12月9日のフネブネ
(『12月9日の川景色』のつづき)

●前後しますが、扇橋閘門を出た後、小名木川でこの船を見て、あっと驚きました。横浜の川にいたあの船が東京に? 一瞬、似たような船かと疑ったものの、建築用のサッシやドアを流用した、いかにも素人工作臭が濃厚な外観は、記憶に鮮やかで見間違えっこありません。
塗装もはがれて、だいぶくたびれた風情ですが、なぜ長途ここまで移動してきたのでしょう。横浜の川も、河川繋留に対する取り締まりが、以前よりだいぶやかましくなっていたようですので、難を逃れて東京にやってきたというところでしょうか。
●右の写真は初見時、19年8月12日に中村川で見かけたときのもの。低い乾舷の比較的細長い船体に、背の高い半流線形(?)の甲板室を乗せたアンバランスな外観、加えてサッシを使った珍妙さに、一発で惹かれたものでした。
その後、23年10月10日に「堀割川ふたたび…4」で出会ったときは、中村川の繋留船が一掃されたあおりをうけて、堀割川に移動していましたっけ。ともあれ、小名木川が安住の地になるといいですね。
●隅田川を河口まで下った後、晴海埠頭に客船と練習帆船が接岸しているのをご覧に入れようと、港内を回って春海運河へ。月島・晴海沖は、風向きのせいもあってだいぶ波があり、しぶきも厳しく皆さんにはご迷惑をおかけしてしまいました(泣)。
客船埠頭には商船三井の「にっぽん丸」がもやっていました。「新装『にっぽん丸』来航」以来、晴海で出会うのは2度目です。船尾にハーバー・タグがついているのは、接岸作業をしているのでしょうか。
●その奥、豊洲大橋橋詰近くには、練習帆船の日本丸が。年末は、僚船海王丸とも東京にいることが多いですね。
客船・帆船と「ダブル日本丸」が楽しめる貴重なツーショット、同乗の皆さんにも喜んでいただけたようで、二隻の美しさを堪能しながら、微速で春海運河を北上。

●フネブネにカメラを向けつつ、賑やかに談笑しながら進んで豊洲大橋をくぐったあたりで、「『にっぽん丸』が出港していきますよ!」とウエダさん。振り返ってみると、曳船につきそわれて、すでに埠頭を離れた「にっぽん丸」の姿が、さざ波の向こうに小さくなりつつありました。
なるほど、曳船がついていたのは、接岸でなく出港作業のためだったのですね。ここでボォーッ! と、「にっぽん丸」から胸に沁みるような長声一発! 運河を抜ける強風と波に悩まされながらも、港情緒が満喫できた一瞬でした。
【撮影地点のMapion地図】
(24年12月9日撮影)
(この項おわり)

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●前後しますが、扇橋閘門を出た後、小名木川でこの船を見て、あっと驚きました。横浜の川にいたあの船が東京に? 一瞬、似たような船かと疑ったものの、建築用のサッシやドアを流用した、いかにも素人工作臭が濃厚な外観は、記憶に鮮やかで見間違えっこありません。
塗装もはがれて、だいぶくたびれた風情ですが、なぜ長途ここまで移動してきたのでしょう。横浜の川も、河川繋留に対する取り締まりが、以前よりだいぶやかましくなっていたようですので、難を逃れて東京にやってきたというところでしょうか。

その後、23年10月10日に「堀割川ふたたび…4」で出会ったときは、中村川の繋留船が一掃されたあおりをうけて、堀割川に移動していましたっけ。ともあれ、小名木川が安住の地になるといいですね。

客船埠頭には商船三井の「にっぽん丸」がもやっていました。「新装『にっぽん丸』来航」以来、晴海で出会うのは2度目です。船尾にハーバー・タグがついているのは、接岸作業をしているのでしょうか。

客船・帆船と「ダブル日本丸」が楽しめる貴重なツーショット、同乗の皆さんにも喜んでいただけたようで、二隻の美しさを堪能しながら、微速で春海運河を北上。

●フネブネにカメラを向けつつ、賑やかに談笑しながら進んで豊洲大橋をくぐったあたりで、「『にっぽん丸』が出港していきますよ!」とウエダさん。振り返ってみると、曳船につきそわれて、すでに埠頭を離れた「にっぽん丸」の姿が、さざ波の向こうに小さくなりつつありました。
なるほど、曳船がついていたのは、接岸でなく出港作業のためだったのですね。ここでボォーッ! と、「にっぽん丸」から胸に沁みるような長声一発! 運河を抜ける強風と波に悩まされながらも、港情緒が満喫できた一瞬でした。
【撮影地点のMapion地図】
(24年12月9日撮影)
(この項おわり)

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中村川の船影…2
(『中村川の船影…1』のつづき)

