三十石舟の宿・月見館…2
(『三十石舟の宿・月見館…1』のつづき)
●玄関前右手には、「伏見大阪三十石早船出所」という立札と、「淀川 三十石船由来」「淀川三十石船 舟唄」と題された石碑が建てられ、川船とのゆかりの深さが感じられます。あっ、この舟唄、さっき淀川の水上バスで聴いた歌だ…。
そういえば、「舵」誌旧号で読んだ、時おり淀川下流まで航行していたという、三十石舟を模した屋形船は、今でも営業されているのでしょうか、宇治川の水量の少なさを目にした後だったので、ちょっと心配になりました。
●この後、女将さんにうかがったところによると、最近は琵琶湖の水位維持のためか、宇治川上流にある天ヶ瀬ダムの放水量が少なくなり、ために宇治川の水位も下がって、とても舟遊びを提供できる状況では、なくなってしまったとのこと。
ああ、やはり…。宇治川を悠然と下る、屋形船の姿を目にしたいと思っていただけに、実に残念。「水があったころは、風情のあるいい川だったんですけれどね、今はこんな谷間みたいになってしまって…」と女将さん。
(女将さんのブログ『おかみ's EYE』の『月見館の浜』には、降雨時に放水量が増え、一時的ではありますが、水をなみなみとたたえた、宇治川の景色が掲載されています。)
●玄関で案内を請うと、通されたのはお目当ての資料室。女将さん手作りのシフォンケーキと、美味しいアイスコーヒーをいただきながら、ガラスケースに展示された写真や、史料の数々を拝見。
舟運時代の写真は、他では見られないものが多く、川蒸気の、ダイナミックに水をかく外輪のアップ、川瀬の揚水車のかたわらを航行する川蒸気など、その筋の方なら、興奮することうけあいのスナップばかり。さすが川船ゆかりの老舗!
●そんな中で、女将さんがコレクションしたという、極彩色の泥人形…伏見人形の一群が目に留まりました。
そのうちの二つは、明らかに外輪の川蒸気。 これは珍しい、ゼヒ手に入れたい! 今も作っているのかしら?
女将さんにうかがってみると、ご親切にも、すぐに製造元の連絡先を調べてくれました。さっそく連絡してみると、人形を焼くのは年1回で、今は在庫していないが、木型はあるので来年改めて注文してほしい、とのこと。うひょひょ、嬉しい! よ~し、来年早々にも注文してしまおう…。
●食事の準備ができたとのことで、案内されたのは2階の一室。宇治川の川景色が望める、しっとりとした和室です。う~ん、こちらに泊まればよかった、と今さらながら後悔。
川面を見下ろすと、堤防の法面の繁みを通して、月見館所有の屋形船が繋留されているのが見えました。今ではほとんど、使われることもないのでしょうか…。治水は大切ですが、船の走れない川は、やはり寂しいものが…複雑な気持ちになりました。
●歴史を感じさせる静かな部屋で、美味しい料理をゆっくりいただき、大いに満足。料理を載せた敷き紙の絵柄があまりにも素敵だったので、置いてゆくのが惜しくなり、連れて帰ってきました。ゴメンナサイ。
ご覧のとおり、月見館前の宇治川に棹差す、屋形船を描いたもの。残念ながら、偲ぶ昔の光景となってしまいましたが、いつの日か、船影が復活することを祈りたいものです。
●帰りがけ、お帳場のカウンターで「三十石舟」と銘打った、舟の形のお菓子を発見。女将さんが差し出す試食品をつまんでみると、生姜入りの甘いお煎餅で、素朴な味わいが気に入り、お土産に購入。
美味しいので食べ過ぎると、生姜入りとあって体がポカポカあたたまり、これからの季節、寒がりの私には、うってつけのおやつになりそうです。なくなったら送ってもらおう…。
(21年9月11日撮影)
(『蹴上インクライン…1』につづく)

