利根川河口堰閘門を訪ねて…6
(『利根川河口堰閘門を訪ねて…5』のつづき)
●風が強いですが、左右とも広大な川面が広がる堤防道を歩くのは、川好きにとって楽しいもの。寒ければツラいものになったでしょうが、暖かで助かりました。
大河の合流点に突き出す背割堤の先端という、地先中の地先であるにもかかわらず、観光案内みたいな看板があったので引っかかってみました。う~ん、魚道が特記されているのに、大写しになっている閘門にひとことも言及のないの、閘門好きとしてはさみしさが‥‥。

●天端をずんずん先っぽ近くまで歩くと、目指す物件が見えてきました。堤防先端の左手です。
ここでもう一枚看板が出現。引っかかって、色褪せた挿図を眺めてみると‥‥ううむ、通航範囲や制限速度まで触れているにもかかわらず、閘門の部分は空白(泣)。閘門がここでも仲間外れにされる理由が、何だかわからない‥‥。

●到着しました。といっても手前には柵があり立ち入り禁止なので、真下に立って仰ぐわけにはいきませんが。
高水敷に造られたレール上にごろりと転がる、この巨大な車輪付きケーソンみたいなものは何かというと、「予備ゲート」なるもの。以前も紹介した、国土交通省 霞ヶ浦河川事務所のツイートで使用例が紹介されています。小型の水門でいう、角落しに相当する臨時の扉体ですね。

●川表側のゲートをアップで。上端手前には、閉鎖時に堰柱へ固定するための閂が一対見られ、端面には水密ゴムも。側面には注排水のバルブらしきもの、転動するための車輪様の構造も目立ち、もろもろディテールが興味深いですね。
動画でも紹介されたように、最近使われたばかりとあって、表面がうっすら緑色となっているのも生々しくてよいものが。予備の扉体まで、すべてが雄大な水門設備。閘門の運転も見られたし、大利根流域らしさも堪能したしと、大満足のひとときでした。
(令和5年2月12日撮影)
(『木戸堰…1』につづく)

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大河の合流点に突き出す背割堤の先端という、地先中の地先であるにもかかわらず、観光案内みたいな看板があったので引っかかってみました。う~ん、魚道が特記されているのに、大写しになっている閘門にひとことも言及のないの、閘門好きとしてはさみしさが‥‥。


ここでもう一枚看板が出現。引っかかって、色褪せた挿図を眺めてみると‥‥ううむ、通航範囲や制限速度まで触れているにもかかわらず、閘門の部分は空白(泣)。閘門がここでも仲間外れにされる理由が、何だかわからない‥‥。

●到着しました。といっても手前には柵があり立ち入り禁止なので、真下に立って仰ぐわけにはいきませんが。
高水敷に造られたレール上にごろりと転がる、この巨大な車輪付きケーソンみたいなものは何かというと、「予備ゲート」なるもの。以前も紹介した、国土交通省 霞ヶ浦河川事務所のツイートで使用例が紹介されています。小型の水門でいう、角落しに相当する臨時の扉体ですね。

●川表側のゲートをアップで。上端手前には、閉鎖時に堰柱へ固定するための閂が一対見られ、端面には水密ゴムも。側面には注排水のバルブらしきもの、転動するための車輪様の構造も目立ち、もろもろディテールが興味深いですね。
動画でも紹介されたように、最近使われたばかりとあって、表面がうっすら緑色となっているのも生々しくてよいものが。予備の扉体まで、すべてが雄大な水門設備。閘門の運転も見られたし、大利根流域らしさも堪能したしと、大満足のひとときでした。
(令和5年2月12日撮影)
(『木戸堰…1』につづく)

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利根川河口堰閘門を訪ねて…5
(『利根川河口堰閘門を訪ねて…4』のつづき)

●警報音が鳴り響く中、じりじりと後扉室の扉体が上がって、閘室内が見えてきました(動画はこちらをどうぞ)。船はすでにもやいを放ったのだか、側壁から離れて斜めになっていますね。
径間15mの開扉となれば、離れていても結構な質量感で迫力があります。扇橋閘門や荒川ロックゲートの速度に慣れていると、ちょっと遅いかとも思えますが、これは昭和46年という竣工年と、セルフ操作で安全性を見込んでいることから考えて、妥当なところではあるでしょう。

