3月14日の弁天橋
(『3月14日の大横川…2』のつづき)

●弁天橋北側面に正対。おなじみの姿ながら、閑静な街場の水路にたたずむこの質実剛健なスタイル、よいものです。干潮のピークを控えている時間帯とて、南下する流速がそこそこあり、舵を当てながら慎重に進入。
「東京の橋」(石川悌二著)によると、創架年には言及されていなかったものの、当初は深川冬木町入堀橋と呼ばれていたとありました。現在の橋は昭和7年竣工、全長23.2m。
●くぐる直前に桁側面のアップを一枚。褪色のみならず、塗面の剥落が始まっていますね。ちなみにGoogleストリートビューで道路側の桁側面を見たら、錆色の下地が露出し、悲壮感漂う状態でした。
塗装の記録表記を取り忘れたのですが、塗色や橋名の書体から、以前の茂森橋同様、最後の塗装は平成7年前後なのではないでしょうか。26年ともなれば、傷みも進んでこようというものです。

●くぐりざま桁裏を何枚か撮ったうちの一枚。梁に開けられた管路用の開口まで、リベットで補強の枠が取り付けられた、この時代の橋ならではの造作をかいま見るのは楽しいもの。
梁下端面に泥の付着が見られますね。路盤のスラブから剥落した粉塵や、砂塵が雨滴の流れとともに溜まったのかしら。もしくは茂森橋同様、高潮位時には冠水しているのでしょうか。桁下高はA.P.+2.8mなので、増水や吹き寄せのない通常の大潮であれば、水に浸ることはないとは思うのですが。
●南側に出て、陽光を浴びる桁を眺めて。こちらはテラスの張り出しがないので、プレートガーダーの全容を見ることができます。
隣接して水管橋が複数本架かっているのは、江東の橋のお約束ではありますが、手前の桁を覆っている蔦が、弁天橋をも浸食(?)しつつあるのが気になりますね。鋼橋の保全上、決してよいことではありませんから‥‥。

●流速に抗しつつ、後進のままふたたび接近して、橋名部分をアップで。ああ、いいなあ、接手部分のリベットみっちりぶり。
中路式といってよいのでしょうか、路面が構造の中ほどより下にあり、両側面の鈑桁がそのまま高欄を兼用。一切の装飾を排し、親柱も略されているという、鋼橋の中で最も簡素な型式‥‥。
震災復興世代の橋もだいぶ架け替えが進み、可航河川に架かるこのタイプの鈑桁橋では、希少な生き残りとなった弁天橋。永くここに在ることを、祈らずにはおられません。
【撮影地点のMapion地図】
(令和3年3月14日撮影)
(『3月14日の大横川…3』につづく)

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●弁天橋北側面に正対。おなじみの姿ながら、閑静な街場の水路にたたずむこの質実剛健なスタイル、よいものです。干潮のピークを控えている時間帯とて、南下する流速がそこそこあり、舵を当てながら慎重に進入。
「東京の橋」(石川悌二著)によると、創架年には言及されていなかったものの、当初は深川冬木町入堀橋と呼ばれていたとありました。現在の橋は昭和7年竣工、全長23.2m。

塗装の記録表記を取り忘れたのですが、塗色や橋名の書体から、以前の茂森橋同様、最後の塗装は平成7年前後なのではないでしょうか。26年ともなれば、傷みも進んでこようというものです。

●くぐりざま桁裏を何枚か撮ったうちの一枚。梁に開けられた管路用の開口まで、リベットで補強の枠が取り付けられた、この時代の橋ならではの造作をかいま見るのは楽しいもの。
梁下端面に泥の付着が見られますね。路盤のスラブから剥落した粉塵や、砂塵が雨滴の流れとともに溜まったのかしら。もしくは茂森橋同様、高潮位時には冠水しているのでしょうか。桁下高はA.P.+2.8mなので、増水や吹き寄せのない通常の大潮であれば、水に浸ることはないとは思うのですが。

隣接して水管橋が複数本架かっているのは、江東の橋のお約束ではありますが、手前の桁を覆っている蔦が、弁天橋をも浸食(?)しつつあるのが気になりますね。鋼橋の保全上、決してよいことではありませんから‥‥。

●流速に抗しつつ、後進のままふたたび接近して、橋名部分をアップで。ああ、いいなあ、接手部分のリベットみっちりぶり。
中路式といってよいのでしょうか、路面が構造の中ほどより下にあり、両側面の鈑桁がそのまま高欄を兼用。一切の装飾を排し、親柱も略されているという、鋼橋の中で最も簡素な型式‥‥。
震災復興世代の橋もだいぶ架け替えが進み、可航河川に架かるこのタイプの鈑桁橋では、希少な生き残りとなった弁天橋。永くここに在ることを、祈らずにはおられません。
【撮影地点のMapion地図】
(令和3年3月14日撮影)
(『3月14日の大横川…3』につづく)

