行いの悪さは棚に上げて、天の意地悪さをくさすばかりです。
池上運河を南下し、東洋埠頭の近くまで来たところで、前方から台船を曳いた曳船が北上してくるのを発見。向かって気持ちやや右‥‥西側に寄せ気味で向かってきたので、通常なら右側通行の原則から左に避けるところ、やむなく右に見て行逢。
曳船は「十三長生丸」。重苦しい曇天にも鮮やかな、美しいブルーの船体で、黒い水面にくっきり浮き上がって見えるようです。
【撮影地点のMapion地図】
(30年12月9日撮影)
(『川崎の枝運河めぐり…11』につづく)

にほんブログ村
川崎の枝運河めぐり…6
(『川崎の枝運河めぐり…5』のつづき)

●ホンモノのGoogleマップで浅野運河を表示
●出かける前、Googleマップで浅野運河の西半部を見てみると、北岸から砂洲が張り出しており、その勢いは水面下にも及んで、浅瀬が広がっていることがわかりました。北岸にコンクリートの原材料である、砂の野積み場があったので、そこからこぼれた砂が長年のうちに堆積し、砂洲をなしてしまったということでしょう。
現在はトラックでの搬入らしいものの、かつては舶載だったようにも思え、だとすればなおさら、荷役時に水面へ取りこぼす割合も多かったに違いありません。
こうして見たかぎりでは、南岸近くまで避ければ水深がありそうですが、さて実際に入ってみてどうだったかは、以下にお話しすることにしましょう。

●砂洲が始まる少し東側、風化した肌をさらす古びた桟橋の上に、これまた赤錆びて草生したホッパーと、それを受けていたコンベアの跡らしい屋根つきの桟橋が。かつてはグラブつきのクレーンがあって、ここへ船から揚げた砂を注ぎ込んでいたのでしょう。
ホッパーを横目で見ながら、南岸に寄せつつ最微速で歩かせていると、もの凄い勢いで魚探の感が急上昇! イヤもうそのせり上がりっぷりの豪快さ、思わずノドの奥から「ひぃ」と悲鳴が漏れてしまったほどです。
間なしに深度表示も消えて感は一面真っ赤となり、慌ててゴースターンをかけて脱出と相成りました。南岸寄りでこの浅さとは、大潮の干潮時など、ほぼ干潟状態になっているのではないでしょうか?

●西端部の探索はあきらめて、浅野運河を出ることにしました。改めて新大扇橋のサイドビューを一枚。社有地に囲まれ、陸上からは近づくことも叶わないこの橋を堪能できたことだけでも、実に幸せなことでありました。
くぐりざま新大扇橋を見上げると、高欄に錆びて千切れてしまったところがあるのに気づきました。あと何年、現役の跳開橋でいてくれるでしょうか。一度くらいは、開いているところを拝見したいものです。
【撮影地点のMapion地図】
(30年12月9日撮影)
(『川崎の枝運河めぐり…7』につづく)

にほんブログ村

●ホンモノのGoogleマップで浅野運河を表示
●出かける前、Googleマップで浅野運河の西半部を見てみると、北岸から砂洲が張り出しており、その勢いは水面下にも及んで、浅瀬が広がっていることがわかりました。北岸にコンクリートの原材料である、砂の野積み場があったので、そこからこぼれた砂が長年のうちに堆積し、砂洲をなしてしまったということでしょう。
現在はトラックでの搬入らしいものの、かつては舶載だったようにも思え、だとすればなおさら、荷役時に水面へ取りこぼす割合も多かったに違いありません。
こうして見たかぎりでは、南岸近くまで避ければ水深がありそうですが、さて実際に入ってみてどうだったかは、以下にお話しすることにしましょう。


ホッパーを横目で見ながら、南岸に寄せつつ最微速で歩かせていると、もの凄い勢いで魚探の感が急上昇! イヤもうそのせり上がりっぷりの豪快さ、思わずノドの奥から「ひぃ」と悲鳴が漏れてしまったほどです。
間なしに深度表示も消えて感は一面真っ赤となり、慌ててゴースターンをかけて脱出と相成りました。南岸寄りでこの浅さとは、大潮の干潮時など、ほぼ干潟状態になっているのではないでしょうか?


