合同汽船・佐陀川航路覚え書き
(『生きている大運河・佐陀川…9』のつづき)
●今年3月に出雲・佐陀川を訪ねた帰り、松江市立中央図書館に立ち寄って、佐陀川航路や合同汽船について、書かれた文献をいくつかご紹介いただきました。その中から、運河として躍動していた往時を髣髴できそうな部分を、以下に紹介させていただきます。
残念ながら、佐陀川を走る汽船の写真は見つけることができず、松江は大橋川を写した絵葉書が中心となりましたが、内水航路華やかなりし時代の雲伯地域、そして佐陀川を走っていたであろうフネブネをイメージできればと、6枚を選んでみました。
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残念ながら、佐陀川を走る汽船の写真は見つけることができず、松江は大橋川を写した絵葉書が中心となりましたが、内水航路華やかなりし時代の雲伯地域、そして佐陀川を走っていたであろうフネブネをイメージできればと、6枚を選んでみました。
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生きている大運河・佐陀川…0
(『新内藤川水門』のつづき)
●江戸期かそれ以前に開鑿・整備された川や運河が、今も昔と変わらぬ可航状態を維持している例は、残念ながら少ないといってよいでしょう。
水こそかつて同様に流れていても、河床が上がるなど航路としては荒廃しているか、治水・利水用途に限った整備がなされ、舟航機能は切り捨てられたかたちになっているものがほとんどです。
ところが、ここ雲伯地域には、江戸時代に開鑿されながら、今なお可航水路として息づいている運河があるのです。それも、島根半島を横断し、山並を縫って宍道湖から日本海へ抜ける、文字どおりの大運河が! 遅ればせながら、それに気づかされたときの感動ったらありませんでした。まずはそもそもからお話ししたいと思います。
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水こそかつて同様に流れていても、河床が上がるなど航路としては荒廃しているか、治水・利水用途に限った整備がなされ、舟航機能は切り捨てられたかたちになっているものがほとんどです。
ところが、ここ雲伯地域には、江戸時代に開鑿されながら、今なお可航水路として息づいている運河があるのです。それも、島根半島を横断し、山並を縫って宍道湖から日本海へ抜ける、文字どおりの大運河が! 遅ればせながら、それに気づかされたときの感動ったらありませんでした。まずはそもそもからお話ししたいと思います。
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