「水都号」が気になる!
●川や運河を走るフネブネの姿をとらえた絵葉書を、惹かれるままに集めているのは相変わらずなのですが、意外とご縁がないのが、大阪の川舟たちや水路風景を題材にした絵葉書です。
国内を代表する水路の街であることを、自他ともに認めてきた大阪のことですから、その手の絵葉書が少ないはずはなく、単に私が見落としているか、ご縁が薄いだけなのだと思いますが、それでも何枚かの川景色やフネブネを写した絵葉書が、手元に集まってきました。中でも気になったのが、以下の3枚に写っていた船のことです。

●中央公会堂の重厚な姿と、美しく整備成った水辺をバックに快走する、純白の船。遠いのでディテールは判然としませんが、どこかつるりとした、スマートなデザインの船であることは写真からも見て取れます。
キャプションには「観光艇」‥‥。これだけでは何とも、素性のわかりようがありません。しかし、昭和戦前の大阪の川で、格好のよい観光用の船が就航していたことを知って、楽しい気分になったのでした。

●次に見つけたのは上の絵葉書。あっ、この間も見た船だ! 背後のテラスには「観光艇のりば」と書かれた看板が掲げられ、船着場に達着中であることがわかりますね。今度はだいぶ近寄って撮られたものだったため、ディテールがかなり判別できます。
全体に丸みをおびた、当時流行の流線形を意識したと思しき外観です。操舵室は客室より一段高く造られ、後ろにもスリット状の窓が設けられているあたり、曲線を取り入れた窓の形と調和して、なかなか斬新な感じ。後部はキャンバスオーニングを張った露天甲板と、レイアウトは現代の水上バスに近く、流線形スタイルとともに、80年近く前とは思えない近代味を感じさせますね。
他地方の河川では、まだ曳船に客用艀というパターンが幅を利かせていた時代、この船は時代を先取りどころか、抜きん出た存在だったのではないでしょうか。いや、すっかり気に入ってしまいました。

●最後に入手したのが、航走中の姿を前方からアップでとらえたもの! これには嬉しくなりました。しかも、キャプションには「観光艇『水都』號」とあり、船名が「水都号」であることも判明。
迫りくる姿を見ると、まさに「流線形時代の寵児」と、大時代なフレーズで呼んでこそしっくりくるようなスタイルが一目瞭然! タートルバックの船首甲板、流れるようなラインと、それに合わせて配された五枚の前面窓など、魅力満載の角度といってもいい過ぎでないでしょう。
●さて、こうなると「水都号」の素性が、ますます気になってくるところ。何冊か本をひっくり返しても記述に当たらず、しばらく忘れて過ごしていたら、ある日ふと開いた「写真で見る大阪市100年」(編集・発行・財団法人大阪都市協会、平成元年)に、小さいものの写真と、かなり詳しいキャプションが載っていたのにようやく気付き、小躍りしました。
掲載されていた写真は、堂島川を下る「水都号」の姿と、豪華な船内、そして女性乗務員「マリンガール」のポートレートの3枚。以下、キャプションを抜粋してみましょう。
「商都大阪の繁栄を広く内外に紹介するため、昭和11年6月に就航した。コースは淀屋橋-土佐堀川-天神橋-堂島川-安治川-大阪港-木津川-土佐堀川-淀屋橋。料金は大人1円、子供50銭であった。」
「長さ15m、幅4.5m、31.4tの『水都』は流線形の船体にサロン式のキャビンを持つ豪華船。」
「ボーイッシュな帽子、白いリボンのついたセーラー服でフレッシュな案内が好評であった。」
●コースに料金のみならず船体寸法に加え、女性乗務員の存在や夏冬の制服の写真までと、小粒ながらも至れりつくせりの内容に、もうすっかりご満悦。当時のモダン大阪の最先端シーンを演出した、重要な船だったことが記事からも伝わってきました。
「水都号」はその後、どうなったのでしょう。水上観光の看板船として、戦後も元気に大阪の川を走っていたのでしょうか。鳴り物入りで就航した豪華船となれば、さぞ目立ったことでしょうから、もし戦後も活躍していたのなら、記憶されている方も少なくないに違いありません。晩年の姿を記録した本や記事があったら、ぜひ拝見してみたいものです。

