庄川峡の船旅…10
(『庄川峡の船旅…9』のつづき)


●「庄川峽遊覧」
460mm×148mm 発行者:庄川水力電氣株式會社
昭和5~8年の発行と推定
●小牧ダム竣工間もないころの、観光案内を見てみましょう。上が表紙・裏表紙と鳥瞰図のある表面、下が見どころの写真と解説を載せた裏面です。
ちなみに推定発行年を昭和5~8年としたのは、昭和8年に落橋した仙納原大橋の写真が、裏面に掲載されていたことからです(『庄川峡の船旅…5』参照)。
●鳥瞰図では、石動から福野を経て小牧に至る庄川水電鉄道、小牧~大牧~祖山の航路を中心とした景勝や観光名所が示され、色彩的にも美しく眺めていて楽しいもの。
裏面も、大牧温泉の外観と大浴場の写真が目を引かれます。建物は改築されても、この当時の雰囲気を受け継いだことがうかがえますね。大浴場は、水面に近い半地下式に造られた、窓の大きいいかにも眺めがよさそうなものですが、残念ながら現存していません。
●さて、裏面の案内を読み下していて、大いに気になった部分が2点ありました。一つは、本文左「庄川峽案内」の19行目、「祖山より更に巡航船にて奥の仙境五ヶ山を探勝し」‥‥えっ、祖山ダム上流にもかつて航路があった? これは気になりますね。今のところ資料がないので、今後の宿題とさせていただきましょう。
二つ目はお詫びも兼ねて。「千願瀧」の項、「小牧、大牧間の中程下原橋附近に在り」鳥瞰図と照らしてみると‥‥二本目の吊橋あたり。あっ、これはもしかして、長崎大橋(『庄川峡の船旅…6』)の東詰に遺構があった吊橋? 申しわけありません、よく読んでいませんでした。お詫びして後ほど追記・訂正します。
●以下、帰路のスナップを。上流側から眺めた大牧発電所。山肌に伸びゆく水圧鉄管の様子、狭い谷の出口に造られたことがわかる角度。
濃厚な緑に囲まれ、陽に輝いているさまは実にのどかで、改めて箱庭チックというか、浮世離れした雰囲気を感じさせたものでした。
●大牧発電所の下流西岸に見えた、国道156号線の橋。航路沿岸の国道では唯一大型の橋で、格好のよいラーメン橋ということもあり、やはり目を引かれました。
「川の名前を調べる地図」によると、駈足谷橋というそう。廃橋も含め橋見物の見どころが結構あって、その筋の愛好家には楽しい航路ではあります。

●小牧港着桟の直前にとらえた、「やまぶき」の航行シーン。我々の「クルーズ庄川」が出た少し後に、団体さんを乗せて長崎大橋一周コースに出発したのです。
帰路、長崎大橋上流で回頭しているところが見え(29年10~12月のご案内画像参照)、その後はずっと間合いを取りながら、航跡を追う形で小牧まで来たのでした。あっ、左奥のダム堤体に見える錆色のカゴみたいなの、かつてあったインクライン式魚道の搬器かしら?
(29年9月24日撮影)
(『松川と彼岸花』につづく)

