中川口閘門…5
(『中川口閘門…4』のつづき)
●テラスの張り出しまでがしがし歩いて、やおら振り返ると、逆光ではあるもののもうバッチリな角度。格好の鑑賞ポイントを作ってくれた名古屋市に感謝しつつ、柵にもたれて眺めることしばし。
水面には、何ヶ所かブクブクと泡が沸きあがっているところが見られました。空気で撹拌して、水質を維持するためでしょうか。

●ではぐっとたぐり寄せて、アップで堪能とまいりましょう。今度は内扉室側からなので、外扉室の裏側のディテールまで、じっくり観察できます。
前扉室の2組のゲートから、一対ずつ扉体の高さが低くなってゆくさま、扉体と開閉ロッドとの高さの差を、トラス状の構造で合わせている様子と、今まで見てきたマイタゲートと違った独特の風貌。機械美的な魅力にあふれています。

●この、何て呼んだらいいんでしょう、開閉ロッドの軸受け部分をさらにアップ。斜材は梯子を兼ねているのですね。裏側の筋交に木材が張ってあるのは、堀川口防潮水門と同様です。
気になったのは、扉体のヒンジ‥‥回転の中心と、開閉ロッドの作用点の距離が、妙に少ないこと。素人目で見ると、力は余分に必要なものの、開閉はストロークの少ない分早くできるとか、何か利点があってのことではと妄想。
そうそう、出発前に改めて検索したのですが、中川口閘門(現行の第二閘門)の寸法など諸元が掲載されたサイト、ついに見つかりませんでした。例によって、探し方が悪いだけなのかもしれませんが‥‥。名古屋市もウェブサイトの記事やPDFのパンフレットを複数アップして、中川運河の宣伝には努めているようですから、次の機会には閘門の詳しい紹介をぜひ、盛り込んでいただきたいものです。
●外扉室の裏側に、法定表記のようなものがあるのに気付きました。橋でもよく見る、塗装についてのものだとピンときて、ズームで最大限たぐり寄せたのがこれ。
さすがに遠すぎて、とてもすべては判読できませんでしたが、前回の塗装が平成18年1月、塗料メーカーが中国塗料であることは、かろうじてわかりました。

●ほぼ同じ地点から、北へ振り返って一枚。美しい弧を描く、いろは橋をくぐって折しも、レガッタが次々と南下してきました。南端部に近いこの水面は、漕艇場として活用されているのです。いろは橋の西詰に、拠点である名古屋港漕艇センターも設けられているとのこと。
水路敷に張り出す形で、広大なテラスも整備されて、沿岸に倉庫や工場が軒を連ねた、かつての艀船運河の面影は薄まりつつあるものの、なお広大な運河に、いにしえの活況をしのんで一人妄想。
さて、せっかく名古屋を代表する運河を(ホンの入口だけですが‥‥)訪ねることができたのだし、次回は手持ちの絵葉書などを並べて、開鑿成った当時、昭和初期の雰囲気を堪能してみることとしましょう。
【撮影地点のMapion地図】
(29年5月3日撮影)
(『戦前の中川運河をしのんで』につづく)

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水面には、何ヶ所かブクブクと泡が沸きあがっているところが見られました。空気で撹拌して、水質を維持するためでしょうか。

●ではぐっとたぐり寄せて、アップで堪能とまいりましょう。今度は内扉室側からなので、外扉室の裏側のディテールまで、じっくり観察できます。
前扉室の2組のゲートから、一対ずつ扉体の高さが低くなってゆくさま、扉体と開閉ロッドとの高さの差を、トラス状の構造で合わせている様子と、今まで見てきたマイタゲートと違った独特の風貌。機械美的な魅力にあふれています。

●この、何て呼んだらいいんでしょう、開閉ロッドの軸受け部分をさらにアップ。斜材は梯子を兼ねているのですね。裏側の筋交に木材が張ってあるのは、堀川口防潮水門と同様です。
気になったのは、扉体のヒンジ‥‥回転の中心と、開閉ロッドの作用点の距離が、妙に少ないこと。素人目で見ると、力は余分に必要なものの、開閉はストロークの少ない分早くできるとか、何か利点があってのことではと妄想。
そうそう、出発前に改めて検索したのですが、中川口閘門(現行の第二閘門)の寸法など諸元が掲載されたサイト、ついに見つかりませんでした。例によって、探し方が悪いだけなのかもしれませんが‥‥。名古屋市もウェブサイトの記事やPDFのパンフレットを複数アップして、中川運河の宣伝には努めているようですから、次の機会には閘門の詳しい紹介をぜひ、盛り込んでいただきたいものです。

