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徳島城址と眉山

(『ひょうたん島周遊船…10』のつづき)

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239202.jpgひょうたん島周遊船を降りた後は、徳島城博物館を訪ねました。収蔵品に和船好きとして見逃せない、御召鯨船の千山丸があるからです。参勤交代に使われた水軍船団の一隻かつ、国内唯一の現存する江戸期の和船を堪能して、売店前のベンチで休憩していると‥‥。

青石を組んだ石垣の櫓の上に、こんなものが立っているのが目に入りました。う~ん、これはどう見ても船のマストっぽい‥‥。いや、何かで見た記憶があるぞ、軍艦のマストじゃないか?

さっそく石段を踏んで、櫓上に登って近づいてみました。基礎部分には手すりがめぐらされ、明治時代の水雷艇や駆逐艦のちんまりとした艦橋を想わせる造り。はめ込まれた碑文を読んでみると‥‥。

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大日本駆逐艦追風 記念マスト」とありました。おお、やはり。しかし、読み下してゆくうちに「え? え?」と引っかかる部分が。「日清・日露に歴戦した駆逐艦追風」‥‥えーと、無粋な突っ込みではありますが、駆逐艦は日清戦争時に存在していなかったような。

帰宅してから、「日本駆逐艦史」(海人社・平成24年)をひもといてみました。追風(おいて)は32隻が量産された神風型(381t)の一隻で、明治39年8月竣工、大正13年12月除籍、大正14年11月雑役船という艦歴。竣工が日露戦争後なので、日清・日露とも関係がないことになりますね。ううむ。

掲載されていた現役時、大正元年の写真と今のマストを見くらべても、ずいぶん形が違います。まあこれはその後の改造とか、前檣でなく実は後檣だったとかの可能性もありますが。記念マストになった後に倒壊したそうですから、そのときの改修時に原形を損なったとかでしょうか? 明治生まれの艦の遺物ということで、興味深くはあったのですが、首をかしげてしまう不思議な物件でありました。

239204.jpg同じ櫓上には、ラジオ塔もありました。噂にきくラジオ塔の現物を前にしたのはこれが初めてだったので、興味深く拝見。

石燈籠のようでもあり、また橋の親柱を思い起こさせるものがあって、一見古風なようでも戦前のモダンさを感じさせるデザインで、かつ風格があって実によいものでした。

プレートの説明によると、昭和8年にJOXK、今のNHK徳島局が開設された際に建立、昭和58年開局50周年を記念し改修されたとのこと。櫓下の広場に人々が集って、ラジオ体操にいそしんだ昔がしのばれますね。


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翌15日は、阿波踊り会館からロープウェイに乗って、徳島に入って以来常に視界にあったご当地のシンボル、眉山の山頂へ。街を一望できる独立丘があるっのて、凄くうらやましい‥‥。

左手から吉野川の広大な河口、緑濃い城山の盛り上がり、そして新町川と、昨日来歩き、また船に乗ってきたエリアを眺めて、楽しかったあれこれを思い出すひととき。お天気に恵まれたことに感謝しながら、川の街・徳島を訪ねる十年来の念願をかなえた2日間を締めくくることができました。次回訪問時は必ず撫養航路に乗るぞ!
撮影地点のMapion地図

(元年9月14日・15日撮影)

(この項おわり)

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タグ : 徳島市新町川

ひょうたん島周遊船…10

(『ひょうたん島周遊船…9』のつづき)

239196.jpg冨田橋をくぐると、先ほど船着場に向かって歩いていたとき眺めた、下水道の水管橋が見えてきました。両国橋の船着場も間もなくで、名残惜しい感じがしますね。

で、冨田橋からかつて発着していた、川汽船のことです。Wikipedia「阿波電気軌道」および「吉野川連絡船」に記述がありますが、阿波電気軌道(後に阿波鉄道)が、吉野川への架橋ができず、代用として大正5年から運航した渡船で、吉野川北岸の中原から新町川を経て、冨田橋に達する川汽船航路だったそう。

図録「徳島近代交通史―船から鉄道へ―」(PDF・徳島県立文書館発行)の11ページには、渡船の写真が掲載されていました。渡船は巡航船と称され、大正5年の開通当初は大麻丸、妙見丸と2隻の船が、1日8往復、中原~冨田橋間を片道45分で結んだとのこと。

阿波鉄道が国有化された2年後、昭和10年に吉野川橋梁が竣工し、高徳線が徳島まで開通したため、役目を終えた航路は廃止されましたが、徳島にも川汽船の活躍した時代があって、この新町川に爆音を轟かせていたことを知り、興味もいや増すものがありました。

239197.jpgそうそう、9月21日は業界の集まりで京都に行ったのですが、その翌日嵐山に散策としゃれ込み、トロッコ嵯峨駅に併設された資料館で、保存されていた蒸気機関車を見たときのことです。ふと目に留まったこの機関車、何と、もと阿波鉄道の機関車だったのだそう!