●側壁に見える湛水線からして、閘程は1mほどでしょうか。こういったディテールは、実際に通閘を目の当たりにしないとわかりません。本当にラッキーでした。
閘室を出てきたサッパをスナップ。先ほどは船首に出ていた人たちも、扉体からの滴をしのぐためオーニングの下に入っていますね。鴨猟のチャーターを専門に請け負っている船なのでしょうか、通閘を前提とした備えのように思えました。

●閘門を訪ねられただけでなく、通閘シーンもばっちり堪能できて、お腹いっぱいといったところ。背割堤の天端に上がって、常陸川水門のゲート群を眺めつつしばし休憩。常陸川水門の閘門は、15年前に過去ログ「常陸川閘門…1」で訪問済みです。
ここで天端の堤防道を、川面にはさまれた清々しい風景を眺めつつ下流側へ。もう一つ見ておきたい物件があったのです。
【撮影地点のMapion地図】
(令和5年2月12日撮影)
(『利根川河口堰閘門を訪ねて…6』につづく)

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●警報音が鳴り響く中、じりじりと後扉室の扉体が上がって、閘室内が見えてきました(動画はこちらをどうぞ)。船はすでにもやいを放ったのだか、側壁から離れて斜めになっていますね。
径間15mの開扉となれば、離れていても結構な質量感で迫力があります。扇橋閘門や荒川ロックゲートの速度に慣れていると、ちょっと遅いかとも思えますが、これは昭和46年という竣工年と、セルフ操作で安全性を見込んでいることから考えて、妥当なところではあるでしょう。


閘室を出てきたサッパをスナップ。先ほどは船首に出ていた人たちも、扉体からの滴をしのぐためオーニングの下に入っていますね。鴨猟のチャーターを専門に請け負っている船なのでしょうか、通閘を前提とした備えのように思えました。


ここで天端の堤防道を、川面にはさまれた清々しい風景を眺めつつ下流側へ。もう一つ見ておきたい物件があったのです。
【撮影地点のMapion地図】
(令和5年2月12日撮影)
(『利根川河口堰閘門を訪ねて…6』につづく)

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走る通運丸、二題
●通運丸の航行するシーンをとらえた絵葉書を、2枚選んでみました。いずれも遠景で、船単体のディテールを観察するには少し難がありますが、川蒸気が生き生きと躍動していたころの雰囲気を味わうには、十分過ぎる情報量が写し込まれています。
再現性の高いコロタイプならではの特徴を生かして、要所を拡大しディテールを愛でてみましょう。なお、煙突の白線が1本であることから、3隻とも通運丸船隊のどれかと判断しました。

●水郷趣味 大船小舟の往來
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。
●おそらく常陸利根川北岸から、ポプラが点在する十六島を望んだ、フネブネのゆきかう川景色。帆船は見たかぎり9反帆で、微風を受けて右手、霞ヶ浦方へ上航していますが、船体が黒くつぶれており船種はわかりません。
絵柄の中心に据えられた通運丸は、外輪後端から派手に水しぶきを上げ、すでに結構な速度に達しているようです。撮影地が潮来だとすれば、桟橋を離れて間もない瞬間を撮ったのでしょう。これから鹿島の大船津へ向かうのでしょうか。拡大してみましょう。

●外輪カバーに書かれた船名の上にあるはずの、番号が判読できず個体を特定できないのがもどかしいところですが、威風堂々の航進ぶりがよい角度でとらえられていて、心躍るものが。船首尾から船体中心に向かって、凹んだ形にゆるく反った甲板のラインもよくわかります。
屋根上には3人の人影が見え、船首寄りの一人は長大な竿を持っているようです。離岸直後の撮影であれば、解䌫後にこの竿で桟橋を突いて、船首を沖へ向ける作業をしたことでしょう。煙突からの煙が全く出ていませんが、修正されたのか、それとも燃焼状態が極めてよいからでしょうか。

