根岸湾への道々で…1
(『大岡川と残桜…4』のつづき)

●分流点の“鼻”を迂回して避け、中村川の高架下に入ったところで振り返って一枚。チラリと見える山王橋、屈曲のアウトコース沿いにまだ花を残す桜の一群を眺めながら、素敵な川景色を楽しませてくれた、大岡川に別れを告げました。
影になってしまいましたが、写真右橋に見える“鼻”、水面から眺めたかぎり結構な鋭角で、可航河川での分流点風景としては、なかなか印象的です。
右に示した魚探の感は、“鼻”を回りつつある瞬間に撮ったもの。水深3mくらいから、2m強にゆるりと盛り上がったような線が描かれて、流水による堆積があることを感じさせました。

●中村川に入って、押さえておきたい物件といえばやはりこの橋。大正15年竣工の震災復興橋、茂森橋や一ツ橋と兄弟分のラーメン橋台橋、吉野橋です。
自分的はちょっと納得がいかない仕上がりになってしまいましたが、石張り部分も相変わらず美しく、端正な魅力は健在であることを拝見して、嬉しく思ったものでした。

●鋼桁部分に寄せてもう一枚。道幅相応のボリューム感が感じられる奥行き、桁裏のリベットの反射を映す水面と、まだつやのある桁の塗装を仰ぎつつ堪能。
高架下は、紫外線にさらされることが少ない分、古豪橋梁を後世に伝える住環境(?)として、適しているように思えてなりません。
●中村川を下り、堀割川を通って根岸湾へ。目指すは横浜ベイサイドマリーナです。写真は日枝橋を上流から見たところ。
以前も同じことを書きましたが、中村川は高架下水路として後発のせいか、橋脚が河中に林立せず、護岸とツライチにまとめられて、見た目がすっきりしているのが興味をそそられますね。
【撮影地点のMapion地図】
(31年4月13日撮影)
(『根岸湾への道々で…2』につづく)

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影になってしまいましたが、写真右橋に見える“鼻”、水面から眺めたかぎり結構な鋭角で、可航河川での分流点風景としては、なかなか印象的です。
右に示した魚探の感は、“鼻”を回りつつある瞬間に撮ったもの。水深3mくらいから、2m強にゆるりと盛り上がったような線が描かれて、流水による堆積があることを感じさせました。

●中村川に入って、押さえておきたい物件といえばやはりこの橋。大正15年竣工の震災復興橋、茂森橋や一ツ橋と兄弟分のラーメン橋台橋、吉野橋です。
自分的はちょっと納得がいかない仕上がりになってしまいましたが、石張り部分も相変わらず美しく、端正な魅力は健在であることを拝見して、嬉しく思ったものでした。

●鋼桁部分に寄せてもう一枚。道幅相応のボリューム感が感じられる奥行き、桁裏のリベットの反射を映す水面と、まだつやのある桁の塗装を仰ぎつつ堪能。
高架下は、紫外線にさらされることが少ない分、古豪橋梁を後世に伝える住環境(?)として、適しているように思えてなりません。

以前も同じことを書きましたが、中村川は高架下水路として後発のせいか、橋脚が河中に林立せず、護岸とツライチにまとめられて、見た目がすっきりしているのが興味をそそられますね。
【撮影地点のMapion地図】
(31年4月13日撮影)
(『根岸湾への道々で…2』につづく)

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気づけば十年

欲望のおもむくまま徘徊しては、好きなことを好きなだけ垂れ流してきただけですので、ことさら騒ぐようなことは何もないのですが、ブログ以前は日記を付ける習慣すらなかっただけに、振り返ってみると感慨がないわけではありません。
●思えばこの十年、多くの方々にお世話になり、お陰さまで楽しく過ごさせていただくことができました。厚く御礼申し上げます。
また、この道楽に理解を示してくれ、暖かく見守ってくれた家族、そして、下手な操船にもよく応え、水路行をともにしてくれた我が艇にも。本当にありがとう。
●最近、寄る歳波とまではいかないものの、船頭も艇もくたびれてきたなあ、と感じることがたびたびになりました。当たり前ですが、経た年月相応にトシを取ったのです。
こんなことを書くと、遊びブネ道何十年の先輩からは、「若造め、まだ十年早い!」と怒られるかもしれませんね。ともあれ、オリンピック開催が決まったことで、ますます変貌著しくなりそうな水路たちを、これからも折に触れて訪ね、また楽しんでゆきたいと思っています。今後とも、よろしくお願いいたします。

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9月28日の中村川…2
(『9月28日の中村川…1』のつづき)

