謎の切合水門…4
(『謎の切合水門…3』のつづき)
●南側水門の巻上機構をアップで。中央に大直径のハンドルがあり、ギヤボックスと伝動軸を介して、二つのスピンドルを上下させる雌ネジを回転させる仕組みです。
「米島の廃水門」のような昔のスライドゲートのそれと違い、充分な減速比がとってあるでしょうから、運転にさほどの力はいらないと思われますが、いざ一人で舟を通航させるとなると、大変でしょうねえ…。
●南側、少し離れたところから北側を見たところ。右手のお宅は敷地がエンマ(水路)に接しており、庭木が張り出しているので、遠目には水門が庭の一部にあるようです。
エンマに沿って左、西側は農道があるため、加藤洲閘門や仲江間閘門のように、家屋にすき間なく包囲された「ぎっしり閘門」にはなっていないのが惜しいところですが、それがかえって観察しやすい環境を提供してくれており、気安く見て回れたのは何よりでした。

●そして水門の南側、一直線に伸びるエンマを望んでちょっとがっかり。こんなに低い橋が架けられていては、仮に通航があったとしても、小舟ですらくぐることはかないますまいよ…。
もしわずかでも舟航があれば、仲江間の橋のように桁下高を取った、中高の橋にするでしょう。このエンマはもう、可航水路としての役目を終えていたのです。私設と思われる橋の新しさからして、切合水門が竣工したころは、まだ架かっておらず、通る舟も少ないながらあったに違いない…と、しばし妄想。
●堤防上に戻って、いま一度高水敷に下り、もろ逆光の西側から正面を一枚撮って、切合水門にお別れ。離れてから振り返る(下写真)と、広漠たる冬枯れの常陸利根川畔に、ぽつねんと立つゲートが妙に小さく見えました。
というわけで、見たかぎり閘門の機能は備えているものの、実際に閘門として活用されたどうかは、謎のままになってしまいました。
しかし、十六島の外縁に集落に囲まれてたたずむ小水門・閘門って、似たようなレイアウトでありながら、それぞれ違ったいい雰囲気があるものですね。次の機会には、まだ訪ねていない他の水門(こことか)も攻めてみようと、新たな欲望に火がついた今回の探訪ではありました。

(25年1月2日撮影)
(『1月2日の小野川…1』につづく)

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「米島の廃水門」のような昔のスライドゲートのそれと違い、充分な減速比がとってあるでしょうから、運転にさほどの力はいらないと思われますが、いざ一人で舟を通航させるとなると、大変でしょうねえ…。

エンマに沿って左、西側は農道があるため、加藤洲閘門や仲江間閘門のように、家屋にすき間なく包囲された「ぎっしり閘門」にはなっていないのが惜しいところですが、それがかえって観察しやすい環境を提供してくれており、気安く見て回れたのは何よりでした。

●そして水門の南側、一直線に伸びるエンマを望んでちょっとがっかり。こんなに低い橋が架けられていては、仮に通航があったとしても、小舟ですらくぐることはかないますまいよ…。
もしわずかでも舟航があれば、仲江間の橋のように桁下高を取った、中高の橋にするでしょう。このエンマはもう、可航水路としての役目を終えていたのです。私設と思われる橋の新しさからして、切合水門が竣工したころは、まだ架かっておらず、通る舟も少ないながらあったに違いない…と、しばし妄想。

というわけで、見たかぎり閘門の機能は備えているものの、実際に閘門として活用されたどうかは、謎のままになってしまいました。
しかし、十六島の外縁に集落に囲まれてたたずむ小水門・閘門って、似たようなレイアウトでありながら、それぞれ違ったいい雰囲気があるものですね。次の機会には、まだ訪ねていない他の水門(こことか)も攻めてみようと、新たな欲望に火がついた今回の探訪ではありました。

(25年1月2日撮影)
(『1月2日の小野川…1』につづく)

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謎の切合水門…3
(『謎の切合水門…2』のつづき)

ホンモノのGoogleマップで切合水門を見る
●もうだいぶ前になりますが、Googleマップで十六島外縁を流しながら眺めていたら、切合水門(当時はむろん、名前は知りませんでしたが)の南側にもう一つ、水門があるのに気づかされたのが、今回のお話の発端。しかもこの水門、北側のそれより明らかに高さが低く、少なくとも西側の岸は、コンクリートで固められている…。
純粋に閘門として造られたかどうかはともかく、閘門機能を疑うには、上記の二つで理由としては充分過ぎるほど。ただ、他の小閘門たちの、航空写真上での「見え方」とはずいぶん違って、水門や周囲の様子は至ってシンプルでしたので、過度の期待はすまいと肝に銘じていたものの、気になりだすとやはり、この目で確かめてみたくなったのです。