●潮來の風趣 北利根川より稻荷山公園を望む(敬文館發行)
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。
●潮来の写真というと、水際に接して建つ大きな旅館を写したものが思い出されますが、これは背後の稲荷山(だとすれば、ですよ)の位置からして、それより西を撮ったものでしょうか。桟橋と水駅らしい建物を挟んで、外輪と暗車、2隻のタイプが異なる通運丸が写っているという、珍しいものです。
桟橋状には多くの人影が見られ、その左、軒下には俵らしい荷が山積みされて、人荷ともに集散が盛んなことが見て取れ、航路の賑わいが感じられてよいものですね。何しろ、左の外輪船ときたら‥‥。

●屋根の上に人があふれかえっている!
座っているのはまだましで、立っている人も結構いますね。船室横と後ろの回廊にも、大荷物をはみ出させているのが見え、中も恐らくぎゅう詰めなのが想像できます。和装でカンカン帽をかむった人が多いのも、時代を感じさせますね。
面白いのは、外輪より後ろに人が集中しているせいでしょう、船首の喫水がすっかり上がって、アップトリムになっていること。そういえば、船体も心なしか人の重みで、船尾が逆に反っているようにも見えます。お祭りでもあった後なのか、日常の光景だったのかはわかりませんが、川蒸気ファンとしては思わず目尻が下がるような、ほほえましい写真ではないですか。

●右の通運丸はもやった状態で、罐の火も落としているようですね。暗車だけに舷側がフラットなことから、外輪より幾分スマートな印象を受けます。船体が手前側に傾いており、屋根の上には解いた荷らしきものや人影が見えることから、荷役中なのかもしれません。
前後の船室とも、いくつかの窓が開いている様子から、落とし込み式の窓であることが見て取れます。機械室側面の開口部から、しゃがんで中をのぞき込んでいる人物は上半身裸に見えますが、火夫でしょうか。
●人声に満ちた河港の賑わいと、外輪が水をかく音が聞こえてくるような写真。日時や船体の詳細は分からなくとも、この時代の雰囲気を無心に楽しめる佳さがあるように思えます。川蒸気が元気だったころの、水運時代の素敵な川景色! これからも出会えるといいなあ。
【2月14日追記】
●書棚の整理がついて、本が引っ張り出せるようになったので追記させていただきます。
2枚目の絵葉書「潮來の風趣‥‥」ですが、月刊「世界の艦船」の読者なら、「あっ、これ見たことあるぞ!」とお気づきになったことと思います。同誌第629集(2004年8月号)の51ページに、「珍しいツーショット発掘、潮来河岸の外輪船とスクリュー船」(所蔵:迫口充久氏)と題して、同じ原版から起こしたと思しき絵葉書が掲載されていたからです。以下、興味深い部分を抜き書きしてみましょう。
●同記事のキャプションによれば、外輪船を「第七号通運丸」と断定しているのがまず印象的でした。ディテールの分析など、特に理由に触れていないということは、写真で判読できたということに他なりません。私の手持ちの絵葉書と違い、印刷が鮮明だったのでしょう。
●また、北利根川(常陸利根川)が拡幅前であること、服装や河岸の様子から、撮影が明治末から大正初期と推定されることにきちんと言及しているあたり、さすが「世界の艦船」。文末ではさらなる分析を読者に向けて呼びかけていましたが、早くも第635集(2004年12月号)の読者交歓室欄で、長崎県の西口公章氏から投稿があったのです。
●西口氏は「水郷汽船史」や各年代の「船名録」、「石川島重工108年史」、「船舶史稿 第17巻」を参考資料に、右にもやう暗車船を「第二十五号通運丸」か、「第二十六号通運丸」と推定され、また両船が内国通運より東京湾汽船に移籍した年代などから、写真の撮影年を、明治20年から22年の約3年の間であろうと絞り込まれていました(『川の上の近代』によれば、両船の移籍は明治24年より)。
●西口氏の分析が正しいとすれば、裏面から推定される絵葉書の発行年代と、少なくとも30年近い隔たりがあることになります。同じ版を使った絵葉書が、信じられないほどのロングセラーとして重版をかけつつ販売されていたのか、それとも何かのきっかけで、昔の風景に商品価値が出てリバイバルされたのかはわかりませんが、この時代の絵葉書が決して近い過去ばかりを写した存在ではないことに、注意をしておく必要はあるかもしれません。