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国内を代表する水路の街であることを、自他ともに認めてきた大阪のことですから、その手の絵葉書が少ないはずはなく、単に私が見落としているか、ご縁が薄いだけなのだと思いますが、それでも何枚かの川景色やフネブネを写した絵葉書が、手元に集まってきました。中でも気になったのが、以下の3枚に写っていた船のことです。

●中央公会堂の重厚な姿と、美しく整備成った水辺をバックに快走する、純白の船。遠いのでディテールは判然としませんが、どこかつるりとした、スマートなデザインの船であることは写真からも見て取れます。
キャプションには「観光艇」‥‥。これだけでは何とも、素性のわかりようがありません。しかし、昭和戦前の大阪の川で、格好のよい観光用の船が就航していたことを知って、楽しい気分になったのでした。

●次に見つけたのは上の絵葉書。あっ、この間も見た船だ! 背後のテラスには「観光艇のりば」と書かれた看板が掲げられ、船着場に達着中であることがわかりますね。今度はだいぶ近寄って撮られたものだったため、ディテールがかなり判別できます。
全体に丸みをおびた、当時流行の流線形を意識したと思しき外観です。操舵室は客室より一段高く造られ、後ろにもスリット状の窓が設けられているあたり、曲線を取り入れた窓の形と調和して、なかなか斬新な感じ。後部はキャンバスオーニングを張った露天甲板と、レイアウトは現代の水上バスに近く、流線形スタイルとともに、80年近く前とは思えない近代味を感じさせますね。
他地方の河川では、まだ曳船に客用艀というパターンが幅を利かせていた時代、この船は時代を先取りどころか、抜きん出た存在だったのではないでしょうか。いや、すっかり気に入ってしまいました。

●最後に入手したのが、航走中の姿を前方からアップでとらえたもの! これには嬉しくなりました。しかも、キャプションには「観光艇『水都』號」とあり、船名が「水都号」であることも判明。
迫りくる姿を見ると、まさに「流線形時代の寵児」と、大時代なフレーズで呼んでこそしっくりくるようなスタイルが一目瞭然! タートルバックの船首甲板、流れるようなラインと、それに合わせて配された五枚の前面窓など、魅力満載の角度といってもいい過ぎでないでしょう。
●さて、こうなると「水都号」の素性が、ますます気になってくるところ。何冊か本をひっくり返しても記述に当たらず、しばらく忘れて過ごしていたら、ある日ふと開いた「写真で見る大阪市100年」(編集・発行・財団法人大阪都市協会、平成元年)に、小さいものの写真と、かなり詳しいキャプションが載っていたのにようやく気付き、小躍りしました。
掲載されていた写真は、堂島川を下る「水都号」の姿と、豪華な船内、そして女性乗務員「マリンガール」のポートレートの3枚。以下、キャプションを抜粋してみましょう。
「商都大阪の繁栄を広く内外に紹介するため、昭和11年6月に就航した。コースは淀屋橋-土佐堀川-天神橋-堂島川-安治川-大阪港-木津川-土佐堀川-淀屋橋。料金は大人1円、子供50銭であった。」
「長さ15m、幅4.5m、31.4tの『水都』は流線形の船体にサロン式のキャビンを持つ豪華船。」
「ボーイッシュな帽子、白いリボンのついたセーラー服でフレッシュな案内が好評であった。」
●コースに料金のみならず船体寸法に加え、女性乗務員の存在や夏冬の制服の写真までと、小粒ながらも至れりつくせりの内容に、もうすっかりご満悦。当時のモダン大阪の最先端シーンを演出した、重要な船だったことが記事からも伝わってきました。
「水都号」はその後、どうなったのでしょう。水上観光の看板船として、戦後も元気に大阪の川を走っていたのでしょうか。鳴り物入りで就航した豪華船となれば、さぞ目立ったことでしょうから、もし戦後も活躍していたのなら、記憶されている方も少なくないに違いありません。晩年の姿を記録した本や記事があったら、ぜひ拝見してみたいものです。