●堤防に設けられた階段から、もう一つの水門(以下、『南側水門』と呼びます)を眺めて。この位置だともろに逆光になるのですが、左のお宅から木の枝がかぶさっていて、堤防上からはここしか全体像を眺められないのです。
●閘室(と決まったわけではありませんが)に当たる部分の護岸は、鋼矢板の天端のみコンクリートをかぶせたもの。水門と堤防の間は、両岸とも金網のフェンスで囲まれていて、ますます閘室らしい雰囲気が濃厚です。
右の写真は、南側から見たところ。北側・南側水門と堤防、階段との位置関係がわかります。
あっ、手前の護岸と「閘室」の護岸は、わずか30cmほどながら段差がある! これを見るとやはり、閘門として使われることを前提に設計されたと考えても、あながち間違えではないように思えてきました。
●南側の階段は、ご覧のように堰柱に取り付けた踊り場を持つ、形鋼を組んだガッシリとしたもの。北側の螺旋階段の軽快さとは、対照的な雰囲気です。
こちらの水門には、銘板のたぐいは特に見当たりませんでした。ちょっと気になったのは、「閘室」の護岸にアイやクリートなどの、繋留設備が見られなかったこと。このあたり、「閘門認定」するには、少々弱い点ではありますね。
●扉体のアップ。全閉されているのは、北側の扉体同様。戸当たりには、ボルト留めされたゴムのシール材が見られます。「閘室」とこちら側の水位差は、見たかぎりほとんど無いようでした。
ここまででわかったことは、注排水設備もなく、動力化もされていない簡素なものとはいえ、「閘室」もしっかりと水位差に耐えられる造りがしてあり、閘門としての機能は、充分に果たせそうだということ。
水門の構造や周りの造作からも、正式に閘門として造られたのでないことは明らかですから、閘門と呼ぶのははばかられるにせよ、それに限りなく近い機能を狙った、二重構造の水門であるといっていいように思えたのですが、いかがでしょうか。
そういえば、同じ十六島にある南の出入口、仲江間閘門の正式名称は「仲江間二重水門」(過去ログ『仲江間の小さな閘門…3』参照)でしたっけね。
(25年1月2日撮影)
(『謎の切合水門…4』につづく)

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ホンモノのGoogleマップで切合水門を見る
●もうだいぶ前になりますが、Googleマップで十六島外縁を流しながら眺めていたら、切合水門(当時はむろん、名前は知りませんでしたが)の南側にもう一つ、水門があるのに気づかされたのが、今回のお話の発端。しかもこの水門、北側のそれより明らかに高さが低く、少なくとも西側の岸は、コンクリートで固められている…。
純粋に閘門として造られたかどうかはともかく、閘門機能を疑うには、上記の二つで理由としては充分過ぎるほど。ただ、他の小閘門たちの、航空写真上での「見え方」とはずいぶん違って、水門や周囲の様子は至ってシンプルでしたので、過度の期待はすまいと肝に銘じていたものの、気になりだすとやはり、この目で確かめてみたくなったのです。

●堤防に設けられた階段から、もう一つの水門(以下、『南側水門』と呼びます)を眺めて。この位置だともろに逆光になるのですが、左のお宅から木の枝がかぶさっていて、堤防上からはここしか全体像を眺められないのです。

右の写真は、南側から見たところ。北側・南側水門と堤防、階段との位置関係がわかります。
あっ、手前の護岸と「閘室」の護岸は、わずか30cmほどながら段差がある! これを見るとやはり、閘門として使われることを前提に設計されたと考えても、あながち間違えではないように思えてきました。

こちらの水門には、銘板のたぐいは特に見当たりませんでした。ちょっと気になったのは、「閘室」の護岸にアイやクリートなどの、繋留設備が見られなかったこと。このあたり、「閘門認定」するには、少々弱い点ではありますね。

ここまででわかったことは、注排水設備もなく、動力化もされていない簡素なものとはいえ、「閘室」もしっかりと水位差に耐えられる造りがしてあり、閘門としての機能は、充分に果たせそうだということ。
水門の構造や周りの造作からも、正式に閘門として造られたのでないことは明らかですから、閘門と呼ぶのははばかられるにせよ、それに限りなく近い機能を狙った、二重構造の水門であるといっていいように思えたのですが、いかがでしょうか。
そういえば、同じ十六島にある南の出入口、仲江間閘門の正式名称は「仲江間二重水門」(過去ログ『仲江間の小さな閘門…3』参照)でしたっけね。
(25年1月2日撮影)
(『謎の切合水門…4』につづく)

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謎の切合水門…2
(『謎の切合水門…1』のつづき)

