2月6日の旧江戸川…2
(『2月6日の旧江戸川…1』のつづき)

●旧江戸川に入りました。流頭部までの大半が、繋留船が途切れなく続き徐航しなければならない旧江戸川で、ここから堀江ドックまでは、プレーニングできる貴重な区間といえます。
京葉線橋梁を振り返ると、トラスの向こうに澄み切った青空がグラデーションをなして広がり、空を映す川面もあくまで青く、まことに冬の贅そのものの川景色。短時間ながら、気持ちよく飛ばさせてもらいました。
●河口付近は、以前よりコンクリート堤防の前に石組みの高水敷が築かれ、さらに土盛りをして法面を造成中。
東岸はすでに法面が結構な延長で姿を現わしており、写真の西岸も急ピッチで造成が進んでいる様子。平成の初めに訪ねてから、四捨五入すれば30年になる付き合いですが、刻々と姿を変えてゆく両岸を見ると、改めてしみじみと時の流れを感じてしまいます。

●浦安、境川西水門にも正面からご挨拶。扉体を交換してからお変わりないようで、二重のゲートをがっちり閉鎖、守りは固く通航の夢は叶わない雰囲気でありました。
●浦安橋をくぐると、目を引かれるのは一昨年登場したニューポート江戸川のクレーン。青空をバックにそびえるスマートなその姿は、妙見島の新しいシンボルといってもいいほど。
これから小型船舶免許の実技講習が始まるのか、同型艇が桟橋に並んでもやい、救命胴衣を着けた人影もちらほら。微速で遡上しながら、クレーンが動いているところを見れたらなあ、と思っていたら‥‥。

●正横にきたあたりで、願いが通じたのかクレーンが動き始め、コンクリート堤防の向こうから、スリングベルトに吊られた艇が姿を現わしました!
さらにスロットルをしぼって流速に均衡させ、その場に踏みとどまる格好で泛水シーンを嬉しく堪能。今回初めて気づいたのですが、手前水面近くに見える"橋脚"の基部、支承が設けられているのですね。"桁"と剛結されたラーメン構造ということでしょうか。
【撮影地点のMapion地図】
(令和4年2月6日撮影)
(『2月6日の旧江戸川…3』につづく)

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●旧江戸川に入りました。流頭部までの大半が、繋留船が途切れなく続き徐航しなければならない旧江戸川で、ここから堀江ドックまでは、プレーニングできる貴重な区間といえます。
京葉線橋梁を振り返ると、トラスの向こうに澄み切った青空がグラデーションをなして広がり、空を映す川面もあくまで青く、まことに冬の贅そのものの川景色。短時間ながら、気持ちよく飛ばさせてもらいました。

東岸はすでに法面が結構な延長で姿を現わしており、写真の西岸も急ピッチで造成が進んでいる様子。平成の初めに訪ねてから、四捨五入すれば30年になる付き合いですが、刻々と姿を変えてゆく両岸を見ると、改めてしみじみと時の流れを感じてしまいます。

●浦安、境川西水門にも正面からご挨拶。扉体を交換してからお変わりないようで、二重のゲートをがっちり閉鎖、守りは固く通航の夢は叶わない雰囲気でありました。

これから小型船舶免許の実技講習が始まるのか、同型艇が桟橋に並んでもやい、救命胴衣を着けた人影もちらほら。微速で遡上しながら、クレーンが動いているところを見れたらなあ、と思っていたら‥‥。

●正横にきたあたりで、願いが通じたのかクレーンが動き始め、コンクリート堤防の向こうから、スリングベルトに吊られた艇が姿を現わしました!
さらにスロットルをしぼって流速に均衡させ、その場に踏みとどまる格好で泛水シーンを嬉しく堪能。今回初めて気づいたのですが、手前水面近くに見える"橋脚"の基部、支承が設けられているのですね。"桁"と剛結されたラーメン構造ということでしょうか。
【撮影地点のMapion地図】
(令和4年2月6日撮影)
(『2月6日の旧江戸川…3』につづく)

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平成最後の川走り納め…2
(『平成最後の川走り納め…1』のつづき)
●北西風で少し波立った荒川河口を左に折れ、葛西臨海公園前・三枚洲の水路へ。
陽光のまばゆさに目を細めながら西渚を見ると、低い日差しの逆光を透かして見る木々のシルエットがきれい。吹きちぎられたような雲の形もあいまって、ため息の出るような美しい水路風景でした。