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「クイーンリバー」時代の「カワセミ」の写真を‥‥

●‥‥撮っていたのに、たった今気づかされました! 写真を整理していて、「あれ? これは!」と、まあ驚いたのなんの。
2年と少し前、『水上バス「カワセミ」のこと』でも触れたように、ZENさんに「カワセミ」の前身が「クイーンリバー」であることをご教示いただいたのですが‥‥。それ以前、21年9月12日の大阪訪問時に、すでに河上で出会っていたとは。まったくお恥ずかしいかぎりです。
●ご覧のとおり、ブレブレの不出来な写真ではありますが、「カワセミ」君の帰京前の姿が記録できていたとは、嬉しいことには違いありません。写真の順番から見ると、天神橋をくぐった直後、土佐堀川(『浪花濃厚水路…3』参照)で撮ったようですね。
改めて眺めてみると、ピンクと白の塗装が色あせた感じで、全体的にちょっとくたびれた風ですが、今とはまた違った、船齢相応のカンロクがあるようにも見えます。ともあれ、これからも「クイーンリバー」時代に負けない、縦横の活躍を見せていただきたいものです。
(21年9月12日撮影)

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浪花濃厚水路…15
(『浪花濃厚水路…14』のつづき)
●ナニワの水の回廊を一周して、大川・天満橋は八軒家浜前に戻ってきました。フローティングダック君の、キュートなおケツ(笑)を眺めながら、残りわずかとなった大阪の水路との逢瀬に、名残を惜しみます。
無線で連絡でも入ったのか、船長さんより「桟橋が空くまで、少し時間待ちをします」とのアナウンスが。堂島川に入るまでは、「遅くなると、橋がくぐれなくなるので、ちょっと飛ばしますよ!」と、結構なスピードで行程を消化していたので、ゆっくり走るのはかえって新鮮なくらいでした。
●厚い曇り空の下、漂泊と微速航行を繰り返して待っていると、さすがに肌寒くなってきました。大阪城港に到着すると、なるほど、まだ水上バスが離岸作業中。「水都大阪2009」のお祭り中とあって、桟橋も大忙しのようですね。
2時間に渡った大阪中心部の水路めぐりも、これでおしまい。いや、閘門あり、最低橋ありの目眩がするような濃厚さ、あっという間の2時間でした。
●船長さんにお礼を言って船を降り、大阪城新橋を渡っていると、我々が乗っていた「アクアmini」が、早くもお客さんを満載して、ふたたび出港! ご繁盛ぶりは何よりですが、船長さん、大変だなあ…。
驚いたのは、この直後、遅い昼食をとろうと食堂に入ったとたん、外は土砂降りになったこと!
我々が降りるまで、天気を持たせてくれた、大阪の水路の神様に心から感謝。…しかし、「アクアmini」の船長さんや満員のお客さん、本当にお気の毒でした…。風邪などひかれていないといいのですが。

●今回「水の回廊コース」に乗って、嬉しかった特典(?)が、この通航証明書がいただけたこと。
ご覧のとおり、東横堀川・道頓堀川の両閘門の、タイル画風の絵をあしらったパウチカードで、閘室での注水待ちの際、船長さん自ら配ってくれました。
通航した日付のところに、パンチ穴が開けてあるあたり、昔の都電の切符を思い出させて、懐かしい感じが…。裏面は、「水都大阪2009」のポスターで話題になった、平松大阪市長と橋下府知事が、水面から顔を出している例の写真が載っているという、楽しい雰囲気のカードになっていました。

●長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。船頭の大阪~京都、土木・水運観光旅行のお話は、これでおしまいです。
最初にも書いたように、まるでお菓子の家に迷い込んだ子供のようで、見るもの聞くこと、楽しいこと、興奮することばかりでした。また、本やサイトの上ではわからない、まさに「百聞は一見にしかず」を実感した新発見もあり、どれが一番、というわけではないのですが…。あえて、中でももっとも印象深かったことを挙げるとすれば、やはり、淀川遡上の際、下ってくる砂船の船団に出会えたことでしょうか。
舟運路として、長い歴史を誇る淀川に、今なお息づく現役の河川水運! この貴重な川景色が、いつまでも失われないことを願って止みません。
(21年9月12日撮影)
【9月11~12日の項の参考文献】
市立 枚方宿鍵屋資料館 展示案内 枚方市教育委員会
子供の科学 昭和7年6月号 誠文堂新光社
京都インクライン物語(田村喜子 著)山海堂
国土づくりの礎 川が語る日本の歴史(松浦茂樹 著)鹿島出版会
日本の戦艦 上(泉 江三 著)グランプリ出版
写真で見る 大阪市百年 財団法人大阪都市協会
鋼製ゲート百選(水門の風土工学研究委員会)技報堂出版
日本百名橋(松村 博 著)鹿島出版会
東京の橋(伊東 孝 著)鹿島出版会
大阪城・道頓堀コース 水都号アクアmini(案内リーフレット)大阪水上バス
(この項おわり)

