10月24日の内部河川…5
(『10月24日の内部河川…4』のつづき)
●北十間川の東端区間といえばまず思い浮かぶのが、現在改架工事中である小原橋。旧橋が健在だったときは、短い径間の橋脚にはさまれたその前後が狭窄区間でしたが、今は工事の足場がそれに代わって、狭さを維持(?)している形ですね。
新小原橋の向こうに、クレーンのジブが見えることでもわかるように、工事はまだたけなわのよう。新小原橋の桁下空間を利用して架設された仮橋も健在です。

●新小原橋の下から足場を見て。昨年3月に訪ねたときとくらべて、どうでしょう。少なくともクレーンの塗色は変わっていません。
右手では、本来の岸から離れたところに、新たに鋼矢板を打ち込んでおり、橋台の工事を準備しているように見えました。両岸とも土嚢が積まれた上に建機が並び、狭い中で作業されるご苦労がしのばれます。

●‥‥まあ、このたぐいにはどうしても目線が吸い寄せられてしまうのですが‥‥。
「工事中:つき航行注意!!」‥‥誰かが触ってちょっとズレちゃったのかな?

●東武亀戸線の北十間川橋梁。たまには変わった角度からスナップしてみようと、上下線の桁の間から、北側を仰いでみたところ。
架線柱のビームがのぞけるだけで、あまり面白くなくて申しわけありません。これで電車が来ればそそる絵になったのかもしれませんが、今回は残念ながら出くわしませんでした。
●くぐってから振り向いて。しばらくニュートラルで流して待ちましたが、やはり電車が来ないのであっさりあきらめて、ふたたび微速前進。
右手の2棟は以前からありましたが、近年になって建った左のビルが結構な圧迫感ですね。この角度から眺めるとビルの谷間な感じが強調されて、今さらながら河畔の変化に驚かされたものでした。
【撮影地点のMapion地図】
(令和3年10月24日撮影)
(『10月24日の内部河川…6』につづく)

にほんブログ村

新小原橋の向こうに、クレーンのジブが見えることでもわかるように、工事はまだたけなわのよう。新小原橋の桁下空間を利用して架設された仮橋も健在です。

●新小原橋の下から足場を見て。昨年3月に訪ねたときとくらべて、どうでしょう。少なくともクレーンの塗色は変わっていません。
右手では、本来の岸から離れたところに、新たに鋼矢板を打ち込んでおり、橋台の工事を準備しているように見えました。両岸とも土嚢が積まれた上に建機が並び、狭い中で作業されるご苦労がしのばれます。

●‥‥まあ、このたぐいにはどうしても目線が吸い寄せられてしまうのですが‥‥。
「工事中:つき航行注意!!」‥‥誰かが触ってちょっとズレちゃったのかな?

●東武亀戸線の北十間川橋梁。たまには変わった角度からスナップしてみようと、上下線の桁の間から、北側を仰いでみたところ。
架線柱のビームがのぞけるだけで、あまり面白くなくて申しわけありません。これで電車が来ればそそる絵になったのかもしれませんが、今回は残念ながら出くわしませんでした。

右手の2棟は以前からありましたが、近年になって建った左のビルが結構な圧迫感ですね。この角度から眺めるとビルの谷間な感じが強調されて、今さらながら河畔の変化に驚かされたものでした。
【撮影地点のMapion地図】
(令和3年10月24日撮影)
(『10月24日の内部河川…6』につづく)

にほんブログ村
4月29日の内部河川…2
(『4月29日の内部河川…1』のつづき)

●迫り来る台船への緊張をまぎらわせようと、小原橋跡を観察。橋台・橋脚とも前回より特に変化はないようで、テラス工事がここまで及ぶのも、まだ先と思ってよさそうです。
●東武亀戸線の桁橋も、補修工事なのか径間中央を残して、足場が架かっていました。そういえば、歩み板の桁にも錆がかなり広がって、そろそろ再塗装をした方がよさそうな感じですね。
ついでだからと、足場のからんだ橋の裏側も。鉄道橋の方も外側はともかく、内側は錆が進行している模様。骨材の洗い出された橋脚の表面に、水位低下化以前の記憶がかいま見えます。

●‥‥あれこれ眺め回して気持ちをごまかそうと、いやでも迫ってくる台船。左に寄せて接岸し、右側は空けてあるものの、ここから見たかぎりではスキマ程度。絶望感(大げさだな)が脳内にじわりと沁みてゆく‥‥。
台船の上には、航路を示す矢印がありますが、あれはカヤックや小舟艇向けだろうと一人決め。作業服姿の乗り組みさんが立って、先ほどからこちらを見ています。もう少し近づいたら「戻りなさい!」といわれるのかなあ。
●身構えながら、せめて写真だけでも撮って帰ろうと、あきらめ顔で接近すると‥‥。
「ハ~イどうぞ~、こちらですよ~!」
えええっ、通っていいの? ていうか、通れるの!?

