旧戸田橋の絵葉書

(『戸田漕艇場のあたり…3』のつづき)

絵葉書ファイルを整理していたら、木造桁橋時代の戸田橋を写した絵葉書が出てきました。いつ入手したのかすら、思い出せないのが情けないところですが、戸田橋親水公園に寄り道できた後ということもあり、ご縁があったということで追記させていただきます。

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「埼玉縣北足立郡 戸田橋 土木請負原口利吉」
宛名・通信欄比率2:1、明治40年4月~大正7年3月の発行。

裏面の比率から推定した発行時期と、公園の陶板画に描かれていたものを参照すると、大正元年に竣工した二代目の戸田橋と思われます。絵葉書の題材としては地味な感じですが、下流部(放水路開鑿以前の時代なので、下流は隅田川)以外は橋に乏しく、渡船が主力だった時代ですから、大型の土木構造物として注目を集めたことでしょう。

公園に保存されていた、三代目戸田橋の親柱に掲げられていた銘文によれば、長さ71間(約129m)、幅3間(約5.5m)。現戸田橋の長さ519mとくらべるとずいぶん短く思えますが、これは荒川改修による流路拡幅がなされたからで、改修前の荒川本流がいかに狭かったかがわかりますね。

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せっかくなので現戸田橋も一枚‥‥と思って探したら、あまりよいものがなく、22年12月29日に撮ったこれが割とマシなもの。漕艇場に隣接した練習水面ということで、岸に近い水域には、動力船通航禁止の標識が掲げられています。

荒川舟運は、寄居近くの末野・子持瀬を最上流に32もの河岸場があり、その中でも戸田河岸は街道筋の渡船場を擁したことも手伝い、荒川の河岸中1、2を争う荷扱量を誇った有力河港で、明治に入ると川蒸気船「飛鳥丸」の寄港場にもなりました。

絵葉書の写真が撮影された時代は、鉄道や道路の整備に押され、衰えながらもまだ河岸場として活動は続いていたはずで、橋脚を透かして見える、水際に迫ってひしめく家並みにも、それらしい雰囲気がうかがえます。あるいは外輪川蒸気や外輪曳船も、二代目戸田橋を仰いで、行き来していたのかもしれませんね。
(参考:『戸田河岸と荒川の舟運』戸田市立郷土博物館、平成15年刊)

(この項おわり)

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タグ : 荒川 戸田橋 絵葉書・古写真