にほんブログ村


●「庄川峽遊覧」
460mm×148mm 発行者:庄川水力電氣株式會社
昭和5~8年の発行と推定
●小牧ダム竣工間もないころの、観光案内を見てみましょう。上が表紙・裏表紙と鳥瞰図のある表面、下が見どころの写真と解説を載せた裏面です。
ちなみに推定発行年を昭和5~8年としたのは、昭和8年に落橋した仙納原大橋の写真が、裏面に掲載されていたことからです(『庄川峡の船旅…5』参照)。
●鳥瞰図では、石動から福野を経て小牧に至る庄川水電鉄道、小牧~大牧~祖山の航路を中心とした景勝や観光名所が示され、色彩的にも美しく眺めていて楽しいもの。
裏面も、大牧温泉の外観と大浴場の写真が目を引かれます。建物は改築されても、この当時の雰囲気を受け継いだことがうかがえますね。大浴場は、水面に近い半地下式に造られた、窓の大きいいかにも眺めがよさそうなものですが、残念ながら現存していません。
●さて、裏面の案内を読み下していて、大いに気になった部分が2点ありました。一つは、本文左「庄川峽案内」の19行目、「祖山より更に巡航船にて奥の仙境五ヶ山を探勝し」‥‥えっ、祖山ダム上流にもかつて航路があった? これは気になりますね。今のところ資料がないので、今後の宿題とさせていただきましょう。
二つ目はお詫びも兼ねて。「千願瀧」の項、「小牧、大牧間の中程下原橋附近に在り」鳥瞰図と照らしてみると‥‥二本目の吊橋あたり。あっ、これはもしかして、長崎大橋(『庄川峡の船旅…6』)の東詰に遺構があった吊橋? 申しわけありません、よく読んでいませんでした。お詫びして後ほど追記・訂正します。

濃厚な緑に囲まれ、陽に輝いているさまは実にのどかで、改めて箱庭チックというか、浮世離れした雰囲気を感じさせたものでした。

「川の名前を調べる地図」によると、駈足谷橋というそう。廃橋も含め橋見物の見どころが結構あって、その筋の愛好家には楽しい航路ではあります。

●小牧港着桟の直前にとらえた、「やまぶき」の航行シーン。我々の「クルーズ庄川」が出た少し後に、団体さんを乗せて長崎大橋一周コースに出発したのです。
帰路、長崎大橋上流で回頭しているところが見え(29年10~12月のご案内画像参照)、その後はずっと間合いを取りながら、航跡を追う形で小牧まで来たのでした。あっ、左奥のダム堤体に見える錆色のカゴみたいなの、かつてあったインクライン式魚道の搬器かしら?
(29年9月24日撮影)
(『松川と彼岸花』につづく)

にほんブログ村
庄川峡の船旅…5
(『庄川峡の船旅…4』のつづき)
●船が進むにつれて、上流側の側面が見えてきました。下流側からだと、木々に埋もれているのと、逆光も手伝ってディテールが楽しめず、主塔の陸側にある桁の様子もわからなかったので、目を皿にして観察。
むう、こちらも光の加減がよくないか‥‥。しかし、主塔の間から、路面に生えた草がもりもりはみ出ているな。植物にとって、よほど環境がよいようだと、妙なところで感心していると‥‥。

●船がさらに進み、順光になった瞬間、驚くとともにようやく思い出したのです。
陸側の径間がRCアーチ! ‥‥あっ、この橋、「山さ行がねが」のヨッキれん氏が探検した橋だ!
興味深い廃橋探訪の様子は、「双竜湖(小牧ダム)に架かる巨大廃橋(跡) 序」以下のシリーズをご覧ください。というわけで、橋の名前は利賀(とが)大橋。アーチの魅力は絶大で、ヨッキ氏が惚れ込んだのもうなずけるものがありますね。

●岬の突端を回り切ったところで、アーチをズームでたぐって。「双竜湖(小牧ダム)に架かる巨大廃橋(跡) 後編」で、ヨッキ氏が主塔基部の張り出しに身を曝すという、危険を冒しても眺めるだけの価値を認めた、優美なアーチの曲線! それを安全な船上から、ほしいままに見られる嬉しさと、後ろめたさ。
高欄が少し苔生し、路面にみっちり草がそよいでいるほかは、意外ときれいなコンクリートの肌。このまま整備して、川面を眺める展望台にしてもいいくらいだと思えました。