さすがに遠すぎて、とてもすべては判読できませんでしたが、前回の塗装が平成18年1月、塗料メーカーが中国塗料であることは、かろうじてわかりました。

●ほぼ同じ地点から、北へ振り返って一枚。美しい弧を描く、いろは橋をくぐって折しも、レガッタが次々と南下してきました。南端部に近いこの水面は、漕艇場として活用されているのです。いろは橋の西詰に、拠点である名古屋港漕艇センターも設けられているとのこと。
水路敷に張り出す形で、広大なテラスも整備されて、沿岸に倉庫や工場が軒を連ねた、かつての艀船運河の面影は薄まりつつあるものの、なお広大な運河に、いにしえの活況をしのんで一人妄想。
さて、せっかく名古屋を代表する運河を(ホンの入口だけですが‥‥)訪ねることができたのだし、次回は手持ちの絵葉書などを並べて、開鑿成った当時、昭和初期の雰囲気を堪能してみることとしましょう。
【撮影地点のMapion地図】
(29年5月3日撮影)
(『戦前の中川運河をしのんで』につづく)

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中川口閘門…4
(『中川口閘門…3』のつづき)

●階段の踊り場の柵にカメラを突っ込んで、後扉室周りを見下ろしたところ。
ううん、確かに眺められはするものの、何とももどかしい角度。特に閘室の様子は、ここからではほとんどわかりません。防音壁を横目でうらめしく見ながら、ディテールを観察することに。

●あっ、内扉室(運河側、低い方のゲート)が開いている! 階段から降りて、テラスに出たときには閉まっていたので、外扉室の裏側は撮り損ねましたが、これで二つのゲートが別々に操作できることが判明。
シリンダーの筒の上に取り付けられた、盲蓋をしたメーターらしきもの、開度計かな? よく見ると、右側に細いワイヤーが伸びて、端が扉体に結ばれているようなので、ワイヤーの繰り出し長さで開度を示す仕組みなのかもしれません。

●中川口閘門の一大特徴である、ゲートをまたぐ機側運転室(だと思う)。前後の妻板には、スピーカーと照明が備えられています。
どういったいきさつで設けられたのかわかりませんが‥‥以下妄想。通航量があまりにも多かったため、目視による迅速な操作を必要としたのか、一回の操作で、閘室に可能な限り船を詰め込むため、やはり目視しながら具体的な指示を出す必要があったのか‥‥。監視カメラが得難かった時代の、昭和38年竣工ならではの設備といえそうです。
●階段から、運河北方を望んで。左側、テラスにぐっと張り出したような部分があり、閘門の鑑賞のために造られたしか思えないスポット。ここは訪問前に目星をつけていたので、後で行ってみることに。
手前のスペースはご覧のとおり工事中で、塀がめぐらされ入ることができませんでした。閘室のすぐ横まで入れたようなので、惜しいことではありました。
●階段を下りて道路に出たところで、道の向こうに「喫茶 運河」を発見! 利根運河の運河駅、横利根閘門の閘門バス停に続くヒット。「キャナル」などの横文字に走らない点も、船頭的にポイント高し。
ゼヒお茶してみたかったのですが、誘惑を振り切って、閘門の見えるテラスへ続けて前進。さっき全力疾走した後遺症で、足がガクガクするのう‥‥(泣)。
【撮影地点のMapion地図】
(29年5月3日撮影)
(『中川口閘門…5』につづく)

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●階段の踊り場の柵にカメラを突っ込んで、後扉室周りを見下ろしたところ。
ううん、確かに眺められはするものの、何とももどかしい角度。特に閘室の様子は、ここからではほとんどわかりません。防音壁を横目でうらめしく見ながら、ディテールを観察することに。

●あっ、内扉室(運河側、低い方のゲート)が開いている! 階段から降りて、テラスに出たときには閉まっていたので、外扉室の裏側は撮り損ねましたが、これで二つのゲートが別々に操作できることが判明。
シリンダーの筒の上に取り付けられた、盲蓋をしたメーターらしきもの、開度計かな? よく見ると、右側に細いワイヤーが伸びて、端が扉体に結ばれているようなので、ワイヤーの繰り出し長さで開度を示す仕組みなのかもしれません。

●中川口閘門の一大特徴である、ゲートをまたぐ機側運転室(だと思う)。前後の妻板には、スピーカーと照明が備えられています。
どういったいきさつで設けられたのかわかりませんが‥‥以下妄想。通航量があまりにも多かったため、目視による迅速な操作を必要としたのか、一回の操作で、閘室に可能な限り船を詰め込むため、やはり目視しながら具体的な指示を出す必要があったのか‥‥。監視カメラが得難かった時代の、昭和38年竣工ならではの設備といえそうです。

