柳川堀割めぐり…15
(『柳川堀割めぐり…14』のつづき)
●以降の帰路は同じコースなので、落ち穂拾い的にいくつか。
●堀割沿いの植え込みに設けられたこれ、何だかわかりますか? この少し下流で、いきなりスピーカーから「こんにちは~! 写真を撮りま~す!」と声がかったと思うと、看板の対岸にある家の小窓からカメラが突き出し、パシャッと音がしたと思うが早く、「写真番号は××番で~す! ありがとうございました~!」と再び放送。
つまり、舟に乗ったまま、記念写真を撮ってくれる写真屋さんで、看板はその記念写真に日付を入れるためのもの、というわけでした。カメラマンが船着場に常駐していて、乗船前後に記念写真を撮ってくれる、というサービスは他でもありましたが、遊覧中に撮ってくれるビジネスが成立しているあたり、さすが水郷柳川です。
(場所はMapion地図でこのへん)
●これは往路に正面衝突した場所のすぐ近く、北長柄橋のすり抜け風景。高欄はシンプルですが、ほどよく古びたコンクリートの肌がいい感じです。
改めて見ると、結構な低さですり抜けとしては一級品(等級などあるのか?)なのですが、先ほどから超絶に低く狭い橋の連続で、果ては「橋を持ち上げる」体験までしてしまった後では、感覚もマヒして冷静になってきたのが何とも…。
●狭さと低さ、高欄の造形と絶妙なハーモニーが気に入ってしまった、私的ベスト・オブ・柳川最低橋(何だそりゃ)、石橋。
タイミングよく、送迎のマイクロバスが通過したところが撮れて、高欄の低さが実感できる写真になりました。
●城堀水門を出て、二ツ川に戻ってきました。先ほど撮りそこねたRC橋、柳川橋をリベンジ。といいつつ、すでに日も傾いて、あまりよく撮れませんでしたが…。
両端の径間は、クルマが通りやすいようにするためでしょう、極端に広がったじょうごのような形をしており、さらに中央径間が中高のため、勾配をとってあります。

●神社の杜が枝をさしかける岸辺に出迎えられ、二ツ川最上流部、城門観光の高畑乗り場が見えてきました。約4時間に渡る、柳川堀割めぐりの終着点。名残惜しいですが、この快い低さの視点ともお別れです。
流れに逆らっての力漕、本当にお疲れさまでした! 船頭さんにお礼をいいつつ舟を降り、今度は岸からの眺めを楽しみつつ、徒歩でお次へと急ぎます。
(24年11月3日撮影)
(『柳川堀割めぐり…16』につづく)

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●堀割沿いの植え込みに設けられたこれ、何だかわかりますか? この少し下流で、いきなりスピーカーから「こんにちは~! 写真を撮りま~す!」と声がかったと思うと、看板の対岸にある家の小窓からカメラが突き出し、パシャッと音がしたと思うが早く、「写真番号は××番で~す! ありがとうございました~!」と再び放送。
つまり、舟に乗ったまま、記念写真を撮ってくれる写真屋さんで、看板はその記念写真に日付を入れるためのもの、というわけでした。カメラマンが船着場に常駐していて、乗船前後に記念写真を撮ってくれる、というサービスは他でもありましたが、遊覧中に撮ってくれるビジネスが成立しているあたり、さすが水郷柳川です。
(場所はMapion地図でこのへん)

改めて見ると、結構な低さですり抜けとしては一級品(等級などあるのか?)なのですが、先ほどから超絶に低く狭い橋の連続で、果ては「橋を持ち上げる」体験までしてしまった後では、感覚もマヒして冷静になってきたのが何とも…。

タイミングよく、送迎のマイクロバスが通過したところが撮れて、高欄の低さが実感できる写真になりました。

両端の径間は、クルマが通りやすいようにするためでしょう、極端に広がったじょうごのような形をしており、さらに中央径間が中高のため、勾配をとってあります。

●神社の杜が枝をさしかける岸辺に出迎えられ、二ツ川最上流部、城門観光の高畑乗り場が見えてきました。約4時間に渡る、柳川堀割めぐりの終着点。名残惜しいですが、この快い低さの視点ともお別れです。
流れに逆らっての力漕、本当にお疲れさまでした! 船頭さんにお礼をいいつつ舟を降り、今度は岸からの眺めを楽しみつつ、徒歩でお次へと急ぎます。
(24年11月3日撮影)
(『柳川堀割めぐり…16』につづく)

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柳川堀割めぐり…3
(『柳川堀割めぐり…2』のつづき)
●京町通りを渡す、柳川橋をくぐって。イイ感じに古びたRC橋だったのですが、逆光でうまく撮れず、側面に掲げられた橋名板のみで。指定のコースではここが第一橋という意味なのか、番号が付いていますね。
船頭さんの説明では、この南北に走る堀割は「二ツ川」という名前で、柳川市の東を丘陵に沿って有明海に流れ下る、矢部川水系の一部なのだそう。なるほど河畔にも、「一級河川 矢部川水系 二ツ川」の看板が掲げられていました。他の水路にも、名前は付いているのかな?

