五霞落川の水門…4
(『五霞落川の水門…3』のつづき)

●上流側から見たところ。「五霞水門」と看板が掲げてあるのはこちらも同じですが、堰柱間のコンクリート壁が目立つ分、印象が下流側とだいぶ違って見えますね。
水門を名乗ってはいるものの、その働きから見ると堰と呼んだ方がよさそうです。東側は工業団地ですから、あるいは工業用水の取水も兼ねて堰上げているのでしょう。
【撮影地点のMapion地図】
●水門の左右はご覧のとおり、厳重に金網の柵で囲まれて、水門とのスキンシップをはかるにはいま一つの環境です。銘板があったら探してみたかったのですが、これでは無理そうですね。
しかし、手前に石碑が新旧二つもありますから、これを検分すれば、色々とわかることがあるでしょう。さて…。
●左の古い石碑のアップ。「五霞樋門竣功記念」と彫られており、少なくとも5~60年は経っていそうです。五霞水門の先代が五霞樋門だったのか、それとも五霞水門を、かつては五霞樋門と呼んでいたのかしら。
ちなみに新しい方の石碑は、「竣工記念碑」と題し、文末に「昭和五十二年四月二十八日通水」の文字が。内容は、昭和22年9月のキャスリン台風を契機に五霞樋門を造ったことに始まり、河川改修の経緯、昭和51年に現在の五霞水門を建設したことと、水門の構造や用途、かかった金額が記してありました。なるほど、先代の五霞樋門は昭和22年に造られ、現在の五霞水門は51年に竣工したのですね。
碑文によると、増水時の逆流防止と、灌漑期の河道貯水が主目的とありましたから、やはり堰の役割も併せ持った施設のようです。地域開発の期待を担った水門なのですね。

●東岸の工場群とは対照的に、西岸は見渡す限りの美田でした。五霞落川と五霞水門がはぐくんだといっても、いい過ぎではないでしょう。

●川沿いの道も、東岸のガードレールも完備した舗装道路にくらべ、西岸は轍を残して草の茂る未舗装。法面から立ちのぼる草いきれ越しに望む五霞落川水門も、のどかでいい表情です。
旧権現堂堤の周囲をお散歩して、水門たちや記念碑群、そして分流点や古い橋と、陽気の良さも手伝って思った以上に楽しめました。お次は久しぶりに、関宿を再訪するとしましょう。
(23年5月4日撮影)
(『関宿再訪…1』につづく)

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●上流側から見たところ。「五霞水門」と看板が掲げてあるのはこちらも同じですが、堰柱間のコンクリート壁が目立つ分、印象が下流側とだいぶ違って見えますね。
水門を名乗ってはいるものの、その働きから見ると堰と呼んだ方がよさそうです。東側は工業団地ですから、あるいは工業用水の取水も兼ねて堰上げているのでしょう。
【撮影地点のMapion地図】

しかし、手前に石碑が新旧二つもありますから、これを検分すれば、色々とわかることがあるでしょう。さて…。

ちなみに新しい方の石碑は、「竣工記念碑」と題し、文末に「昭和五十二年四月二十八日通水」の文字が。内容は、昭和22年9月のキャスリン台風を契機に五霞樋門を造ったことに始まり、河川改修の経緯、昭和51年に現在の五霞水門を建設したことと、水門の構造や用途、かかった金額が記してありました。なるほど、先代の五霞樋門は昭和22年に造られ、現在の五霞水門は51年に竣工したのですね。
碑文によると、増水時の逆流防止と、灌漑期の河道貯水が主目的とありましたから、やはり堰の役割も併せ持った施設のようです。地域開発の期待を担った水門なのですね。

●東岸の工場群とは対照的に、西岸は見渡す限りの美田でした。五霞落川と五霞水門がはぐくんだといっても、いい過ぎではないでしょう。

●川沿いの道も、東岸のガードレールも完備した舗装道路にくらべ、西岸は轍を残して草の茂る未舗装。法面から立ちのぼる草いきれ越しに望む五霞落川水門も、のどかでいい表情です。
旧権現堂堤の周囲をお散歩して、水門たちや記念碑群、そして分流点や古い橋と、陽気の良さも手伝って思った以上に楽しめました。お次は久しぶりに、関宿を再訪するとしましょう。
(23年5月4日撮影)
(『関宿再訪…1』につづく)

