奈良ドリームランドの「通運丸」、絵葉書があった!
●以前、「奈良ドリームランドの『通運丸』」で、モディファイされたものながら、川蒸気船・通運丸が遊園地の乗り物として運航されていたお話を書きました。ついこの間のことと思っていたら、もう12年前になるのですね。
昔の工作雑誌にあった小さな写真で存在に気づかされ、その道の研究家がアップされたサイトや写真で就航当時の姿も拝見できと、インターネッツ時代の恩恵にあずかり、ありがたいかぎりではありましたが、個人的に史料が入手できたとか、その後の進展は絶えてなく、少々寂しい思いを残したまま時を過ごしてきたのでした。

●帆船おしょろ丸と外輪船第三十六通運船
宛名・通信欄比率1:1、「奈良夢の国ドリームランド」の銘あり。
●ところが、ようやく最近になって、一枚のみながら当時の絵葉書を入手できたのです! いや、嬉しかったですねえ。奈良ドリームランドの開園は昭和36年ですから、その当時に写されたとすれば、62年前の光景になります。
タイトルでいきなり「第三十六通運船」と、誤植をかましてくるのはご愛敬ですが‥‥。青空の下、疎林のある丘をバックに、船溜(?)で憩う僚船「おしょろ丸」とともに、たくさんの乗船客で賑わう「第三十六通運丸」の左舷側面がとらえられていて、どこかのんびりとした、いい雰囲気のスナップじゃないですか。

●通運丸をトリミングしてアップで。何分アミ点が荒いので、拡大してもディテールが鮮明に読み取れるわけではないのが残念ですが、人物とくらべて煙突やデッキ、マストの高さなど各部の寸法はわかるのがありがたい点。
●以前の記事に書いたことの繰り返しになりますが、実物の第三十六通運丸とは似ても似つかないにせよ、アレンジの妙といいましょうか、明治のフネっぽく、違和感なくまとめられたある意味佳作だと思うのですね。
マストがあるため、橋のある川は走れないものの、昭和初期の観光で盛り上がる水郷にいても、まったくおかしくない雰囲気。それこそ現代の霞ケ浦で、カタマラン観光船「ホワイトアイリス」と一緒に、"レトロ版遊覧船"として就航してほしくなるような‥‥。
●人々の記憶から消え去りながら、戦後になって突如、川蒸気をモデルとした遊覧船が復活した唯一の例を、いきさつも含めて、何とか記録にとどめておきたいものです。
建造された造船所だけでもわかれば、お話を伺いにお邪魔したいくらいの気持ちはあるのですが。何かのきっかけでご縁ができることを、また気長に待つとしましょう。

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昔の工作雑誌にあった小さな写真で存在に気づかされ、その道の研究家がアップされたサイトや写真で就航当時の姿も拝見できと、インターネッツ時代の恩恵にあずかり、ありがたいかぎりではありましたが、個人的に史料が入手できたとか、その後の進展は絶えてなく、少々寂しい思いを残したまま時を過ごしてきたのでした。

●帆船おしょろ丸と外輪船第三十六通運船
宛名・通信欄比率1:1、「奈良夢の国ドリームランド」の銘あり。
●ところが、ようやく最近になって、一枚のみながら当時の絵葉書を入手できたのです! いや、嬉しかったですねえ。奈良ドリームランドの開園は昭和36年ですから、その当時に写されたとすれば、62年前の光景になります。
タイトルでいきなり「第三十六通運船」と、誤植をかましてくるのはご愛敬ですが‥‥。青空の下、疎林のある丘をバックに、船溜(?)で憩う僚船「おしょろ丸」とともに、たくさんの乗船客で賑わう「第三十六通運丸」の左舷側面がとらえられていて、どこかのんびりとした、いい雰囲気のスナップじゃないですか。