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無線で連絡でも入ったのか、船長さんより「桟橋が空くまで、少し時間待ちをします」とのアナウンスが。堂島川に入るまでは、「遅くなると、橋がくぐれなくなるので、ちょっと飛ばしますよ!」と、結構なスピードで行程を消化していたので、ゆっくり走るのはかえって新鮮なくらいでした。

2時間に渡った大阪中心部の水路めぐりも、これでおしまい。いや、閘門あり、最低橋ありの目眩がするような濃厚さ、あっという間の2時間でした。

驚いたのは、この直後、遅い昼食をとろうと食堂に入ったとたん、外は土砂降りになったこと!
我々が降りるまで、天気を持たせてくれた、大阪の水路の神様に心から感謝。…しかし、「アクアmini」の船長さんや満員のお客さん、本当にお気の毒でした…。風邪などひかれていないといいのですが。

●今回「水の回廊コース」に乗って、嬉しかった特典(?)が、この通航証明書がいただけたこと。
ご覧のとおり、東横堀川・道頓堀川の両閘門の、タイル画風の絵をあしらったパウチカードで、閘室での注水待ちの際、船長さん自ら配ってくれました。
通航した日付のところに、パンチ穴が開けてあるあたり、昔の都電の切符を思い出させて、懐かしい感じが…。裏面は、「水都大阪2009」のポスターで話題になった、平松大阪市長と橋下府知事が、水面から顔を出している例の写真が載っているという、楽しい雰囲気のカードになっていました。

●長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。船頭の大阪~京都、土木・水運観光旅行のお話は、これでおしまいです。
最初にも書いたように、まるでお菓子の家に迷い込んだ子供のようで、見るもの聞くこと、楽しいこと、興奮することばかりでした。また、本やサイトの上ではわからない、まさに「百聞は一見にしかず」を実感した新発見もあり、どれが一番、というわけではないのですが…。あえて、中でももっとも印象深かったことを挙げるとすれば、やはり、淀川遡上の際、下ってくる砂船の船団に出会えたことでしょうか。
舟運路として、長い歴史を誇る淀川に、今なお息づく現役の河川水運! この貴重な川景色が、いつまでも失われないことを願って止みません。
(21年9月12日撮影)
【9月11~12日の項の参考文献】










(この項おわり)

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浪花濃厚水路…14
(『浪花濃厚水路…13』のつづき)
●旧堂島川可動堰で、今ひとつ気になったのがこれです。
くぐってから、南側に見えたこの低い背割堤…橋脚に接して、一径間分を区切り上流側に延びています。向こうにはポンツン桟橋が設けられ、現在は船着場として使われているようですが、これ、もしかして閘室の跡じゃないですか?

ホンモノのGoogleマップで堂島川可動堰閘門を表示
●例のごとく帰宅後、Googleの航空写真で確かめてみると、やはり! 閘室だったようです。南側のみ、扉体の収納される凹みがあるところを見ると、上流側扉体は、扉一枚のスイングゲートだったのでしょう。下流側ゲートは、もちろん可動堰の一径間、ラジアルゲートを使い、閘門を形成していたというわけですね。
干潮に向かう時間帯、各可動堰が全閉となって、水位差が生じたときは、当然舟運に支障が出ますから、この閘門を使って通船を確保していたのですね。他の可動堰にも、やはり閘門がついていたのでしょうか?
●この閘門について触れた記事や、画像がないかしらと検索してみたら…、ありました。「大川の美観をになう水晶橋」(808bashi.jp)。あ、フラッシュ放水について、ここにも書いてあった…。
閘門部分を写した、写真もありました。「堂島川ダム付近」(土木学会付属土木図書館・戦前絵葉書 1.橋 27.大阪府)絵葉書ですが、スイングゲートの姿が、はっきりとらえられていますね。
●緊迫の堂島川連続すり抜けは、名残惜しくも水晶橋でおしまい。
緑色の桁橋、鉾流橋(昭和4年竣工)は、すでに充分な桁下高がありました。沈下が著しかったのは、西側の橋が多いようですね、このあたりの理由が知りたいところです。
●堂島川・土佐堀川と、中之島を横断して架かる難波橋。立派な親柱と、石張り装飾の橋脚が印象的です。
鋼桁部分は戦後の架け替えながら、親柱やライオン像など装飾は大正4年竣工当時のものを活かしており、現在も「ライオン橋」の愛称で親しまれているとか。
●中之島の東端部分、堂島川と土佐堀川を短絡する、短い水路があるのですが、ここにも2径間のアーチ橋が。
難波橋から東の中之島は、後に延長された部分だそうですので、見た目ほど古くはないなのかもしれませんが、小水路を渡る石造風アーチ、いい雰囲気ですね。
【撮影地点のMapion地図】
(21年9月12日撮影)
(『浪花濃厚水路…15』につづく)