●振り返ると、真っ白に冠雪した富士山が! この冬初めて眺められた富士山だけに、嬉しさもひとしおです。やっぱり冬の水路最高。
雲のかかり方から、高空には強い風が吹いていることが感じられましたが、午後になるとこちらも予報よりだいぶ風が強くなり、湾奥の観天望気は富士山にしくはないことを改めて実感。
●旧江戸川に入りました。29年末には扉体の更新工事をしていた境川西水門、工事完了後に見るのは初めてですね。
扉体をよく見てみると、表面がステンレスの生地っぽくなったような。更新されたのは扉体だけで、堰柱や巻上機室は見たかぎり、再塗装や補強をされた様子はないようでした。

●和製フォート・ドラム(笑)、妙見島の南端近くから上流側を見て。今回通ろうと思ったのはこの左側、仮に妙見島西水路と名付けておきましょうか。
平成の初め、旧江戸川を始めて遡上したときからしばらくは、「地元の船以外は通航禁止」という意味の注意書きが掲げられていた記憶があるのですが、いつしか撤去されたようですね。

●注意書きの件もあって、今までブログ上では公開できずにいたのですが、本流である東水路を通るたびに見回しても、それらしいものはなくなったようだし、今回改めてスナップしておこうと考えた次第。というわけで弊ブログ初登場であります。
拒絶の文言は見られなくなっても、旧江戸川の名物ともいえる、徐航を求めるペンキ書きは健在ですね。場所は東西線・江戸川第一橋梁の直下あたり。「立るな」という独特の送り仮名がインパクト大です!
【撮影地点のMapion地図】
(30年12月30日撮影)
(『平成最後の川走り納め…3』につづく)

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陽光のまばゆさに目を細めながら西渚を見ると、低い日差しの逆光を透かして見る木々のシルエットがきれい。吹きちぎられたような雲の形もあいまって、ため息の出るような美しい水路風景でした。

●振り返ると、真っ白に冠雪した富士山が! この冬初めて眺められた富士山だけに、嬉しさもひとしおです。やっぱり冬の水路最高。
雲のかかり方から、高空には強い風が吹いていることが感じられましたが、午後になるとこちらも予報よりだいぶ風が強くなり、湾奥の観天望気は富士山にしくはないことを改めて実感。

扉体をよく見てみると、表面がステンレスの生地っぽくなったような。更新されたのは扉体だけで、堰柱や巻上機室は見たかぎり、再塗装や補強をされた様子はないようでした。

●和製フォート・ドラム(笑)、妙見島の南端近くから上流側を見て。今回通ろうと思ったのはこの左側、仮に妙見島西水路と名付けておきましょうか。
平成の初め、旧江戸川を始めて遡上したときからしばらくは、「地元の船以外は通航禁止」という意味の注意書きが掲げられていた記憶があるのですが、いつしか撤去されたようですね。

●注意書きの件もあって、今までブログ上では公開できずにいたのですが、本流である東水路を通るたびに見回しても、それらしいものはなくなったようだし、今回改めてスナップしておこうと考えた次第。というわけで弊ブログ初登場であります。
拒絶の文言は見られなくなっても、旧江戸川の名物ともいえる、徐航を求めるペンキ書きは健在ですね。場所は東西線・江戸川第一橋梁の直下あたり。「立るな」という独特の送り仮名がインパクト大です!
【撮影地点のMapion地図】
(30年12月30日撮影)
(『平成最後の川走り納め…3』につづく)

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境川西水門の工事
(『11月26日の今井水門』のつづき)
●さらに戻って、浦安の境川西水門が見えてきたときのことです。
水門の下流側に台船がいる‥‥テラス工事か、ポンツン桟橋を固定する杭でも打つんだろうなあ、とのん気に構えていたら、水門を正横にしたとたん、二度見して驚くことになりました。

●扉体に何か、筋交の入った枠のようなものが二つ取り付けられている!
いやもう、妄想がぐるんぐるん回りましたですよ。水門が水門だけに、場所が場所だけに。単なる更新工事や修理だと思えず、悪い方に考えが及んでしまうのは、ちゃんとした(船頭なりの、なのでレベルはお察し)理由がありました。
●常時閉で水門として維持するにはコストもかかりそうだし、すぐ上流にあるこの当代島水門のように、排水のフラップゲートを残して径間をコンクリートで塞がれ、扉体や巻上機室をはぎ取られるのではないか、と妄想したのです。
特に径間が塞がれることは、境川通航への一縷の望み(開いていたこともあるし)が断たれることにもつながり、そりゃもう泡を喰ったわけであります。

●そしてドック入りを終えての帰路、12月10日。さてどうなったかしらと、首を伸ばして見てみると‥‥台船はいなくなりましたが、枠は取り付けられたままですね。

●さらに近づいてアップで。あっ、手前のゲートの扉体が取り去られて、向こうが見えますね。枠組みの構造を見ると、どうやら扉体を載せて、取り外すためのものだったみたいです。
ううん、塞がれるのでなくて、ホッとしたような‥‥イヤ、まだ油断はできませんな(妄想続行中)。次に通ったときは、どんな状態になっているでしょうか?
【撮影地点のMapion地図】
(29年11月26日・12月10日撮影)
(次項につづく)