●おっと行き過ぎました、ここは東から合流する水路との丁字流。奥に見える赤い欄干の橋は、見たそのままの欄干橋というそうで、三柱神社の参道を渡す橋。3径間コンクリートアーチのようですね。
手前に見える朱色のドンコ舟の船溜は、ご当地川下り観光の嚆矢、柳川観光開発の松月乗船場。左手河畔にある文学資料館・松月文人館から名前を採ったのでしょうか。この水路の奥に、先ほどチラリと見た水郷柳川観光の乗り場もあります。

●柳の並木が水面にこうべを垂れる、文字どおりの柳川らしい区間に出ました。水路幅も広がり、お客さんを満載した各船社のドンコが賑やかに行きかいます。
水路上空には、「祝 白秋祭」の横断幕が。この日11月3日は、ご当地の大祭である白秋祭の最終日で、夜には花火があり、各所に設けられた舞台でも、さまざまな催し物が繰り広げられるとのこと。賑やかなはずですね。
ちなみに我々の乗る舟が、手すりに紅白のテープを巻き、小さな提灯を下げているのは、お祭り期間限定の装いなのだとか。
●右手、柳の並木越しに見えてきた土蔵風の建物は、柳川古文書館。柳川城主立花家の遺した文書をはじめ、筑後地方の古文書が一堂に集められている博物館だそう。
この手前の河畔には、白秋の歌碑があるのですが、ここで船頭さんが碑を指しながら「色にして 老木の柳うちしだる 我が柳河の 水の豐けさ」と、刻まれた詩をいい声で朗じてくれました。
帰宅してから「水の構圖」をめくってみると、この歌のタイトルは「鋤崎土手」。このあたりにかつてあった、柳川城の防御構造物である土塁のことですね。白秋先生のおかげで、ちょっとした水辺の地名も印象深いものになります。
●正面には、白秋の肖像写真を掲げ、たくさんの提灯で彩られた舞台が、水路上に設けられていました。さすが水郷柳川、お祭りの会場も水の上にあるのだなあと感心しきり。
ここで二ツ川とはお別れ、船頭さんの操る竿で舟は右に向きを変えて、さらに濃厚な堀割めぐりの佳境へ!
【撮影地点のMapion地図】
(24年11月3日撮影)
(『柳川堀割めぐり…4』につづく)

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船頭さんの説明では、この南北に走る堀割は「二ツ川」という名前で、柳川市の東を丘陵に沿って有明海に流れ下る、矢部川水系の一部なのだそう。なるほど河畔にも、「一級河川 矢部川水系 二ツ川」の看板が掲げられていました。他の水路にも、名前は付いているのかな?

●おっと行き過ぎました、ここは東から合流する水路との丁字流。奥に見える赤い欄干の橋は、見たそのままの欄干橋というそうで、三柱神社の参道を渡す橋。3径間コンクリートアーチのようですね。
手前に見える朱色のドンコ舟の船溜は、ご当地川下り観光の嚆矢、柳川観光開発の松月乗船場。左手河畔にある文学資料館・松月文人館から名前を採ったのでしょうか。この水路の奥に、先ほどチラリと見た水郷柳川観光の乗り場もあります。

●柳の並木が水面にこうべを垂れる、文字どおりの柳川らしい区間に出ました。水路幅も広がり、お客さんを満載した各船社のドンコが賑やかに行きかいます。
水路上空には、「祝 白秋祭」の横断幕が。この日11月3日は、ご当地の大祭である白秋祭の最終日で、夜には花火があり、各所に設けられた舞台でも、さまざまな催し物が繰り広げられるとのこと。賑やかなはずですね。
ちなみに我々の乗る舟が、手すりに紅白のテープを巻き、小さな提灯を下げているのは、お祭り期間限定の装いなのだとか。

この手前の河畔には、白秋の歌碑があるのですが、ここで船頭さんが碑を指しながら「色にして 老木の柳うちしだる 我が柳河の 水の豐けさ」と、刻まれた詩をいい声で朗じてくれました。
帰宅してから「水の構圖」をめくってみると、この歌のタイトルは「鋤崎土手」。このあたりにかつてあった、柳川城の防御構造物である土塁のことですね。白秋先生のおかげで、ちょっとした水辺の地名も印象深いものになります。

