富山港・知られざる閘門?!

数日前のことです。昨年6月、富山訪問の際にお世話になった、松川遊覧船の中村珠太専務より、メールをいただきました。

さっそく開いてみると、酒田港訪問時の記事(恐らく『下瀬閘門跡を訪ねて』と思われます)を読んで、「ふと思い出した」ことがあり、メールをくださったとのことです。はて、何でしょうか?

読み進むとまあ、驚くべきことが書いてありました!
要約すると‥‥。中村氏の著書「神通川の河川文化」(『松川遊覧船ふたたび…5』参照)で聞き取り取材をした、もと船頭さんの一人から聞いた話では、大雪で陸上交通が途絶した際、荷を積んだ舟で神通川本流の河口近くから、神通川と富山港の間に設けられた「水門」を通って、富岩運河に入った経験があったとのこと。

下瀬閘門の記事を読んで、この話を思い出された中村氏、国土地理院の空中写真を開き、終戦直後の富山港に、最上川~酒田港のそれとそっくりな位置に「水門」が存在していたことを確認、わざわざ知らせてくださったというわけです。

中村氏は、ご親切に「水門」の位置を示す空中写真の複写ほか、資料を別便でお送りくださったのですが、船頭儀、もういてもたってもいられません。別便のファイルをダウンロードするより早く、富山の空中写真を横っ飛びに検索していました。

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興奮にハフハフしながら、昭和27年11月9日撮影の「USA-M192-2-60」を開くと‥‥。
あった! 富岩運河北口の西(赤矢印)、確かに切れ目のような部分が!

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USA-M192-2-60(昭和27年11月9日撮影・国土地理院・空中写真閲覧サービス

閘 門 だ !‥‥よね?
何分不鮮明な空中写真、即断ははばかられますが、前扉室・後扉室としか見えない張り出しを持つその形、マイタゲートとしか思えません。‥‥いや、二重の角落しゲートという線も、捨てきれないかも(疑い深い船頭)。
西側のゲートは一見閉じているようですが、継ぎ目がなくツライチなところ、上下に伸びる道と軸線が合っていることから、ゲート上に設けられた道路橋と推察。

いや、全く知りませんでした! 富山第三の閘門(と早合点するのは危険ですが、違ったら後で訂正します!)があったなんて! 河川本流と、分離された河口港内の通船を図るという役割、港の奥部に位置するところも、下瀬閘門にそっくりなのがまた、興味をそそりますね!

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MCB612-C31-30(昭和36年5月25日撮影・国土地理院・空中写真閲覧サービス

変遷を追ってみたくなり、近い年代の写真を探したものの、お次は昭和36年と、上の写真から9年を隔てたもののみでした。ご覧のとおり、早くも本流側が埋め立てられて、通船機能は失われていたことがわかります。

道路や橋が太くなっていることから、背割堤上の開発が進行していることもうかがえますね。

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MCB702-C2-13(昭和45年5月22日撮影・国土地理院・空中写真閲覧サービス

さらに9年後、昭和45年には、もはや神通川高水敷の凹部と、埋め立てた跡が生々しい更地に面影を残すのみ。東側には岸壁が完成しているものの、倉庫や山積みした資材らしきものが、閘室跡を避けているあたり、まだ埋土が締まっていないのでしょう。

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ホンモノのGoogleマップで富山港の閘門(?)跡付近を見る(上は単なる画像)

そして現在、跡形もなし‥‥。道が曲がっている地点は動いていないようなので、位置は何とか特定できますが、下瀬閘門と同様の運命をたどったのは、一目瞭然であります。

さて、未知の閘門を知ったとなると、名前や諸元が知りたくなるのは当然の流れ。とりあえず手持ちの乏しい資料を何冊かひっくり返してみたものの、言及したものはありませんでした。挿画に富岩運河・東岩瀬港の計画図は2つ見つかったのですが、いずれも描画なし。ううん、当初の計画に入っていなかったのか、それとも閘門でなく、単なる水門付きの通船路なのか‥‥。

ウェブ上はいわずもがなで、中島・牛島両閘門のビッグネームに意識が吸い取られて(?)いるのか、いくつかアップされている東岩瀬・富山港の開発史にも、この閘門に触れたものは見当たりませんでした。当時の官報にでも丹念に当るか、地元の図書館を訪ねて工事記録を探すかしないと、詳細を知ることは難しそうです。

水運・港湾関係者以外、まず訪ねることのない地先にあったこと、昭和30年代と早期に廃止されていたことも手伝って、研究者・趣味者の目に触れることがないまま、消えていったのであろうと妄想。中島閘門を動態保存し、牛島閘門復元を成し遂げた、土木史跡に理解ある土地柄、正体がわかるのなら、せめて跡地に説明板でも立てて、顕彰してあげたいものですね。

ちなみに、ご当地の中島・牛島両閘門とも、近傍の地名を名乗っていることから、これがもし閘門であるなら、草島閘門Mapion地図)と名乗っていた可能性が高かろうと、勝手に妄想して悦に入っています。当たっていたら嬉しいな!