くぐりざま新大扇橋を見上げると、高欄に錆びて千切れてしまったところがあるのに気づきました。あと何年、現役の跳開橋でいてくれるでしょうか。一度くらいは、開いているところを拝見したいものです。
【撮影地点のMapion地図】
(30年12月9日撮影)
(『川崎の枝運河めぐり…7』につづく)

にほんブログ村
川崎の枝運河めぐり…4
(『川崎の枝運河めぐり…3』のつづき)

●くぐり終えて西側へ顔を出したところで、右手に現われたのは操作室。橋の基礎とは別に6本の杭を立て、無造作に箱を載せた風情の簡素な2階屋です。
●操作室の右手、いま一つの軸受周りに目をやると、こちらは細い延長軸から、何やら外付けの機械を駆動している模様。角度を検知するしかけでしょうか。左手の信号の灯器、東側と違いフードがついていますね。
あっ! 右端の桁側面、銘板があるぞ! ズームを効かせて、行きつ戻りつしながらバシバシと、10数枚を撮って万全を期したつもりだったんですけれど‥‥。

●‥‥このていたらく。何分曇っていて暗いので、致し方なしと自らを慰めました。鋼材記号は詳しくないので、その道の方にお任せするとして、他を読み下してみましょう。
竣工年は「1983年9月」。3行目「■■(1980)一等橋」が冒頭2文字不明。4~5行目「50T積 リヤダンプ/60T積 セミトレーラー」は、通行に耐える車輌を具体的に書いてあるのが珍しいですね。メーカーは日本鋼管株式会社。
●少し離れてみると、操作室は1階部分が広く取られ、塔屋状の2階は監視のため、三方の壁面いっぱいの幅で窓が設けられていることがわかりました。
日曜日とあってか、少なくともこのときは電灯はついておらず、人の気配もありませんでしたが、この室内からの機側操作なのか、離れたところから監視カメラで見つつ動かすのか、どちらなのでしょう。

●先に紹介したPDFによれば、「船から新大扇橋の脇に大きく書かれた電話番号に連絡すると、サイレンが鳴り、信号機と遮断機で交通を止め、巨大なジャッキによって約10分をかけて橋が持ち上げられる」とありましたが、電話のある離れた管理施設から遠隔操作しているのか、電話を受けてから係の人が操作室に出張ってきて動かすのか、判じかねるところではあります。
まさかとは思いますが、完全自動化されていて、電話の受信がダイレクトに機械を稼働させるのか‥‥。そんなことはないでしょうが、説明を素直に読むと、そうとも取れそうな書き方ではありますよね!
【撮影地点のMapion地図】
(30年12月9日撮影)
(『川崎の枝運河めぐり…5』につづく)

にほんブログ村

●くぐり終えて西側へ顔を出したところで、右手に現われたのは操作室。橋の基礎とは別に6本の杭を立て、無造作に箱を載せた風情の簡素な2階屋です。

あっ! 右端の桁側面、銘板があるぞ! ズームを効かせて、行きつ戻りつしながらバシバシと、10数枚を撮って万全を期したつもりだったんですけれど‥‥。

●‥‥このていたらく。何分曇っていて暗いので、致し方なしと自らを慰めました。鋼材記号は詳しくないので、その道の方にお任せするとして、他を読み下してみましょう。
竣工年は「1983年9月」。3行目「■■(1980)一等橋」が冒頭2文字不明。4~5行目「50T積 リヤダンプ/60T積 セミトレーラー」は、通行に耐える車輌を具体的に書いてあるのが珍しいですね。メーカーは日本鋼管株式会社。

日曜日とあってか、少なくともこのときは電灯はついておらず、人の気配もありませんでしたが、この室内からの機側操作なのか、離れたところから監視カメラで見つつ動かすのか、どちらなのでしょう。

●先に紹介したPDFによれば、「船から新大扇橋の脇に大きく書かれた電話番号に連絡すると、サイレンが鳴り、信号機と遮断機で交通を止め、巨大なジャッキによって約10分をかけて橋が持ち上げられる」とありましたが、電話のある離れた管理施設から遠隔操作しているのか、電話を受けてから係の人が操作室に出張ってきて動かすのか、判じかねるところではあります。
まさかとは思いますが、完全自動化されていて、電話の受信がダイレクトに機械を稼働させるのか‥‥。そんなことはないでしょうが、説明を素直に読むと、そうとも取れそうな書き方ではありますよね!
【撮影地点のMapion地図】
(30年12月9日撮影)
(『川崎の枝運河めぐり…5』につづく)

にほんブログ村
川崎の枝運河めぐり…3
(『川崎の枝運河めぐり…2』のつづき)
●南詰の様子。生い茂る蔦に阻まれてよく見えませんが、こちらも遮断機が上下線分、一対備えられていますね。道路信号の灯器も見えるので、警報機・遮断機と信号を併用しているのでしょう。
しかし、管路橋のひょろ高い橋脚と、螺旋階段が目立ちますね。街路灯は、ちょっと懐かしくなるような昔の水銀灯タイプなのですね。

