新左衛門川散歩…2
(『新左衛門川散歩…1』のつづき)
●社殿は、正面の破風がわずかにそれらしいことを除けば、まったく普通の民家といってもいいつくりです。右手の扉の上に「加藤洲稲荷神社」と大書きされていたので、社名がわかりました。この看板も書体が独特で、手作り感濃厚な雰囲気。
ぐるりのディテールから推察して、社殿と、氏子の集会所か何かを兼ねているようにも思えました。
●眺めてばかりいないで、まずはご挨拶。正面から見た石造りの鳥居は、しめ縄に門松と、松の内の装い。
お賽銭は、格子の間から、扉の向こうにあるお賽銭箱に入れるのですね。お参りが終わってから、失礼して中を覗いてみると、やはり集会所を兼ねているようで、鴨居には水郷の昔の写真も飾ってありました。加藤洲地区の中心として、長きにわたり水郷の歴史を眺めてきたお社なのでしょう。
●左側にあるささやかな手水舎に目をやると、「昭和四年五月一日 滝ヶ崎菓子店」の文字が彫られた石の手水鉢が。
昭和一桁といえば、昭和2(1927)年に「日本八景二十五勝」のうちの、二十五勝の一つに水郷が選ばれ、水郷観光が急速に注目されだした時期。この手水舎が奉納された2年後、昭和6年には大型観光船「さつき丸」の就航を見た、まさに勃興期でもありました。
加藤洲稲荷も、お客を満載したサッパや、佐原通いの小型モーター船が引きも切らない、新左衛門川の華やかな時代を見てきたに違いありません。

●加藤洲稲荷を辞して、集落を出ると風景が開け、田んぼの真ん中を新左衛門川が横切る、少し川幅の広まった区間に出ます。
このあたり、以前は古いサッパを岸に並べて、アヤメを植えた花壇代わりにして舟から見せていた(過去ログ『魅惑の水郷…2』『ふたたび水郷へ!…3』参照)のですが、ご覧のとおり古サッパは影も形もなくなり、水辺はテラス化されていました。

●風の音と鳥の声以外、ほとんど物音もなく、水面も鏡のようで、しばし静かな水郷風景を堪能。
サッパをぽつぽつと並べた、素朴なおもてなしの風味が味わえなくなったのはちょっと残念ですが、まだ新しい水路の散歩道の雰囲気はなかなかのものでした。「サッパが100艘出る」と言われるアヤメのシーズンに、上り下りの舟がひしめく賑わいぶりを、ここで眺めてみたいものです。
【撮影地点のMapion地図】
(23年1月2日撮影)
(『新左衛門川散歩…3』につづく)

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ぐるりのディテールから推察して、社殿と、氏子の集会所か何かを兼ねているようにも思えました。

お賽銭は、格子の間から、扉の向こうにあるお賽銭箱に入れるのですね。お参りが終わってから、失礼して中を覗いてみると、やはり集会所を兼ねているようで、鴨居には水郷の昔の写真も飾ってありました。加藤洲地区の中心として、長きにわたり水郷の歴史を眺めてきたお社なのでしょう。

昭和一桁といえば、昭和2(1927)年に「日本八景二十五勝」のうちの、二十五勝の一つに水郷が選ばれ、水郷観光が急速に注目されだした時期。この手水舎が奉納された2年後、昭和6年には大型観光船「さつき丸」の就航を見た、まさに勃興期でもありました。
加藤洲稲荷も、お客を満載したサッパや、佐原通いの小型モーター船が引きも切らない、新左衛門川の華やかな時代を見てきたに違いありません。

●加藤洲稲荷を辞して、集落を出ると風景が開け、田んぼの真ん中を新左衛門川が横切る、少し川幅の広まった区間に出ます。
このあたり、以前は古いサッパを岸に並べて、アヤメを植えた花壇代わりにして舟から見せていた(過去ログ『魅惑の水郷…2』『ふたたび水郷へ!…3』参照)のですが、ご覧のとおり古サッパは影も形もなくなり、水辺はテラス化されていました。

●風の音と鳥の声以外、ほとんど物音もなく、水面も鏡のようで、しばし静かな水郷風景を堪能。
サッパをぽつぽつと並べた、素朴なおもてなしの風味が味わえなくなったのはちょっと残念ですが、まだ新しい水路の散歩道の雰囲気はなかなかのものでした。「サッパが100艘出る」と言われるアヤメのシーズンに、上り下りの舟がひしめく賑わいぶりを、ここで眺めてみたいものです。
【撮影地点のMapion地図】
(23年1月2日撮影)
(『新左衛門川散歩…3』につづく)

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