ここで二ツ川とはお別れ、船頭さんの操る竿で舟は右に向きを変えて、さらに濃厚な堀割めぐりの佳境へ!
【撮影地点のMapion地図】
(24年11月3日撮影)
(『柳川堀割めぐり…4』につづく)

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柳川堀割めぐり…2
(『柳川堀割めぐり…1』のつづき)

●出発直後の舟上からの眺め。左手、三柱神社側の岸は護岸がないか浅い石垣程度で、水際まで木々が張り出し、中には水面上まで倒れるようにして幹を伸ばす木もあったりと、まさに深山幽谷のおもむき。
右手は河畔の道路と市街地ですが、岸にはご覧のとおり草が繁茂して、街路樹の柳とともにほどよく家並みを隠し、正面だけ見ていれば街場にいる気がしません。
●下に写真を掲げた、公園橋の東詰あたりで、頭上をファサファサと飛ぶ大きな水鳥が…。
目で追っていると、なまこ壁の目立つ若力旅館の屋根に悠然と着陸。グレーの羽毛も美しい、立派なアオサギ君でした。
●緑濃い区間を抜けて、最初の橋が見えてきました。側面を擬木風にした桁を持つRC橋、公園橋です。
手前を渡る水管がアーチを描いているので、遠目には下路式アーチのように見えるのが面白いですね。水管も、橋の桁を隠すように並行して渡るより、このようにアーチ状に架けると、雰囲気がだいぶ和らぎますね。

●船頭さんにうながされて、頭を低くしての柳川初すり抜け! いや~、これがまだいくつも続くと思うと、ニヤケてしまうものが。
しかし、どこの水路を訪ねても、こんなことばっかりやっていますよね。これも最低橋にはまったお陰と、茂森橋のせいにしておきましょう。
●公園橋の南側、柳川橋との間にあるドンコ舟ぎっしりの船溜は、大東エンタープライズの乗り場です。
船頭さんいわく、船社ごとに舟と法被の色は変えて、見分けやすくしてあるとのこと。6船社もあるのですから、むべなるかなであります。
【撮影地点のMapion地図】
(24年11月3日撮影)
(『柳川堀割めぐり…3』につづく)

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●出発直後の舟上からの眺め。左手、三柱神社側の岸は護岸がないか浅い石垣程度で、水際まで木々が張り出し、中には水面上まで倒れるようにして幹を伸ばす木もあったりと、まさに深山幽谷のおもむき。
右手は河畔の道路と市街地ですが、岸にはご覧のとおり草が繁茂して、街路樹の柳とともにほどよく家並みを隠し、正面だけ見ていれば街場にいる気がしません。

目で追っていると、なまこ壁の目立つ若力旅館の屋根に悠然と着陸。グレーの羽毛も美しい、立派なアオサギ君でした。

手前を渡る水管がアーチを描いているので、遠目には下路式アーチのように見えるのが面白いですね。水管も、橋の桁を隠すように並行して渡るより、このようにアーチ状に架けると、雰囲気がだいぶ和らぎますね。

●船頭さんにうながされて、頭を低くしての柳川初すり抜け! いや~、これがまだいくつも続くと思うと、ニヤケてしまうものが。
しかし、どこの水路を訪ねても、こんなことばっかりやっていますよね。これも最低橋にはまったお陰と、茂森橋のせいにしておきましょう。

船頭さんいわく、船社ごとに舟と法被の色は変えて、見分けやすくしてあるとのこと。6船社もあるのですから、むべなるかなであります。
【撮影地点のMapion地図】
(24年11月3日撮影)
(『柳川堀割めぐり…3』につづく)

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柳川堀割めぐり…1
(『柳川堀割めぐり…0』のつづき)
●降り立った柳川駅は、観光拠点とあって、お客さんを案内する船社の人の呼び声や、送迎バスの出入りが絶えない賑やかなところ。専用の待合室を設けている船社もあるほどです。
駅前の街並みも少し眺めてみたかったのですが、何分時間にあまり余裕がありません。駅前広場の賑わいを背に、乗り場に向かって北へと歩き出しました。
●裏道を急いでいると、さっそく水路に出くわしました。ご当地に6つある船社の一つ、水郷柳川観光の、下百町上下船場とのこと。さっぱりと整理された街中の船溜、萌えさせてくれますね! 水は澄んで、水底に茂る藻が黒く見え、桟橋の影が底の砂地まで届いています。
道々に見つけた食堂で昼食を済ませたころ、予約を入れた船社のご担当から電話がかかってきました。ちゃんと着いたかどうか、心配してくださったようです。もう近くまで来ていることを告げて、慌ただしく腰を上げました。