●通運丸をトリミングしてアップで。何分アミ点が荒いので、拡大してもディテールが鮮明に読み取れるわけではないのが残念ですが、人物とくらべて煙突やデッキ、マストの高さなど各部の寸法はわかるのがありがたい点。
●以前の記事に書いたことの繰り返しになりますが、実物の第三十六通運丸とは似ても似つかないにせよ、アレンジの妙といいましょうか、明治のフネっぽく、違和感なくまとめられたある意味佳作だと思うのですね。
マストがあるため、橋のある川は走れないものの、昭和初期の観光で盛り上がる水郷にいても、まったくおかしくない雰囲気。それこそ現代の霞ケ浦で、カタマラン観光船「ホワイトアイリス」と一緒に、"レトロ版遊覧船"として就航してほしくなるような‥‥。
●人々の記憶から消え去りながら、戦後になって突如、川蒸気をモデルとした遊覧船が復活した唯一の例を、いきさつも含めて、何とか記録にとどめておきたいものです。
建造された造船所だけでもわかれば、お話を伺いにお邪魔したいくらいの気持ちはあるのですが。何かのきっかけでご縁ができることを、また気長に待つとしましょう。

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帝国データバンク史料館で‥‥
●ごめんなさい、お知らせするのがすっかり遅くなってしまいましたが、帝国データバンク史料館からお声がかかり、企画展に所蔵の航路図を提供させていただきました。以前、「東京通運時代の河川航路図二題」で紹介した、「東京地方新航路図」(下掲)です。

●企画展は「取材記者 清水三十六 山本周五郎 最後のサラリーマン生活」と題したもの。すでに4月19日より始まっており、10月7日までの開催だそうです。
データバンクと山本周五郎というと、一見縁が薄いように思えますが、山本周五郎は作家デビュー前後の若いころ、帝国データバンクの前身である帝国興信所(日本魂社)の社員だったのですから、このお題もうなずけようというもの。
●お声がけいただいたのは2月で、大好きな「青べか物語」(参考:過去ログ「映画『青べか物語』を見て」)の周五郎先生の足跡をたどる企画展とうかがい、少しでもお役に立てればと、提供させていただくことにしました。なお展示の様子は、上掲の史料館サイトトップにある、VRミュージアムからも見ることができます。
●VRで館内に入り、大きく引き伸ばされて展示された航路図の前に立つと、蒸気河岸に就航していた2船社のことから、“川蒸気通勤”をしていた周五郎の通勤経路まで、詳しい解説が付され「さすがデータバンク!」と唸るとともに、大いに喜んだものでした。
“水路文学”と自分で勝手に分類している「青べか」なかりせば、このご縁もなかったことでしょう。お声がけいただき、ありがとうございました! VRで拝見しても楽しいものでしたが、近々足を運んでこの目で拝見したく思っています。

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●お声がけいただいたのは2月で、大好きな「青べか物語」(参考:過去ログ「映画『青べか物語』を見て」)の周五郎先生の足跡をたどる企画展とうかがい、少しでもお役に立てればと、提供させていただくことにしました。なお展示の様子は、上掲の史料館サイトトップにある、VRミュージアムからも見ることができます。
●VRで館内に入り、大きく引き伸ばされて展示された航路図の前に立つと、蒸気河岸に就航していた2船社のことから、“川蒸気通勤”をしていた周五郎の通勤経路まで、詳しい解説が付され「さすがデータバンク!」と唸るとともに、大いに喜んだものでした。
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タグ : 川蒸気船東京通運帝国データバンク史料館
錦絵の中の通運丸

●東京名所之内兩國𣘺大花火之真圖
3枚組錦絵、豊原周春画、明治20年発行。「アサクサ区駒形丁四十二バンチ 画工〇(不明)出版人 児玉又七」の表記あり
●他所では簡単に紹介したことがありますが、こちらでは初めてと思います。隅田川、両国の花火見物に繰り出した人々や川船たちを描写した大判の錦絵で、汽船原発場や通運丸も絵柄の一部に取り込まれていることから、明治の河川舟運を題材にした史料として知られているもの。
たびたび触れている関東川蒸気船のエンサイクロペディア、「図説 川の上の近代」にも収録されているので、ご存じの方も多いでしょう。
●入手して4年ほど経つでしょうか、傷まないようすぐに額装を依頼したので、正確な寸法を測っておけばよかったと後悔したものの、時すでに遅し。貼り込み時のズレもあるでしょうからおおよそですが、710×360㎜くらいと思われます。
有名な錦絵が縁あって手元に来た喜び、それは例えようのないもので、花火の破裂音や橋上を埋める人々(落橋しないか心配になるレベルですが)の歓声、川面を埋めるフネブネの艪音や、豪壮な屋形船の弦歌さんざめくさままで、夜の川面の賑わいが聞こえてきそうな生き生きとした描写に、陶然と見入ったものでした。

