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仲江間閘門にマイタゲート疑惑?

水郷十六島の南、利根川本流に通じる水路・仲江間を守る、古風なスライドゲート極小閘門、仲江間閘門。

一昨年に訪ねて以来、すっかり気に入ってしまい、これまで何度か訪ねては、楽しませてもらってきましたが(『仲江間閘門を通る!…1』、過去ログ『仲江間の小さな閘門…1』ほか参照)、陸路初訪したときから、「これ、何だろう?」と、引っかかっていた謎の構造物がありました。

謎の構造物については、しばらく忘れていたのですが、最近ふとしたことから、
あ。
と思い当たるところがあったのです。

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タグ : 仲江間閘門大曲閘門横利根閘門閘門

北上運河閘門めぐり…5

(『北上運河閘門めぐり…4』のつづき)

19026.jpg南側ゲートの管理橋上から北側、閘室を見たところ。ご覧のとおり船溜として利用されており、もやわれた艇たちが、流速でごとり、ごとりと身じろぎをするほかは、ほとんど音の聞こえない静かな閘室風景。

釜閘門もそうですが、閘室の幅は扉体の径間の3倍ほど取ってあり、規模の割に非常に広いのが特徴です。注排水には時間がかかったでしょうが、一度に多くの通航船を通すには、このほうが良かったのかもしれません。

19027.jpg同じく南側ゲートから、運河南方を望んで。こちらにも、繋留船が並ぶ船溜が見られます。潮位の高いこの時間帯では、閘門の低い管理橋はかわせないので、ここにもやう大半の船は、通航するのは難しいかもしれません。

う~ん、それにしても、まことにそそられる運河風景。自分の艇で走ってみたいですわ…。


19028.jpgますます激しくなる冷たい雨の中、最後に訪ねた閘門は、これまた有名物件である、旧北上川と北上運河の接続点に設けられた、石井閘門

貞山運河をはじめとする一連の運河が語られる際には、必ず取り上げられる閘門で、明治13年(西暦1880年)の竣工。マイタゲートの洋式閘門として、また可動状態にある閘門としても最古のものとして、よく知られています。
併設されている運河交流館は後回しにして、雨に濡れそぼりつつ、石井閘門と感動の対面。

19029.jpg南側ゲートを運河側から眺めて。本やサイトで、写真は幾度となく目にしましたが、やはり実際に見ると、レンガや笠石の風化した質感が感じられて、実に良いものです。

釜閘門、大曲閘門では石材のみだった側壁が、石井閘門ではふんだんにレンガが使われている…。前掲の両閘門には失礼ですが、やはり格の違いを感じざるを得ません。

19030.jpg
対岸に回って、扉体に近寄ってみました。扉体は竣工時は木造で、現存のものは後年新製された鋼製です。水密が不完全なのか、それともわざとそうしているのか、扉体の接点からかなりのリーク(漏水)が見られますね。

写真ではちょっとわかりにくいと思いますが、扉体の右、側壁に設けられたアイ(繋留環)の造作が面白いですね。お椀型の穴を壁にうがって、そこに縦に鉄棒を渡したような形をしています。
撮影地点のMapion地図

(21年12月3日撮影)

(『北上運河閘門めぐり…6』につづく)

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タグ : 北上運河大曲閘門石井閘門閘門

北上運河閘門めぐり…4

(『北上運河閘門めぐり…3』のつづき)

19021.jpg北側、定川に面した扉体を見て。こちらは崩壊の程度が少なく、ツタもからまっていないので、ディテールがよくわかります。
タイヤのフェンダーがぶら下がっているところを見ると、手すりを杭代わりにして、小舟が繋留されていたのかもしれません。タイヤの大きさとくらべると、扉体がいかに小さいかが実感できますね。

おりしも満潮に向かう時刻、扉体が開け放しとあって、運河に入り込む流速は相当なもの。私の艇で、この狭い径間を、しかも流れを下る形で抜けろといわれたら、ちょっとためらうかもしれません。

19022.jpg扉体の上に突き出た、注水用スルースバルブのメカニズムをアップで。
釜閘門のそれは、スピンドル(ネジ棒)によってバルブを上げ下げする方式でしたが、こちら大曲閘門は、ラチェットでずり下がるのを支えながら、ラックによって引き上げるやり方なのですね。