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くぐってから、南側に見えたこの低い背割堤…橋脚に接して、一径間分を区切り上流側に延びています。向こうにはポンツン桟橋が設けられ、現在は船着場として使われているようですが、これ、もしかして閘室の跡じゃないですか?

ホンモノのGoogleマップで堂島川可動堰閘門を表示
●例のごとく帰宅後、Googleの航空写真で確かめてみると、やはり! 閘室だったようです。南側のみ、扉体の収納される凹みがあるところを見ると、上流側扉体は、扉一枚のスイングゲートだったのでしょう。下流側ゲートは、もちろん可動堰の一径間、ラジアルゲートを使い、閘門を形成していたというわけですね。
干潮に向かう時間帯、各可動堰が全閉となって、水位差が生じたときは、当然舟運に支障が出ますから、この閘門を使って通船を確保していたのですね。他の可動堰にも、やはり閘門がついていたのでしょうか?
●この閘門について触れた記事や、画像がないかしらと検索してみたら…、ありました。「大川の美観をになう水晶橋」(808bashi.jp)。あ、フラッシュ放水について、ここにも書いてあった…。
閘門部分を写した、写真もありました。「堂島川ダム付近」(土木学会付属土木図書館・戦前絵葉書 1.橋 27.大阪府)絵葉書ですが、スイングゲートの姿が、はっきりとらえられていますね。

緑色の桁橋、鉾流橋(昭和4年竣工)は、すでに充分な桁下高がありました。沈下が著しかったのは、西側の橋が多いようですね、このあたりの理由が知りたいところです。

鋼桁部分は戦後の架け替えながら、親柱やライオン像など装飾は大正4年竣工当時のものを活かしており、現在も「ライオン橋」の愛称で親しまれているとか。

難波橋から東の中之島は、後に延長された部分だそうですので、見た目ほど古くはないなのかもしれませんが、小水路を渡る石造風アーチ、いい雰囲気ですね。
【撮影地点のMapion地図】
(21年9月12日撮影)
(『浪花濃厚水路…15』につづく)

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浪花濃厚水路…13
(『浪花濃厚水路…12』のつづき)
●お次も有名な橋ですね、水晶橋…旧堂島川可動堰です。こちらも沈下が著しいのに加えて、満潮に向かう時間帯と来ては、少々哀れな感じがするのも致し方ないところですが、昭和4年竣工の風格は失われていません。
径間が短く、アーチリングの半径が小さいこともあって、船長さんからは「くぐる時、もしかしたらちょっと手すりがぶつかるかも知れませんが、大丈夫ですから気にしないでください!」と、異例のアナウンスが(笑)。イイぞ船長さん! 思わず外人ばりに「グッジョブ!」と親指を立ててしまったよ!