●ここで、観光パンフレット「庄川峡遊覧」(後ほど紹介します)より、当時の写真をご覧にいれます。
とはいっても、写真は利賀大橋ではなく、ヨッキ氏が「双竜湖(小牧ダム)に架かる巨大廃橋(跡) 歴史編」で調査結果を述べておられるように、昭和8年に突風で落橋した先代橋、「仙納原大橋」を写したものでした。昭和12年に竣工した利賀大橋も、最後は火災によって失われたそうですから、架橋地点としては、微妙にツキがなかったのかも知れません。
●いや~、「船でしか行けない温泉」ならぬ、「(ほぼ)船からしか見られない遺構」、堪能させていただきました! 庄川遊覧船とも縁浅からぬ間柄の廃橋ですから、観光パンフレットなどでの案内も欲しいところ。(Googleマップには、西側主塔跡が観光名所として記載されていました)
旧利賀大橋が、屈曲の向こうに見えなくなったあたりで振り返って。山間ますます深く、緑ますます濃く。次は何が出てくるでしょう?
【撮影地点のMapion地図】
(29年9月24日撮影)
(『庄川峡の船旅…6』につづく)

にほんブログ村

むう、こちらも光の加減がよくないか‥‥。しかし、主塔の間から、路面に生えた草がもりもりはみ出ているな。植物にとって、よほど環境がよいようだと、妙なところで感心していると‥‥。

●船がさらに進み、順光になった瞬間、驚くとともにようやく思い出したのです。
陸側の径間がRCアーチ! ‥‥あっ、この橋、「山さ行がねが」のヨッキれん氏が探検した橋だ!
興味深い廃橋探訪の様子は、「双竜湖(小牧ダム)に架かる巨大廃橋(跡) 序」以下のシリーズをご覧ください。というわけで、橋の名前は利賀(とが)大橋。アーチの魅力は絶大で、ヨッキ氏が惚れ込んだのもうなずけるものがありますね。

●岬の突端を回り切ったところで、アーチをズームでたぐって。「双竜湖(小牧ダム)に架かる巨大廃橋(跡) 後編」で、ヨッキ氏が主塔基部の張り出しに身を曝すという、危険を冒しても眺めるだけの価値を認めた、優美なアーチの曲線! それを安全な船上から、ほしいままに見られる嬉しさと、後ろめたさ。
高欄が少し苔生し、路面にみっちり草がそよいでいるほかは、意外ときれいなコンクリートの肌。このまま整備して、川面を眺める展望台にしてもいいくらいだと思えました。

●ここで、観光パンフレット「庄川峡遊覧」(後ほど紹介します)より、当時の写真をご覧にいれます。
とはいっても、写真は利賀大橋ではなく、ヨッキ氏が「双竜湖(小牧ダム)に架かる巨大廃橋(跡) 歴史編」で調査結果を述べておられるように、昭和8年に突風で落橋した先代橋、「仙納原大橋」を写したものでした。昭和12年に竣工した利賀大橋も、最後は火災によって失われたそうですから、架橋地点としては、微妙にツキがなかったのかも知れません。

旧利賀大橋が、屈曲の向こうに見えなくなったあたりで振り返って。山間ますます深く、緑ますます濃く。次は何が出てくるでしょう?
【撮影地点のMapion地図】
(29年9月24日撮影)
(『庄川峡の船旅…6』につづく)

にほんブログ村
庄川峡の船旅…3
(『庄川峡の船旅…2』のつづき)

●(庄川峡)漫々たる碧流を水鳥のごとく快走する遊覧船
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行(昭和10年8月27日の記念印あり)。
●前々回に紹介した「庄川流材写真」にも出ていますが、ダム竣工間もないころに活躍していた船影を絵葉書で見てみましょう。上流側から見た小牧港の光景、4隻の船が写っていますが、少なくとも手前の2隻は略同型で、曳船タイプなのがわかります。
上流で集められた原木を筏に組み、あるいは艀に載せて連ね、堰堤のチェーンコンベアまで曳いてくる仕事は、原木業者に対する補償の一環でもありましたから、現在と異なり、曳船タイプで数を揃えたのはうなずけるところであります。
船橋の後ろにオーニングを張って客扱いをしているさま、夏は涼しげでよいですが、甲板室の狭さから考えると、収容力は限定的だったことと思います。また煙突の白線の数で、船の通番を判別していたらしいこともうかがえますね。桟橋のポンツン、四角い台船でなく、船首尾のある艀を利用しているあたりも面白いものが。
●遠ざかりゆく小牧ダムのゲートたちを、振りかえって一枚。2本のワイヤーで操作される黒いラジアルゲートが並ぶさま、昭和初期竣工のダムらしい、風格に満ちた眺め。
落差75m、竣工当時は国内に比類なき大型ダムとして威容を誇ったここも、今や90歳になんなんとする高齢。河川用ダムとしては初めて、登録有形文化財に指定されたのも納得できます。