というわけで、今のところは何もわからず、閘門であるかどうかすら確定できないのですが、その分想像力をかきたてられ、興味はいや増すものがあります。 懇切にご教示くださった中村氏に、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました!


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タグ : 富岩運河 富山港 閘門

松川の舟通しと和船のことなど

(『松川遊覧船ふたたび…5』のつづき)

175176.jpg松川遊覧船の中村珠太専務にうかがったお話と、著書「神通川の河川文化~川魚漁と川舟から~」を参考に、気になる松川舟通しをはじめ、松川で見たご当地の和船について、以下にまとめさせていただきました。

松川舟通し! いやもう、想像をはるかに超えた、驚異の舟航施設(?)といってもいい過ぎではありませんでした!
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タグ : 松川 富岩運河 松川舟通し 絵葉書・古写真

環水公園を眺めて

(『中島閘門見学…5』のつづき)

175111.jpg環水公園に戻ってから、前回同様、天門橋の塔屋に上がってみました。船溜一帯を見下ろして、前回と整備成った今の変化を、確かめてみたくなったのです。

折よく「ふがん」が戻ってきて、眼下の橋をくぐり、船溜の奥をぐるりと一周して船着場へ着岸。やはり船がいるといないとでは、水面を眺めたときの楽しさが段違い。使命を終えてもやはり運河、船の在ることこそが、この水面の生きている何よりの証しです。

あの水草だらけで、動力船が入ったら最後、ペラをからめ取られそうだったかつてを思うと、本来的な意味で可航整備が成ったことは、本当に良かったと思います。取り巻く水辺もずいぶん変わりました、今回撮った写真と、19年8月8日のそれを2組、定点写真風に並べてみましょう。

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やはり目を引かれてしまうのが、ガイドさんいうところの「世界一美しいスタバ」。建屋は三方が全面ガラス張り、斜面にちょっと張り出したテラスも高欄がガラスと、眺望優先の造りなのがいいですね。前回の写真とくらべてみると‥‥。

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駐車場の平場はほぼ流用されたようですが、水辺のテラスから斜面を直登する小径は、入口はそのまま、左手に巻くように付け替えられたように見えます。とすると、スタバ右手を登る、階段のついた道は新設でしょうか。いずれにせよ、「使用前・使用後」感があって、面白いですね。

しかし、周りに憩う人々の多さ、お店が設けられた効果の大きさに目を見張る思い。いや、この日は猛暑だったから、出歩く気になれなかっただけかしら?

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環水公園船着場を眺めて。テラスに接して出札・待合所を兼ねた、かつての水郷汽船風にいえば「水駅」の建物が設けられています。ちょうど「ふがん」がもやいを取るところで、可航水路らしい、活き活きとした小河港の風景を味わえて、満足満足。

こちらはどうだったでしょう、新たに造成されたのでしたっけ?

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いや、もとからスペースは確保してあったのですね。テラスの水際もよく見ると、鉢植えや灯器(?)の途切れたところがすでに造ってあることから、当初よりここに船着場を設けることは、織り込み済みだったのかもしれません。

しかし、ストラクチャーがまさに「はめ込まれて」いくさま、まるで模型の情景のようで興味深いですね。次に訪ねるときは、どんな施設が増えているのか、楽しみでもあります。
撮影地点のMapion地図

(27年6月20日撮影)

(『護國神社の裏には…』につづく)

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中島閘門見学…5

(『中島閘門見学…4』のつづき)

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操作室を軒の裏まで眺めまわして、さて、艇に戻る時間も近づいてきました。閘室や関連機器を見て歩きながら、桟橋へぶらぶらと。閘室はすっかり水が抜かれて、水面ははるか下まで下がっています。