●接近しつつ、側面のディテールを堪能。柱に取り付けられた橋側灯、中の模様は何か意味があるのかしら…。中央2径間のアーチは、改修されて厚みが増しており、ちょっとバランスを欠いているのが残念。両岸沿いの径間のように、ツライチに近いほうがやはり、美しいですね。
径間中央、アーチの上には長方形の鉄板が貼られていますが、昔の写真を見ると、3灯式信号のようなものが取り付けられています。そういう形の装飾だったのか、または本当に、ゲート開閉を船に知らせるための信号灯だったのか…。ご存知の方、ご教示ください。
【撮影地点のMapion地図】
●ブレてしまいましたが、内部の構造を何とか撮影。
ご存知のように、つい最近(平成14年に撤去されたとのこと)まで、橋の中にはラジアルゲートが設備されていました。いや、橋の中と言うと逆になりますか、水門を橋に擬してあつらえた、と言った方が正しいでしょう。
内部は当然ながら空間が広く取られ、鉄骨を組んだ複雑な構造が、この橋が「水門」であったことをしのばせ、一人コーフンする船頭。
●こちらで使われていたラジアルゲートは、先ほど東横堀川・道頓堀川の2閘門で紹介した扉体とほぼ同じ構造で、軸を中心にして湾曲した扉を回転させる型式。写真左側、アーチの近くの柱に、曲線の戸溝が見えますが、あそこを通って扉が上下していたのですね。
●すり抜けてから振り返って。ゲート設備が撤去された今は、人道橋として再整備され、橋上には植え込みも設けられているようですね。
旧堂島川可動堰、景観重視型水門の成功例として、その手の本には必ず採り上げられる著名物件ですが…。見方を変えれば、橋という隠れ蓑で人目を忍んだ、言わば水門としては日陰者ですから、水門愛好家の皆さんの間では、好みが分かれるところもあろうと思います。
●まあ、水晶橋というオブラートでくるんだがゆえに、大阪市民からは長きに渡り愛されているのですから、この試みが大成功だったのは、間違いありますまい。国内では珍しい、変わり型の水門としても、長く記憶されるべき存在でしょう。

●堂島可動堰…水晶橋が竣工間もなかったころの、美しい姿を伝える絵葉書があったので、ご覧に入れましょう。まだ堤防がかさ上げされる前ですので、手前の径間からの連続した側面を楽しめます。
「大阪名所 ダム(可動堰)」と題されたこの絵葉書、キャプションが昔の大阪弁で書かれており、面白いので全文をご紹介します。
ここで川の流れを加減して水を淨めるのだす。大阪は水の都やけど川もほっといたらきたのうなってどむならんのでこんな立派なダムができたんだす。橋になってますさかいに人は渡れますが階段がおますので車は渡れまへん。
●そうそう、ひとつ気になっていたことがあったのだった…。
絵葉書にも「水を淨める」と書かれているように、堂島川可動堰をはじめとする、大阪市内の橋型(?)ラジアルゲート群が建設された目的は、その手の本を読んでも「河川の水質浄化のため」とありました。
ただし、肝心の水質浄化の方法については触れられておらず、長い間の謎だったのです。
「水門の開閉だけで、どうやって水をきれいにしているんだろう? もしかして、何門か閉めて流路を狭め、流速を早くするとか?」などと考えていたのですが、こうして訪ねたのもご縁と、例のごとく帰宅後に検索してみると…。
●…「淀川下流域の維持流量の変遷」なる、プレゼン資料のようなPDFがヒット。これの5ページ目「2.大阪市の発展と市内派川浄化用水の必要性」を読んで、ようやく長年の謎が解けました!
「可動堰の操作は、満潮時に堰を閉鎖して堰上流に水をため、干潮時に堰を解放して派川の流速を速め、汚濁をフラッシュするものであった。」
なるほど! 干潮時に一気に堰を開放することによって、言葉は悪いですが、ちょうど水洗トイレのように押し流す効果を狙ったものだったのですね。
●しかし、道頓堀川など、支派川の5つの可動堰群(6ページ『可動堰の概要』に、位置と詳細が掲載されています)と呼応して、連日ラジアルゲートがガンガン運転され、湛水と放流を繰り返していたなんて、想像するだに武者震いがする壮観じゃないですか!
水門というのは、閘門を別格として、非常時以外動かないことが普通なので、毎日運転される…しかも、複数同時に動き、その上溜めた水をドーッと放流するなんて! 血湧き肉躍る「動の水門風景」! 水門好きとしては、堪えられない眺めだったことでしょう。
(21年9月12日撮影)
(『浪花濃厚水路…14』につづく)

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径間が短く、アーチリングの半径が小さいこともあって、船長さんからは「くぐる時、もしかしたらちょっと手すりがぶつかるかも知れませんが、大丈夫ですから気にしないでください!」と、異例のアナウンスが(笑)。イイぞ船長さん! 思わず外人ばりに「グッジョブ!」と親指を立ててしまったよ!

