加賀須野橋…4
(『加賀須野橋…3』のつづき)
●一つ積み忘れ。下流側、通航船向けの二色信号と、橋脚前に設けられた防護杭。信号はずいぶん小さく見えますね。防護杭はFRPか何かで被覆された分厚いフェンダーで覆われていて、各橋脚の上下流に1本づつ備えられています。
大屈曲の頂点付近にあり、本船からすれば舵取りの難しい場所ではあるように思えました。まして径間が今の半分だった、先代橋のころにおいておや!

●加賀須野橋の上から、上流側を望んだところ。手前には航路を示すブイが見えますね。
橋は国道11号加賀須野大橋、その向こうは高速道路、徳島自動車道の橋。次の共栄橋も含めて、本船が通れるよう桁下高を高く取ってあり、一般道であっても河畔から河畔へ渡るような、生活道路ではないことがわかります。いわゆる“普通の橋”は、約4㎞上流へ遡った鯛浜橋までありません。そういった意味でも、加賀須野橋は貴重な存在なのですね。
●遮断機に併設されていた、縦型の電光掲示板も一枚。信号が赤になり、遮断機が下りておそらく音響の警報も鳴り、この掲示板に表示が出てと、橋の運転中は賑やかなことでしょう。
しかし、勝鬨橋のような跳開橋と違って、桁が水平に上がる昇開橋は、橋上で待っている人の視界がさえぎられず、通航船を目と鼻の先で眺められるんですよねえ‥‥。その迫力と非日常感、いかばかりのものでしょう! 次回はぜひ、時間を取って通航シーンを見に訪れたいものです。

●ホンモノのGoogleマップで加賀須野橋を表示
●最後にささいなことではありますが、一つ気になったことを。Googleマップで加賀須野橋を表示すると、ご覧のように旧加賀須野橋のあった場所に、何やら痕跡のようなものが。実際にこうは見えないことは、現地で確認してきましたし、撤去前の先代橋を、後で消したにしてはおかしいですよね。
もしかして、ストリートビューで降りてみたら、撤去中の先代橋が見られるのかしら? と期待して見てみたら‥‥。残念、旧取付道路よりの視界に写っていたのは、撤去工事の台船くらい。あとはちゃんと更新されて、最近の画像になっていました。ともあれ、旧加賀須野橋の残留思念が、ウェブ上に現われたような気がして、ここに記録しておくことにしました。

●国内最大の昇開橋として改架竣工し、これも国内では珍しい、河口を隔てること6㎞余の本船航路を擁して、日々昇開を繰り返す加賀須野橋。運転頻度と存在感もさることながら、橋として、航路として必要とされているのが現地に立ってなるほどと納得でき、興味深くかつ楽しい訪問でした。
(元年9月14日撮影)
(『鍋川閘門…1』につづく)

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大屈曲の頂点付近にあり、本船からすれば舵取りの難しい場所ではあるように思えました。まして径間が今の半分だった、先代橋のころにおいておや!

●加賀須野橋の上から、上流側を望んだところ。手前には航路を示すブイが見えますね。
橋は国道11号加賀須野大橋、その向こうは高速道路、徳島自動車道の橋。次の共栄橋も含めて、本船が通れるよう桁下高を高く取ってあり、一般道であっても河畔から河畔へ渡るような、生活道路ではないことがわかります。いわゆる“普通の橋”は、約4㎞上流へ遡った鯛浜橋までありません。そういった意味でも、加賀須野橋は貴重な存在なのですね。

しかし、勝鬨橋のような跳開橋と違って、桁が水平に上がる昇開橋は、橋上で待っている人の視界がさえぎられず、通航船を目と鼻の先で眺められるんですよねえ‥‥。その迫力と非日常感、いかばかりのものでしょう! 次回はぜひ、時間を取って通航シーンを見に訪れたいものです。

●ホンモノのGoogleマップで加賀須野橋を表示
●最後にささいなことではありますが、一つ気になったことを。Googleマップで加賀須野橋を表示すると、ご覧のように旧加賀須野橋のあった場所に、何やら痕跡のようなものが。実際にこうは見えないことは、現地で確認してきましたし、撤去前の先代橋を、後で消したにしてはおかしいですよね。
もしかして、ストリートビューで降りてみたら、撤去中の先代橋が見られるのかしら? と期待して見てみたら‥‥。残念、旧取付道路よりの視界に写っていたのは、撤去工事の台船くらい。あとはちゃんと更新されて、最近の画像になっていました。ともあれ、旧加賀須野橋の残留思念が、ウェブ上に現われたような気がして、ここに記録しておくことにしました。