●乗り組みさんは、ニコニコしながら、ゆったりした身振りでうながしてくれるのです! なるほど近づいてよく見ると、えらく狭いことは間違いないものの、ギリギリいけそうな感じ。
乗り組みさんの満面の笑顔も「大丈夫だよ!」と語っているかのようで、そのプライスレス(?)な笑顔にも背中を押され、先ほどまでの弱気を奮い落とし、腹を据えて超狭水路通航への挑戦を決意。
右舷フェンダーレッコ、前進微速! 針の穴を通すような、とはまさにこのことだ!
(27年4月29日撮影)
(『4月29日の内部河川…3』につづく)

にほんブログ村

●迫り来る台船への緊張をまぎらわせようと、小原橋跡を観察。橋台・橋脚とも前回より特に変化はないようで、テラス工事がここまで及ぶのも、まだ先と思ってよさそうです。

ついでだからと、足場のからんだ橋の裏側も。鉄道橋の方も外側はともかく、内側は錆が進行している模様。骨材の洗い出された橋脚の表面に、水位低下化以前の記憶がかいま見えます。


台船の上には、航路を示す矢印がありますが、あれはカヤックや小舟艇向けだろうと一人決め。作業服姿の乗り組みさんが立って、先ほどからこちらを見ています。もう少し近づいたら「戻りなさい!」といわれるのかなあ。
●身構えながら、せめて写真だけでも撮って帰ろうと、あきらめ顔で接近すると‥‥。
「ハ~イどうぞ~、こちらですよ~!」
えええっ、通っていいの? ていうか、通れるの!?

●乗り組みさんは、ニコニコしながら、ゆったりした身振りでうながしてくれるのです! なるほど近づいてよく見ると、えらく狭いことは間違いないものの、ギリギリいけそうな感じ。
乗り組みさんの満面の笑顔も「大丈夫だよ!」と語っているかのようで、そのプライスレス(?)な笑顔にも背中を押され、先ほどまでの弱気を奮い落とし、腹を据えて超狭水路通航への挑戦を決意。
右舷フェンダーレッコ、前進微速! 針の穴を通すような、とはまさにこのことだ!
(27年4月29日撮影)
(『4月29日の内部河川…3』につづく)

にほんブログ村
7月20日の水路風景…5
(『7月20日の水路風景…4』のつづき)
●北十間川、二つ目のお楽しみ(?)は、小原橋撤去後の狭窄区間初通航。つい最近、5月に陸路見に来たばかり(『小原橋跡を訪ねて…1』ほか参照)だっただけに、川面から眺める亀戸線の鉄橋も何やら親しい感じすらして、感慨も深いものが。
さて、ジャングル区間の名残り濃い、小原橋跡を艇上から目前にすると‥‥。やはり、もの足りなさというか、喪失感は相当なものです。

●橋脚の切り株(?)はそのままなので、可航幅が広くなったわけでも何でもないのに、かつてあった緊張感がすっかり失せて、ラクラク通れてしまう感じがして、ならないのでした。

●水面目線から初めて眺めた、小原橋跡の南詰。この位置から見ると、先代橋のものらしい木製橋脚、まさに切り株そのものですね。
ゆがんだ鋼矢板や雑草の繁みがあるので、雑然とした印象を受けますが、水際は土嚢で固められ、テラスの予備工事も写真左、仮橋の下まで進んでいるので、以前にくらべればかなり整理されています。
●お次はもちろん、仮橋を初くぐりです。水面の反射に、構造の一本一本が鈍く光って、なかなかしぶい表情。桁下高は、旧橋とあまり変わらない感じでした。A.P.+1.8m前後でしょうか。
近づいてぐっと仰いでみると、おお、チャンネルに角パイプと、既製の形鋼材の洪水といった印象。既製ガーダー「ランドクロス」を使った仮橋などとはまた違った、身近な感じが新鮮でした。

●こういうのを目の当たりにすると、素材と工具さえ揃っていれば、穴をあけてボルトで締めて、自分でも造れそう(イヤイヤ、造れないって)に思えてしまいますよね!
【撮影地点のMapion地図】
(26年7月20日撮影)
(『7月20日の水路風景…6』につづく)