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そういえば、「舵」誌旧号で読んだ、時おり淀川下流まで航行していたという、三十石舟を模した屋形船は、今でも営業されているのでしょうか、宇治川の水量の少なさを目にした後だったので、ちょっと心配になりました。
●この後、女将さんにうかがったところによると、最近は琵琶湖の水位維持のためか、宇治川上流にある天ヶ瀬ダムの放水量が少なくなり、ために宇治川の水位も下がって、とても舟遊びを提供できる状況では、なくなってしまったとのこと。
ああ、やはり…。宇治川を悠然と下る、屋形船の姿を目にしたいと思っていただけに、実に残念。「水があったころは、風情のあるいい川だったんですけれどね、今はこんな谷間みたいになってしまって…」と女将さん。
(女将さんのブログ『おかみ's EYE』の『月見館の浜』には、降雨時に放水量が増え、一時的ではありますが、水をなみなみとたたえた、宇治川の景色が掲載されています。)

舟運時代の写真は、他では見られないものが多く、川蒸気の、ダイナミックに水をかく外輪のアップ、川瀬の揚水車のかたわらを航行する川蒸気など、その筋の方なら、興奮することうけあいのスナップばかり。さすが川船ゆかりの老舗!
●そんな中で、女将さんがコレクションしたという、極彩色の泥人形…伏見人形の一群が目に留まりました。
そのうちの二つは、明らかに外輪の川蒸気。 これは珍しい、ゼヒ手に入れたい! 今も作っているのかしら?
女将さんにうかがってみると、ご親切にも、すぐに製造元の連絡先を調べてくれました。さっそく連絡してみると、人形を焼くのは年1回で、今は在庫していないが、木型はあるので来年改めて注文してほしい、とのこと。うひょひょ、嬉しい! よ~し、来年早々にも注文してしまおう…。

川面を見下ろすと、堤防の法面の繁みを通して、月見館所有の屋形船が繋留されているのが見えました。今ではほとんど、使われることもないのでしょうか…。治水は大切ですが、船の走れない川は、やはり寂しいものが…複雑な気持ちになりました。

ご覧のとおり、月見館前の宇治川に棹差す、屋形船を描いたもの。残念ながら、偲ぶ昔の光景となってしまいましたが、いつの日か、船影が復活することを祈りたいものです。

美味しいので食べ過ぎると、生姜入りとあって体がポカポカあたたまり、これからの季節、寒がりの私には、うってつけのおやつになりそうです。なくなったら送ってもらおう…。
(21年9月11日撮影)
(『蹴上インクライン…1』につづく)

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三十石舟の宿・月見館…1
(『平戸樋門』のつづき)
●平戸樋門から、宇治川の堤防道をてくてく上流側に歩き、観月橋をくぐってふたたび堤防の上に出ると…、目指す割烹旅館、月見館の建物が見えてきました。
水運趣味的なモノを訪ね歩く中で、なにゆえ旅館に立ち寄るのかと申しますと…、まあ、動機は例によってよこしまです。
●以前、旧ブログでも触れましたが、あらためて説明すると…。
月刊「舵」の旧号、86年7月号(右写真)の特集記事「淀川をゆく」を読んでいたら、月見館所有の屋形船が年数回、淀川下流まで下ってくること、月見館のオーナーさんに水先案内を務めてもらい、遡上限界点に挑戦することなどが書かれていました。
遡航も困難な上流部で、舟遊びをさせる旅館があることに驚き、早速月見館のサイトを拝見すると、淀川舟運の史料を展示した資料室があり、三十石舟の実物も展示されている! これはぜひ訪ねてみたいものだと、機会を狙っていたのです。
●そしてこの度の機会到来。見たいものが多いので、行程のどこに組み入れるか、ずいぶん悩みました。泊まってもよかったのですが、都合で宿は別にとることになったので、夕食のみのコースを予約。
前庭の玉砂利はきれいに掃き清められ、これもよく手入れされた植え込みの木々に、見え隠れする月見館の建物は、羽目板の木目も美しく、風格満点。
入口の左側には…。
【撮影地点のMapion地図】