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再現性の高いコロタイプならではの特徴を生かして、要所を拡大しディテールを愛でてみましょう。なお、煙突の白線が1本であることから、3隻とも通運丸船隊のどれかと判断しました。

●水郷趣味 大船小舟の往來
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。
●おそらく常陸利根川北岸から、ポプラが点在する十六島を望んだ、フネブネのゆきかう川景色。帆船は見たかぎり9反帆で、微風を受けて右手、霞ヶ浦方へ上航していますが、船体が黒くつぶれており船種はわかりません。
絵柄の中心に据えられた通運丸は、外輪後端から派手に水しぶきを上げ、すでに結構な速度に達しているようです。撮影地が潮来だとすれば、桟橋を離れて間もない瞬間を撮ったのでしょう。これから鹿島の大船津へ向かうのでしょうか。拡大してみましょう。

●外輪カバーに書かれた船名の上にあるはずの、番号が判読できず個体を特定できないのがもどかしいところですが、威風堂々の航進ぶりがよい角度でとらえられていて、心躍るものが。船首尾から船体中心に向かって、凹んだ形にゆるく反った甲板のラインもよくわかります。
屋根上には3人の人影が見え、船首寄りの一人は長大な竿を持っているようです。離岸直後の撮影であれば、解䌫後にこの竿で桟橋を突いて、船首を沖へ向ける作業をしたことでしょう。煙突からの煙が全く出ていませんが、修正されたのか、それとも燃焼状態が極めてよいからでしょうか。

●潮來の風趣 北利根川より稻荷山公園を望む(敬文館發行)
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。
●潮来の写真というと、水際に接して建つ大きな旅館を写したものが思い出されますが、これは背後の稲荷山(だとすれば、ですよ)の位置からして、それより西を撮ったものでしょうか。桟橋と水駅らしい建物を挟んで、外輪と暗車、2隻のタイプが異なる通運丸が写っているという、珍しいものです。
桟橋状には多くの人影が見られ、その左、軒下には俵らしい荷が山積みされて、人荷ともに集散が盛んなことが見て取れ、航路の賑わいが感じられてよいものですね。何しろ、左の外輪船ときたら‥‥。

●屋根の上に人があふれかえっている!
座っているのはまだましで、立っている人も結構いますね。船室横と後ろの回廊にも、大荷物をはみ出させているのが見え、中も恐らくぎゅう詰めなのが想像できます。和装でカンカン帽をかむった人が多いのも、時代を感じさせますね。
面白いのは、外輪より後ろに人が集中しているせいでしょう、船首の喫水がすっかり上がって、アップトリムになっていること。そういえば、船体も心なしか人の重みで、船尾が逆に反っているようにも見えます。お祭りでもあった後なのか、日常の光景だったのかはわかりませんが、川蒸気ファンとしては思わず目尻が下がるような、ほほえましい写真ではないですか。