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五霞落川の水門…3
(『五霞落川の水門…2』のつづき)
●水門橋から上流側に目をやると、向こうにももう一つ、水門が見えますね。ちょっとしたお散歩の範囲で3つも水門めぐりができるとは、さすが水門群生地帯。
草ばかりでなく、灌木も青々と茂る法面が、工業団地の間を流れる川とは思えないのどかさ。しかし、こちらも穴場なのか、水際に釣り人さんが何人か見られます。
●まずは正面からいいお顔を撮ってやろうと、水門の下流にある川原橋へ。
工業地帯だけあって、装飾性の一切ない鋼桁橋ですが、親柱と銘板を備えているあたり、渡している道の重要さがうかがい知れるようです。チャンネル材を組んだ簡素な高欄は、すっかり塗装が落ちて赤く錆びていたものの、周囲の風景が明るいせいか、痛々しい感じはあまりしませんでした。
●あらら、手の影が写ってしまった…。橋に向かう途中で見つけた、一級河川・五霞落川の河川標識。
元々はいうまでもなく、単に「ごかおとし」と呼ばれていたのでしょう。「落とし」というのは、今でいう排水路のことですが、昔の呼び名がそのまま河川名になっているあたり、この地域の開発の歴史がしのばれるようで、面白く感じたものです。

●河原橋の上から、水門のベストショット(というほどのことではないか)を一枚。「五霞水門」と看板が掲げられて、近づくまでもなく名前がわかるのも親切(?)。明らかに、先ほど見たお絵かき水門・五霞落川水門より、だいぶ先輩のようです。
権現堂堰と同じく、水の落とし口は穴場なのか、こちらも釣り人さんで結構な賑わいですね。
●堰柱の間を壁で塞いでいるところが、規模の割には重々しさを感じさせます。スライドゲート(いや、スピンドル式ながらローラーゲート?)三径間、しかも中央径間のみスキンプレートが表裏逆で、下にもう一枚扉体があるのか、堰上がった越流放水になっているなど、眺めるほどに興味をそそられるディテール。
素人考えですが、中川からの背水を防ぐのみなら、五霞落川水門が完成したところで、この五霞水門は撤去されてもおかしくないように思えました。こうして二つの水門が、ほど近い位置で併置されているのは、何か理由があるに違いありません。
【撮影地点のMapion地図】
(23年5月4日撮影)
(『五霞落川の水門…4』につづく)

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草ばかりでなく、灌木も青々と茂る法面が、工業団地の間を流れる川とは思えないのどかさ。しかし、こちらも穴場なのか、水際に釣り人さんが何人か見られます。

工業地帯だけあって、装飾性の一切ない鋼桁橋ですが、親柱と銘板を備えているあたり、渡している道の重要さがうかがい知れるようです。チャンネル材を組んだ簡素な高欄は、すっかり塗装が落ちて赤く錆びていたものの、周囲の風景が明るいせいか、痛々しい感じはあまりしませんでした。

元々はいうまでもなく、単に「ごかおとし」と呼ばれていたのでしょう。「落とし」というのは、今でいう排水路のことですが、昔の呼び名がそのまま河川名になっているあたり、この地域の開発の歴史がしのばれるようで、面白く感じたものです。

●河原橋の上から、水門のベストショット(というほどのことではないか)を一枚。「五霞水門」と看板が掲げられて、近づくまでもなく名前がわかるのも親切(?)。明らかに、先ほど見たお絵かき水門・五霞落川水門より、だいぶ先輩のようです。
権現堂堰と同じく、水の落とし口は穴場なのか、こちらも釣り人さんで結構な賑わいですね。

素人考えですが、中川からの背水を防ぐのみなら、五霞落川水門が完成したところで、この五霞水門は撤去されてもおかしくないように思えました。こうして二つの水門が、ほど近い位置で併置されているのは、何か理由があるに違いありません。
【撮影地点のMapion地図】
(23年5月4日撮影)
(『五霞落川の水門…4』につづく)

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五霞落川の水門…2
(『五霞落川の水門…1』のつづき)
●裏側から見た水門の全景。表側同様、水辺には釣り人さんの姿がちらほら。
こちらもディテールはあっさりめで、巻上機室側面に、換気扇のフードがひとつ余計にあるのと、樋が走っている程度の違いです。扉体の構造が見える分、むしろこちらの方が水門らしい表情で、どこか安心させられるものが。
●西側堰柱に、銘板がありました。五霞落川水門の名のとおり、五霞落川の河口を守る役目を果たしているのですね。竣工は平成7年、まだ若手といっていい水門です。
ちなみに、製造元の日東河川工業ですが、香川ローカルでCMを放映しているようですね。(『ローカルCM・日東河川工業』ニコニコ動画(原宿)より)

●スキンプレート側を見たかぎりでは浅いと思えた水深も、扉体をアップで見てみると、湛水したときの汚れから1m強はありそう。
径間にくらべて天地寸法が少ないせいか、構造は単純明快で、すっきりした造作に見えます。
●管理橋の名前も「水門橋」と、外観とたがわず単純明快というか、気持ちがいいほどそのものズバリです。
ディテールについてぶつぶつ言ったものの、傍らにあった「水位伝送器」(↓)なる計器が備えられているのを見て、ちょっと見方が変わりました。
やはり河口に位置するだけあって、地域の水防の要といっていい存在なのですね。募集した絵が掲げられるのも、存在の大きさの証しなのかもしれません。

(23年5月4日撮影)
(『五霞落川の水門…3』につづく)