●跳開橋のかなめであるここ、何ていうんでしょう。いわば駆動機器や動力が収まった部分ですが、びっしりと打たれた鋼管基礎と分厚なコンクリートが、ここにかかる重量の巨大さと、跳開時のストロークを思わせますね。
水上から見るかぎり、側面の継ぎ目は空隙が少なく、それが跳開橋らしさ(?)をあまり感じさせない一因のようです。このように近づけば、桁側面に円筒形の軸端と軸受、その右手桁下にシリンダー様のものがあるのに気づかされますが、メカニズムのほとんどは桁内側と囲壁内に収まっているようで、外見は概してあっさり目です。

●軸受周りをアップで。これが本当に重量を支えている軸受なのか、単なる注油などのために施されたケーシングのたぐいなのかはわかりませんが、跳開時の回転がここを中心になされるのはまず間違いないでしょう。
手前のくたびれた監視カメラ、妙にチープな紅緑2灯の信号が目を引きます。先の連絡先以外、一切の注意書きが見られないこと、この信号灯器の小ささからも、不特定多数の通航を考えたものでなく、あくまで業務に関連した船舶のみを対象にした設備であることが感じられます。
●橋をくぐりながら、何か見られるかしらと期待したものの‥‥う~ん、梁に覆い隠されていました、残念。
しかし、この箱桁や梁の太さ、道床に走るウェブの多さ! 跳開による力の変化に耐え、なおかつ重車輌を余裕を持って通過させる、この橋の性格を凝縮したような眺めで、頭上にずっしりとくる迫力がありました。

●こちらは上と反対側、南詰の橋脚の支承周りをアップで見たところ。モーターのついた丸棒が一対、床面から逆ハの字の形で斜めに伸びて、上下から噛み合った金具の横に、突っ込んだ格好の機械が見えました。
これは可動桁の鎖錠機構と見てよいと思います。跳開するときは、恐らくスピンドルによってロックが解かれ、桁が旧に復すれば元のように閂がかかって、外力による桁の上下動を防ぐ仕組みになっているのでしょう。
【撮影地点のMapion地図】
(30年12月9日撮影)
(『川崎の枝運河めぐり…4』につづく)

にほんブログ村

しかし、管路橋のひょろ高い橋脚と、螺旋階段が目立ちますね。街路灯は、ちょっと懐かしくなるような昔の水銀灯タイプなのですね。

●跳開橋のかなめであるここ、何ていうんでしょう。いわば駆動機器や動力が収まった部分ですが、びっしりと打たれた鋼管基礎と分厚なコンクリートが、ここにかかる重量の巨大さと、跳開時のストロークを思わせますね。
水上から見るかぎり、側面の継ぎ目は空隙が少なく、それが跳開橋らしさ(?)をあまり感じさせない一因のようです。このように近づけば、桁側面に円筒形の軸端と軸受、その右手桁下にシリンダー様のものがあるのに気づかされますが、メカニズムのほとんどは桁内側と囲壁内に収まっているようで、外見は概してあっさり目です。

●軸受周りをアップで。これが本当に重量を支えている軸受なのか、単なる注油などのために施されたケーシングのたぐいなのかはわかりませんが、跳開時の回転がここを中心になされるのはまず間違いないでしょう。
手前のくたびれた監視カメラ、妙にチープな紅緑2灯の信号が目を引きます。先の連絡先以外、一切の注意書きが見られないこと、この信号灯器の小ささからも、不特定多数の通航を考えたものでなく、あくまで業務に関連した船舶のみを対象にした設備であることが感じられます。

しかし、この箱桁や梁の太さ、道床に走るウェブの多さ! 跳開による力の変化に耐え、なおかつ重車輌を余裕を持って通過させる、この橋の性格を凝縮したような眺めで、頭上にずっしりとくる迫力がありました。

●こちらは上と反対側、南詰の橋脚の支承周りをアップで見たところ。モーターのついた丸棒が一対、床面から逆ハの字の形で斜めに伸びて、上下から噛み合った金具の横に、突っ込んだ格好の機械が見えました。
これは可動桁の鎖錠機構と見てよいと思います。跳開するときは、恐らくスピンドルによってロックが解かれ、桁が旧に復すれば元のように閂がかかって、外力による桁の上下動を防ぐ仕組みになっているのでしょう。
【撮影地点のMapion地図】
(30年12月9日撮影)
(『川崎の枝運河めぐり…4』につづく)

にほんブログ村
川崎の枝運河めぐり…2
(『川崎の枝運河めぐり…1』のつづき)

●JFEの「超弩級舟屋」を北西側から改めて。本船が実際に入って、巨大なドンガラが一杯になっているところを見てみたいもの。手前側のコンクリート基礎上、支柱の取付座が橋の支承に似た形なのですね。
さて、本日何をさておいても見たかったもの、第一の目的地とした物件は、この「超弩級舟屋」のほぼ対岸にありました。