●右の通運丸はもやった状態で、罐の火も落としているようですね。暗車だけに舷側がフラットなことから、外輪より幾分スマートな印象を受けます。船体が手前側に傾いており、屋根の上には解いた荷らしきものや人影が見えることから、荷役中なのかもしれません。
前後の船室とも、いくつかの窓が開いている様子から、落とし込み式の窓であることが見て取れます。機械室側面の開口部から、しゃがんで中をのぞき込んでいる人物は上半身裸に見えますが、火夫でしょうか。
●人声に満ちた河港の賑わいと、外輪が水をかく音が聞こえてくるような写真。日時や船体の詳細は分からなくとも、この時代の雰囲気を無心に楽しめる佳さがあるように思えます。川蒸気が元気だったころの、水運時代の素敵な川景色! これからも出会えるといいなあ。
【2月14日追記】
●書棚の整理がついて、本が引っ張り出せるようになったので追記させていただきます。
2枚目の絵葉書「潮來の風趣‥‥」ですが、月刊「世界の艦船」の読者なら、「あっ、これ見たことあるぞ!」とお気づきになったことと思います。同誌第629集(2004年8月号)の51ページに、「珍しいツーショット発掘、潮来河岸の外輪船とスクリュー船」(所蔵:迫口充久氏)と題して、同じ原版から起こしたと思しき絵葉書が掲載されていたからです。以下、興味深い部分を抜き書きしてみましょう。
●同記事のキャプションによれば、外輪船を「第七号通運丸」と断定しているのがまず印象的でした。ディテールの分析など、特に理由に触れていないということは、写真で判読できたということに他なりません。私の手持ちの絵葉書と違い、印刷が鮮明だったのでしょう。
●また、北利根川(常陸利根川)が拡幅前であること、服装や河岸の様子から、撮影が明治末から大正初期と推定されることにきちんと言及しているあたり、さすが「世界の艦船」。文末ではさらなる分析を読者に向けて呼びかけていましたが、早くも第635集(2004年12月号)の読者交歓室欄で、長崎県の西口公章氏から投稿があったのです。
●西口氏は「水郷汽船史」や各年代の「船名録」、「石川島重工108年史」、「船舶史稿 第17巻」を参考資料に、右にもやう暗車船を「第二十五号通運丸」か、「第二十六号通運丸」と推定され、また両船が内国通運より東京湾汽船に移籍した年代などから、写真の撮影年を、明治20年から22年の約3年の間であろうと絞り込まれていました(『川の上の近代』によれば、両船の移籍は明治24年より)。
●西口氏の分析が正しいとすれば、裏面から推定される絵葉書の発行年代と、少なくとも30年近い隔たりがあることになります。同じ版を使った絵葉書が、信じられないほどのロングセラーとして重版をかけつつ販売されていたのか、それとも何かのきっかけで、昔の風景に商品価値が出てリバイバルされたのかはわかりませんが、この時代の絵葉書が決して近い過去ばかりを写した存在ではないことに、注意をしておく必要はあるかもしれません。

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秋の水郷三昧…9
(『秋の水郷三昧…8』のつづき)
●遊覧船乗り場の前に戻ってみると、先ほど出会ったお囃子舟が接岸して、嫁入り舟の後ろについていました。花嫁さんはまだサッパに乗っておらず、演奏もいったん休まれていたので、予想とは違いこれからアトラクションが始まるようです。
門の前を通り過ぎざまのぞいたら、しずしずと歩む花嫁さんの姿がちらりと見えました。もう少しタイミングが遅ければ、お嫁入りのシーンを目にすることができたのですが、惜しいことではありました。

●前川を離れ、潮来のホテル街を眺めながら常陸利根川を横断。一度、このどれかに泊まってみたいと思いながら、早や10年‥‥。おすすめの宿はどこでしょう、今度船頭さんに聞いてみよう。
●お待ちかね、水郷の極小閘門筆頭格、加藤洲閘門を通って十二橋は新左衛門川へ。
あら、扉体に描いたせっかくのあやめが、水垢で隠れてしまっていますね。時間があったら、艇体掃除の柄付きスポンジをひっさげて、扉体磨きの勤労奉仕を志願したいところです。

●閘室の側壁のみならず、堰柱に至るまで緑のタイル風に造作され、操作用把手もケーシングされてと、小なりといえど十六島のみならず、水郷を代表する閘門だけに、細部まで気配りされていますよね。
‥‥毎回同じようなことを書いている気がするな。まあ、加藤洲閘門は小さくてカッコイイということです、ええ。

●今まであまり意識していなかったのですが、両側壁上に一つづつ設けられた照明も、曲線を取り入れたガス灯風(?)なのですね。タグ「加藤洲閘門」で過去の写真を確認してみると、以前からこのタイプであることがわかりました。
例によって船頭さんが把手を引くと、前扉が閉まり排水開始。ああ、草餅早く食べたいなあ。前川のお団子屋さんで食欲を刺激されて、今や「花より団子」ならぬ「水路より団子」の心持ちであります、はい。
【撮影地点のMapion地図】
(28年11月6日撮影)
(『秋の水郷三昧…10』につづく)

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門の前を通り過ぎざまのぞいたら、しずしずと歩む花嫁さんの姿がちらりと見えました。もう少しタイミングが遅ければ、お嫁入りのシーンを目にすることができたのですが、惜しいことではありました。