●中村町と三吉町に挟まれたあたり、北岸に残骸のような桟橋が。あっ、ここ、過去ログの「横浜の川をめぐる…8」で見た「船の休憩室」があったところだ! やはりここも撤去されてしまったか…。
かつての港町らしいある一面を感じさせた、貴重な生き証人ともいえるバージ利用の簡易宿泊所だったのですが、時代の流れには勝てなかったようです。
●ううむ、何だか、壊滅状態といっていい船影の乏しさ。写真の石川町駅付近も、港内遊覧船「よこはま丸」の廃船や古典的クレーン船と、見どころてんこ盛りの賑やかさだったんですがねえ。
むう、向こうに白い船体がチラリと見える! あのあたりは確か、いま一つの大物物件(船なのに物件扱いとはいかに)がいたところですね。

●い た !
● 舷側に窓までうがった、異様に加工度の高いバージハウス! すっかり寂しくなった川を下ってきただけに、大物が元気でいてくれた感激はひとしお。
上流側にもやっている遊漁船タイプの2隻が新しいだけに、舷側の錆び具合が強調されて、ちょっと痛々しい感じもしましたが、喫水に変化はなく、浮いているのに差し支えはないようです。(過去ログ『横浜の川をめぐる…10』参照)
●この後は港内に出るまで、ついに船影を見ませんでしたから、バージの存在感は大きいものがありました。巨体に別れを告げて、さらに下流へ。
船影がほとんど絶えた川景色を目の当たりにして、もちろん寂しくはありましたが、船がひしめいていた時代から続いていたその残影と、それらがほぼ一掃されてしまった今回、川にとっての時代の境目に立ち会えたことは、ある意味、幸運だったのかもしれません。
【撮影地点のMapion地図】
(23年10月10日撮影)
(『船溜とタイクーン』につづく)

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●中村町と三吉町に挟まれたあたり、北岸に残骸のような桟橋が。あっ、ここ、過去ログの「横浜の川をめぐる…8」で見た「船の休憩室」があったところだ! やはりここも撤去されてしまったか…。
かつての港町らしいある一面を感じさせた、貴重な生き証人ともいえるバージ利用の簡易宿泊所だったのですが、時代の流れには勝てなかったようです。

むう、向こうに白い船体がチラリと見える! あのあたりは確か、いま一つの大物物件(船なのに物件扱いとはいかに)がいたところですね。

●い た !

上流側にもやっている遊漁船タイプの2隻が新しいだけに、舷側の錆び具合が強調されて、ちょっと痛々しい感じもしましたが、喫水に変化はなく、浮いているのに差し支えはないようです。(過去ログ『横浜の川をめぐる…10』参照)

船影がほとんど絶えた川景色を目の当たりにして、もちろん寂しくはありましたが、船がひしめいていた時代から続いていたその残影と、それらがほぼ一掃されてしまった今回、川にとっての時代の境目に立ち会えたことは、ある意味、幸運だったのかもしれません。
【撮影地点のMapion地図】
(23年10月10日撮影)
(『船溜とタイクーン』につづく)

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中村川の船影…1
(『堀割川ふたたび…4』のつづき)
●丁字流で右に舵を取り、中村川下流部へ。今回改めて気付いたのですが、左の池下橋、親柱が張り出しの上に立っているのが妙ですね、旧橋のそれを保存したのでしょうか。
右の久良岐橋をくぐろうとすると、上流・下流側とも釣り糸が何本も垂れていて、あわててゴースターン。釣り人さんに声をかけつつくぐらせてもらいました。釣りのことはよくわかりませんが、この日はよほどよい潮時だったのかしら。

●お久しぶりの高架下水路・中村川は、朝のどんより気味の空とは打って変わった好天のせいか、よく光の入る「明るい高架下水路」の本領を遺憾なく発揮していました。
上下二段に分け、オフセットして設けられた陽の射す高架、護岸とツライチに整形され、流路はもちろん可航幅も狭めない橋脚の基部と、一つ一つの処理が洗練された感じ。日本橋川や大阪の東横堀川など、初期の高架下水路がまだ試行錯誤の途上にあったものとすれば、ここ中村川は、それらの経験を生かして造られた、この時点での「完成形」(?)なのかもしれません。
●道場橋を通過。このあたりはもともと繋留船が少なかったとはいえ、以前はそれでも何隻かぱらぱらともやっていたのですが…。ここまでついに一隻も船影なし。
やはりここ数年で、かなり厳しく取り締まられたようですね。横浜の川名物、「プレジャーボートは適正な場所に保管しましょう」の標語が、高欄からこちらを見下ろしていました。