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こちらもディテールはあっさりめで、巻上機室側面に、換気扇のフードがひとつ余計にあるのと、樋が走っている程度の違いです。扉体の構造が見える分、むしろこちらの方が水門らしい表情で、どこか安心させられるものが。

ちなみに、製造元の日東河川工業ですが、香川ローカルでCMを放映しているようですね。(『ローカルCM・日東河川工業』ニコニコ動画(原宿)より)

●スキンプレート側を見たかぎりでは浅いと思えた水深も、扉体をアップで見てみると、湛水したときの汚れから1m強はありそう。
径間にくらべて天地寸法が少ないせいか、構造は単純明快で、すっきりした造作に見えます。

ディテールについてぶつぶつ言ったものの、傍らにあった「水位伝送器」(↓)なる計器が備えられているのを見て、ちょっと見方が変わりました。
やはり河口に位置するだけあって、地域の水防の要といっていい存在なのですね。募集した絵が掲げられるのも、存在の大きさの証しなのかもしれません。

(23年5月4日撮影)
(『五霞落川の水門…3』につづく)

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五霞落川の水門…1
(『権現堂堰のあたり…2』のつづき)

●宇和田公園、旧権現堂堤の堤上から、権現堂堰・権現堂橋を見下ろしたところ。向こうに見える木の茂った小山は、中川開鑿によって分断された、権現堂堤の片われで、こちらに同じく宇和田公園の一部となっています。
緑濃い旧堤に挟まれて、ちょっとした渓谷のようなところに堰と橋が配されているあたり、箱庭を見るような楽しさがあります。とにかく気持ちのよいところで、遺構を眺めながらのお散歩には、うってつけの環境といっていいでしょう。
●宇和田公園橋に戻って、上流側に目を向けると、河川敷に生い茂る灌木の間から、水門が顔を出していました。
川だけでなく、用排水路が縦横に走るこのあたり、水門や樋門が群生(?)している場所でもあります。まずは正面から眺めようと、水門の対岸へ向けて出発。
●水門のほぼ対岸から、東を眺めたところ。川の分流点にグッとくる私としては、見逃せない風景です。
橋の下を写真奥に向かう水路は、幸手放水路といって、中川の増水時に江戸川へ排水するための放水路。橋の手前を右手に分岐するのが、中川の本流です。右手への分岐が新たに開鑿された区間で、幸手放水路は、かつての権現堂川の河道をほぼなぞったかたちになっています。
【撮影地点のMapion地図】

●で、水門の方へ向き直ってみると……ははあ、「お絵かき水門」ですね。これまた、何ともかわいらしいというか、一度見たら忘れられない絵柄です。ここがもし可航水路だったら、航行上のよい目標になったことでしょう。
●幸手放水路の橋を渡り、お絵かき水門に近づいてみました。窓が小さいせいか、巻上機室が思ったより頭でっかちに見えます。可航水路の水門なら、信号やスピーカーに監視カメラなど、装備が賑やかに取り付けられるところですが、単なる背水防止用の水門とあって、ライトが各径間に一つだけと質素な印象です。
絵があるだけに、水に浸かった時の泥がべったりついていたら、ちょっとかわいそうだなと思っていたら、案外きれいです。時々洗っているのか、単に水深が浅くて、下端をちょっと浸すくらいなのでしょうか。
【撮影地点のMapion地図】
(23年5月4日撮影)
(『五霞落川の水門…2』につづく)

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●宇和田公園、旧権現堂堤の堤上から、権現堂堰・権現堂橋を見下ろしたところ。向こうに見える木の茂った小山は、中川開鑿によって分断された、権現堂堤の片われで、こちらに同じく宇和田公園の一部となっています。
緑濃い旧堤に挟まれて、ちょっとした渓谷のようなところに堰と橋が配されているあたり、箱庭を見るような楽しさがあります。とにかく気持ちのよいところで、遺構を眺めながらのお散歩には、うってつけの環境といっていいでしょう。

川だけでなく、用排水路が縦横に走るこのあたり、水門や樋門が群生(?)している場所でもあります。まずは正面から眺めようと、水門の対岸へ向けて出発。

橋の下を写真奥に向かう水路は、幸手放水路といって、中川の増水時に江戸川へ排水するための放水路。橋の手前を右手に分岐するのが、中川の本流です。右手への分岐が新たに開鑿された区間で、幸手放水路は、かつての権現堂川の河道をほぼなぞったかたちになっています。
【撮影地点のMapion地図】

●で、水門の方へ向き直ってみると……ははあ、「お絵かき水門」ですね。これまた、何ともかわいらしいというか、一度見たら忘れられない絵柄です。ここがもし可航水路だったら、航行上のよい目標になったことでしょう。

絵があるだけに、水に浸かった時の泥がべったりついていたら、ちょっとかわいそうだなと思っていたら、案外きれいです。時々洗っているのか、単に水深が浅くて、下端をちょっと浸すくらいなのでしょうか。
【撮影地点のMapion地図】
(23年5月4日撮影)
(『五霞落川の水門…2』につづく)

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