●乗り場へは、三柱神社の境内を横切ってゆくのが近道ということもあり、ご当地初訪のご挨拶と、水路での安全などをお祈りしておくことに。
由緒を書いた説明板を読むと、ご祭神は初代の柳川藩主・立花宗茂、その正室・誾千代姫、岳父・戸次道雪とのこと。その名のとおり、三柱を祀ることがそのまま神社の名前になったのだそう。
「水利、干拓、開田、郷土繁栄の守護神」としてだけでなく、「武神として勝負事や就職」にも霊験あらたかとか。さすが水郷・柳川のお殿様、水路との縁も浅からぬということなので、よ~く拝んでおきました。

●参道を斜めに外れて境内の西北側に出ると、そこは袋小路になった水路の末端部。予約を入れておいた船社、城門観光の高畑乗り場です。おりしも食事を兼ねた堀割めぐりのお客さんが下船中、迎えの観光バスも横付けして、小さな桟橋はごった返していました。
こちらの船社を選んだ理由は、神社裏の袋小路というロケーションが、何とはなしに気に入ったこと、そして乗り場が駅から最も遠く、できるだけ長く舟に乗っていたい自分としては、むしろ奥座敷から発着する方がありがたい、ということです。
期待にたがわず、神社の杜が水路を塞がんばかりにうっそうと繁り、周りの街並みも閑静で、少しひなびた感じのよい雰囲気。団体さんが去ってしまうと、木々に囲まれた静かな水路風景が楽しめました。
【撮影地点のMapion地図】
●係の方に案内され、舟の胴の間に腰を下ろして待っていると、間なしに笠と法被といういでたちの船頭さんが、軒の高さを越える長い竹竿を持って現われました。きけば、この道に入って30年超の大ベテラン、枯れたお国ことばのガイドも心地よく、力強く竿を突きながら、堀端の風物を余すところなく語ってくれます。
少し雲は出てきましたが、陽射しは暖かで水面を明るく照らしています。緑濃い神社横の水路を一路南下、いよいよ憧れの「川下り」の始まりです!
(24年11月3日撮影)
(『柳川堀割めぐり…2』につづく)

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駅前の街並みも少し眺めてみたかったのですが、何分時間にあまり余裕がありません。駅前広場の賑わいを背に、乗り場に向かって北へと歩き出しました。

道々に見つけた食堂で昼食を済ませたころ、予約を入れた船社のご担当から電話がかかってきました。ちゃんと着いたかどうか、心配してくださったようです。もう近くまで来ていることを告げて、慌ただしく腰を上げました。

●乗り場へは、三柱神社の境内を横切ってゆくのが近道ということもあり、ご当地初訪のご挨拶と、水路での安全などをお祈りしておくことに。
由緒を書いた説明板を読むと、ご祭神は初代の柳川藩主・立花宗茂、その正室・誾千代姫、岳父・戸次道雪とのこと。その名のとおり、三柱を祀ることがそのまま神社の名前になったのだそう。
「水利、干拓、開田、郷土繁栄の守護神」としてだけでなく、「武神として勝負事や就職」にも霊験あらたかとか。さすが水郷・柳川のお殿様、水路との縁も浅からぬということなので、よ~く拝んでおきました。

●参道を斜めに外れて境内の西北側に出ると、そこは袋小路になった水路の末端部。予約を入れておいた船社、城門観光の高畑乗り場です。おりしも食事を兼ねた堀割めぐりのお客さんが下船中、迎えの観光バスも横付けして、小さな桟橋はごった返していました。
こちらの船社を選んだ理由は、神社裏の袋小路というロケーションが、何とはなしに気に入ったこと、そして乗り場が駅から最も遠く、できるだけ長く舟に乗っていたい自分としては、むしろ奥座敷から発着する方がありがたい、ということです。
期待にたがわず、神社の杜が水路を塞がんばかりにうっそうと繁り、周りの街並みも閑静で、少しひなびた感じのよい雰囲気。団体さんが去ってしまうと、木々に囲まれた静かな水路風景が楽しめました。
【撮影地点のMapion地図】

少し雲は出てきましたが、陽射しは暖かで水面を明るく照らしています。緑濃い神社横の水路を一路南下、いよいよ憧れの「川下り」の始まりです!
(24年11月3日撮影)
(『柳川堀割めぐり…2』につづく)

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