●ここを訪ねたら撮らずにゃおれない明治の古典橋、浦舟水道橋! 鉄橋らしさを引き立てる、赤い塗装も変わらず鮮やかですね。(過去ログ『横浜の川をめぐる…6』参照)
「この橋、下流からだんだん遡ってきたっていう、例の橋ですよね!」と、山口氏も気になっていたご様子。そうそう、足が生えたかと思うくらいの遡りっぷりですよね!
あっ、橋の向こうに…。
【撮影地点のMapion地図】
●中村川に入って、初めて出会った繋留船(丁字流より上流にはいたのかもしれませんが、そこはそれ)!
いや、大げさかもしれませんが、船影のない中村川に正直、寂しい思いをしていたので、ちょっと感動してしまいました。
色々と差し障りがあるような気もするのですが、嬉しかったのは本当です。本艇に幸いあれと念じつつ、通り過ぎざまに失礼して一枚。
(23年10月10日撮影)
(『中村川の船影…2』につづく)

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右の久良岐橋をくぐろうとすると、上流・下流側とも釣り糸が何本も垂れていて、あわててゴースターン。釣り人さんに声をかけつつくぐらせてもらいました。釣りのことはよくわかりませんが、この日はよほどよい潮時だったのかしら。

●お久しぶりの高架下水路・中村川は、朝のどんより気味の空とは打って変わった好天のせいか、よく光の入る「明るい高架下水路」の本領を遺憾なく発揮していました。
上下二段に分け、オフセットして設けられた陽の射す高架、護岸とツライチに整形され、流路はもちろん可航幅も狭めない橋脚の基部と、一つ一つの処理が洗練された感じ。日本橋川や大阪の東横堀川など、初期の高架下水路がまだ試行錯誤の途上にあったものとすれば、ここ中村川は、それらの経験を生かして造られた、この時点での「完成形」(?)なのかもしれません。

やはりここ数年で、かなり厳しく取り締まられたようですね。横浜の川名物、「プレジャーボートは適正な場所に保管しましょう」の標語が、高欄からこちらを見下ろしていました。

●ここを訪ねたら撮らずにゃおれない明治の古典橋、浦舟水道橋! 鉄橋らしさを引き立てる、赤い塗装も変わらず鮮やかですね。(過去ログ『横浜の川をめぐる…6』参照)
「この橋、下流からだんだん遡ってきたっていう、例の橋ですよね!」と、山口氏も気になっていたご様子。そうそう、足が生えたかと思うくらいの遡りっぷりですよね!
あっ、橋の向こうに…。
【撮影地点のMapion地図】

いや、大げさかもしれませんが、船影のない中村川に正直、寂しい思いをしていたので、ちょっと感動してしまいました。
色々と差し障りがあるような気もするのですが、嬉しかったのは本当です。本艇に幸いあれと念じつつ、通り過ぎざまに失礼して一枚。
(23年10月10日撮影)
(『中村川の船影…2』につづく)

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【特盛】高架下水路づくし
●以前も書いたと思うのですが、首都高が覆いかぶさった川を渡って通学していたせいか、高架下を流れる水路というものに、どういうわけだか惹かれるものがありました。
先日南前堀を訪ねたことで、東京近辺の高架下可航水路は、ほとんど見て回ることができた、ということもあり、高架下水路のまとめでもやろうかしら…と、思っていたら、エスカレーター愛好家のtamuraさん(ブログ:東京エスカレーター)が、「高架橋脚ファンクラブ」を設立されたとのこと。
おお、これは楽しそうですね! 応援も兼ねて、高架下水路づくしとまいりましょう。お目汚しまで、今まで走った高架下水路の写真を一枚づつ、以下にまとめてみました。
なお、ここに採り上げた高架下水路は、「道路・線路が水路の水面上を、流路とほぼ同方向に走っていて、しかも高架下に可航状態の水路が確保されているもの」と、勝手に定義させていただきました。
ですから、隅田川や綾瀬川のように、河畔に橋脚を建て、水面に少しはみ出した形で走っている高架道路は、仲間に数えていません。悪しからずご了承ください。
【↓「続きを読む」をクリックしてご覧ください】
先日南前堀を訪ねたことで、東京近辺の高架下可航水路は、ほとんど見て回ることができた、ということもあり、高架下水路のまとめでもやろうかしら…と、思っていたら、エスカレーター愛好家のtamuraさん(ブログ:東京エスカレーター)が、「高架橋脚ファンクラブ」を設立されたとのこと。
おお、これは楽しそうですね! 応援も兼ねて、高架下水路づくしとまいりましょう。お目汚しまで、今まで走った高架下水路の写真を一枚づつ、以下にまとめてみました。
なお、ここに採り上げた高架下水路は、「道路・線路が水路の水面上を、流路とほぼ同方向に走っていて、しかも高架下に可航状態の水路が確保されているもの」と、勝手に定義させていただきました。
ですから、隅田川や綾瀬川のように、河畔に橋脚を建て、水面に少しはみ出した形で走っている高架道路は、仲間に数えていません。悪しからずご了承ください。
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