●新大扇橋(しんたいせんきょう)!
浅野運河の入口に架かる単葉式跳開橋! 構内の専用道とはいえ、可動状態にある実用の跳ね橋として貴重な存在です。有名な物件ですので、ご存知の方も多いでしょう。
錆色のプラント群をバックに初見した新大扇橋の第一印象は、跳開橋とは思えない、工業地帯らしい地味な鋼桁橋そのもの。中央の可動部分を支える基礎の大きさが、わずかに跳開橋らしさを感じさせはするものの、意識していなければ見過ごしてしまいそうなほどです。かえって背後に併設された三弦式の管路橋の方が、その高さゆえに目を奪われました。
●少し北に移動して、浅野運河の軸線上から眺めたところ。写真右手、北側からドルフィン式の繋船施設が伸びており、橋の鑑賞にはいま一つです。管路橋の高さはいうまでもなく、船舶通航のクリアランスを確保するためでしょう。
なお本橋についての詳細は、「川崎区の宝物シート 新大扇橋」(PDF)にまとめられています。

●可動桁の先端から3分の1くらいの位置に、「緊急連絡先:水江保安センター」と書かれた電話番号が掲げられていました。先のPDFによれば、JFEスチ-ル東日本製鉄所の所有だそうですから、この番号も同社の一部署なのでしょう。
諸元を抜き書きすると、全長84m、昭和59年(記事によっては58年との記述もあり)竣工、橋名は両岸の地名、大島・扇町両地区から頭文字を取ったもの。先代は鉄道橋で、昭和14年に創架されたのですね。
気になったのは「全面改修」という書き方がされていたところ。「改修」という言葉からすると、旧橋の構造を一部流用したようなニュアンスにも読めますが、見たかぎりでは、古さを感じさせる部分はありませんでした。
●橋に近づいてから、北詰をふと見ると、鉄道の踏切にあるものを流用したとおぼしき、遮断機と警報機が。跳開時、道路の交通を遮断するための設備ですね。
他地方の跳開橋はもとより果ては閘門まで、鉄道用の踏切設備が利用されているのはいくつか見たことがありますが、線路のないところにこれがにょっきり立っているのは、やはりミスマッチというか、ユーモラスな感じがします。
【撮影地点のMapion地図】
(30年12月9日撮影)
(『川崎の枝運河めぐり…3』につづく)

にほんブログ村

●JFEの「超弩級舟屋」を北西側から改めて。本船が実際に入って、巨大なドンガラが一杯になっているところを見てみたいもの。手前側のコンクリート基礎上、支柱の取付座が橋の支承に似た形なのですね。
さて、本日何をさておいても見たかったもの、第一の目的地とした物件は、この「超弩級舟屋」のほぼ対岸にありました。

●新大扇橋(しんたいせんきょう)!
浅野運河の入口に架かる単葉式跳開橋! 構内の専用道とはいえ、可動状態にある実用の跳ね橋として貴重な存在です。有名な物件ですので、ご存知の方も多いでしょう。
錆色のプラント群をバックに初見した新大扇橋の第一印象は、跳開橋とは思えない、工業地帯らしい地味な鋼桁橋そのもの。中央の可動部分を支える基礎の大きさが、わずかに跳開橋らしさを感じさせはするものの、意識していなければ見過ごしてしまいそうなほどです。かえって背後に併設された三弦式の管路橋の方が、その高さゆえに目を奪われました。

なお本橋についての詳細は、「川崎区の宝物シート 新大扇橋」(PDF)にまとめられています。

●可動桁の先端から3分の1くらいの位置に、「緊急連絡先:水江保安センター」と書かれた電話番号が掲げられていました。先のPDFによれば、JFEスチ-ル東日本製鉄所の所有だそうですから、この番号も同社の一部署なのでしょう。
諸元を抜き書きすると、全長84m、昭和59年(記事によっては58年との記述もあり)竣工、橋名は両岸の地名、大島・扇町両地区から頭文字を取ったもの。先代は鉄道橋で、昭和14年に創架されたのですね。
気になったのは「全面改修」という書き方がされていたところ。「改修」という言葉からすると、旧橋の構造を一部流用したようなニュアンスにも読めますが、見たかぎりでは、古さを感じさせる部分はありませんでした。

他地方の跳開橋はもとより果ては閘門まで、鉄道用の踏切設備が利用されているのはいくつか見たことがありますが、線路のないところにこれがにょっきり立っているのは、やはりミスマッチというか、ユーモラスな感じがします。
【撮影地点のMapion地図】
(30年12月9日撮影)
(『川崎の枝運河めぐり…3』につづく)

にほんブログ村
| HOME |