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8月1日の内部河川…3
(『8月1日の内部河川…2』のつづき)
●大横川の南北に伸びる区間が終わり、東西へ向きを変える地点にあるイイ感じの屈曲区間。
古川は一の橋のそれと並ぶ急曲線ですが、北上するコースを取ることが多いので、南下の視点で見るとちょっとだけ新鮮。ここを曲がり切れば‥‥。

●大横川南支川との丁字流。可航河川ではもはや数少なくなった中路式の鈑桁橋、弁天橋の健在を確認。
茂森橋同様、長きに渡り再塗装されていないようで、今後が少々心配な橋でもあります。同型式の橋はあらかた改架されてしまったので、この橋だけでもこっそりひっそり生き延びてほしいです。

●桁側面に河道断面の図(こちら参照)を掲げているのが特徴の、三ツ目通りの平木橋は足場がかかり、補修工事に入っていましたA.P.+2.58m、ふふふ、余裕、余裕ですのう。
はっ、余裕をかましている場合ではなかった。味のある河道断面の図、再塗装などされたら、撤去される可能性も出てきたなあ‥‥。くぐる際に足場を透かしてよく見てみたんですが、わかりませんでした。どうか外されませんように。

●平久川との変則十字流を左に折れて、南下しようと思ったら‥‥あらびっくり。平久橋の向こうは東岸に鋼矢板が打たれ、台船が河道一杯に詰まって工事中。
橋には「工事中、航行注意」の横断幕があり、通航止めとは書かれていませんでしたが、どうみても完全閉塞です。隅田川に出て迂回するしかありませんね。
●変則十字流の北側を見たら、汐見橋も補修工事中。仙台堀川の大規模な護岸工事も併せて考えると、今や西側河川は工事花盛りといった感じです。
放置されて久しい古豪橋梁たちのことを思うと、ちょっと複雑な気持ちになりますが、刻々と姿を変えゆく水路風景を眺めて歩くのは、完成後を想うとまた興味深いもの。橋も護岸も、堅牢に美しくあってほしいものです。
【撮影地点のMapion地図】
(元年8月1日撮影)
(この項おわり)

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古川は一の橋のそれと並ぶ急曲線ですが、北上するコースを取ることが多いので、南下の視点で見るとちょっとだけ新鮮。ここを曲がり切れば‥‥。

●大横川南支川との丁字流。可航河川ではもはや数少なくなった中路式の鈑桁橋、弁天橋の健在を確認。
茂森橋同様、長きに渡り再塗装されていないようで、今後が少々心配な橋でもあります。同型式の橋はあらかた改架されてしまったので、この橋だけでもこっそりひっそり生き延びてほしいです。

●桁側面に河道断面の図(こちら参照)を掲げているのが特徴の、三ツ目通りの平木橋は足場がかかり、補修工事に入っていましたA.P.+2.58m、ふふふ、余裕、余裕ですのう。
はっ、余裕をかましている場合ではなかった。味のある河道断面の図、再塗装などされたら、撤去される可能性も出てきたなあ‥‥。くぐる際に足場を透かしてよく見てみたんですが、わかりませんでした。どうか外されませんように。

●平久川との変則十字流を左に折れて、南下しようと思ったら‥‥あらびっくり。平久橋の向こうは東岸に鋼矢板が打たれ、台船が河道一杯に詰まって工事中。
橋には「工事中、航行注意」の横断幕があり、通航止めとは書かれていませんでしたが、どうみても完全閉塞です。隅田川に出て迂回するしかありませんね。

放置されて久しい古豪橋梁たちのことを思うと、ちょっと複雑な気持ちになりますが、刻々と姿を変えゆく水路風景を眺めて歩くのは、完成後を想うとまた興味深いもの。橋も護岸も、堅牢に美しくあってほしいものです。
【撮影地点のMapion地図】
(元年8月1日撮影)
(この項おわり)

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5月3日の西側河川…2
(『5月3日の西側河川…1』のつづき)