●前川を離れ、潮来のホテル街を眺めながら常陸利根川を横断。一度、このどれかに泊まってみたいと思いながら、早や10年‥‥。おすすめの宿はどこでしょう、今度船頭さんに聞いてみよう。

あら、扉体に描いたせっかくのあやめが、水垢で隠れてしまっていますね。時間があったら、艇体掃除の柄付きスポンジをひっさげて、扉体磨きの勤労奉仕を志願したいところです。

●閘室の側壁のみならず、堰柱に至るまで緑のタイル風に造作され、操作用把手もケーシングされてと、小なりといえど十六島のみならず、水郷を代表する閘門だけに、細部まで気配りされていますよね。
‥‥毎回同じようなことを書いている気がするな。まあ、加藤洲閘門は小さくてカッコイイということです、ええ。

●今まであまり意識していなかったのですが、両側壁上に一つづつ設けられた照明も、曲線を取り入れたガス灯風(?)なのですね。タグ「加藤洲閘門」で過去の写真を確認してみると、以前からこのタイプであることがわかりました。
例によって船頭さんが把手を引くと、前扉が閉まり排水開始。ああ、草餅早く食べたいなあ。前川のお団子屋さんで食欲を刺激されて、今や「花より団子」ならぬ「水路より団子」の心持ちであります、はい。
【撮影地点のMapion地図】
(28年11月6日撮影)
(『秋の水郷三昧…10』につづく)

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秋の水郷三昧…5
(『秋の水郷三昧…4』のつづき)
●大割閘門を後にして、常陸利根川へ出ました。好天とあって釣りに興じる艇もちらほら見られ、引き波も絶えないようで、硬い感触の衝撃がサッパの船底より伝わってきます。
下の写真は、牛堀・霞ケ浦の方向を見たところ。抜けるような秋晴れの空の下、左手に十六島の低い堤防が、緑色の一線となって定規を当てたように引かれ、右手から中央にかけては低い丘陵を覆う木々がはるかに望まれと、水郷らしい胸のすくような川景色!

●河道中央に出ても、陽射しは暖かで風も穏やかなため、船首に座って身体をさらしていても、そんなにつらくありません。サッパは小さな船外機の爆音を高めて、右に舵を取り潮来は前川へ向かいます。
右の写真は、大割閘門を出る際、正面に見えたバージ。造作から土運船のようですが、船体が錆色なのに加え、護岸の見えない草深い水辺にもやわれているせいか、廃船のような雰囲気です。

●潮来の旅館街を左手に見つつ、逆光下の潮来大橋をくぐって。靄やちぎれ雲に乱反射する陽光、それらをバックに黒くシルエットをつくる潮来大橋、よきかな、佳き哉。

●人道橋と車道橋の間から一枚。橋脚近くを狙って、バスボートがエレキモーターをチョイ、チョイと踏んではギリギリまで迫るシーンも。サッパは舵をやや左に切って、前川の河口に軸線を定めました。
【撮影地点のMapion地図】
(28年11月6日撮影)
(『秋の水郷三昧…6』につづく)

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下の写真は、牛堀・霞ケ浦の方向を見たところ。抜けるような秋晴れの空の下、左手に十六島の低い堤防が、緑色の一線となって定規を当てたように引かれ、右手から中央にかけては低い丘陵を覆う木々がはるかに望まれと、水郷らしい胸のすくような川景色!


右の写真は、大割閘門を出る際、正面に見えたバージ。造作から土運船のようですが、船体が錆色なのに加え、護岸の見えない草深い水辺にもやわれているせいか、廃船のような雰囲気です。

●潮来の旅館街を左手に見つつ、逆光下の潮来大橋をくぐって。靄やちぎれ雲に乱反射する陽光、それらをバックに黒くシルエットをつくる潮来大橋、よきかな、佳き哉。

●人道橋と車道橋の間から一枚。橋脚近くを狙って、バスボートがエレキモーターをチョイ、チョイと踏んではギリギリまで迫るシーンも。サッパは舵をやや左に切って、前川の河口に軸線を定めました。
【撮影地点のMapion地図】
(28年11月6日撮影)
(『秋の水郷三昧…6』につづく)

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