●前方に目を転じれば、光に満ちた谷間の向こうへ羊腸と続く川面! 山並を縫って分け入ってゆく面白さ、ダム湖の河川ならではの醍醐味といえるでしょう。
しかも、一周して元の場所にただ戻る(我々は大牧で降りずに戻ってくるのですが)のでなく、目的地を目指して文字どおり遡上する、立派な河川航路なわけですから、興趣いや増そうというものです。
●進行方向右手を、見え隠れしつつ国道156号線・飛騨峡合掌ラインが通っているのですが、まず目を奪われたのがここです。
分厚いロックシェッドに、浅い谷を短い桟道で渡る区間に設けられた、それを支える堅牢そのもののラーメン構造‥‥。ここに道を通すことの難しさと、環境の厳しさが感じられる眺めでした。

●上流へ続く区間も同じく、ごくわずかな地上部分も落石防止の柵や壁で手当てされ、ほとんどをロックシェッドで覆われた、風光を愛でることすらままならない構造。
岩勢荒々しく、また崩壊防止の工作を施された山肌は、船から見てこそ興味深いものですが、道路にとっては難物以外の何物でもない地勢であることが、ひしひしと迫ってくる川景色ではありました。
(29年9月24日撮影)
(『庄川峡の船旅…4』につづく)

にほんブログ村

●(庄川峡)漫々たる碧流を水鳥のごとく快走する遊覧船
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行(昭和10年8月27日の記念印あり)。
●前々回に紹介した「庄川流材写真」にも出ていますが、ダム竣工間もないころに活躍していた船影を絵葉書で見てみましょう。上流側から見た小牧港の光景、4隻の船が写っていますが、少なくとも手前の2隻は略同型で、曳船タイプなのがわかります。
上流で集められた原木を筏に組み、あるいは艀に載せて連ね、堰堤のチェーンコンベアまで曳いてくる仕事は、原木業者に対する補償の一環でもありましたから、現在と異なり、曳船タイプで数を揃えたのはうなずけるところであります。
船橋の後ろにオーニングを張って客扱いをしているさま、夏は涼しげでよいですが、甲板室の狭さから考えると、収容力は限定的だったことと思います。また煙突の白線の数で、船の通番を判別していたらしいこともうかがえますね。桟橋のポンツン、四角い台船でなく、船首尾のある艀を利用しているあたりも面白いものが。

落差75m、竣工当時は国内に比類なき大型ダムとして威容を誇ったここも、今や90歳になんなんとする高齢。河川用ダムとしては初めて、登録有形文化財に指定されたのも納得できます。

●前方に目を転じれば、光に満ちた谷間の向こうへ羊腸と続く川面! 山並を縫って分け入ってゆく面白さ、ダム湖の河川ならではの醍醐味といえるでしょう。
しかも、一周して元の場所にただ戻る(我々は大牧で降りずに戻ってくるのですが)のでなく、目的地を目指して文字どおり遡上する、立派な河川航路なわけですから、興趣いや増そうというものです。

分厚いロックシェッドに、浅い谷を短い桟道で渡る区間に設けられた、それを支える堅牢そのもののラーメン構造‥‥。ここに道を通すことの難しさと、環境の厳しさが感じられる眺めでした。