●平木橋はこのあたりで唯一、桁側面に河道断面図を掲げ航路幅を示しているという、いわば通航艇に向けてメッセージを発している親切な(?)橋。
しかし今回見てみたら、以前にもまして看板の腐食が進んでいて、残念ながら断面図も風前のともしびです。貴重な存在ではあるので、せめて通るたびに記録だけでもしておこう。
●寒色系の多い小橋梁の中でも、赤く塗り上げられた新田橋の存在は、一服の清涼剤といってもいいほど。
旧橋を意識した造作とともに、狭い水路幅によく似合う塗色だと思っているのですが、こちらもちょっと色あせてきたようですね。以前の真紅も鮮やかな桁を、取り戻していただきたいものです。
●大横川南支川との丁字流近く、例のイイ感じの急カーブの手前には、木製の杭が並び、角材をつなげた素朴な浮桟橋がもやっているのは何度か紹介しましたが、今日はここのヌシである曳船君が休んでいました。
姿を見かけないときもあるので、引退したかしらと心配させられることもあったものの、一見したところまだまだ現役のようです。今や大横川を母港(?)とする唯一の船、原木と筏曳船で水面が埋め尽くされていた時代を、かすかに忍ばせてくれる、これも貴重な存在なのですから。

●曳船‥‥と呼んでいいものか、バウにも小さいながら甲板室があって、胴の間も広く取られ、通船も兼ねていそうな造作ではありますね。フロントグラスは折り畳み式、甲板室はブルワークと高さがさして変わらないほど、めり込んだような造りで、とにかく全高を抑えようという、強烈な意志が感じられます。
昔の木場を写した写真で、この船よりさらに平べったい、まるでつぶれたようなスタイルの木造曳船が、筏を曳いて活躍しているのを何度か見たことがあります。考えてみると、これはいってみれば「江東内部河川型」なのではないでしょうか? 都内の川が、全体的に橋が低いとはいえ、ここまで高さを抑える必要は、江東以外は無いように思えるからです。

●通り過ぎざまに、大横川南支川の弁天橋も。考えてみれば‥‥って、考えてばかりで恐縮ですが(普段は何も考えていない)、両側面の鈑桁で高欄を兼ねた、中路式というんでしょうか、この手の最も簡素な鋼桁橋も、もはや数少なくなってきましたよね。
過去にも触れたように、神田川可航部ではもう絶滅してしまったし、都内にはあといくつ残っているのでしょうか。むしろトラスより、震災復興橋としては希少になっているのかもしれません。
【撮影地点のMapion地図】
(27年5月3日撮影)
(『5月3日の西側河川…3』につづく)

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●平木橋はこのあたりで唯一、桁側面に河道断面図を掲げ航路幅を示しているという、いわば通航艇に向けてメッセージを発している親切な(?)橋。
しかし今回見てみたら、以前にもまして看板の腐食が進んでいて、残念ながら断面図も風前のともしびです。貴重な存在ではあるので、せめて通るたびに記録だけでもしておこう。

旧橋を意識した造作とともに、狭い水路幅によく似合う塗色だと思っているのですが、こちらもちょっと色あせてきたようですね。以前の真紅も鮮やかな桁を、取り戻していただきたいものです。

姿を見かけないときもあるので、引退したかしらと心配させられることもあったものの、一見したところまだまだ現役のようです。今や大横川を母港(?)とする唯一の船、原木と筏曳船で水面が埋め尽くされていた時代を、かすかに忍ばせてくれる、これも貴重な存在なのですから。

●曳船‥‥と呼んでいいものか、バウにも小さいながら甲板室があって、胴の間も広く取られ、通船も兼ねていそうな造作ではありますね。フロントグラスは折り畳み式、甲板室はブルワークと高さがさして変わらないほど、めり込んだような造りで、とにかく全高を抑えようという、強烈な意志が感じられます。
昔の木場を写した写真で、この船よりさらに平べったい、まるでつぶれたようなスタイルの木造曳船が、筏を曳いて活躍しているのを何度か見たことがあります。考えてみると、これはいってみれば「江東内部河川型」なのではないでしょうか? 都内の川が、全体的に橋が低いとはいえ、ここまで高さを抑える必要は、江東以外は無いように思えるからです。

●通り過ぎざまに、大横川南支川の弁天橋も。考えてみれば‥‥って、考えてばかりで恐縮ですが(普段は何も考えていない)、両側面の鈑桁で高欄を兼ねた、中路式というんでしょうか、この手の最も簡素な鋼桁橋も、もはや数少なくなってきましたよね。
過去にも触れたように、神田川可航部ではもう絶滅してしまったし、都内にはあといくつ残っているのでしょうか。むしろトラスより、震災復興橋としては希少になっているのかもしれません。
【撮影地点のMapion地図】
(27年5月3日撮影)
(『5月3日の西側河川…3』につづく)

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4月2日の川景色…2
(『4月2日の川景色…1』のつづき)
●きっちりスクエアな「運河の曲がり角」を左折して汐浜運河へ。水面はますます平らかで、艇首で切り裂くのがもったいなく思えるほど。
天然の鏡面仕上げを波立たせてゆく贅沢(?)を味わいながら、分け入ってゆく臨海部のディープ区間、何度訪れても飽きの来ない水路です。