●ブロックできれいに固められた高水敷に降りて、表側の表情(上写真)を…と思ったのですが、残念ながらほとんど逆光。堤防越しに、切合(でいいと思うのですが)の集落の家並が見えています。
ズームでたぐって、梁側面に掲げられた銘板を観察すると…。おや、切合の切の字が、どう見ても土偏になっています。「功」じゃないですよね?
●扉体はローラーゲート、径間わずか2.6mとあって、桁の数も少ないシンプルなものです。錆はあまり目立ちませんが、塗装は色あせところどころ剥離して、少々くたびれた風情。
扉体は全閉されているようですが、それともわずかに開けて、少量の導水をしているのでしょうか。水没している部分は、扉体の寸法から考えて半分とないようですから、水深は1.5mより浅いのでしょう。
●水門前の水面は、葦原が切り開かれていることからも、定期的に浚渫・草刈りの手が入っているのでしょう。気になったのはやはり、目の前の浅瀬に沈む小舟。
一瞬サッパかと思いましたが、船尾に外艫があることから、別の種類の和船のようです。コーティングされているせいで、沈んだ後も朽ちずに形を保っているのでしょうが、開の口から繁った草がそよぐ様子は、いかにも物悲しい風景です。この他にも、葦原の中に廃舟が見られたので、かつては切合水門も、それなりの通船量があったのかも…と妄想。

●で、なぜタイトルに「謎の」を冠したのか…といういわくを、ようやくご覧に入れる運びとなりました。
この切合水門、エンマ側にもう一つ、水門があるからです!
水門が一本の水路に、二つ並設されているのを知れば、そう、妄想するのはただ一つ!
これ、閘門なんじゃないかということ。
ここは「知られざる閘門」なのか? 十六島の出入口は大割、加藤洲、仲江間、浪逆浦の4閘門のみならず、5つ目がここなのか? いざ、検分とまいりましょう。
(25年1月2日撮影)
(『謎の切合水門…3』につづく)

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ズームでたぐって、梁側面に掲げられた銘板を観察すると…。おや、切合の切の字が、どう見ても土偏になっています。「功」じゃないですよね?

扉体は全閉されているようですが、それともわずかに開けて、少量の導水をしているのでしょうか。水没している部分は、扉体の寸法から考えて半分とないようですから、水深は1.5mより浅いのでしょう。

一瞬サッパかと思いましたが、船尾に外艫があることから、別の種類の和船のようです。コーティングされているせいで、沈んだ後も朽ちずに形を保っているのでしょうが、開の口から繁った草がそよぐ様子は、いかにも物悲しい風景です。この他にも、葦原の中に廃舟が見られたので、かつては切合水門も、それなりの通船量があったのかも…と妄想。

●で、なぜタイトルに「謎の」を冠したのか…といういわくを、ようやくご覧に入れる運びとなりました。
この切合水門、エンマ側にもう一つ、水門があるからです!
水門が一本の水路に、二つ並設されているのを知れば、そう、妄想するのはただ一つ!
これ、閘門なんじゃないかということ。
ここは「知られざる閘門」なのか? 十六島の出入口は大割、加藤洲、仲江間、浪逆浦の4閘門のみならず、5つ目がここなのか? いざ、検分とまいりましょう。
(25年1月2日撮影)
(『謎の切合水門…3』につづく)

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謎の切合水門…1

お参りの後は潮来で昼食を済ませ、常陸利根川を渡って十六島入り。以前から気になっていた、ある水門をつぶさに検分してみたくなり、好機到来とばかりに潮来大橋を渡ってから右折、十六島の北岸をひたすら東へ。

少し東に行きすぎたところから、堤防を登って水門に近づいてみると、堤防上は何か改良工事の最中なのか、重機のキャタピラ痕や、ご覧のような鉄板が敷いてある部分もありました。
【撮影地点のMapion地図】


一見して、螺旋階段の存在や、電線が来ていないことからも、扉体の巻上装置は手動操作であることがわかりました。正面…もとい、裏面から見てみると、扉体を吊っていたのはラックでなくスピンドル。仕組みから考えても、運転の頻度はそう多くなさそうですね。

●左側の堰柱にあった銘板。名前は「切合水門」、昭和58年3月の竣工。幅2.6m、高さ3.2m、長さ15.8mは、堤防内を貫く樋管の寸法でしょうか。
このあたり、地図上では香取市磯山なのですが、十六島は土地改良時に由来するのか、同じ地名が飛び地のように散らばっている例が多く、この場所を指す地名としては、いまひとつ信用が置けないような気がします。水門名となった切合が、本来の地名なのかもしれません。
(25年1月2日撮影)
(『謎の切合水門…2』につづく)

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