手前のスペースはご覧のとおり工事中で、塀がめぐらされ入ることができませんでした。閘室のすぐ横まで入れたようなので、惜しいことではありました。

ゼヒお茶してみたかったのですが、誘惑を振り切って、閘門の見えるテラスへ続けて前進。さっき全力疾走した後遺症で、足がガクガクするのう‥‥(泣)。
【撮影地点のMapion地図】
(29年5月3日撮影)
(『中川口閘門…5』につづく)

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中川口閘門…3
(『中川口閘門…2』のつづき)
●ハァハァハァ‥‥。
堤防の階段を駆け上がったところで、息を整えるのももどかしく見やると、船はすでに閘室を出て、ゲートは全開の状態。
出閘シーンを逃したならば、せめて、ゲートが閉じるところだけはものせねば! テラスに降りてよいポジションを探すいとまもなく、その場に立ったままシャッターを切る、切る!

●早くも閉じはじめた! もはや、一歩たりとも動く猶予はなし。ズームで思い切りたぐって、とにかく撮ることに専念。間の悪さを呪うより、扉体の運転に出くわせたことを感謝せねばと、暑苦しい気持ちを込めて一枚、また一枚。
扉体を見てもわかるように、中川口閘門は外扉室・内扉室、二組のマイタゲートを持つ複式閘門です。これはシリーズの最初にも触れたように、運河内がN.P.+0.2~0.4mと、朔望平均干潮面より少し高いくらいの水位に設定されていて、海面の方が低くなるときもあるため。

●ううう、閉じるとなると早いなあ。なかなか整わない息を落ち着かせながら、名残惜しい気持ちで扉体の裏側を見送ります。扉体の斜接部に見える、水密材の木の色が妙に生々しく感じられる一瞬。

●ゲートが完全に閉じたのを見はからって、離れていた「きよかわ」がぐるりと円を描いて戻ってきた‥‥。どうするのかしらと眺めていたら、扉体ギリギリまで寄せて、乗り組みさんがタモ網で清掃作業を始めました。ご苦労さまです。
というわけで、何とか扉体の運転シーンは写真に納めることができました。この勢いで後扉室も見て回るぞ!
●ガクガクする足にムチ打ちつつ、今度はゆっくり歩いて、名四国道の歩道に上がる階段、先ほどとは反対の北側に到着。ここなら南側より、いくらかは観察しやすそうではあります。
ご覧のとおり、橋上の歩道は防音壁が高々とつらなって、眺望はゼロといってよい厳しい環境。踊り場から後扉室だけはのぞけますが、視界は広くなさそうですね‥‥。
【撮影地点のMapion地図】
(29年5月3日撮影)
(『中川口閘門…4』につづく)

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堤防の階段を駆け上がったところで、息を整えるのももどかしく見やると、船はすでに閘室を出て、ゲートは全開の状態。
出閘シーンを逃したならば、せめて、ゲートが閉じるところだけはものせねば! テラスに降りてよいポジションを探すいとまもなく、その場に立ったままシャッターを切る、切る!

●早くも閉じはじめた! もはや、一歩たりとも動く猶予はなし。ズームで思い切りたぐって、とにかく撮ることに専念。間の悪さを呪うより、扉体の運転に出くわせたことを感謝せねばと、暑苦しい気持ちを込めて一枚、また一枚。
扉体を見てもわかるように、中川口閘門は外扉室・内扉室、二組のマイタゲートを持つ複式閘門です。これはシリーズの最初にも触れたように、運河内がN.P.+0.2~0.4mと、朔望平均干潮面より少し高いくらいの水位に設定されていて、海面の方が低くなるときもあるため。

●ううう、閉じるとなると早いなあ。なかなか整わない息を落ち着かせながら、名残惜しい気持ちで扉体の裏側を見送ります。扉体の斜接部に見える、水密材の木の色が妙に生々しく感じられる一瞬。

●ゲートが完全に閉じたのを見はからって、離れていた「きよかわ」がぐるりと円を描いて戻ってきた‥‥。どうするのかしらと眺めていたら、扉体ギリギリまで寄せて、乗り組みさんがタモ網で清掃作業を始めました。ご苦労さまです。
というわけで、何とか扉体の運転シーンは写真に納めることができました。この勢いで後扉室も見て回るぞ!

