川口川閘門、稼働中!
●以前入手した昔の絵葉書の中に、とても興味深いものがあったので紹介させてください。
土浦の川口川閘門‥‥すでに「土浦のマイタゲートと川口港」で竣工当時のものと思われる絵葉書を、また「土浦再訪…1」では保存されている扉体と排水ポンプに触れた、明治39年竣工のマイタゲート水門です。過去の記事の繰り返しになりますが、閘門を名乗ってはいるものの、実態は一対の扉体で構成された逆水防止水門で、閘門機能はありません。

●土浦閘門排水の景其一・其二
宛名・通信欄の仕切り線なし、裏面に「土浦知久製」の銘あり。
●ご覧のとおり、二枚組で絵柄を連続させた撮り方をしており、「疑似パノラマ写真」になっているのがまず目を引きます。しかし、何より珍しく思えるのは、水門が実際に増水を防ぎ、堤内地を今まさに守っているさま‥‥いわば稼働中の水門を、記録している写真だということ!
ある意味、少なくない費用を投じて建造した水防施設が、こんなにも役に立つ、ということを人々に知らしめる効果を狙った感もなくはないものの、趣味的に見て興味深いシーンを記録してくれた当時の人には、感謝のほかありません。例によってディテールを堪能してみましょう。

●まずは扉体から。閉鎖された状態を見るのはもちろん初めてで、側壁に見える石材の積み方のパターンや、扉体の軸の形状などが観察できますが、目を引くのは扉体を開閉するラックでしょう。
弧状で細い割に長さがあり、自重でヘニョッといってしまわないか心配になるほどですね。扉体についた湛水線は、水がすでに引きつつあることを示しています。

●この仮設された排水ポンプと思しきものにも、大いに興味をそそられますね。棒材やトタン板、ムシロまで動員して、頑丈そうに小屋組みをしているところを見ると、すでに降雨時から準備されて、内水排除を続けていたのかもしれません。人々やムシロの影に隠れて、機械が見えないのがちょっと残念ですが、煙突の長さからボイラーは横型のようです。プーリーやベルトがちらっと見えることから、ポンプ自体は小屋の右手にあるようですね。
「土浦再訪…1」でも説明板にあったとおり、ポンプが常設されたのは水門竣工よりだいぶ下って、昭和13年とのことでしたから、それ以前はこのように豪雨や出水のあるたび、ポンプを仮設して対処していたのでしょう。

●小屋を貫通して設けられた木樋は左手、葉書「其二」の石垣護岸まで導かれ、水面近くまで伸ばした先から水を勢いよく吐き出しています。水流に手を突っ込んでいる子供がいたりして、何とも微笑ましいですね。
いや、それにとどまらず、水門やポンプの周囲が多くの見物人で賑わうさま、まるで縁日のようで楽しくなってきます。おそらく台風一過でホッとしたところで、晴れ渡って泥んこの道も乾いてきたことだしと、珍しいポンプ見物に繰り出したといったところでしょう。明治末の風俗の記録にもなっていて、一人一人の仕草や服装を拾ってゆくのも楽しいものです。
●なお、二枚とも裏面には宛名・通信欄の仕切り線がなく、そのまま解釈すれば推定発行年代は明治33年~明治40年3月となりますが、印刷ミスであることも考えられ、この点は保留にしておきたいと思います。土浦市の水害や水防活動の記録をたどれれば、あるいは撮影年が判明するかもしれませんが。

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土浦の川口川閘門‥‥すでに「土浦のマイタゲートと川口港」で竣工当時のものと思われる絵葉書を、また「土浦再訪…1」では保存されている扉体と排水ポンプに触れた、明治39年竣工のマイタゲート水門です。過去の記事の繰り返しになりますが、閘門を名乗ってはいるものの、実態は一対の扉体で構成された逆水防止水門で、閘門機能はありません。

●土浦閘門排水の景其一・其二
宛名・通信欄の仕切り線なし、裏面に「土浦知久製」の銘あり。
●ご覧のとおり、二枚組で絵柄を連続させた撮り方をしており、「疑似パノラマ写真」になっているのがまず目を引きます。しかし、何より珍しく思えるのは、水門が実際に増水を防ぎ、堤内地を今まさに守っているさま‥‥いわば稼働中の水門を、記録している写真だということ!
ある意味、少なくない費用を投じて建造した水防施設が、こんなにも役に立つ、ということを人々に知らしめる効果を狙った感もなくはないものの、趣味的に見て興味深いシーンを記録してくれた当時の人には、感謝のほかありません。例によってディテールを堪能してみましょう。

●まずは扉体から。閉鎖された状態を見るのはもちろん初めてで、側壁に見える石材の積み方のパターンや、扉体の軸の形状などが観察できますが、目を引くのは扉体を開閉するラックでしょう。
弧状で細い割に長さがあり、自重でヘニョッといってしまわないか心配になるほどですね。扉体についた湛水線は、水がすでに引きつつあることを示しています。

●この仮設された排水ポンプと思しきものにも、大いに興味をそそられますね。棒材やトタン板、ムシロまで動員して、頑丈そうに小屋組みをしているところを見ると、すでに降雨時から準備されて、内水排除を続けていたのかもしれません。人々やムシロの影に隠れて、機械が見えないのがちょっと残念ですが、煙突の長さからボイラーは横型のようです。プーリーやベルトがちらっと見えることから、ポンプ自体は小屋の右手にあるようですね。
「土浦再訪…1」でも説明板にあったとおり、ポンプが常設されたのは水門竣工よりだいぶ下って、昭和13年とのことでしたから、それ以前はこのように豪雨や出水のあるたび、ポンプを仮設して対処していたのでしょう。

●小屋を貫通して設けられた木樋は左手、葉書「其二」の石垣護岸まで導かれ、水面近くまで伸ばした先から水を勢いよく吐き出しています。水流に手を突っ込んでいる子供がいたりして、何とも微笑ましいですね。
いや、それにとどまらず、水門やポンプの周囲が多くの見物人で賑わうさま、まるで縁日のようで楽しくなってきます。おそらく台風一過でホッとしたところで、晴れ渡って泥んこの道も乾いてきたことだしと、珍しいポンプ見物に繰り出したといったところでしょう。明治末の風俗の記録にもなっていて、一人一人の仕草や服装を拾ってゆくのも楽しいものです。
●なお、二枚とも裏面には宛名・通信欄の仕切り線がなく、そのまま解釈すれば推定発行年代は明治33年~明治40年3月となりますが、印刷ミスであることも考えられ、この点は保留にしておきたいと思います。土浦市の水害や水防活動の記録をたどれれば、あるいは撮影年が判明するかもしれませんが。

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土浦再訪…1

幸い、穏やかで気持ちのよい秋晴れに恵まれて、水運に関連するもの以外にも、さまざまな興味深い物件に出会うとことができ、楽しめました。
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