牛堀・権現山の絵葉書
●1月2日に訪ねた、水郷は牛堀の権現山公園(『権現山公園と新横利根閘門』参照)から見た風景と、ほぼ同じ視点から撮った古い絵葉書があったのを、すっかり忘れていました。
まったくトシはとりたくないものですが、せっかく気づいたということもあり、自分の撮った写真と並べて悦に入ろうと、ここに掲げさせていただきます。

●【水郷景勝】双眸に冴えわたる美と平和の繪画的風景。牛堀附近の展望
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。
●正面から左手に屈曲して消えてゆく、横利根川の穏やかな川面、あくまで平らかな、典型的水郷風景が一望のもと。
東京や上利根各河港とを結ぶような、長距離航路はすでに衰えていたとはいえ、霞ケ浦・北浦の各地や、佐原・銚子など下利根を往来する便はなお盛んだった時代で、水郷汽船自慢の大型客船も、目前の横利根川を通って観光客を運んでいたころです。

●「権現山公園と新横利根閘門」より再掲。改めて比較してみると、河道は拡幅され、堤防や閘門が整備されて、対岸も家が建て込んでと、変化がはっきり見てとれるものの、水郷らしい雰囲気はまったく失われていないのに嬉しくなります。
特に手前の牛堀の家並み、どこか箱庭然とした、肩を寄せ合ったような風情は当時と変わらず、河港として栄えていた時代を髣髴させるものがありますね。

●【鹿島・香取名勝】空に水に爽涼の色溢れる、牛堀橋附近の佳景。
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。
●もう一枚、牛堀の河畔から対岸を写したものもあったので、ついでといっては何ですがご参考まで。主題になっている牛堀橋は、現在の北利根橋の先代橋で、上路式鈑桁橋ながら、下端に曲線を用いたり、中央径間を下路式にして船舶に配慮したりと、水郷らしさが感じられる外観ですね。
残念ながら資料がなく、橋の竣工年がわからなかったのですが、「北利根橋」(『目的地までが目的地』より)によると、昭和7年竣工とのこと。
なるほどサイト主さんのおっしゃる通りで、水郷大橋(『横利根閘門遊覧…4』参照)、神宮橋の先代橋と同世代で、陸路鹿島まで行けるルート‥‥現国道51号が成立した時期の完成とみれば、しっくりきます。河川航路が欠くことのできない交通手段だった水郷地域にも、近代陸上交通の第一波が押し寄せてきた、そんな時代だったのですね。
●最後によい機会なので、明治43年発行の河川航路ガイド、「利根川汽船航路案内」から、「牛堀汽船寄港場」の項を抜粋してみましょう。
「‥‥霞ヶ浦及北浦、利根川等へ通ずる汽船航路の分岐點たり戸数二百戸、人口七百餘人有り」
「此地汽船の發着は左の如し/鉾田行 往復 二回/鹿島行 同 四回/佐原行 同 五回/土浦行 同 三回/高濱行 往復 一回/銚子行 同 二回」
町としてはささやかな規模ながら、四通八達していた川汽船航路の、まさに要であったことがわかります。「水駅」という言葉がしっくりくるような、川蒸気の煙絶えない河岸場風景を想像して、しばし陶然となったことではありました。
【撮影地点のMapion地図】
(28年1月2日撮影)

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まったくトシはとりたくないものですが、せっかく気づいたということもあり、自分の撮った写真と並べて悦に入ろうと、ここに掲げさせていただきます。

●【水郷景勝】双眸に冴えわたる美と平和の繪画的風景。牛堀附近の展望
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。
●正面から左手に屈曲して消えてゆく、横利根川の穏やかな川面、あくまで平らかな、典型的水郷風景が一望のもと。
東京や上利根各河港とを結ぶような、長距離航路はすでに衰えていたとはいえ、霞ケ浦・北浦の各地や、佐原・銚子など下利根を往来する便はなお盛んだった時代で、水郷汽船自慢の大型客船も、目前の横利根川を通って観光客を運んでいたころです。