にほんブログ村

さて、ジャングル区間の名残り濃い、小原橋跡を艇上から目前にすると‥‥。やはり、もの足りなさというか、喪失感は相当なものです。

●橋脚の切り株(?)はそのままなので、可航幅が広くなったわけでも何でもないのに、かつてあった緊張感がすっかり失せて、ラクラク通れてしまう感じがして、ならないのでした。

●水面目線から初めて眺めた、小原橋跡の南詰。この位置から見ると、先代橋のものらしい木製橋脚、まさに切り株そのものですね。
ゆがんだ鋼矢板や雑草の繁みがあるので、雑然とした印象を受けますが、水際は土嚢で固められ、テラスの予備工事も写真左、仮橋の下まで進んでいるので、以前にくらべればかなり整理されています。

近づいてぐっと仰いでみると、おお、チャンネルに角パイプと、既製の形鋼材の洪水といった印象。既製ガーダー「ランドクロス」を使った仮橋などとはまた違った、身近な感じが新鮮でした。

●こういうのを目の当たりにすると、素材と工具さえ揃っていれば、穴をあけてボルトで締めて、自分でも造れそう(イヤイヤ、造れないって)に思えてしまいますよね!
【撮影地点のMapion地図】
(26年7月20日撮影)
(『7月20日の水路風景…6』につづく)

にほんブログ村
小原橋跡を訪ねて…4
(『小原橋跡を訪ねて…3』のつづき)

●仮橋から東側を眺めたところ。錆色の鋼矢板、もくもくと繁茂する草木‥‥。もはや駆逐されつつある、旧来の北十間川の姿が息づいていました。向こうには、旧中川に架かる江東新橋の姿が見えていますね。あちらから小原橋跡を眺めたくなって、旧中川畔へ向かうことに。
南岸を歩いていると、コンクリート堤防の側面に、色あせて錆びたプレートを発見。塗料もほとんど剥離して、何とも読みづらいのですが、この下A.P.-14.65mに、下水管が埋設されているようですね。

●旧中川を代表する橋、江東新橋。端正にして重厚、といったらひいきの引き倒しになるでしょうか、いかにも鋼橋らしい魅力を発散していました。陸路訪ねるのは初めてなので、橋の裏側も一枚。桁裏を貫く、管路のたぐいは意外と少ないですね。
おっと、江東新橋でなく、北十間川東端からの眺めを見に来たのでした。さて、どんな風に変わったでしょうか。少し水際の藪を漕いで、首を伸ばしてみると‥‥。

●いや、仮橋の強烈さは想像以上で、周囲の雰囲気を一変させてしまったように思えました。こうして見ても、トラスはなかなか格好良いし、「橋の下に橋がある」面白さも加わって、あのうらぶれた空気を吹き飛ばしてしまったようです。
もっとも、水面まで枝をかざす木々(左のそれは、この間の大雪で倒れたのかな?)や鋼矢板のおかげで、放置感はまだまだ健在ではあります。しかし、可航幅をギュウッとしぼってくる、あの独特の緊張感が失せてしまったことは、やはり、何ともいえない寂しさが‥‥。北十間川から「辺境」が消える日も、そう遠くないことを実感して、河畔を後にしました。
【撮影地点のMapion地図】
(26年5月18日撮影)
(この項おわり)

にほんブログ村


南岸を歩いていると、コンクリート堤防の側面に、色あせて錆びたプレートを発見。塗料もほとんど剥離して、何とも読みづらいのですが、この下A.P.-14.65mに、下水管が埋設されているようですね。


おっと、江東新橋でなく、北十間川東端からの眺めを見に来たのでした。さて、どんな風に変わったでしょうか。少し水際の藪を漕いで、首を伸ばしてみると‥‥。

●いや、仮橋の強烈さは想像以上で、周囲の雰囲気を一変させてしまったように思えました。こうして見ても、トラスはなかなか格好良いし、「橋の下に橋がある」面白さも加わって、あのうらぶれた空気を吹き飛ばしてしまったようです。
もっとも、水面まで枝をかざす木々(左のそれは、この間の大雪で倒れたのかな?)や鋼矢板のおかげで、放置感はまだまだ健在ではあります。しかし、可航幅をギュウッとしぼってくる、あの独特の緊張感が失せてしまったことは、やはり、何ともいえない寂しさが‥‥。北十間川から「辺境」が消える日も、そう遠くないことを実感して、河畔を後にしました。
【撮影地点のMapion地図】
(26年5月18日撮影)
(この項おわり)