●上流へ続く区間も同じく、ごくわずかな地上部分も落石防止の柵や壁で手当てされ、ほとんどをロックシェッドで覆われた、風光を愛でることすらままならない構造。
岩勢荒々しく、また崩壊防止の工作を施された山肌は、船から見てこそ興味深いものですが、道路にとっては難物以外の何物でもない地勢であることが、ひしひしと迫ってくる川景色ではありました。
(29年9月24日撮影)
(『庄川峡の船旅…4』につづく)

にほんブログ村
庄川峡の船旅…1
(『庄川峡の船旅…0』のつづき)

●すみませんまだ船に乗っていません(涙)。
で、「駅舎」の中に入ってみると、いやもうまごうかたなき昔の駅舎そのもの! 出札口はもとより、手荷物扱い口っぽい木枠の窓口、年季の入った木製ベンチ、おまけに改札のラッチまである! この「駅舎」の設計を任された人は、鉄道出身だったのでしょうか。
造作こそ時代を感じさせるものの、什器や看板類に至るまでくたびれたところがなく、美しく整えられている点は外見と同様で、ここで働く方々の心意気を見たような気がしたものです。
●改札と反対側の壁沿いには、小牧ダム建設の様子から浅野総一郎はじめ関連人物、当時の庄川水電専用鉄道による木材輸送や、昭和一桁の大牧温泉など古写真が展示され、興味深く拝見。昭和5年竣工の歴史を感じさせます。
小牧ダムといえば避けて通れないのが、写真の解説でも触れられている「庄川流木争議」でしょう。
●原木の流下に庄川を利用していた、木材業者および流域各村と電源会社の間に、訴訟から果ては数々の実力行使に至るまで、8年余に渡って続いた係争です。
庄川遊覧船が産まれるに至った理由も、この争議と決して無縁でない部分もあり、興味深くはあるのですのが、ウェブ上にもこれについて詳しく述べたサイトがいくつかありますので、そちらに譲らせていただきましょう。個人的にお勧めしたいのは「庄川水力電気専用鉄道の成立と変遷 --庄川流木争議の一断面 --」(となみ野.jp)です。

●「駅舎」からいったん外に出て、庄川の水面を初見。好天とあって、山肌の緑に抜けるような青空、波一つない水面と実にきれい。奥に見えるのが堰堤です。
左手に写ったインクラインは‥‥。一瞬、鹿瀬ダムのアレみたいに、堰堤を超越する軌道の跡かしら? と期待させるような光景ですが、残念ながら舟航用インクラインはありませんでした(エレベーター魚道という、変わった設備はかつてありましたが)。これは単なる、遊覧船の上架用設備です。
●こちらはホンモノの遺構で、原木を引き揚げていたチェーンコンベアの斜路の跡。こちら側のみ残っており、堰堤の下流側は撤去されています。
運用されていたころの様子は、「庄川流材写真」(『庄川・小坂・黒部川第二発電所-石井頴一郎旧蔵写真集-』土木学会付属土木図書館)に、素晴らしい写真が多数掲載されています。ぜひご覧ください。

●(越中 庄川峡)小牧堰堤と牛ヶ嶽スキー塲遠望
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。
●ここで手持ちの絵葉書の中から、竣工間もないころの小牧ダムの姿を写したものを。多数の径間から放水中の豪放かつ美しい眺め。
手前右手に線路が見えますね。ダム竣工後は先のコンベアで降ろした木材輸送と、湯治や観光客のために客扱いもしたそうですが、昭和14年に廃止されたとのこと。現存していれば、井川線や黒部峡谷線のように、渓谷美が堪能できる路線になったことと思いますが、惜しいことではありました。
(29年9月24日撮影)
(『庄川峡の船旅…2』につづく)