ラチェットの軸が四角く切られていたので、ここにクランクを差し込んで巻き上げたのでしょう。ラックの鞘が、ご覧のように木製なのも珍しい感じがします。

19023.jpg
マイタゲートのヒンジと言うか、軸受周りを見る機会がなかったので、しげしげと眺め回してしまいました。一見したところでは、軸は鋼管で、中にはセメントのようなものが詰められているように思えます。

軸と、そのぐるりを囲む金物や、台座となっている石材の間には、ずいぶんすき間が開いていて、案外ラフに造ってあるものだなあ、と感じました。これで水密が大丈夫なのかと不安になりましたが、二枚の扉体同士が斜接して、水圧がかかったときに、両岸方向にグッと押し付けられ、ここで初めて水密が効くような構造になっているのだと思われます。普段は少しグラグラしているくらいが、軽く開閉させられるのでよかったのかもしれません。

19024.jpg開閉装置も、もちろん手動です。この写真だけでは、わかりにくいと思いますが、いちおう観察結果をご報告しますと…。

向こうに見える、ロッド(アームと呼んだ方がいいかな)が貫いている箱が、言わばウインチになっており、ロッドの上に渡されたワイヤーをたぐり寄せて、扉体を引っ張るような仕組みになっているのです。長いレバーでも付けておけば、軽く開けられそうな小さな扉体なのに、ずいぶんと凝ったからくりにしたものですね。

19025.jpg北側ゲートから、釜閘門を望んで。大きな管理橋があるせいか、向こうから大曲閘門を眺めたときより、はっきりと見ることができました。

けっこうな流れがあるにもかかわらず、川面には鴨たちの群れが悠然と泳ぎ、両岸に疎林や茂みが見られることもあって、ひなびた、のどかな川景色が楽しめました。


(21年12月3日撮影)

(『北上運河閘門めぐり…5』につづく)

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タグ : 北上運河大曲閘門閘門

北上運河閘門めぐり…3

(『北上運河閘門めぐり…2』のつづき)

19016.jpg
次に訪ねたのは、定川を渡った南側、東松島市大曲の大曲閘門
県道247号線を南下し、少し右に入ったところ、運河沿いのサイクリングロードから北側をのぞくと、ありました。ここから見た限りでも、先ほどの釜閘門より径間はさらに小さいようで、管理橋も短く、可愛らしい感じすらします。

ぐるりを見渡しても、付近に民家は見られず、写真の対岸も道は舗装されておらず、荒涼とした雰囲気。ゲートに近づいてみると…。
撮影地点のMapion地図

19017.jpg足場に使う鉄パイプで柵がされており、「立入禁止」の貼り紙も。ううむ。しかし、ここまで来て、あっさりときびすを返すわけには参りますまい、失礼させていただきました。ごめんなさい。

写真ではそれほどでもないように見えますが、このときはすでに結構な雨脚で、足元も滑りやすく、柵の右手から中に入るのは、ちょっと勇気がいりました。

19018.jpg…まあ、各所で写真も公表されているので、皆さんご存知かとは思いますが、ご覧のとおり放置されて久しい、廃閘門と言ってよいものです。

扉体にツタがからまり、腐食が進んで崩壊しかけているのを目にすると、さすがに物悲しいものがありますが、こんな小規模のマイタゲートを見るのは初めてなので、小さな閘門に惹かれる船頭としては、やはり軽く興奮してしまいました。

19019.jpg反対側のこちらは、すでに崩壊が始まって、手すりの片割れは落ちてしまったようですね。

貞山運河事典の「大曲閘門」によれば、釜閘門同様、明治15年の竣工。「幅3.52m×高3.80m×2連」とあるのは、扉体幅3.52m×2のゲート2組ということでしょうか。


19020.jpg今回も、何か銘板はないかと探し回っていたら、扉体の手すりに、メーカーズプレート発見。よくぞ、よくぞ錆び落ちずに残っていてくれた!

枯れたツタをかき分けてのぞいてみると、「日本鋼管 昭和41年製造」とありました。このころは、まだ少なからぬ通船量があったのでしょうか…。


(21年12月3日撮影)

(『北上運河閘門めぐり…4』につづく)

【21年12月10日追記】4段目、径間寸法のくだりですが、見た目とは裏腹に釜閘門と同じようなので訂正。これからメジャーを持ち歩く必要がありそうです…。

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タグ : 北上運河大曲閘門閘門