●西之橋上流側のバージハウス、水線付近にだいぶ傷みが目立つようになったもの、まずはお元気そうでなによりです。前回、「中村川の船影…2」のときは、上流側に漁船が2隻もやっていましたが、今回はそれもなく、ちょっと寂しい雰囲気。
西之橋も変わらず、鋼アーチらしい軽妙な姿を楽しませてくれました。ちなみに写真左側、西之橋とバージハウスの間には、台船らしい錆び崩れた残骸が沈んでいますので、近寄らないようご注意!
●谷戸橋かっこいいよ谷戸橋。構造の複雑さはもとより、親柱から続く橋台下の段々など、ディテールにタマラン部分がてんこ盛り。横浜の復興橋も東京のそれに劣らず、魅力的なものが多いですよね。
ええと、西之橋から下流は中村川でなく、正しくは堀川です。流してしまってごめんなさい。

●これも毎回、同じようなアングルで撮ってしまいます。堀川河口から、首都高の新山下出入口がおりなす、複雑なカタチに見惚れて一枚。
河口右手、新山下運河西口には、まだ塗料の色も真新しい、霞橋が見えました(過去ログ『新山下運河…6』参照)。この橋、浦舟水道橋と同じく、古典橋梁の部分を再利用した、移設保存橋というべきもの。詳しくは、また後日ご紹介しましょう。
【撮影地点のMapion地図】
(25年9月28日撮影)
(『9月28日のタイクーン』につづく)

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西之橋も変わらず、鋼アーチらしい軽妙な姿を楽しませてくれました。ちなみに写真左側、西之橋とバージハウスの間には、台船らしい錆び崩れた残骸が沈んでいますので、近寄らないようご注意!

ええと、西之橋から下流は中村川でなく、正しくは堀川です。流してしまってごめんなさい。


河口右手、新山下運河西口には、まだ塗料の色も真新しい、霞橋が見えました(過去ログ『新山下運河…6』参照)。この橋、浦舟水道橋と同じく、古典橋梁の部分を再利用した、移設保存橋というべきもの。詳しくは、また後日ご紹介しましょう。
【撮影地点のMapion地図】
(25年9月28日撮影)
(『9月28日のタイクーン』につづく)

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9月28日の中村川…1
(『9月28日の堀割川…4』のつづき)
●静かな中村川を下ってしばし。浦舟水道橋もお変わりなく、赤い塗装も鮮やかに明治の香りを放っていました。前回の通航と同じような写真ばかりで恐縮です…。
さて、今回特に驚かされたのは、沿岸の変化でも、ましてや橋の架け替えでもなく、水面を透かして見えたあるモノでした。

●ちょ、ちょっと魚が多すぎないか?
水面のあちこちに波紋を作りつつ、群れをなして身をくねらせ、ついついと泳ぎ回る魚たち!
ええと、ボラでいいのかな? 間違っていたらごめんなさい。
●いや、多いなんて生やさしいものじゃありません。艇の前後左右、常に濃い魚影が、ビュンビュンと泳ぎ回っている感覚です。大横川などでも、ボラの泳ぐのをよく見かけましたが、ここまで群れをなしているのを見たのは、もちろん初めてです。
透明度の高さも手伝って、魚一匹一匹の姿がよく見えるのも、印象を深くしたのでしょう。しかし、私の下手な写真では、この濃厚さというか、群れっぷりがどうもうまく伝わらないなあ…。

●というわけで、F記者撮影の写真を一枚、お借りしてきました。いや、さすがF記者、見事に捉えられていますね、この玉のような群れっぷり! こういった群れをいくつも眺めていたら、何やら楽しそうで、可愛らしくさえ思えてきたものです。
最後の方になると、もう何か感情移入してきて「ボラちゃん、可愛いねえ」などと、声をかけてしまう不審人物に。そんなわけで、ほとんどボラ(でいいのか)たちに意識をちゅうちゅう吸い取られ、ほとんど周りを見ていなかったというていたらくでした。
●見事といってよいほどのボラ(?)の大群も、不思議なことに、あるときを境にぱったりと見られなくなりました。淡水と海水の塩梅なのか、彼らにとって心地よい環境があるのでしょうね。
さらに下ると、おっ、健在のようですね。横浜の川ならではの見物だった「船の休憩室」も含め、繋留船がほぼ一掃され、今や寂しくなった中村川だけに、かの船の存在はひときわ輝いて見えます。
【撮影地点のMapion地図】
(25年9月28日撮影)
(『9月28日の中村川…2』につづく)

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さて、今回特に驚かされたのは、沿岸の変化でも、ましてや橋の架け替えでもなく、水面を透かして見えたあるモノでした。

●ちょ、ちょっと魚が多すぎないか?
水面のあちこちに波紋を作りつつ、群れをなして身をくねらせ、ついついと泳ぎ回る魚たち!
ええと、ボラでいいのかな? 間違っていたらごめんなさい。