にほんブログ村

●すみませんまだ船に乗っていません(涙)。
で、「駅舎」の中に入ってみると、いやもうまごうかたなき昔の駅舎そのもの! 出札口はもとより、手荷物扱い口っぽい木枠の窓口、年季の入った木製ベンチ、おまけに改札のラッチまである! この「駅舎」の設計を任された人は、鉄道出身だったのでしょうか。
造作こそ時代を感じさせるものの、什器や看板類に至るまでくたびれたところがなく、美しく整えられている点は外見と同様で、ここで働く方々の心意気を見たような気がしたものです。

小牧ダムといえば避けて通れないのが、写真の解説でも触れられている「庄川流木争議」でしょう。
●原木の流下に庄川を利用していた、木材業者および流域各村と電源会社の間に、訴訟から果ては数々の実力行使に至るまで、8年余に渡って続いた係争です。
庄川遊覧船が産まれるに至った理由も、この争議と決して無縁でない部分もあり、興味深くはあるのですのが、ウェブ上にもこれについて詳しく述べたサイトがいくつかありますので、そちらに譲らせていただきましょう。個人的にお勧めしたいのは「庄川水力電気専用鉄道の成立と変遷 --庄川流木争議の一断面 --」(となみ野.jp)です。

●「駅舎」からいったん外に出て、庄川の水面を初見。好天とあって、山肌の緑に抜けるような青空、波一つない水面と実にきれい。奥に見えるのが堰堤です。
左手に写ったインクラインは‥‥。一瞬、鹿瀬ダムのアレみたいに、堰堤を超越する軌道の跡かしら? と期待させるような光景ですが、残念ながら舟航用インクラインはありませんでした(エレベーター魚道という、変わった設備はかつてありましたが)。これは単なる、遊覧船の上架用設備です。

運用されていたころの様子は、「庄川流材写真」(『庄川・小坂・黒部川第二発電所-石井頴一郎旧蔵写真集-』土木学会付属土木図書館)に、素晴らしい写真が多数掲載されています。ぜひご覧ください。

●(越中 庄川峡)小牧堰堤と牛ヶ嶽スキー塲遠望
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。
●ここで手持ちの絵葉書の中から、竣工間もないころの小牧ダムの姿を写したものを。多数の径間から放水中の豪放かつ美しい眺め。
手前右手に線路が見えますね。ダム竣工後は先のコンベアで降ろした木材輸送と、湯治や観光客のために客扱いもしたそうですが、昭和14年に廃止されたとのこと。現存していれば、井川線や黒部峡谷線のように、渓谷美が堪能できる路線になったことと思いますが、惜しいことではありました。
(29年9月24日撮影)
(『庄川峡の船旅…2』につづく)

にほんブログ村
庄川峡の船旅…0
(『内川遊覧船に乗って…11』のつづき)

●明けて9月24日、快晴。朝食を済ませ8時ごろには高岡駅前に出て、裏道を歩いたり、行き来する万葉線の電車を眺めたりとウロウロ。アーケードのある目抜き通りを、朝日を浴びてごろんごろんと地響きを立て走る路面電車、いいものです。
さて、本日の目的地は、小牧ダムのすぐ上流から出ている、庄川遊覧船。いわばダム湖の遊覧船なのですが、いくつか惹かれる点があって、いい機会なので訪ねてみることにしました。
●駅前のターミナルから8時34分に出る、一番の加越能バスでいざ小牧へ。とはいってもこのバス、直通の観光路線などでない生活路線。ときに河畔の堤防道を走り、ときに狭い里道で軒先をかすめと、80もの停留所を丹念に拾ってゆく長丁場。
こんなに長時間、路線バスに乗ったのは初めてです。うとうとしてふと目を覚ますと、山並の向こうに小牧ダムの姿がチラリと! 大げさですが、はるばる来たという感じがしました。
●終点、小牧堰堤に到着。高岡駅から実に1時間42分、運転手さんもお疲れさまでした。お世話になったバスを記念に一枚。
日はすでに高く、谷間の山肌にも陽光が満ち満ちて、少し暑いくらい。次の便の出発までそう間がありません、さっそくうろつき開始です。