●国内最大の昇開橋として改架竣工し、これも国内では珍しい、河口を隔てること6㎞余の本船航路を擁して、日々昇開を繰り返す加賀須野橋。運転頻度と存在感もさることながら、橋として、航路として必要とされているのが現地に立ってなるほどと納得でき、興味深くかつ楽しい訪問でした。
(元年9月14日撮影)
(『鍋川閘門…1』につづく)

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加賀須野橋…3
(『加賀須野橋…2』のつづき)

●橋上を行きつ戻りつしながら、各所のディテールを拾って楽しむとしましょう。一番の大物はこの操作室。新大扇橋(『川崎の枝運河めぐり…4』参照)とレイアウトは似ていますが、新大扇橋のそれが別途基礎を打っていたのにくらべ、これは橋脚から伸ばした梁の上に載った形です。簡素な造作ながら巻上機室と塗色や体裁を揃えて、悪くない雰囲気ですね。
右の写真はその横、桁を上下させるワイヤー周りのアップ。桁自体の重さが450t、一組110数tがここに担われていると思うと、嬉しさにゆるんだ顔も緊張感で改まるものが。ターンバックル(で、いいのかしら)でギリギリと締め上げられた感じが、近いだけにリアルに伝わってきます。

●操作室の中は電灯がついていたので、係の方が常駐しているようでした。これだけの頻度で運転し、通航するのが大型の本船となれば、万が一に備えて遠隔操作・カメラ監視というわけにはいかないのでしょうね。
上の写真は裏側、出入口の様子。桟道状に造った通路の下に、うまく電路の樋を配するなど、スペースが有効利用されていました。
右の写真は、高欄に取り付けられた航路標識です。ある種の道路標識と同じく、先端近くに小さな太陽光発電が備えられていて、夜間は標識板に仕込まれたLEDが点滅するのでしょう。

●橋詰近くながら高欄の途中にあったので、親柱というにはちょっと抵抗のあるこれ。御影石製で、竣工年月が記されていますね。そう、昇開橋径間が上がり、下を船が通っているさまをイメージしたものなんです! シンプルながら凄く素敵ですよね。
(元年9月14日撮影)
(『加賀須野橋…4』につづく)

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右の写真はその横、桁を上下させるワイヤー周りのアップ。桁自体の重さが450t、一組110数tがここに担われていると思うと、嬉しさにゆるんだ顔も緊張感で改まるものが。ターンバックル(で、いいのかしら)でギリギリと締め上げられた感じが、近いだけにリアルに伝わってきます。


上の写真は裏側、出入口の様子。桟道状に造った通路の下に、うまく電路の樋を配するなど、スペースが有効利用されていました。
右の写真は、高欄に取り付けられた航路標識です。ある種の道路標識と同じく、先端近くに小さな太陽光発電が備えられていて、夜間は標識板に仕込まれたLEDが点滅するのでしょう。

●橋詰近くながら高欄の途中にあったので、親柱というにはちょっと抵抗のあるこれ。御影石製で、竣工年月が記されていますね。そう、昇開橋径間が上がり、下を船が通っているさまをイメージしたものなんです! シンプルながら凄く素敵ですよね。
(元年9月14日撮影)
(『加賀須野橋…4』につづく)

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加賀須野橋…2
(『加賀須野橋…1』のつづき)

●上写真、北側の主塔(?)と巻上機室をアップで。機構が似たようなつくりなので当然ではありますが、単体で見ると、扉体のないローラーゲートほぼそのままで、水門めぐりの続きをしているよう。
塗色はご当地名産「阿波藍」をイメージしたそうです。渋くてよい色ですが、北側からだと逆光でディテールがつぶれてしまうので、橋を渡って、南から狙った方がよさそうですね。
●橋詰から橋上へ上がってみました。最初に目についたのは、やはり高欄に掲げられていた開閉時刻表です。
朝晩の2回が船舶優先開閉、とありますが、この計4回が確実に開閉する時刻で、あとは便があり次第、ということなのでしょうか。いずれにせよ待っている時間の余裕はなかったので、通航シーンを見ることはかないませんでした。

●南側の主塔を仰いで。市境は河道の中央に走っていて、正確にはもう徳島市です。巻上機室の側壁はコルゲート鋼板でしょうか、陽光が反射して不敵な表情。昇開橋のストロークだけでも13mあるとあって、まことに堂々たるものです。
堰柱(?)の左右にある平たい箱状のものが、1個100tあるというカウンターウェイトですね。左右をトラス状の梁でつないであるのが見てとれます。