●初号船の就航から10年、大川筋の華だった通運丸も、舷を触れんばかりに繰り出した和船群に囲まれては、モブシーンの一キャラクターといったところ。
モディファイの度合いも激しく、極端に寸詰められた丸っこい姿は、チョロQやたまご飛行機といった、ショーティーモデルを思い起こさせるものが。どこか可愛らしくて、決して嫌いではありません。ぬいぐるみが欲しくなりますね!
●ちょっと首をかしげてしまうのは、左が上流で船首、キセル型ベンチレーターとも左を向いているのに、2本出ている錨綱は船尾のみであること。“モブキャラ”(笑)扱いだけに、このあたりの描写も少々、アバウトに済まされたといったところでしょうか。
まあ、ショーティーモデル風についていうなら、周りに浮かぶ和船たちも、全体的に寸詰まりに描かれているものが多いので、豊原周春の画風というものなのかもしれません。

●通運丸の扱いはさておき、史料としてこれは、と注目される描き込みがなされているあたり、興味を惹かれるものが。画面やや左手、レンガの洋館に隣接したあたりに立つ一本の角柱。「郵便御用通運丸定繋杭」、と、はっきり描き込まれているのです。
単なる民間事業でなく、お上の御用であるぞ、というあたりをアピールしているのか、それとも役所から指示があっての、法定表記みたいな設置なのか‥‥。
●その右下には「EE通EE」と書かれた、このころの内国通運の旗も見えますね。Eはエクスプレスの意で、通運丸も略同のものを掲げていたはずです。Eの数は用途や時代によってまちまちで、「通」の両側に1つづつから、分社旗などシンメトリカル(つまり左側はヨ)に5つづつもズラリと並べたものもあり、バリエーションに富んでいました。
頂部に風見鶏の方位針のような、真鍮の装飾が設けられたハイカラな塔屋は、原発場の建物ですね。以前紹介した錦絵(『通運丸の複製錦絵から始まる興味深いあれこれ』参照)にも描かれています。この当時の写真があったら、描写の精度を見くらべてみたいものです。

●そうそう、先日アップした記事、「川蒸気船の絵葉書5題」で色褪せた台紙貼り写真「東京兩國橋」を紹介しましたが、一つ書き忘れたことがありまして‥‥今回の錦絵にも関連するので、ここで補足します。
左端に見える角材の構造物、どう見ても洋式木造橋の親柱で、相応に丁寧でしっかりとした造りです。少なくとも岸辺の柵や桟橋の手すりみたいな、簡素なものではありませんよね。
「明治の初めには、ここにも入堀か小河川の落とし口があったのかなあ‥‥」と、もやもやと想像するのみでしたが、ふと思い当たるところがあって、額装した錦絵を改めて眺めてみたのでした。

●写真の橋があった! 右下の隅、端っこも端っこで、手前は紫色をしたカスミ様の何かに隠されてしまっていますが、確かに洋式木造の小橋梁が描かれていたのです!
写真の撮影時からおよそ10年以上を経て、水際も恐らく石垣などで護岸され、土盛りもなされたのでしょう、橋詰から河畔側へはみ出す形で、家屋が建てられています。汽船原発場ができたことで、このあたりも整地、開発がなされたことが感じられ、興趣大いに深まったことではありました。