●こちらが庄川遊覧船の運航拠点である船舶事務所と、乗り場を兼ねたいわば「駅舎」。本当に田舎の駅を思わせる、うわついた感じのしない、落ち着いた雰囲気のよい建物で、レンガ色の屋根瓦がバックの緑に映えてきれい。いっぺんで気に入ってしまいました。
かつての水郷でも、川汽船の発着所は「駅」を名乗っていたものもあり、「水駅」という言葉もあるくらいでしたから。庄川遊覧船の役割を考えると、なおさらしっくりきているなあ、と思えたものです。

●ほら、妻の造りを見ても「駅」らしいオーラがムンムン。築年数は古いのでしょうが、美しく整備されており、周りもさっぱりと片付いていて、出入りするだけでも楽しいものが。
軒先に掲げられた看板に「大牧温泉のりば」とありますね(しかし、いくら『駅』っぽいとはいえ、中文表記が『車站』はないと思う‥‥。)。大牧温泉といえば、メディアでもたびたび紹介されている、「船でしか行けない山間の温泉場」として有名なところ。上で庄川遊覧船の役割、といったのはこれで、単なるダム湖を一巡する遊覧船でなく、交通機関として立派に役目を果たしている、いわば現役の河川航路でもあるのです。川舟バカとして、大いに惹かれた点の一つがここにありました。
【撮影地点のMapion地図】
(29年9月24日撮影)
(『庄川峡の船旅…1』につづく)

にほんブログ村

●明けて9月24日、快晴。朝食を済ませ8時ごろには高岡駅前に出て、裏道を歩いたり、行き来する万葉線の電車を眺めたりとウロウロ。アーケードのある目抜き通りを、朝日を浴びてごろんごろんと地響きを立て走る路面電車、いいものです。
さて、本日の目的地は、小牧ダムのすぐ上流から出ている、庄川遊覧船。いわばダム湖の遊覧船なのですが、いくつか惹かれる点があって、いい機会なので訪ねてみることにしました。

こんなに長時間、路線バスに乗ったのは初めてです。うとうとしてふと目を覚ますと、山並の向こうに小牧ダムの姿がチラリと! 大げさですが、はるばる来たという感じがしました。

日はすでに高く、谷間の山肌にも陽光が満ち満ちて、少し暑いくらい。次の便の出発までそう間がありません、さっそくうろつき開始です。

●こちらが庄川遊覧船の運航拠点である船舶事務所と、乗り場を兼ねたいわば「駅舎」。本当に田舎の駅を思わせる、うわついた感じのしない、落ち着いた雰囲気のよい建物で、レンガ色の屋根瓦がバックの緑に映えてきれい。いっぺんで気に入ってしまいました。
かつての水郷でも、川汽船の発着所は「駅」を名乗っていたものもあり、「水駅」という言葉もあるくらいでしたから。庄川遊覧船の役割を考えると、なおさらしっくりきているなあ、と思えたものです。

●ほら、妻の造りを見ても「駅」らしいオーラがムンムン。築年数は古いのでしょうが、美しく整備されており、周りもさっぱりと片付いていて、出入りするだけでも楽しいものが。
軒先に掲げられた看板に「大牧温泉のりば」とありますね(しかし、いくら『駅』っぽいとはいえ、中文表記が『車站』はないと思う‥‥。)。大牧温泉といえば、メディアでもたびたび紹介されている、「船でしか行けない山間の温泉場」として有名なところ。上で庄川遊覧船の役割、といったのはこれで、単なるダム湖を一巡する遊覧船でなく、交通機関として立派に役目を果たしている、いわば現役の河川航路でもあるのです。川舟バカとして、大いに惹かれた点の一つがここにありました。
【撮影地点のMapion地図】
(29年9月24日撮影)
(『庄川峡の船旅…1』につづく)

にほんブログ村
| HOME |