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水門の下流側に台船がいる‥‥テラス工事か、ポンツン桟橋を固定する杭でも打つんだろうなあ、とのん気に構えていたら、水門を正横にしたとたん、二度見して驚くことになりました。

●扉体に何か、筋交の入った枠のようなものが二つ取り付けられている!
いやもう、妄想がぐるんぐるん回りましたですよ。水門が水門だけに、場所が場所だけに。単なる更新工事や修理だと思えず、悪い方に考えが及んでしまうのは、ちゃんとした(船頭なりの、なのでレベルはお察し)理由がありました。

特に径間が塞がれることは、境川通航への一縷の望み(開いていたこともあるし)が断たれることにもつながり、そりゃもう泡を喰ったわけであります。

●そしてドック入りを終えての帰路、12月10日。さてどうなったかしらと、首を伸ばして見てみると‥‥台船はいなくなりましたが、枠は取り付けられたままですね。

●さらに近づいてアップで。あっ、手前のゲートの扉体が取り去られて、向こうが見えますね。枠組みの構造を見ると、どうやら扉体を載せて、取り外すためのものだったみたいです。
ううん、塞がれるのでなくて、ホッとしたような‥‥イヤ、まだ油断はできませんな(妄想続行中)。次に通ったときは、どんな状態になっているでしょうか?
【撮影地点のMapion地図】
(29年11月26日・12月10日撮影)
(次項につづく)

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8月20日の旧江戸川…1


浦安、東西線の鉄橋を下流側から。妙見島の突端、光線の塩梅がよいこともあってか、まだ新しい護岸の壁が白く反射して、この位置からでもやけに目立ちますね。
おなじみ境川西水門にも、近づいてご挨拶。二組のうち、内側のそれは開放されているようです。何度も触れましたが、なぜ二重になっているのかはいまだ不明。ご存知の方、ぜひご教示いただきたいものです。

●ううむ、この位置から眺めた妙見島の下流側、潔いというか、思い切ったというか、とにかくよそではまずお目にかかれなそうな、珍景であることは確か。白く輝く堤防のおかげで、悪目立ち(失礼)していることもさることながら、堤防越しに見える建物が、奥ににょっきり立つホテルだけというのが、絶妙な気がします。
矢倉のようにひょろ高いブリッジの、プッシャー(押船)に推進されて航海する平たいバージか。はたまた、戦前のフィリピンで米軍が造った、岩礁を丸ごとコンクリ-トで覆い、戦艦の砲塔と艦橋をそのまま載せたような要塞か。‥‥さまざまなものを連想させるカタチではありますよね。

立地、名前ともツボに来るので、一度泊まってみたくなるなあ(一人で!)。まあ、ホテルの性格から考えて、窓を全開にしてゆっくり川面を眺めるのは、はばかられそうですね。
【撮影地点のMapion地図】

●浦安橋をくぐると、リーダーを高々と立てた杭打ち船が、静かにもやっていました。テラスの延伸工事でしょうか、船影濃いこの区間も、テラスが完成したらだいぶ雰囲気が変わることでしょう。
(26年8月20日撮影)
(『8月20日の旧江戸川…2』につづく)

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開いてる!!

「今日は風が強いから、気をつけて!」と社長に送り出され、南風がつくる硬い波の衝撃を感じながら、おなじみ旧江戸川を、浦安付近まで下ってくると…。

●!!!!

●境川西水門が開いている!!
●開放状態に出くわしたのは初めてで、こちらも水門同様、口を開けてしばし見つめてしまいました。「境川東水門ふたたび」でも触れたように、東水門~西水門間の境川は、両水門とも常時閉、地元の艇以外の通航は原則禁止らしい感触を得ていたため、自艇で入ることはすっかりあきらめていたのです。
入りたい…できれば東水門まで行ってみたい…でもその間に閉まったらどうしよう…イヤ、それ以前に今日は時間がないし、風も強いから大事を取らないと…むぎゅむぎゅと、1秒くらいの間に脳内をせめぎあう欲望と理性。うぐぐう、入口近くだけでもいいから、入ってしまおうか…でも…。

強風で河口付近の通過が厳しいことや、時間に余裕がなかったというのもありますが、例のごとく何だか「呼ばれていない」感じがして、またの幸運を期待することにしました。「青べか」のふるさと、浦安の母なる川、境川…。気長に待っているので、ご縁があったら、いつか通らせてください。
(22年6月13日撮影)

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