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コミック上で川蒸気が大活躍! 「ゴールデンカムイ」24巻
●昨年4月のことです。ツイッターのこちらのスレッドで、y2_naranja氏にコミック「ゴールデンカムイ」(野田サトル・集英社)で、石狩川にかつて就航していた川蒸気船・上川丸が登場しているシーンのあることを教えていただきました(ありがとうございました!)。
「ゴールデンカムイ」を読んだことはありませんでしたが、明治時代の北方文化や民俗の描写が精緻かつ、ストーリーも巧みなことで高く評価されている方も少なくないこと、ウェブ上でもたびたび話題になっていることは知っていました。
●コミックに川蒸気が登場するのは、恐らく初めてのこととあって、川蒸気ファンとしていてもたってもいられなくなったことは、いうまでもありません。まず検索してみると、「ゴールデンカムイ上川丸と江別港を見に聖地巡礼!チョウザメが沢山いる?北海道江別市!」(江別・野幌情報ナビ えべナビ)に、当該234話の数コマが掲載されているのを発見。
まあ、感動しましたよ。素晴らしい! この数コマを拝見しただけでも、恐らく当地を訪ねてきちんと取材され、川蒸気を理解したうえで描かれていることが感じられました。レプリカの存在も、正確な描写に大いに力があったのはいうまでもありますまい。
即断で既刊のコミック全巻を購入、「ゴールデンカムイ」の世界に肩まで浸かりながら、234話の収録されたコミック、24巻の発売を心待ちにしたのであります。

●さて、12月も後半となり、待ちに待った24巻を発売と同時に横っ飛びに入手。さっそく拝読してみると‥‥。
アイヌの宝の手掛かりを探して旅をしてきた杉元、アシリパ、白石の3人は、白石の提案でぬかるんだ陸路を避け、川蒸気・上川丸に乗って江別まで下ることに。
ここで、樺戸監獄への交通確保のため航路が設けられたこと、囚人が石狩川の航路整備に駆り出されたことを、白石が解説してくれるのは「もと囚人だから、そのくらい知っててもおかしくないな」と思えるのですが、次のセリフ、
●「外輪式蒸気船は両側の水車で水面を掻いて進むから スクリュー船と違って浅い川とかで走るのにいいのよ」
脱獄王のくせに何でそんなにフネに詳しいんだ白石。
艀を曳いて石狩川を下る上川丸のゆく手に、2隻の小型和船が。船長は船の乗っ取りをたくらむ賊と判断、舵さばきで一艘を蹴散らしたのはいいものの、残ったもう一艘から杉元らの探していた刺青のあるもと囚人、海賊房太郎が乗り込んできて船を乗っ取られ、海賊一味と船員、拳銃を持った老郵便配達夫もまじえての大乱闘に。
●この下りの見せ場は、兵士を乗せた行逢船「神山丸」(フィクション)とのチェイスシーン。発砲音に気づいた兵士が、神山丸を後進させて上川丸を追跡し始めます。
それに気づいた賊・海賊房太郎、船長を押しのけ上川丸の舵輪を自ら握って、初めてとは思えない見事な舵さばきで、神山丸の外輪に捨て身の体当たり! 行動不能に追い込んで逃走に成功します。
●あまりストーリーを垂れ流すと差しさわりがあるので、ここまでに留めておきますが、急転舵で突入する上川丸の航跡、外輪から上がった水しぶきが2条、白く描かれているあたり、まことに見事としかいいようがありません。
ストーリーの流れの上での舞台の一つに過ぎないとはいえ、船のディテールや船内の様子、外輪の動きなどなど、ファンの目から見ても満足のいく描写で、きしみ、のたうつ船体の悲鳴や、外輪の打つ水音が聞こえてくるようです。このシーンのもう一つの主役は川蒸気、といっていい過ぎでないと思えるくらい。野田サトル先生の観察眼と想像力、筆力に、改めて感服した次第です。
●そして何より、川蒸気が恐らく初登場したコミックで、これだけの活躍の場を与えられたことを、大いに喜びたいと思います。舞台となったことで、上川丸だけでなく、川蒸気そのものへの関心も高まることも期待したいもの。ご興味のある向き、ぜひご一読を勧めします。
●なお実物の上川丸については、弊ブログの過去記事「上川丸の絵葉書が!」もご参照ください。
ちなみに石狩川の汽船航路の経営はきわめて苦しく、船社は4回もの変遷を経たのち、日露戦争直前の明治35(1902)年からは、国からの補助金により民間の受命者が運航を委託される、「命令航路石狩川線」となりました。舞台となった明治末の石狩川航路は、いわばほぼ国によって維持されていた時期にあたります。