「ずいぶんアンバランスで、面白い形の機関車だな」と思い撮ったのですが、何かご縁を感じたことではありました。もっとも、旧国鉄時代に大改造され、昔日の面影はほとんどないようでしたが。閑話休題。

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両国橋の下から船着場を望んで。艇が近づくと、出発時には見かけなかった外人さんの女性スタッフがお出迎え。もやいを取っててきぱきと着桟作業をこなしてくれました。船長にお礼を言上して下船します。

初めての徳島の川めぐり、お天気にも恵まれて大いに楽しめました。撫養航路を体験できなかったのは、かえすがえすも残念ではありましたが、捲土重来を期すといたしましょう。

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すでに触れたように翌日、15日の午前中に再度乗ったときですが、桟橋を訪ねるとちょうど満員の便が出た直後。座って待っていたら船長が現われ、臨時便を出して下さるとのこと! ありがたく乗せていただくことに。

我々だけの貸し切り状態で、二度目のこととて前日のような観光ガイドこそありませんでしたが、前回以上にもう飛ばすこと飛ばすこと! 先に出た便に追いつかんばかりの爆走ぶりで、これまた痛快な走りを堪能させてくれたのでした。

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おまけ。15日に船着場へ向かう道々、ふれあい橋の橋詰近く、池と東屋をあつらえたテラスの近くを通ったら、丸々とした鴨さんの一群がボリボリと羽づくろい中。

とや(換羽期)で全身がムズムズするのか、こちらを見もせず一心不乱にかきむしっていて、近づいても逃げません。その可愛らしいしぐさに魅せられて、しばらく見入ってしまったことではありました。
撮影地点のMapion地図

(元年9月14・15日、22日撮影)

(『徳島城址と眉山』につづく)

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タグ : 新町川助任川ひょうたん島周遊船徳島市水辺の鳥たち

ひょうたん島周遊船…9

(『ひょうたん島周遊船…8』のつづき)

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岸に近づくと、澄んだ水を透かして石組みの河底が見えてきました。船長が指さす方に目をやると、おおお、大小のエイが折り重なるようにして群れている!

三河湾の竹島で、浅瀬でのんびりとたゆったていたエイを見て以来(『蒲郡の印象…2』参照)、すっかりエイに魅了されていましたから、これは本当に盛り上がりました!

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乗客の皆さんからも歓声が上がり、身を乗り出して写真を撮っていました。ぺたり、ぺたりとヒレをひらめかせて浅場を泳ぐさまに、私も嬉しくなって、思わず「カワイイ~!」と口から出てしまうほど。

船長によれば、魚市場が出す魚のアラを食べに、エイが集まるようになったのだそう。他の魚や海鳥も集まってしまいそうに思えますが、こうしてエイのみに餌付けできるようにしたとは、何か工夫がありそうですね。それを遊覧航路から楽しめるようにしたあたり、素晴らしいことだと思います。

239193.jpg船長の操縦の妙で、船はギリギリの浅場まで入っての大サービス。一方のエイはまったく動じず、ご覧のとおり船首が頭上近くにかぶさってきても、涼しい顔(?)です。

長らくの餌付けで人馴れしたのか、それともよほどアラが美味しいのでしょうか? じっと動かずにアラをきこしめすエイの姿を見つめていると、「おいしいおいしい」と喜んでいるように思えてきたものでした。

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乗客一同で楽しく盛り上がっていた横を、爆音を立てて牟岐線の気動車が渡ってゆきました。富田川橋梁のまだ新しい塗装が、順光に反射してきれい。架線柱がないこともあって、車輌の全体を見渡せるのが新鮮ですね。

239195.jpgひとしきり盛り上がったところで、潮時とみたのか船はゴースターンをかけ、岸を離れて流路中央へ。後ろ髪をひかれる思いで、可愛らしいエイたちとお別れです。

お次の橋は富田橋、船着場への道々で渡った橋で、終点も間近であることがわかりました。そうそう、この冨田橋、大正から昭和初期にかけて、川汽船の発着所があったのだそうです。詳しくは次回お話ししましょう。
撮影地点のMapion地図

(元年9月14日撮影)

(『ひょうたん島周遊船…10』につづく)

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タグ : 新町川ひょうたん島周遊船徳島市

ひょうたん島周遊船…8

(『ひょうたん島周遊船…7』のつづき)

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船はほぼ真西に変針し、新町川を遡上し始めました。両岸に槍付けしたプレジャーや漁船が居並ぶ河港風景の向こうに、徳島市の象徴ともいえる名山、眉山が優しげな山容を見せていました。

船長いわく、「眉山が最も美しく見えるところ」。“ブラタモリ”でも採り上げられて評判だったとか。なるほど、川幅もあって、建物に煩わされず山裾まで一望のもとですね。朝夕の凪で川面が滑らかであれば、水鏡に写った「逆さ眉山」が楽しめそうでもあります。

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徳島県庁の近くには、一見して官船とわかる白い塗装の船が。徳島県の漁業取締船「つるぎ」だそうです。前傾した操舵室の妻、直線的な滑走船型とあいまって、いかにも早そうです。