●実物の和舟が!
長さ10数mあまり、幅は1.5mほどあるでしょうか、大きさから見て、三十石舟ではありませんでしたが、棚板(側板)二階造りの扁平な船型からは、本物の川舟の匂いが感じられます。
台座の横木が、なぜか棚板を貫通する形になっていたのが残念ではありましたが、復元などではない、実際に使われていたもの特有の迫力がありました。小屋がけも立派で、月見館のシンボルとして、大切にされていることがうかがえますね。
●船尾、舵の座周りのディテール。川船独特の、深さより幅が長い舵の羽板、舵身木(舵軸)がはまる床梁の手前側には、艪の支点となるログイが突き出ているのも見られます。
舟の大きさにくらべて、舵の羽板が小さすぎ、また舵柄も短いように思えましたが、久しぶりにみる純和船、しかも川舟の姿を目にできたのが嬉しく、月見館の心意気が伝わってくるようでした。
(21年9月11日撮影)
(『三十石舟の宿・月見館…2』につづく)

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水運趣味的なモノを訪ね歩く中で、なにゆえ旅館に立ち寄るのかと申しますと…、まあ、動機は例によってよこしまです。

月刊「舵」の旧号、86年7月号(右写真)の特集記事「淀川をゆく」を読んでいたら、月見館所有の屋形船が年数回、淀川下流まで下ってくること、月見館のオーナーさんに水先案内を務めてもらい、遡上限界点に挑戦することなどが書かれていました。
遡航も困難な上流部で、舟遊びをさせる旅館があることに驚き、早速月見館のサイトを拝見すると、淀川舟運の史料を展示した資料室があり、三十石舟の実物も展示されている! これはぜひ訪ねてみたいものだと、機会を狙っていたのです。

前庭の玉砂利はきれいに掃き清められ、これもよく手入れされた植え込みの木々に、見え隠れする月見館の建物は、羽目板の木目も美しく、風格満点。
入口の左側には…。
【撮影地点のMapion地図】

●実物の和舟が!
長さ10数mあまり、幅は1.5mほどあるでしょうか、大きさから見て、三十石舟ではありませんでしたが、棚板(側板)二階造りの扁平な船型からは、本物の川舟の匂いが感じられます。
台座の横木が、なぜか棚板を貫通する形になっていたのが残念ではありましたが、復元などではない、実際に使われていたもの特有の迫力がありました。小屋がけも立派で、月見館のシンボルとして、大切にされていることがうかがえますね。

舟の大きさにくらべて、舵の羽板が小さすぎ、また舵柄も短いように思えましたが、久しぶりにみる純和船、しかも川舟の姿を目にできたのが嬉しく、月見館の心意気が伝わってくるようでした。
(21年9月11日撮影)
(『三十石舟の宿・月見館…2』につづく)

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平戸樋門
(『三栖洗堰』のつづき)
●京阪線に乗り、中書島の隣、宇治川畔は観月橋駅で下車。観月橋の橋詰には、何やらいわくありげな石柱が…明治天皇が通られたところのようですね、ふむ。
さて、目指すは月見館…なのですが、その前にちょっと、見ておきたいものが。

●駅から、堤防道を少し下流側に歩くと、ありました。赤レンガの台の上に乗った、何やら物々しいトラス構造が。先ほど十石舟で走った、濠川…いや違った、宇治川派流の吐け口、平戸樋門です。
トラスの架構から垂らされているのは、ワイヤーなどではなくチェーン。ずいぶん古典的な水門が残っていたものですが、トラスをよーく見ると、継ぎ手にリベットがなく、ずいぶんのっぺりとしているのがわかります。何か違和感がありますね。
●早々にばらしてしまうと、上部構造や扉体を昔風に作り直した、言わば復元水門だったのです。ご覧のとおり、銘板の竣工年月には「平成16年3月」とありました。
しかし、閘門や洗堰のみならず、こんな小さな樋門にも、復元工事が施されているとは、ちょっと驚きですね。レンガの造作からして、古いものには違いありますまいが、やはり伏見の街にとって、特別な存在なのでしょうか。
(復元前の平戸樋門の写真はAGUAの『宇治川派流』に掲載されています。)
●全貌を見てみたくなり、法面を危なっかしい足取りで駆け下りて、高水敷から一枚。う~ん、例によってうまく撮れなかった…。
しかし、ここから見上げると、石の装飾も美しく、実に威厳のある樋門じゃないですか! 「こんな小さな樋門」などと言ったのが、申しわけない気持ちになりました。
ん? あれは…。
●復元された扉体の形の面白さや、石の銘板の立派さはさておき、気になったのは扉体前の、左右にある側壁。
三つのアイに渡されたチェーン…これはどう考えても、繋船用に設けられたものとしか思えない…。かつてはここも、舟が通っていたのではないでしょうか?
宇治川の水位が低くなる前は、チェーンにもやいを取れる位置に、水面があったに違いありません。小さな発見でしたが、水運時代の匂いを残すものに出会えて、嬉しくなりました。
【撮影地点のMapion地図】
(21年9月11日撮影)
【21年10月10日追記】3段目のリンクに誤りがあったので、訂正しました。間違ってリンクしていた、日本の川と災害さんにお詫び申し上げます。
この後、検索していたら、「平戸樋門ゲート設備修繕工事」(J=GLOBAL)を発見。なるほど、大正15年建設で、当初は木製ゲートだったのですね。
(『三十石舟の宿・月見館…1』につづく)