前扉室の近くまで来ると‥‥あっ、通航時はよく見えなかった階壁が! しかも、その形がただならぬ香気(?)を発散しているのに吸い寄せられて、思わず駆け寄りました。

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何と、階壁の下流側は優雅なカーブを描いており、しかも角には面が取ってある! 中までムクの石材かどうかはわからないものの、見たところ少なくとも石張りのようです。

ほとんど水面下に隠れてしまうところにまで、意匠的な気遣いがなされているとは! すごいぞ中島閘門! 「テルマエ・ロマエ」のルシウスばりに打ちのめされる船頭。単に私が知らないだけで、他の同世代の閘門も同様なのでしょうか、機会があったら調べてみたいものです。

175108.jpg中島閘門とお別れする前に撮った、銘板二題。こちらはバイパス設備に設けられた、注排水用スライドゲートのそれです。

設備のほとんどが地中にあることとて、銘板を貼り付ける場所に窮したのか、鋼材の短い足を生やし、まるで花壇の立看板のように、ちょこなんと立っている姿が印象的でした。


175109.jpgこちらは後扉室ゲートの扉体にあったもの。復元新製されたとはいえもう16年、ベテランとはいかないまでも、そろそろ中堅いったところでしょうか。

ちなみに佐藤鉄工、我が艇の行動範囲内では、朝霞水門も手がけられています。同社サイト、「水門・鉄管・除塵機」のページをご覧ください。


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名残惜しく中島閘門を辞して、ふたたび「もみじ」で環水公園へ。美しく整備された昭和一桁生まれのマイタゲート、これからも末永く活躍してほしいものです。

桟橋を離れた直後、船長は巧みに舵を切り、放水路の水門ギリギリまで寄せてサービスしてくれました。吸い込まれそうなスリルと、水位差を実感できる眺めの面白さ、運河観光はこうでなくては! と膝を叩いたことではありました。

(27年6月20日撮影)

(『環水公園を眺めて』につづく)

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タグ : 富岩運河 富岩水上ライン 中島閘門 閘門

中島閘門見学…4

(『中島閘門見学…3』のつづき)

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待望の操作盤とご対面。いかにも昔風の計器や、側面に施された装飾など、こげ茶一色の塗装とあいまって重厚そのもの!

水平面は分厚い大理石の板で、左端の角のみ塗料がはげて、白い生地がのぞけています。盤上、ボタンやパイロットランプのみ最近のもので、計器類や大理石のそれと違和感があり惜しい感じがしましたが、見方を変えれば、これは最近まで現役だった何よりの証しなのでしょう。

175102.jpg大理石は軟質で加工がしやすく、熱にも強く湿気も喰らわないとあって、かつては絶縁体として電気製品に盛んに用いられました。模型用電源のトランスも、高級なものになると、大理石のタップ盤をおごったものがあったのを思い出します。

閑話休題、ここまで立派な操作盤とくれば、メーカーが気になります。銘板は‥‥簡単に見つかりました。正面ど真ん中、「芝浦製作所製造」! 現在の東芝ですね。

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計器類は、すべてに説明のシールが貼ってあったものの、針やガラスが失われていたり、あっても無造作にネジで固定されていたりして、ちょっと寂しいものが。写真は閘室の水位計ですが、よく見ると右下、11の目盛のところに「SHAKU」と小さく書かれているのに気づきました。この文字盤、単位が「尺」なんだ!

ちなみに、右側に少し見える額縁は、皇太子殿下が富岩運河を訪れられた際の写真です。以前、見沼通船堀を見にいったとき(過去ログ『通船堀に寄り道…3』参照)、記念植樹があったのを思い出しました。関心のある分野が近しいだけに、これからも行く先々でニアミス(でも何でもない)するのかも。

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175105.jpgこちらが現在の操作盤です。何ともこじんまりとまとまっていて、81年間の技術の進歩を実感させるものが。計器のたぐいは一切なく、作動ステップは、一番上のランプ群で確認するようですね。扇橋閘門のそれ(『満漢全席小名木川…5』参照)と比較しても、ずいぶん簡素な感じがします。

操作室を出て、他の部屋も見せていただきました。和室の宿直室に、大小のお手洗いとお風呂場、どれもきれいにリニューアルされていましたが、やはり近年まで現役だった建物だけに、厳密な意味での復元ではなさそうです。右の写真はお風呂場で、タイル張りの可愛らしい浴槽のみが、ぽつんと置かれていました。

(27年6月20日撮影)

(『中島閘門見学…5』につづく)

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