このあたりまでは低い橋がないので、街中といえどこのような比較的大きい船や、高いマストを持つヨットがもやうことができるのですね。

239188.jpg新町川に戻って初めてくぐる橋は、国道55号線かちどき橋。河口近くに架かっているのが、東京の勝鬨橋と同じでご縁を感じるものが。自転車で通りがかった男性が、笑顔で手を振ってくれました。

東京の勝鬨橋は、日露戦争の旅順陥落を記念して名づけられた、渡船の名が元になっていることは知られていますが、徳島のそれは支那事変(日中戦争)での連勝にちなんだのだとか(Wikipedia『かちどき橋』)。

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かちどき橋のすぐ西側には、牟岐線の富田川橋梁が並行しています。レンガの橋脚と、リベットで組まれた鈑桁という古豪橋。桁は最近再塗装されたのでしょう、ダークグリーンの表面がつやつやと美しく、また星霜を経たレンガの肌ともしっくりきていて、よいものでした。

239190.jpg富田川橋梁の手前から、船はぐっと行き足を落として、右へ大きく舵を切りました。北岸に正対した船首方向に見えた建物は、中洲総合水産市場。徳島市の魚市場の一つだそうです。

船長はゆっくり岸へ寄せながら、「今日は来ているかな‥‥」と、何かを我々に見せてくれる様子。水面を眺めても変化はないようですが、さて、何が出てくるのでしょうか?
撮影地点のMapion地図

(元年9月14日撮影)

(『ひょうたん島周遊船…9』につづく)

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タグ : 新町川ひょうたん島周遊船徳島市

ひょうたん島周遊船…7

(『ひょうたん島周遊船…6』のつづき)

239181.jpg南東に向いた河道を下り、徳住橋をくぐった直後にふたたびの分流点が。左は住吉島川で、沖洲川を経て吉野川へ出ることができます。ここの角っこもスクエアっぷりがいいですね。

助任川は先ほど同様右手ですが、見えてきた橋がちょっとが妙な形ですね。桁の下に橋脚とは違った、変にカサのある中之島のような台形の何かが。近づいてみると‥‥。

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いや‥‥何とも形容しがたい光景で、言葉を失うほど。
河道中央、やや左手寄りに石垣組みの構造物があり、桁はその上を避けて、ちょうどかぶさるような格好になっていました。遠目に見ても、桁や橋脚の形がアンバランスで、少々苦しい感じがします。名前は福島橋。

石垣組みのこれ、私の知る範囲で似たものといえば橋台ですが、橋台というには岸から離れており、また橋脚としては大造りに過ぎ、前後をとがらせるような、流速への配慮もなされていません。例えれば、昔風の城郭の櫓か、灯明台の基礎がデンと河道を塞いでいるような。正直実に奇妙な感じがしたものでした。

失礼ですが笑ってしまったのが、せっかく径間中央に「航路」と大書きしてあるのに、径間の半分以上がこの構造物で占められているということ! 「航路」の表示は、も少し右に寄せた方がよさそうですね。

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橋をくぐってみると、これまた変わったつくりでした。歩道部分が西側に湾曲していて、直進する車道との間に半月形の開口部が作ってあり、石垣のそれを橋上から眺められるような構造になっていたのです。

たびたび引用している「阿波の橋めぐり」によると、創架は延宝2(1674)年、この石垣組みが遺されているのは、江戸期に架橋工事が困難なことから、山伏を人柱に供したという伝説があり、ために文化財として保存されているとのこと。この中に、人柱を埋めたということでしょうか。

この人柱伝説はよく知られているようで、検索すれば多くの記事がヒットしますが、石垣組みが何者であるかについては、どれも納得のゆく解説がありませんでした。河道の真ん中に、いわば橋脚代わりとして中之島を築造したと解釈していいのかな‥‥。

ともあれ、河中の遺跡を大切にする心意気とともに、変わり形の橋として印象に残ったものでした。江戸期の土木構造物が保存されているという意味でも、とても意義深いものですね。

239184.jpgお次の福島新橋も変わり形で、西詰で二又になった橋です。二本とも同名を名乗っていながら、北側のRC橋が市道、鋼桁橋が県道というのも面白いですね。

しかも、かつては河口港として船舶の通航が頻繁だったため、先々代橋は昭和5年竣工の可動橋だったとのこと。今やその面影はありませんが、超絶に低いのは個人的に好みど真ん中でした!

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助任川としては最終橋、中洲みなと橋をくぐると視界が開け、船影も濃くなって賑やかになりました。新町川に戻ったのです。

写真は丁字流から左、河口を見たところで、紅白の主塔を持つ大きな斜張橋は、県道29号線末広大橋。船は右へ折れ、いよいよ最終コースとなります。
撮影地点のMapion地図

(元年9月14日撮影)

(『ひょうたん島周遊船…8』につづく)

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タグ : 助任川新町川ひょうたん島周遊船徳島市