5月20日の築地川…5
(『5月20日の築地川…4』のつづき)

●回頭しながら、二つの径間をくぐりディテールを堪能して、南門橋との初邂逅を終えることにしました。これで、都内の可航水路にある震災復興橋は、すべて巡ったことになるのかな?
これからも出入り自由な状態が続くのか、環状線の工事もあるのでわかりませんが、ともあれ今日ここに来られた幸運を、喜びたいと思います。

●橋の近くにあった、櫓‥‥見附の跡でしょうか、台状に高めた石垣。
石垣の組み方は総じてとても丁寧で、これが江戸時代のものなら、かつて浜御殿であったことを実感させる施工ぶりではあります。当時の土木技術をかいま見られる遺構として、大切にしていただきたいですね。
●ふたたび雲が増えてきた空の下、今度は右手に木々と石垣、左手に桟道を見ながら、築地川をゆるゆると下って戻ります。最奥部から眺める川景色、とても新鮮。
江戸期の埋立によって生じた水路、またそのころの水辺のさまを今に残す都心の川という意味でも、南門橋と合わせて短区間ながら魅力のある水路と思います。チャーターボートの観光コースにも悪くないでしょうね。

●隅田川に出て取舵、スロットルを倒して遡上することにしました。近場に見ておきたいものがあったからです。
気持ちのよい風になぶられつつ見上げると、頭上を圧する築地大橋の構造が広がり、空はふたたび雲がまばらになって、青天井がのぞけてきました。
(30年5月20日撮影)
(『豊海橋の仮橋』につづく)

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●回頭しながら、二つの径間をくぐりディテールを堪能して、南門橋との初邂逅を終えることにしました。これで、都内の可航水路にある震災復興橋は、すべて巡ったことになるのかな?
これからも出入り自由な状態が続くのか、環状線の工事もあるのでわかりませんが、ともあれ今日ここに来られた幸運を、喜びたいと思います。


石垣の組み方は総じてとても丁寧で、これが江戸時代のものなら、かつて浜御殿であったことを実感させる施工ぶりではあります。当時の土木技術をかいま見られる遺構として、大切にしていただきたいですね。

江戸期の埋立によって生じた水路、またそのころの水辺のさまを今に残す都心の川という意味でも、南門橋と合わせて短区間ながら魅力のある水路と思います。チャーターボートの観光コースにも悪くないでしょうね。

●隅田川に出て取舵、スロットルを倒して遡上することにしました。近場に見ておきたいものがあったからです。
気持ちのよい風になぶられつつ見上げると、頭上を圧する築地大橋の構造が広がり、空はふたたび雲がまばらになって、青天井がのぞけてきました。
(30年5月20日撮影)
(『豊海橋の仮橋』につづく)

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5月20日の築地川…4
(『5月20日の築地川…3』のつづき)

●南門橋右径間をくぐり終えて、微速で左回りに回頭しつつ、水面上から初めて見る築地川最奥部の光景。
暗渠のポータル、石垣に似せたコンクリートのフタで塞がれたのですね。左手奥は、海岸通りの拡幅で幅を狭められた、汐留川の北東端です。だいぶ前になりますが、確かここに環境局の小型清掃船が入っていた写真を、ウェブサイトで見た記憶があるのですけれど、記憶違いだったかな‥‥。
まあ、今日は河道を塞ぐフェンスが外れていて、南門橋をくぐれただけでも幸運と思わなければなりません。冒険は慎んで、橋見物に集中しましょう。

●近くで見ると、この橋脚部分の張り出しが滋味にあふれ実にいい感じ。橋詰のそれが直線を取り入れた、いわば角丸断面なのにくらべ、橋脚はほぼ半円断面で、円柱を思わせるまろやかさが、橋脚ということもあってかしっくりきます。
しかしこちら側は、汚れや白化がずいぶん目立ちますね。日照の差で乾燥しづらいからか、または車道に面していて、粉塵を浴びる確率が高いからでしょうか。
●くぐってきた径間を振り返って。汚れてもむしろ味のうちと思えるのは、この豊かな装飾に負うところが大きいでしょう。デザインを担当した山口文象氏ご自身は、装飾を施すことはお好みでなかったようですが。
このあたり、「橋を透して見た風景」にも一項がありますが、ウェブ上では「建築家 山口文象」の「1924橋梁デザイン」に山口氏のインタビューがあり、南門橋の竣工時の写真も載っています。

●水鏡でできた、黒く縁どられた紡錘形の向こうに、築地川の初めて見る角度が。この温かみのある曲面と質量感。鋼橋では味わえない、RCアーチの醍醐味の一つですねえ。
(30年5月20日撮影)
(『5月20日の築地川…5』につづく)