●「権現山公園と新横利根閘門」より再掲。改めて比較してみると、河道は拡幅され、堤防や閘門が整備されて、対岸も家が建て込んでと、変化がはっきり見てとれるものの、水郷らしい雰囲気はまったく失われていないのに嬉しくなります。
特に手前の牛堀の家並み、どこか箱庭然とした、肩を寄せ合ったような風情は当時と変わらず、河港として栄えていた時代を髣髴させるものがありますね。

●【鹿島・香取名勝】空に水に爽涼の色溢れる、牛堀橋附近の佳景。
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。
●もう一枚、牛堀の河畔から対岸を写したものもあったので、ついでといっては何ですがご参考まで。主題になっている牛堀橋は、現在の北利根橋の先代橋で、上路式鈑桁橋ながら、下端に曲線を用いたり、中央径間を下路式にして船舶に配慮したりと、水郷らしさが感じられる外観ですね。
残念ながら資料がなく、橋の竣工年がわからなかったのですが、「北利根橋」(『目的地までが目的地』より)によると、昭和7年竣工とのこと。
なるほどサイト主さんのおっしゃる通りで、水郷大橋(『横利根閘門遊覧…4』参照)、神宮橋の先代橋と同世代で、陸路鹿島まで行けるルート‥‥現国道51号が成立した時期の完成とみれば、しっくりきます。河川航路が欠くことのできない交通手段だった水郷地域にも、近代陸上交通の第一波が押し寄せてきた、そんな時代だったのですね。
●最後によい機会なので、明治43年発行の河川航路ガイド、「利根川汽船航路案内」から、「牛堀汽船寄港場」の項を抜粋してみましょう。
「‥‥霞ヶ浦及北浦、利根川等へ通ずる汽船航路の分岐點たり戸数二百戸、人口七百餘人有り」
「此地汽船の發着は左の如し/鉾田行 往復 二回/鹿島行 同 四回/佐原行 同 五回/土浦行 同 三回/高濱行 往復 一回/銚子行 同 二回」
町としてはささやかな規模ながら、四通八達していた川汽船航路の、まさに要であったことがわかります。「水駅」という言葉がしっくりくるような、川蒸気の煙絶えない河岸場風景を想像して、しばし陶然となったことではありました。
【撮影地点のMapion地図】
(28年1月2日撮影)

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一番好きな通運丸

●この絵葉書、一昨年「川蒸気の絵葉書二題」ですでに紹介し、同時にタイトルに掲げた一枚の、しばらく後に入手したもので、絵柄、キャプションともまったく同じものです。
しかし、今回のものは、前回のものよりはるかに鮮明で、各部のディテールもより楽しめること、構図も素晴らしく一番のお気に入りということもあり、いま一度タイトルにも掲げて、悦に入ってみたいと思います。

●製版時の塩梅なのか、単に刷りがよかったのかはわかりませんが、前回はツブレ気味で、判然としなかった細部が見て取れるのは嬉しいところ。以下、気になったところをいくつか。
左舷、手すりの開口部には座ってこちらを見ている和服の人物が、船尾客室ははっきりしませんが、やはり外で座り込んでいる人が何人かいるように見えます。船が少々傾き気味なのは、このためもあるのでしょうか。
●操舵室右舷側の窓、天にヒンジのついた外開きであるように見えましたが、今回の写真ではカーテンかブラインドのようなものが、はためいてはみ出たようにも見えますね。
というのは、全開になっている客室舷側の窓はすべて落とし込み式であり、操舵室前面の3つにも、よく見ると落とし込んだ窓枠の上端らきものが見えることから、開いた窓枠でなく、日除けのたぐいではと思ったのです。
●開いている操舵室左舷の扉は、客室の外壁が隠されていることから、外吊りの引き戸のようですね。船首波も、押し分けられた水が船首を透かしているさままでわかり、外輪の後ろへ派手に盛り上がった航走波とあわせて、水音が迫りくるような、より臨場感あふれる写真になっていますよね。
ディテールからあれこれ想像していると、長くなるのでこのあたりとしますが、躍動的な航走シーンであることはもとより、その角度、その構図、乗っている人々の息吹までが伝わってきそうなこの写真が、本当に大好きです。現時点での、私の通運丸のイメージそのもの、といってもいい過ぎでない、そんな一枚なのです。

