平戸樋門
(『三栖洗堰』のつづき)
●京阪線に乗り、中書島の隣、宇治川畔は観月橋駅で下車。観月橋の橋詰には、何やらいわくありげな石柱が…明治天皇が通られたところのようですね、ふむ。
さて、目指すは月見館…なのですが、その前にちょっと、見ておきたいものが。

●駅から、堤防道を少し下流側に歩くと、ありました。赤レンガの台の上に乗った、何やら物々しいトラス構造が。先ほど十石舟で走った、濠川…いや違った、宇治川派流の吐け口、平戸樋門です。
トラスの架構から垂らされているのは、ワイヤーなどではなくチェーン。ずいぶん古典的な水門が残っていたものですが、トラスをよーく見ると、継ぎ手にリベットがなく、ずいぶんのっぺりとしているのがわかります。何か違和感がありますね。
●早々にばらしてしまうと、上部構造や扉体を昔風に作り直した、言わば復元水門だったのです。ご覧のとおり、銘板の竣工年月には「平成16年3月」とありました。
しかし、閘門や洗堰のみならず、こんな小さな樋門にも、復元工事が施されているとは、ちょっと驚きですね。レンガの造作からして、古いものには違いありますまいが、やはり伏見の街にとって、特別な存在なのでしょうか。
(復元前の平戸樋門の写真はAGUAの『宇治川派流』に掲載されています。)
●全貌を見てみたくなり、法面を危なっかしい足取りで駆け下りて、高水敷から一枚。う~ん、例によってうまく撮れなかった…。
しかし、ここから見上げると、石の装飾も美しく、実に威厳のある樋門じゃないですか! 「こんな小さな樋門」などと言ったのが、申しわけない気持ちになりました。
ん? あれは…。
●復元された扉体の形の面白さや、石の銘板の立派さはさておき、気になったのは扉体前の、左右にある側壁。
三つのアイに渡されたチェーン…これはどう考えても、繋船用に設けられたものとしか思えない…。かつてはここも、舟が通っていたのではないでしょうか?
宇治川の水位が低くなる前は、チェーンにもやいを取れる位置に、水面があったに違いありません。小さな発見でしたが、水運時代の匂いを残すものに出会えて、嬉しくなりました。
【撮影地点のMapion地図】
(21年9月11日撮影)
【21年10月10日追記】3段目のリンクに誤りがあったので、訂正しました。間違ってリンクしていた、日本の川と災害さんにお詫び申し上げます。
この後、検索していたら、「平戸樋門ゲート設備修繕工事」(J=GLOBAL)を発見。なるほど、大正15年建設で、当初は木製ゲートだったのですね。
(『三十石舟の宿・月見館…1』につづく)

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さて、目指すは月見館…なのですが、その前にちょっと、見ておきたいものが。

●駅から、堤防道を少し下流側に歩くと、ありました。赤レンガの台の上に乗った、何やら物々しいトラス構造が。先ほど十石舟で走った、濠川…いや違った、宇治川派流の吐け口、平戸樋門です。
トラスの架構から垂らされているのは、ワイヤーなどではなくチェーン。ずいぶん古典的な水門が残っていたものですが、トラスをよーく見ると、継ぎ手にリベットがなく、ずいぶんのっぺりとしているのがわかります。何か違和感がありますね。

しかし、閘門や洗堰のみならず、こんな小さな樋門にも、復元工事が施されているとは、ちょっと驚きですね。レンガの造作からして、古いものには違いありますまいが、やはり伏見の街にとって、特別な存在なのでしょうか。
(復元前の平戸樋門の写真はAGUAの『宇治川派流』に掲載されています。)

しかし、ここから見上げると、石の装飾も美しく、実に威厳のある樋門じゃないですか! 「こんな小さな樋門」などと言ったのが、申しわけない気持ちになりました。
ん? あれは…。

三つのアイに渡されたチェーン…これはどう考えても、繋船用に設けられたものとしか思えない…。かつてはここも、舟が通っていたのではないでしょうか?
宇治川の水位が低くなる前は、チェーンにもやいを取れる位置に、水面があったに違いありません。小さな発見でしたが、水運時代の匂いを残すものに出会えて、嬉しくなりました。
【撮影地点のMapion地図】
(21年9月11日撮影)
【21年10月10日追記】3段目のリンクに誤りがあったので、訂正しました。間違ってリンクしていた、日本の川と災害さんにお詫び申し上げます。
この後、検索していたら、「平戸樋門ゲート設備修繕工事」(J=GLOBAL)を発見。なるほど、大正15年建設で、当初は木製ゲートだったのですね。
(『三十石舟の宿・月見館…1』につづく)

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