●せっかく橋上に立ったからには、ど真ん中からいいお顔を撮ってみたくなり、クルマが途切れるのを見計らって、車線中央に出てみました。ごめんなさい‥‥。10月1日からのタイトルは、この一瞬後の写真です。昇開橋径間手前に二灯式信号、停止線付近には遮断機があり、その横には小さな電光掲示板と、開閉時の保安設備が目につきます。
新しい橋でわずか往復一車線づつ、というなかれ。先代橋は交互通航で、橋詰の信号で待たなければならなかったのですから、交通量としては倍増かそれ以上になったわけです。加えて歩道も両側に広々と取られ、自転車を含む生活道路としての有用性は、大きく向上したことでしょう。
●桁橋と昇開橋の継ぎ目はどんな風だろう? と路面に目を落とすと、フィンガージョイントと呼ばれる、鋼橋の伸縮継手やヒンジのある部分でよく見られるあれが。
もっとゴツイものを想像していたので、意外とありふれた部材が用いられていたことに驚きましたが、既製品を利用して十全に用いられることすなわち、優れた設計であるといえるのでしょう。
【撮影地点のMapion地図】
(元年9月14日撮影)
(『加賀須野橋…3』につづく)

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塗色はご当地名産「阿波藍」をイメージしたそうです。渋くてよい色ですが、北側からだと逆光でディテールがつぶれてしまうので、橋を渡って、南から狙った方がよさそうですね。
●橋詰から橋上へ上がってみました。最初に目についたのは、やはり高欄に掲げられていた開閉時刻表です。
朝晩の2回が船舶優先開閉、とありますが、この計4回が確実に開閉する時刻で、あとは便があり次第、ということなのでしょうか。いずれにせよ待っている時間の余裕はなかったので、通航シーンを見ることはかないませんでした。

●南側の主塔を仰いで。市境は河道の中央に走っていて、正確にはもう徳島市です。巻上機室の側壁はコルゲート鋼板でしょうか、陽光が反射して不敵な表情。昇開橋のストロークだけでも13mあるとあって、まことに堂々たるものです。
堰柱(?)の左右にある平たい箱状のものが、1個100tあるというカウンターウェイトですね。左右をトラス状の梁でつないであるのが見てとれます。

●せっかく橋上に立ったからには、ど真ん中からいいお顔を撮ってみたくなり、クルマが途切れるのを見計らって、車線中央に出てみました。ごめんなさい‥‥。10月1日からのタイトルは、この一瞬後の写真です。昇開橋径間手前に二灯式信号、停止線付近には遮断機があり、その横には小さな電光掲示板と、開閉時の保安設備が目につきます。
新しい橋でわずか往復一車線づつ、というなかれ。先代橋は交互通航で、橋詰の信号で待たなければならなかったのですから、交通量としては倍増かそれ以上になったわけです。加えて歩道も両側に広々と取られ、自転車を含む生活道路としての有用性は、大きく向上したことでしょう。

もっとゴツイものを想像していたので、意外とありふれた部材が用いられていたことに驚きましたが、既製品を利用して十全に用いられることすなわち、優れた設計であるといえるのでしょう。
【撮影地点のMapion地図】
(元年9月14日撮影)
(『加賀須野橋…3』につづく)

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加賀須野橋…1
(『旧吉野川河口堰…4』のつづき)

●旧吉野川河口堰を離れてさらに南下、今切川北岸、松茂町浜ノ須(Mapion地図)で河畔に立ちました。ここはちょっと特別な場所なのですが、その件は後でお話しましょう。真新しい堤防や砕石がまばゆく、施工されてまだ日が浅いことを示しています。
さらに南へ屈曲してゆく下流側は、橋の姿が全く見えません。少し右手へ目線を移して、対岸を見てみると‥‥。

●天井クレーンを備えた大きな建屋や、背の高いクレーン‥‥造船所がありますね。神例造船徳島工場とのこと。造船所があるとなれば、橋を架けるのははばかられるでしょう。‥‥そう、ここ今切川は、本船航路なのです!
●数年前に入手した、阿波の橋めぐり(坂本 好著、平成11年、㈱アルス製作所創立50周年記念誌刊行会発行)。徳島県下の131橋を収録した、上製箱入りの立派な橋梁写真集です。
弊ブログで徳島周辺の橋について云々するときは、ほぼこの本一冊に依っているわけですが、今回訪ねた加賀須野橋を知ったのも、本書の記事でした。
●もっとも、掲載されていたのは単葉跳開式の先代橋。現橋竣工後もしばらく在ったようですが、残念ながらすでに撤去され、見ることはかないませんでした。
この先代加賀須野橋、昭和29年に3代目として竣工した後、上流に日清紡績と東亜合成化学の工場が誘致され、本船の通航が求められたため、追加工事で跳開橋の径間を設けたという、変わった経歴の橋だったそう。
●現在も二社の工場の間には、共栄橋という橋がありますが、この先代橋も旋回式の可動橋だったとのこと。かつての徳島は、二つの可動橋がある町だったのですね!
加賀須野橋の記事中で最も興味を覚えたのは、17mという可動橋径間が船舶の大型化に対応できなくなったのか、通航船の衝突事故が何度かあったという下り。衝突は昭和51年から平成3年まで実に5回を数え、そのたびに長期通行止めとなるため、果てには復旧を迅速化しようと、何と予備の桁まで造って備えたそうです。
●事故を面白がるようで失礼ではありますが、可動橋に関するこの手の記録に触れるのは初めてで、興味深く拝読したものです。そして、それほどまで本船航路の河川として輻輳していたこと、さらに新橋も可動橋が必要とされたご当地の環境は、大いに興味をそそるものがありました。
加えて本船が結構な距離を遡上する河川は、国内に数えるほどしかないというのも手伝って、閘門たちとともにぜひ訪ねておきたいと思ったのです。