ご覧のとおり、橋上の歩道は防音壁が高々とつらなって、眺望はゼロといってよい厳しい環境。踊り場から後扉室だけはのぞけますが、視界は広くなさそうですね‥‥。
【撮影地点のMapion地図】
(29年5月3日撮影)
(『中川口閘門…4』につづく)

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中川口閘門…2
(『中川口閘門…1』のつづき)

●テラスを北上しつつ、立ち止まってはカメラを向けることを繰り返して、次第に近づいてきました。左から閘門、緑の建物が中川口ポンプ所とその吐口、竣工当初からの樋門と配置が明瞭に見て取れます。
「もっと知りたい中川運河」(PDF)によれば、竣工からしばらくは、干潮時に扉体を開放し自然排水するのみだったが、松重ポンプ所が昭和12年に竣工してからは、中川口で導水し、松重ポンプ所から堀川に排水する循環ができるようになったとのこと。当初ここには排水機場はなく、干潮時の排水と導水を兼ねた、樋門のみだったことがわかります。
●テラスの階段から南側を見たところ。閘門から南は堤防の高さがあるので、階段で乗り越えてテラスに降りるしくみです。
実によくできたテラスで、東屋やベンチなど憩いの場としての施設だけでなく、ところどころに張り出しやバルコニーを設け、閘門の稼働を絶好の視点で楽しめるような配慮がなされていました。
そうそう、「もっと知りたい中川運河」の地図によると、このすぐ近くに「運河神社」もあるとのこと! ぜひお参りしたかったのに、知らずに惜しいことをしました‥‥。

●近づいたのはいいのですが、今度は扉体が護岸の陰に隠れて、よく見えなくなってしまいました。むう。
閘室のすぐ傍らまで公園化されており、普段は通航が観察できそうではあったのですが、残念なことに工事中で囲われていて入れず、眺められる視点は限られそうです。仕方がないので、かねて目星をつけていた、名四国道中川運河橋の歩道に至る階段の途中(橋上は防音壁があり、見下ろすことができません)から、のぞき見られるか試してみることに。
●ぐんぐん上がる気温と、体力のなさも加わって、額に汗しつつ階段を上ると‥‥。ううん、木が邪魔してよく見えないなあ。ギギギ。
首を伸ばして、少しでも閘室を眺めようと悪戦苦闘していたら‥‥。
何と! 見覚えのある船影が、ゆっくりと姿を現したじゃありませんか!

●その派手な塗装、間違えっこありません。ついさっき、堀川口防潮水門で見た清掃船「きよかわ」だ! いや、同タイプの姉妹船かもしれませんが、とっともかく、これから間なしにゲートが稼働し、通航する様子が見られるんだ!
次はいつ訪ねられるかわからない客地、この機を逃すことなどできますまい。
即座に応戦を決意し、150mを全力疾走!
【撮影地点のMapion地図】
(29年5月3日撮影)
(『中川口閘門…3』につづく)

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●テラスを北上しつつ、立ち止まってはカメラを向けることを繰り返して、次第に近づいてきました。左から閘門、緑の建物が中川口ポンプ所とその吐口、竣工当初からの樋門と配置が明瞭に見て取れます。
「もっと知りたい中川運河」(PDF)によれば、竣工からしばらくは、干潮時に扉体を開放し自然排水するのみだったが、松重ポンプ所が昭和12年に竣工してからは、中川口で導水し、松重ポンプ所から堀川に排水する循環ができるようになったとのこと。当初ここには排水機場はなく、干潮時の排水と導水を兼ねた、樋門のみだったことがわかります。

実によくできたテラスで、東屋やベンチなど憩いの場としての施設だけでなく、ところどころに張り出しやバルコニーを設け、閘門の稼働を絶好の視点で楽しめるような配慮がなされていました。
そうそう、「もっと知りたい中川運河」の地図によると、このすぐ近くに「運河神社」もあるとのこと! ぜひお参りしたかったのに、知らずに惜しいことをしました‥‥。

●近づいたのはいいのですが、今度は扉体が護岸の陰に隠れて、よく見えなくなってしまいました。むう。
閘室のすぐ傍らまで公園化されており、普段は通航が観察できそうではあったのですが、残念なことに工事中で囲われていて入れず、眺められる視点は限られそうです。仕方がないので、かねて目星をつけていた、名四国道中川運河橋の歩道に至る階段の途中(橋上は防音壁があり、見下ろすことができません)から、のぞき見られるか試してみることに。

首を伸ばして、少しでも閘室を眺めようと悪戦苦闘していたら‥‥。
何と! 見覚えのある船影が、ゆっくりと姿を現したじゃありませんか!

●その派手な塗装、間違えっこありません。ついさっき、堀川口防潮水門で見た清掃船「きよかわ」だ! いや、同タイプの姉妹船かもしれませんが、とっともかく、これから間なしにゲートが稼働し、通航する様子が見られるんだ!
次はいつ訪ねられるかわからない客地、この機を逃すことなどできますまい。
即座に応戦を決意し、150mを全力疾走!
【撮影地点のMapion地図】
(29年5月3日撮影)
(『中川口閘門…3』につづく)

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