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さて、目指すは月見館…なのですが、その前にちょっと、見ておきたいものが。

●駅から、堤防道を少し下流側に歩くと、ありました。赤レンガの台の上に乗った、何やら物々しいトラス構造が。先ほど十石舟で走った、濠川…いや違った、宇治川派流の吐け口、平戸樋門です。
トラスの架構から垂らされているのは、ワイヤーなどではなくチェーン。ずいぶん古典的な水門が残っていたものですが、トラスをよーく見ると、継ぎ手にリベットがなく、ずいぶんのっぺりとしているのがわかります。何か違和感がありますね。

しかし、閘門や洗堰のみならず、こんな小さな樋門にも、復元工事が施されているとは、ちょっと驚きですね。レンガの造作からして、古いものには違いありますまいが、やはり伏見の街にとって、特別な存在なのでしょうか。
(復元前の平戸樋門の写真はAGUAの『宇治川派流』に掲載されています。)

しかし、ここから見上げると、石の装飾も美しく、実に威厳のある樋門じゃないですか! 「こんな小さな樋門」などと言ったのが、申しわけない気持ちになりました。
ん? あれは…。

三つのアイに渡されたチェーン…これはどう考えても、繋船用に設けられたものとしか思えない…。かつてはここも、舟が通っていたのではないでしょうか?
宇治川の水位が低くなる前は、チェーンにもやいを取れる位置に、水面があったに違いありません。小さな発見でしたが、水運時代の匂いを残すものに出会えて、嬉しくなりました。
【撮影地点のMapion地図】
(21年9月11日撮影)
【21年10月10日追記】3段目のリンクに誤りがあったので、訂正しました。間違ってリンクしていた、日本の川と災害さんにお詫び申し上げます。
この後、検索していたら、「平戸樋門ゲート設備修繕工事」(J=GLOBAL)を発見。なるほど、大正15年建設で、当初は木製ゲートだったのですね。
(『三十石舟の宿・月見館…1』につづく)

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三栖洗堰
(『三栖閘門…3』のつづき)
●三栖閘門とコンビを組む治水施設、三栖洗堰も見てみましょう。こちらは閘門と異なり、現役で稼働している水門です。
濠川から見た第一印象は、関宿水閘門(過去ログより写真…水門・閘門)に似た雰囲気だなあ、ということ。関宿が昭和2年、三栖が同3年竣工と、世代が近いこともあるでしょう。
加えて、大河川を内陸深く遡った場所に位置し、閘門を併設しているあたりも、境遇が似かよっており、内陸水運の近代化に貢献したという意味でも、関宿と三栖は、東西のカウンターパートと言ってよいように思えました。