●さて、同じ場所から上流側へ向き直れば、青空を背負ってそびえる加賀須野橋の雄姿が。
平成26年8月、竣工当時の様子を伝える「加賀須野橋が供用開始」(建通新聞)によると、全長237m、可動橋径間の航路幅37m。可動橋の重量約450t、4本ある主塔に各100tのカウンターウェイトを備え、13mの高さを1分40秒(片道と思われます)で上下させるとのこと。
●可動橋の径間は、先代橋の17mから37mへと、倍以上に拡幅されたのですね。ちなみに、カメラを構えたこの場所、旧加賀須野橋が架かっていたところ。護岸回りがまだ新しいのも納得できます。かつての橋に至る道路がそのまま残っているのは、地図をご覧になればおわかりでしょう。
(元年9月14日撮影)
(『加賀須野橋…2』につづく)

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●旧吉野川河口堰を離れてさらに南下、今切川北岸、松茂町浜ノ須(Mapion地図)で河畔に立ちました。ここはちょっと特別な場所なのですが、その件は後でお話しましょう。真新しい堤防や砕石がまばゆく、施工されてまだ日が浅いことを示しています。
さらに南へ屈曲してゆく下流側は、橋の姿が全く見えません。少し右手へ目線を移して、対岸を見てみると‥‥。

●天井クレーンを備えた大きな建屋や、背の高いクレーン‥‥造船所がありますね。神例造船徳島工場とのこと。造船所があるとなれば、橋を架けるのははばかられるでしょう。‥‥そう、ここ今切川は、本船航路なのです!

弊ブログで徳島周辺の橋について云々するときは、ほぼこの本一冊に依っているわけですが、今回訪ねた加賀須野橋を知ったのも、本書の記事でした。

この先代加賀須野橋、昭和29年に3代目として竣工した後、上流に日清紡績と東亜合成化学の工場が誘致され、本船の通航が求められたため、追加工事で跳開橋の径間を設けたという、変わった経歴の橋だったそう。
●現在も二社の工場の間には、共栄橋という橋がありますが、この先代橋も旋回式の可動橋だったとのこと。かつての徳島は、二つの可動橋がある町だったのですね!
加賀須野橋の記事中で最も興味を覚えたのは、17mという可動橋径間が船舶の大型化に対応できなくなったのか、通航船の衝突事故が何度かあったという下り。衝突は昭和51年から平成3年まで実に5回を数え、そのたびに長期通行止めとなるため、果てには復旧を迅速化しようと、何と予備の桁まで造って備えたそうです。
●事故を面白がるようで失礼ではありますが、可動橋に関するこの手の記録に触れるのは初めてで、興味深く拝読したものです。そして、それほどまで本船航路の河川として輻輳していたこと、さらに新橋も可動橋が必要とされたご当地の環境は、大いに興味をそそるものがありました。
加えて本船が結構な距離を遡上する河川は、国内に数えるほどしかないというのも手伝って、閘門たちとともにぜひ訪ねておきたいと思ったのです。

●さて、同じ場所から上流側へ向き直れば、青空を背負ってそびえる加賀須野橋の雄姿が。
平成26年8月、竣工当時の様子を伝える「加賀須野橋が供用開始」(建通新聞)によると、全長237m、可動橋径間の航路幅37m。可動橋の重量約450t、4本ある主塔に各100tのカウンターウェイトを備え、13mの高さを1分40秒(片道と思われます)で上下させるとのこと。
●可動橋の径間は、先代橋の17mから37mへと、倍以上に拡幅されたのですね。ちなみに、カメラを構えたこの場所、旧加賀須野橋が架かっていたところ。護岸回りがまだ新しいのも納得できます。かつての橋に至る道路がそのまま残っているのは、地図をご覧になればおわかりでしょう。
(元年9月14日撮影)
(『加賀須野橋…2』につづく)

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