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謎の切合水門…4
(『謎の切合水門…3』のつづき)
●南側水門の巻上機構をアップで。中央に大直径のハンドルがあり、ギヤボックスと伝動軸を介して、二つのスピンドルを上下させる雌ネジを回転させる仕組みです。
「米島の廃水門」のような昔のスライドゲートのそれと違い、充分な減速比がとってあるでしょうから、運転にさほどの力はいらないと思われますが、いざ一人で舟を通航させるとなると、大変でしょうねえ…。
●南側、少し離れたところから北側を見たところ。右手のお宅は敷地がエンマ(水路)に接しており、庭木が張り出しているので、遠目には水門が庭の一部にあるようです。
エンマに沿って左、西側は農道があるため、加藤洲閘門や仲江間閘門のように、家屋にすき間なく包囲された「ぎっしり閘門」にはなっていないのが惜しいところですが、それがかえって観察しやすい環境を提供してくれており、気安く見て回れたのは何よりでした。

●そして水門の南側、一直線に伸びるエンマを望んでちょっとがっかり。こんなに低い橋が架けられていては、仮に通航があったとしても、小舟ですらくぐることはかないますまいよ…。
もしわずかでも舟航があれば、仲江間の橋のように桁下高を取った、中高の橋にするでしょう。このエンマはもう、可航水路としての役目を終えていたのです。私設と思われる橋の新しさからして、切合水門が竣工したころは、まだ架かっておらず、通る舟も少ないながらあったに違いない…と、しばし妄想。
●堤防上に戻って、いま一度高水敷に下り、もろ逆光の西側から正面を一枚撮って、切合水門にお別れ。離れてから振り返る(下写真)と、広漠たる冬枯れの常陸利根川畔に、ぽつねんと立つゲートが妙に小さく見えました。
というわけで、見たかぎり閘門の機能は備えているものの、実際に閘門として活用されたどうかは、謎のままになってしまいました。
しかし、十六島の外縁に集落に囲まれてたたずむ小水門・閘門って、似たようなレイアウトでありながら、それぞれ違ったいい雰囲気があるものですね。次の機会には、まだ訪ねていない他の水門(こことか)も攻めてみようと、新たな欲望に火がついた今回の探訪ではありました。

(25年1月2日撮影)
(『1月2日の小野川…1』につづく)

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「米島の廃水門」のような昔のスライドゲートのそれと違い、充分な減速比がとってあるでしょうから、運転にさほどの力はいらないと思われますが、いざ一人で舟を通航させるとなると、大変でしょうねえ…。

エンマに沿って左、西側は農道があるため、加藤洲閘門や仲江間閘門のように、家屋にすき間なく包囲された「ぎっしり閘門」にはなっていないのが惜しいところですが、それがかえって観察しやすい環境を提供してくれており、気安く見て回れたのは何よりでした。

●そして水門の南側、一直線に伸びるエンマを望んでちょっとがっかり。こんなに低い橋が架けられていては、仮に通航があったとしても、小舟ですらくぐることはかないますまいよ…。
もしわずかでも舟航があれば、仲江間の橋のように桁下高を取った、中高の橋にするでしょう。このエンマはもう、可航水路としての役目を終えていたのです。私設と思われる橋の新しさからして、切合水門が竣工したころは、まだ架かっておらず、通る舟も少ないながらあったに違いない…と、しばし妄想。

