新井郷川水門の周辺…2
(『新井郷川水門の周辺…1』のつづき)
●堤防を降りて、北岸から新井郷川水門を見たところ。水門から、阿賀野川の水がゆるゆると流れ込んでくるのがわかります。
水門の北側、堤防に沿った道路との間のスペースは小公園になっており、桜も植えられていました。春先にはお花見客で賑わうのでしょうね。

●視線を少し右に振ると、岸壁、コンクリ-ト堤防、そして道路を同時に視界に収めることができ、水面と地表高の差がとても少ないことが、リアルに感じられる角度に。地元の方には申しわけないのですが、こういうひたひたの可航水路(ここ重要)に、家並が迫っているのを見ると、ワクワクしてしまう性分でして…。
いやしかし、岸壁といってもフェンダーの効かない低さ、堤防もガードレールより低そうなミニサイズ。漁師さんたちは、この堤防をひょいと飛び越えて、もやいを解くことを日常にしているのですね。
●右の写真のように、出入りのため堤防にはいくつかの分断箇所があり、スロープで岸壁に盛り上がりを造って、陸閘を閉じなくとも、ある程度の増水には耐えられえるようになっています。この陸閘のミニサイズぶりもグッとくるものが。
他の陸閘には角落しがはめ込まれ、土嚢で補強してあったり、岸壁のフラットが泥で覆われていたりしていたのを見ると、ここも先日の増水で、緊張状態にあったことが感じられました。
●いやもう、この船溜の雰囲気の佳さには、すっかりやられました。このあたりはもちろん初めてで、詳しくないのですが、ここ、松浜本町というのは古くからある町なのでしょうか、新興住宅地とは違った生活感があり、それでいて活気も感じられます。
そうした町自体の雰囲気も手伝って、水路の印象を好ましいものにしているのかもしれません。

●というわけで、何か立ち去りがたいものがあり、船溜に面した喫茶店で、涼みがてら休憩することにしました。桜並木に見え隠れする水門と船溜を、窓からチラチラのぞき見ながらの一服。水門と船溜が眺められる喫茶店なんて、そうそう出会えるものではありません。
しかもタダの水路ではない、「葛塚蒸気」も通った、伝統ある舟航路としての歴史を持つ旧河道でもあるのです。これを至福といわずして、何というのでしょう!
【撮影地点のMapion地図】
(23年8月10日撮影)
(『満願寺閘門…1』につづく)

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水門の北側、堤防に沿った道路との間のスペースは小公園になっており、桜も植えられていました。春先にはお花見客で賑わうのでしょうね。

●視線を少し右に振ると、岸壁、コンクリ-ト堤防、そして道路を同時に視界に収めることができ、水面と地表高の差がとても少ないことが、リアルに感じられる角度に。地元の方には申しわけないのですが、こういうひたひたの可航水路(ここ重要)に、家並が迫っているのを見ると、ワクワクしてしまう性分でして…。
いやしかし、岸壁といってもフェンダーの効かない低さ、堤防もガードレールより低そうなミニサイズ。漁師さんたちは、この堤防をひょいと飛び越えて、もやいを解くことを日常にしているのですね。

他の陸閘には角落しがはめ込まれ、土嚢で補強してあったり、岸壁のフラットが泥で覆われていたりしていたのを見ると、ここも先日の増水で、緊張状態にあったことが感じられました。

そうした町自体の雰囲気も手伝って、水路の印象を好ましいものにしているのかもしれません。

●というわけで、何か立ち去りがたいものがあり、船溜に面した喫茶店で、涼みがてら休憩することにしました。桜並木に見え隠れする水門と船溜を、窓からチラチラのぞき見ながらの一服。水門と船溜が眺められる喫茶店なんて、そうそう出会えるものではありません。
しかもタダの水路ではない、「葛塚蒸気」も通った、伝統ある舟航路としての歴史を持つ旧河道でもあるのです。これを至福といわずして、何というのでしょう!
【撮影地点のMapion地図】
(23年8月10日撮影)
(『満願寺閘門…1』につづく)

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新井郷川水門の周辺…1
(『新井郷川閘門…5』のつづき)

●新井郷川の旧河口も見てみたくなり、新井郷川閘門のある丁字流より600mほど西へ移動、阿賀野川畔の新井郷川水門を訪ねてみました。
外観は、阿賀野川西岸で見た通船川水門によく似て…というより、瓜二つですね。利根川下流の水門・閘門群のように、同じ図面から起こしたとしか思えない「量産型」水門のようです。銘板によると、昭和41年3月竣工とのこと、通船川のそれより、ちょうど1年後輩ということになります。
●高水敷に立って、はるか対岸を眺めると、通船川水門が見えました。その向こうに津島屋閘門もほんのちょっと、頭をのぞかせていますね。
通船川と新井郷川、大河を挟んで向き合う閘門つきの舟航路というと、どこか小名木川と新川を思い出させるものがあります。かつての「葛塚蒸気」と行徳航路が、今でいう近郊の衛星都市を結んだ、重要な河川航路であったことも、よく似ています。
●増水からまだ間もないとあって、高水敷は乾いた泥で覆われており、流木やひっくり返ったボートなど、爪痕も生々しい状態。
水門の近くでは、写真のように重機とトラックが盛んに働いており、漂着した流木を片付けていました。

●管理橋の上から見た河口付近が、またいい雰囲気! 旧河道の名残か、水面が写真左側(北側)へふくらんだ形になっており、地元漁船の船溜として利用されていました。岸に下りての眺めも、さらにいい感じなんですよ。次回ご覧に入れましょう。
【撮影地点のMapion地図】
(23年8月10日撮影)
(『新井郷川水門の周辺…2』につづく)

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外観は、阿賀野川西岸で見た通船川水門によく似て…というより、瓜二つですね。利根川下流の水門・閘門群のように、同じ図面から起こしたとしか思えない「量産型」水門のようです。銘板によると、昭和41年3月竣工とのこと、通船川のそれより、ちょうど1年後輩ということになります。

通船川と新井郷川、大河を挟んで向き合う閘門つきの舟航路というと、どこか小名木川と新川を思い出させるものがあります。かつての「葛塚蒸気」と行徳航路が、今でいう近郊の衛星都市を結んだ、重要な河川航路であったことも、よく似ています。

水門の近くでは、写真のように重機とトラックが盛んに働いており、漂着した流木を片付けていました。

●管理橋の上から見た河口付近が、またいい雰囲気! 旧河道の名残か、水面が写真左側(北側)へふくらんだ形になっており、地元漁船の船溜として利用されていました。岸に下りての眺めも、さらにいい感じなんですよ。次回ご覧に入れましょう。
【撮影地点のMapion地図】
(23年8月10日撮影)
(『新井郷川水門の周辺…2』につづく)

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