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●南門橋右径間をくぐり終えて、微速で左回りに回頭しつつ、水面上から初めて見る築地川最奥部の光景。
暗渠のポータル、石垣に似せたコンクリートのフタで塞がれたのですね。左手奥は、海岸通りの拡幅で幅を狭められた、汐留川の北東端です。だいぶ前になりますが、確かここに環境局の小型清掃船が入っていた写真を、ウェブサイトで見た記憶があるのですけれど、記憶違いだったかな‥‥。
まあ、今日は河道を塞ぐフェンスが外れていて、南門橋をくぐれただけでも幸運と思わなければなりません。冒険は慎んで、橋見物に集中しましょう。


しかしこちら側は、汚れや白化がずいぶん目立ちますね。日照の差で乾燥しづらいからか、または車道に面していて、粉塵を浴びる確率が高いからでしょうか。

このあたり、「橋を透して見た風景」にも一項がありますが、ウェブ上では「建築家 山口文象」の「1924橋梁デザイン」に山口氏のインタビューがあり、南門橋の竣工時の写真も載っています。

●水鏡でできた、黒く縁どられた紡錘形の向こうに、築地川の初めて見る角度が。この温かみのある曲面と質量感。鋼橋では味わえない、RCアーチの醍醐味の一つですねえ。
(30年5月20日撮影)
(『5月20日の築地川…5』につづく)

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5月20日の築地川…3
(『5月20日の築地川…2』のつづき)

●右手の桟橋が途切れ、最奥部の水面とともに、橋の側面が眼前に広がりました。ああ、さえぎるもののない、まさにクリアな状態で南門橋の全貌を拝める日が来ようとは。嗚呼。
光線の具合もよく、ビル群をバックにくっきりと浮かび上がったこの艶姿。かつての離宮の導入部として、デザインも特に意を用いられたと聞いています。ディテールを堪能するとしましょう。

●右側通航の原則に従って、右径間に舵を切りました。高欄のディテールが明らかになってくるとともに、アーチ下の黒々とした陰影が視界の面積を次第に占めて、この手の橋特有の質量感が迫ってきます。要石に擬した凸部、ボルト跡が見られることから、以前は何か別パーツが取り付けられていたようですね。
最奥部の水深ですが、右写真のとおり1.6から1.9mほど。先にも触れたように、かつては喫水の深いヨットがもやっていたくらいですので、途中の区間はまず十分な水深があります。最奥部に至って若干浅くなり、また凹凸はあるものの、モーターボートにとってはまったく余裕の数字です。

●タイトルにも掲げた写真をトリミングして、要石ぽい部分のアップを。高欄の連続したアーチ様デザイン、その上に連なる歯状装飾、アーチのリム、「要石」の天端の処理と、まあ細やかなこと。
「要石」に話を戻すと、最初は橋名板の跡かしらと思っていたものの、よく見ると中央の穴に、切断されたコードが出ていますね。橋側灯を外したとみて間違いないでしょう。
紅林章央氏の著書「橋を透して見た風景」を開いたところ、竣工間もないころと思われる南門橋の写真が掲載されており、橋側灯があったことが確認できました。
●あまりよく撮れなかったのですが、黒く沈むアーチの裏側にスッ、といった感じで、対角線を描いていた波紋の反射が気になっての一枚。
装飾は袖高欄まで連続しており、水面近くの階段状に末広がった処理も地味に素敵。いや~、本当に来てよかったですわ‥‥。
【撮影地点のMapion地図】
(30年5月20日撮影)
(『5月20日の築地川…4』につづく)

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●右手の桟橋が途切れ、最奥部の水面とともに、橋の側面が眼前に広がりました。ああ、さえぎるもののない、まさにクリアな状態で南門橋の全貌を拝める日が来ようとは。嗚呼。
光線の具合もよく、ビル群をバックにくっきりと浮かび上がったこの艶姿。かつての離宮の導入部として、デザインも特に意を用いられたと聞いています。ディテールを堪能するとしましょう。


最奥部の水深ですが、右写真のとおり1.6から1.9mほど。先にも触れたように、かつては喫水の深いヨットがもやっていたくらいですので、途中の区間はまず十分な水深があります。最奥部に至って若干浅くなり、また凹凸はあるものの、モーターボートにとってはまったく余裕の数字です。

●タイトルにも掲げた写真をトリミングして、要石ぽい部分のアップを。高欄の連続したアーチ様デザイン、その上に連なる歯状装飾、アーチのリム、「要石」の天端の処理と、まあ細やかなこと。
「要石」に話を戻すと、最初は橋名板の跡かしらと思っていたものの、よく見ると中央の穴に、切断されたコードが出ていますね。橋側灯を外したとみて間違いないでしょう。
紅林章央氏の著書「橋を透して見た風景」を開いたところ、竣工間もないころと思われる南門橋の写真が掲載されており、橋側灯があったことが確認できました。

装飾は袖高欄まで連続しており、水面近くの階段状に末広がった処理も地味に素敵。いや~、本当に来てよかったですわ‥‥。
【撮影地点のMapion地図】
(30年5月20日撮影)
(『5月20日の築地川…4』につづく)

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