●「団地銀座」を過ぎて、南開橋から西側をのぞき見たところ。ううん、だいぶ雲が厚くなってきて、暗く撮れてしまった…。
この「団地銀座」、両岸のテラスに沿ってハクモクレンが植えられており、満開の時季である3月半ばには、お花見客で賑わうちょっとした名所でもあります。今年は残念ながら、時季を逃してしまいました。

●大横川南支川を守る、洲崎南水門に通り過ぎざまごあいさつ。
だんだん錆の面積が増えてきて、ちょっと痛々しくなってきましたが、無事のようでひと安心。昨年夏、水門右手にあった木(こちら参照)が切られてしまい、ちょっと寂しくなってしまいました。ちんまりしたこの水門とのとりあわせ、なかなか風情があって良かったのですが。
左手の繋船杭が倒れているのは、地震の影響でしょうか。この他にも、いくつかボッキリいってしまっている杭が見られました。
●汐浜運河と平久川・平久運河の十字流にある臨海部のオールドタイマー、白妙橋。
しばらく再塗装工事中(昨年8月29日の写真参照)でしたが、久々に訪ねたらさすがに足場も取り払われ、美しいチョコレート色に塗りあげられていました。
雲がますます厚くなってきて、お化粧直し後の姿を十分にお伝えできないのが残念。近いうちにリベンジしたいものです。
【撮影地点のMapion地図】
●艪漕ぎと桜の様子見が目的なので、ここで右に折れて、平久川を遡上し大横川…旧大島川の区間に進入とまいりましょう。
垂直護岸など撮って、何のつもりだろうと思われるかもしれませんが、イヤ、潮の引いたときの護岸て、何だかワクワクしませんか?
●自分にとって、この貝のこびりついた黒い腹を見せている護岸は、低い橋の連続する内部河川も自由自在に船行きできる、月のうちにそれこそ何度もない(日曜か休みのとれた日だけですから、多くても5~6日!)幸せなひとときを示すサインに他ならないからです!
この日も嬉しさのあまり、やたらと護岸の写真を撮ってしまいました。そのうち機会があったら、干潮時の護岸の写真だけウンザリするほど集めて、自分一人が悦に入るための記事を作ってもいいくらいですわ!
(23年4月2日撮影)
(『4月2日の川景色…3』につづく)

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天然の鏡面仕上げを波立たせてゆく贅沢(?)を味わいながら、分け入ってゆく臨海部のディープ区間、何度訪れても飽きの来ない水路です。

●「団地銀座」を過ぎて、南開橋から西側をのぞき見たところ。ううん、だいぶ雲が厚くなってきて、暗く撮れてしまった…。
この「団地銀座」、両岸のテラスに沿ってハクモクレンが植えられており、満開の時季である3月半ばには、お花見客で賑わうちょっとした名所でもあります。今年は残念ながら、時季を逃してしまいました。

●大横川南支川を守る、洲崎南水門に通り過ぎざまごあいさつ。
だんだん錆の面積が増えてきて、ちょっと痛々しくなってきましたが、無事のようでひと安心。昨年夏、水門右手にあった木(こちら参照)が切られてしまい、ちょっと寂しくなってしまいました。ちんまりしたこの水門とのとりあわせ、なかなか風情があって良かったのですが。
左手の繋船杭が倒れているのは、地震の影響でしょうか。この他にも、いくつかボッキリいってしまっている杭が見られました。

しばらく再塗装工事中(昨年8月29日の写真参照)でしたが、久々に訪ねたらさすがに足場も取り払われ、美しいチョコレート色に塗りあげられていました。
雲がますます厚くなってきて、お化粧直し後の姿を十分にお伝えできないのが残念。近いうちにリベンジしたいものです。
【撮影地点のMapion地図】

垂直護岸など撮って、何のつもりだろうと思われるかもしれませんが、イヤ、潮の引いたときの護岸て、何だかワクワクしませんか?
●自分にとって、この貝のこびりついた黒い腹を見せている護岸は、低い橋の連続する内部河川も自由自在に船行きできる、月のうちにそれこそ何度もない(日曜か休みのとれた日だけですから、多くても5~6日!)幸せなひとときを示すサインに他ならないからです!
この日も嬉しさのあまり、やたらと護岸の写真を撮ってしまいました。そのうち機会があったら、干潮時の護岸の写真だけウンザリするほど集めて、自分一人が悦に入るための記事を作ってもいいくらいですわ!
(23年4月2日撮影)
(『4月2日の川景色…3』につづく)

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