というわけで、見たかぎり閘門の機能は備えているものの、実際に閘門として活用されたどうかは、謎のままになってしまいました。
しかし、十六島の外縁に集落に囲まれてたたずむ小水門・閘門って、似たようなレイアウトでありながら、それぞれ違ったいい雰囲気があるものですね。次の機会には、まだ訪ねていない他の水門(こことか)も攻めてみようと、新たな欲望に火がついた今回の探訪ではありました。

(25年1月2日撮影)
(『1月2日の小野川…1』につづく)

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謎の切合水門…2
(『謎の切合水門…1』のつづき)

●ブロックできれいに固められた高水敷に降りて、表側の表情(上写真)を…と思ったのですが、残念ながらほとんど逆光。堤防越しに、切合(でいいと思うのですが)の集落の家並が見えています。
ズームでたぐって、梁側面に掲げられた銘板を観察すると…。おや、切合の切の字が、どう見ても土偏になっています。「功」じゃないですよね?
●扉体はローラーゲート、径間わずか2.6mとあって、桁の数も少ないシンプルなものです。錆はあまり目立ちませんが、塗装は色あせところどころ剥離して、少々くたびれた風情。
扉体は全閉されているようですが、それともわずかに開けて、少量の導水をしているのでしょうか。水没している部分は、扉体の寸法から考えて半分とないようですから、水深は1.5mより浅いのでしょう。
●水門前の水面は、葦原が切り開かれていることからも、定期的に浚渫・草刈りの手が入っているのでしょう。気になったのはやはり、目の前の浅瀬に沈む小舟。
一瞬サッパかと思いましたが、船尾に外艫があることから、別の種類の和船のようです。コーティングされているせいで、沈んだ後も朽ちずに形を保っているのでしょうが、開の口から繁った草がそよぐ様子は、いかにも物悲しい風景です。この他にも、葦原の中に廃舟が見られたので、かつては切合水門も、それなりの通船量があったのかも…と妄想。

●で、なぜタイトルに「謎の」を冠したのか…といういわくを、ようやくご覧に入れる運びとなりました。
この切合水門、エンマ側にもう一つ、水門があるからです!
水門が一本の水路に、二つ並設されているのを知れば、そう、妄想するのはただ一つ!
これ、閘門なんじゃないかということ。
ここは「知られざる閘門」なのか? 十六島の出入口は大割、加藤洲、仲江間、浪逆浦の4閘門のみならず、5つ目がここなのか? いざ、検分とまいりましょう。
(25年1月2日撮影)
(『謎の切合水門…3』につづく)

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ズームでたぐって、梁側面に掲げられた銘板を観察すると…。おや、切合の切の字が、どう見ても土偏になっています。「功」じゃないですよね?

扉体は全閉されているようですが、それともわずかに開けて、少量の導水をしているのでしょうか。水没している部分は、扉体の寸法から考えて半分とないようですから、水深は1.5mより浅いのでしょう。

一瞬サッパかと思いましたが、船尾に外艫があることから、別の種類の和船のようです。コーティングされているせいで、沈んだ後も朽ちずに形を保っているのでしょうが、開の口から繁った草がそよぐ様子は、いかにも物悲しい風景です。この他にも、葦原の中に廃舟が見られたので、かつては切合水門も、それなりの通船量があったのかも…と妄想。

●で、なぜタイトルに「謎の」を冠したのか…といういわくを、ようやくご覧に入れる運びとなりました。
この切合水門、エンマ側にもう一つ、水門があるからです!
水門が一本の水路に、二つ並設されているのを知れば、そう、妄想するのはただ一つ!
これ、閘門なんじゃないかということ。
ここは「知られざる閘門」なのか? 十六島の出入口は大割、加藤洲、仲江間、浪逆浦の4閘門のみならず、5つ目がここなのか? いざ、検分とまいりましょう。
(25年1月2日撮影)
(『謎の切合水門…3』につづく)

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