透明度の高さも手伝って、魚一匹一匹の姿がよく見えるのも、印象を深くしたのでしょう。しかし、私の下手な写真では、この濃厚さというか、群れっぷりがどうもうまく伝わらないなあ…。

●というわけで、F記者撮影の写真を一枚、お借りしてきました。いや、さすがF記者、見事に捉えられていますね、この玉のような群れっぷり! こういった群れをいくつも眺めていたら、何やら楽しそうで、可愛らしくさえ思えてきたものです。
最後の方になると、もう何か感情移入してきて「ボラちゃん、可愛いねえ」などと、声をかけてしまう不審人物に。そんなわけで、ほとんどボラ(でいいのか)たちに意識をちゅうちゅう吸い取られ、ほとんど周りを見ていなかったというていたらくでした。

さらに下ると、おっ、健在のようですね。横浜の川ならではの見物だった「船の休憩室」も含め、繋留船がほぼ一掃され、今や寂しくなった中村川だけに、かの船の存在はひときわ輝いて見えます。
【撮影地点のMapion地図】
(25年9月28日撮影)
(『9月28日の中村川…2』につづく)

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9月28日の堀割川…4
(『9月28日の堀割川…3』のつづき)

●足場をくぐり抜けたところで、天神橋の側面を垣間見ることができました。桁側面は色あせて、書かれている橋名や「桁下高2.2m」の文字も判読が難しいほど。高欄には横断幕が掲げられ、「天神橋架替工事のお知らせ 工期:平成25年2月15日~平成27年11月末(予定)」とありました。
石材が張られた、古い橋脚を持つ鋼桁橋が、また一つ引退してゆくのですね。撤去される前に、ひと目でも眺めることができて、何よりではありました。
●ほぼ完全な形で残るのは、ここだけということもあり、通るたびにカメラを向けてしまう、堀ノ内町1丁目の荷揚場跡。
昨今の変貌著しい水辺に慣れてしまうと、今度こそ跡形もなくなっているのでは…と、心配しながら近づき、健在を確認して胸をなでおろすのですが、石段やアイの残る石垣護岸が、ほとんどの区間で現役のうちは、あまり心配しなくてもよさそうです。

●最後の屈曲を抜けるあたりでくぐるのは、コンクリート生地の側面もまだま新しそうな、中村橋。新しい橋とあって見通しのよい一径間、航路標識を桁下端に表示するサービスも。
中村橋をくぐれば、こちらもお久しぶり、首都高狩場線が上を通る高架下水路、中村川との丁字流です。左右にもやうフネブネも、オーナーが在艇しているものが相変わらず少なくなく、横浜らしさが感じられて嬉しいもの。手を振ってあいさつしつつ通り抜け、堀割川にお別れです。
●面舵を切り、久良岐橋をくぐって中村川を下ります。堀割川は水が透んでいましたが、こちらも決して悪くないコンディションのようです。
高架も2段式で、幅が抑えてあるとあって、青空が望める明朗な高架下水路、中村川! 期待にたがわず、この後、以前通ったときとは違った表情を見せてくれました。
【撮影地点のMapion地図】
(25年9月28日撮影)
(『9月28日の中村川…1』につづく)

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●足場をくぐり抜けたところで、天神橋の側面を垣間見ることができました。桁側面は色あせて、書かれている橋名や「桁下高2.2m」の文字も判読が難しいほど。高欄には横断幕が掲げられ、「天神橋架替工事のお知らせ 工期:平成25年2月15日~平成27年11月末(予定)」とありました。
石材が張られた、古い橋脚を持つ鋼桁橋が、また一つ引退してゆくのですね。撤去される前に、ひと目でも眺めることができて、何よりではありました。

昨今の変貌著しい水辺に慣れてしまうと、今度こそ跡形もなくなっているのでは…と、心配しながら近づき、健在を確認して胸をなでおろすのですが、石段やアイの残る石垣護岸が、ほとんどの区間で現役のうちは、あまり心配しなくてもよさそうです。


中村橋をくぐれば、こちらもお久しぶり、首都高狩場線が上を通る高架下水路、中村川との丁字流です。左右にもやうフネブネも、オーナーが在艇しているものが相変わらず少なくなく、横浜らしさが感じられて嬉しいもの。手を振ってあいさつしつつ通り抜け、堀割川にお別れです。

高架も2段式で、幅が抑えてあるとあって、青空が望める明朗な高架下水路、中村川! 期待にたがわず、この後、以前通ったときとは違った表情を見せてくれました。
【撮影地点のMapion地図】
(25年9月28日撮影)
(『9月28日の中村川…1』につづく)

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