にほんブログ村
小原橋跡を訪ねて…3
(『小原橋跡を訪ねて…2』のつづき)

●旧橋脚を改めてアップで。本当に、よくぞ残っていてくれたものです。これもテラス延伸までの命脈とあれば、よ~く眺めておきたくなるもの。
たびたび引用させていただいている「東京の橋」(石川悌二著)によると、「昭和17年刊の城東区史によればこの橋はまだ木橋であって、長19.6メートル、幅3.8メートル」とあり、戦前からすでにあったことがわかります。
もっとも、「江東地区の橋めぐり」の小原橋の項を拝見すると、「昭和27年(1952)初架橋(木橋)」とあり、今回撤去された鋼桁橋は、昭和40年3月架設とのこと。この違いはよくわかりませんが、戦前の木橋は、もしかすると私設橋だったのかもしれません。
●さて、両岸をウロウロしながら小原橋跡を眺めまわした後は、せっかく訪ねたのだからと、周りの気になる物件も見てゆくことに。北詰にいたら、よいタイミングで踏切が閉まったので、東武亀戸線の電車を一枚。
そうそう、以前「東武亀戸線橋梁のひたひた緊迫写真」でも触れましたが、ここを渡る鉄橋も、水位低下化以前は満潮時に線路が冠水(!)していたという、いわくつきのものなのだった! そのころがしのばれるものといえば‥‥。
●この陸閘です。写真は南詰のものですが、対岸も略同の形で、角落としをはめる溝が二つ設けられているあたり、かつての厳しさが想像できますね。
本来、線路を横断してあるべき水平面の戸当りは、水位低下化後に撤去されたのでしょう。堰柱(?)のみが石碑のように3本、線路を挟んで立っていました。テラスが延伸され、コンクリート堤防が低められても、この陸閘跡は残していただきたいものです。

●南詰の踏切から、北側を見たところ。この先代橋は、満潮のつど桁が水没するという、今から思うと信じられないような、過酷かつ凄惨な環境にあったわけですね‥‥。
鉄橋を挟んで両岸に踏切があるせいか、線路わきの犬走りを、ヒョイヒョイと気軽に渡れてしまえそうな感じすらします(絶対に渡ってはいけません!)。実際に渡ってしまう人が後を絶たないのか、北詰の陸閘跡には、「線路内に進入した人を見たら、すぐ警察に連絡してほしい」旨、厳重な警告が張り出されていました。
【撮影地点のMapion地図】
(26年5月18日撮影)
(『小原橋跡を訪ねて…4』につづく)

にほんブログ村

●旧橋脚を改めてアップで。本当に、よくぞ残っていてくれたものです。これもテラス延伸までの命脈とあれば、よ~く眺めておきたくなるもの。
たびたび引用させていただいている「東京の橋」(石川悌二著)によると、「昭和17年刊の城東区史によればこの橋はまだ木橋であって、長19.6メートル、幅3.8メートル」とあり、戦前からすでにあったことがわかります。
もっとも、「江東地区の橋めぐり」の小原橋の項を拝見すると、「昭和27年(1952)初架橋(木橋)」とあり、今回撤去された鋼桁橋は、昭和40年3月架設とのこと。この違いはよくわかりませんが、戦前の木橋は、もしかすると私設橋だったのかもしれません。

そうそう、以前「東武亀戸線橋梁のひたひた緊迫写真」でも触れましたが、ここを渡る鉄橋も、水位低下化以前は満潮時に線路が冠水(!)していたという、いわくつきのものなのだった! そのころがしのばれるものといえば‥‥。

本来、線路を横断してあるべき水平面の戸当りは、水位低下化後に撤去されたのでしょう。堰柱(?)のみが石碑のように3本、線路を挟んで立っていました。テラスが延伸され、コンクリート堤防が低められても、この陸閘跡は残していただきたいものです。


鉄橋を挟んで両岸に踏切があるせいか、線路わきの犬走りを、ヒョイヒョイと気軽に渡れてしまえそうな感じすらします(絶対に渡ってはいけません!)。実際に渡ってしまう人が後を絶たないのか、北詰の陸閘跡には、「線路内に進入した人を見たら、すぐ警察に連絡してほしい」旨、厳重な警告が張り出されていました。
【撮影地点のMapion地図】
(26年5月18日撮影)
(『小原橋跡を訪ねて…4』につづく)

にほんブログ村