●接近しつつ、側面のディテールを堪能。柱に取り付けられた橋側灯、中の模様は何か意味があるのかしら…。中央2径間のアーチは、改修されて厚みが増しており、ちょっとバランスを欠いているのが残念。両岸沿いの径間のように、ツライチに近いほうがやはり、美しいですね。
径間中央、アーチの上には長方形の鉄板が貼られていますが、昔の写真を見ると、3灯式信号のようなものが取り付けられています。そういう形の装飾だったのか、または本当に、ゲート開閉を船に知らせるための信号灯だったのか…。ご存知の方、ご教示ください。
【撮影地点のMapion地図】

ご存知のように、つい最近(平成14年に撤去されたとのこと)まで、橋の中にはラジアルゲートが設備されていました。いや、橋の中と言うと逆になりますか、水門を橋に擬してあつらえた、と言った方が正しいでしょう。
内部は当然ながら空間が広く取られ、鉄骨を組んだ複雑な構造が、この橋が「水門」であったことをしのばせ、一人コーフンする船頭。
●こちらで使われていたラジアルゲートは、先ほど東横堀川・道頓堀川の2閘門で紹介した扉体とほぼ同じ構造で、軸を中心にして湾曲した扉を回転させる型式。写真左側、アーチの近くの柱に、曲線の戸溝が見えますが、あそこを通って扉が上下していたのですね。

旧堂島川可動堰、景観重視型水門の成功例として、その手の本には必ず採り上げられる著名物件ですが…。見方を変えれば、橋という隠れ蓑で人目を忍んだ、言わば水門としては日陰者ですから、水門愛好家の皆さんの間では、好みが分かれるところもあろうと思います。
●まあ、水晶橋というオブラートでくるんだがゆえに、大阪市民からは長きに渡り愛されているのですから、この試みが大成功だったのは、間違いありますまい。国内では珍しい、変わり型の水門としても、長く記憶されるべき存在でしょう。

●堂島可動堰…水晶橋が竣工間もなかったころの、美しい姿を伝える絵葉書があったので、ご覧に入れましょう。まだ堤防がかさ上げされる前ですので、手前の径間からの連続した側面を楽しめます。
「大阪名所 ダム(可動堰)」と題されたこの絵葉書、キャプションが昔の大阪弁で書かれており、面白いので全文をご紹介します。
ここで川の流れを加減して水を淨めるのだす。大阪は水の都やけど川もほっといたらきたのうなってどむならんのでこんな立派なダムができたんだす。橋になってますさかいに人は渡れますが階段がおますので車は渡れまへん。
●そうそう、ひとつ気になっていたことがあったのだった…。
絵葉書にも「水を淨める」と書かれているように、堂島川可動堰をはじめとする、大阪市内の橋型(?)ラジアルゲート群が建設された目的は、その手の本を読んでも「河川の水質浄化のため」とありました。
ただし、肝心の水質浄化の方法については触れられておらず、長い間の謎だったのです。
「水門の開閉だけで、どうやって水をきれいにしているんだろう? もしかして、何門か閉めて流路を狭め、流速を早くするとか?」などと考えていたのですが、こうして訪ねたのもご縁と、例のごとく帰宅後に検索してみると…。
●…「淀川下流域の維持流量の変遷」なる、プレゼン資料のようなPDFがヒット。これの5ページ目「2.大阪市の発展と市内派川浄化用水の必要性」を読んで、ようやく長年の謎が解けました!
「可動堰の操作は、満潮時に堰を閉鎖して堰上流に水をため、干潮時に堰を解放して派川の流速を速め、汚濁をフラッシュするものであった。」
なるほど! 干潮時に一気に堰を開放することによって、言葉は悪いですが、ちょうど水洗トイレのように押し流す効果を狙ったものだったのですね。
●しかし、道頓堀川など、支派川の5つの可動堰群(6ページ『可動堰の概要』に、位置と詳細が掲載されています)と呼応して、連日ラジアルゲートがガンガン運転され、湛水と放流を繰り返していたなんて、想像するだに武者震いがする壮観じゃないですか!
水門というのは、閘門を別格として、非常時以外動かないことが普通なので、毎日運転される…しかも、複数同時に動き、その上溜めた水をドーッと放流するなんて! 血湧き肉躍る「動の水門風景」! 水門好きとしては、堪えられない眺めだったことでしょう。
(21年9月12日撮影)
(『浪花濃厚水路…14』につづく)

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