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「ゴールデンカムイ」を読んだことはありませんでしたが、明治時代の北方文化や民俗の描写が精緻かつ、ストーリーも巧みなことで高く評価されている方も少なくないこと、ウェブ上でもたびたび話題になっていることは知っていました。
●コミックに川蒸気が登場するのは、恐らく初めてのこととあって、川蒸気ファンとしていてもたってもいられなくなったことは、いうまでもありません。まず検索してみると、「ゴールデンカムイ上川丸と江別港を見に聖地巡礼!チョウザメが沢山いる?北海道江別市!」(江別・野幌情報ナビ えべナビ)に、当該234話の数コマが掲載されているのを発見。
まあ、感動しましたよ。素晴らしい! この数コマを拝見しただけでも、恐らく当地を訪ねてきちんと取材され、川蒸気を理解したうえで描かれていることが感じられました。レプリカの存在も、正確な描写に大いに力があったのはいうまでもありますまい。
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●さて、12月も後半となり、待ちに待った24巻を発売と同時に横っ飛びに入手。さっそく拝読してみると‥‥。
アイヌの宝の手掛かりを探して旅をしてきた杉元、アシリパ、白石の3人は、白石の提案でぬかるんだ陸路を避け、川蒸気・上川丸に乗って江別まで下ることに。
ここで、樺戸監獄への交通確保のため航路が設けられたこと、囚人が石狩川の航路整備に駆り出されたことを、白石が解説してくれるのは「もと囚人だから、そのくらい知っててもおかしくないな」と思えるのですが、次のセリフ、
●「外輪式蒸気船は両側の水車で水面を掻いて進むから スクリュー船と違って浅い川とかで走るのにいいのよ」
脱獄王のくせに何でそんなにフネに詳しいんだ白石。
艀を曳いて石狩川を下る上川丸のゆく手に、2隻の小型和船が。船長は船の乗っ取りをたくらむ賊と判断、舵さばきで一艘を蹴散らしたのはいいものの、残ったもう一艘から杉元らの探していた刺青のあるもと囚人、海賊房太郎が乗り込んできて船を乗っ取られ、海賊一味と船員、拳銃を持った老郵便配達夫もまじえての大乱闘に。

それに気づいた賊・海賊房太郎、船長を押しのけ上川丸の舵輪を自ら握って、初めてとは思えない見事な舵さばきで、神山丸の外輪に捨て身の体当たり! 行動不能に追い込んで逃走に成功します。
●あまりストーリーを垂れ流すと差しさわりがあるので、ここまでに留めておきますが、急転舵で突入する上川丸の航跡、外輪から上がった水しぶきが2条、白く描かれているあたり、まことに見事としかいいようがありません。
ストーリーの流れの上での舞台の一つに過ぎないとはいえ、船のディテールや船内の様子、外輪の動きなどなど、ファンの目から見ても満足のいく描写で、きしみ、のたうつ船体の悲鳴や、外輪の打つ水音が聞こえてくるようです。このシーンのもう一つの主役は川蒸気、といっていい過ぎでないと思えるくらい。野田サトル先生の観察眼と想像力、筆力に、改めて感服した次第です。
●そして何より、川蒸気が恐らく初登場したコミックで、これだけの活躍の場を与えられたことを、大いに喜びたいと思います。舞台となったことで、上川丸だけでなく、川蒸気そのものへの関心も高まることも期待したいもの。ご興味のある向き、ぜひご一読を勧めします。
●なお実物の上川丸については、弊ブログの過去記事「上川丸の絵葉書が!」もご参照ください。
ちなみに石狩川の汽船航路の経営はきわめて苦しく、船社は4回もの変遷を経たのち、日露戦争直前の明治35(1902)年からは、国からの補助金により民間の受命者が運航を委託される、「命令航路石狩川線」となりました。舞台となった明治末の石狩川航路は、いわばほぼ国によって維持されていた時期にあたります。

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