●宇治川方、表側を見たところ。左端の開放されたゲートから、水が渦を巻いて、轟々と流れ下っているのが見られました。
扉体は…キャンバー付きではなかったものの、中央にふくらみを持たせた三面構成。ゲート型式は閘門同様、ストーニーゲートだったのですが、平成2年の改修で巻上機を電動化するとともに、ローラーゲートに改造されたとのこと。扉体もその際、新製されたのですが、わざわざリベット継手構造とし、往年のスタイルを崩さないようにしたのだとか。さすが。
●水の流れ下ったその先は、言うまでもなく宇治川なのですが、この水位差は本当に凄い…。
かつては、濠川とさほど変わらない水面高だったとは、にわかに信じがたい落差があります。この後にも、宇治川の水位低下についての話題が出て、考えさせられることになるのですが、この様子をあらかじめ見ておかなかったら、どれほどの低下ぶりだったか、ピンと来なかったことでしょう。
【撮影地点のMapion地図】
●濠川の上流側に出て、閘門に戻ろうとしたら…さっき船頭さんが言ったとおり、子供たちが泳いでいる!
洗堰から吐き出される水流の猛烈さを、見てきたばかりだったので、わずか100mほどしか離れていないあそこに吸い込まれでもしたらと、肝を冷やしました。
しかし、子供たちの嬉しそうなこと! 伏見の少年たちにとって、濠川は腕白放題のできる、母なる川なのでしょうね。京都市内にもかかわらず、こんなのどかな風景を見られるなんて…。伏見はきっと、住みよいところに違いありません。
●ふたたび閘室の船着場から十石舟に乗り、濠川を戻ります。
美しい河畔道が整備された、魚影濃い舟航水路、古典味あふれる閘門に水門、そして子供たち…。小さな面積に、見どころがぎっしり詰まった小水郷・伏見、また訪ねてみたくなる街でした。
短い散策の後は、またまた京阪電車のお世話になり、お隣の観月橋へと急ぎます。本日最後の訪問先は、これも以前から気になっていた三十石舟の宿、月見館!
(21年9月11日撮影)
(『平戸樋門』につづく)

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濠川から見た第一印象は、関宿水閘門(過去ログより写真…水門・閘門)に似た雰囲気だなあ、ということ。関宿が昭和2年、三栖が同3年竣工と、世代が近いこともあるでしょう。
加えて、大河川を内陸深く遡った場所に位置し、閘門を併設しているあたりも、境遇が似かよっており、内陸水運の近代化に貢献したという意味でも、関宿と三栖は、東西のカウンターパートと言ってよいように思えました。

●宇治川方、表側を見たところ。左端の開放されたゲートから、水が渦を巻いて、轟々と流れ下っているのが見られました。
扉体は…キャンバー付きではなかったものの、中央にふくらみを持たせた三面構成。ゲート型式は閘門同様、ストーニーゲートだったのですが、平成2年の改修で巻上機を電動化するとともに、ローラーゲートに改造されたとのこと。扉体もその際、新製されたのですが、わざわざリベット継手構造とし、往年のスタイルを崩さないようにしたのだとか。さすが。

かつては、濠川とさほど変わらない水面高だったとは、にわかに信じがたい落差があります。この後にも、宇治川の水位低下についての話題が出て、考えさせられることになるのですが、この様子をあらかじめ見ておかなかったら、どれほどの低下ぶりだったか、ピンと来なかったことでしょう。
【撮影地点のMapion地図】

洗堰から吐き出される水流の猛烈さを、見てきたばかりだったので、わずか100mほどしか離れていないあそこに吸い込まれでもしたらと、肝を冷やしました。
しかし、子供たちの嬉しそうなこと! 伏見の少年たちにとって、濠川は腕白放題のできる、母なる川なのでしょうね。京都市内にもかかわらず、こんなのどかな風景を見られるなんて…。伏見はきっと、住みよいところに違いありません。

美しい河畔道が整備された、魚影濃い舟航水路、古典味あふれる閘門に水門、そして子供たち…。小さな面積に、見どころがぎっしり詰まった小水郷・伏見、また訪ねてみたくなる街でした。
短い散策の後は、またまた京阪電車のお世話になり、お隣の観月橋へと急ぎます。本日最後の訪問先は、これも以前から気になっていた三十石舟の宿、月見館!
(21年9月11日撮影)
(『平戸樋門』につづく)

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