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東京通運時代の河川航路図二題

201027.jpg通運丸船隊を続々就航させ、関東の河川航路に覇を唱えた内国通運も、時代の流れには勝てず、大正8年12月に川汽船事業から撤退。東京通船株式会社がその後を引き継ぎました。

お題の東京通運株式会社は、東京通船が昭和4年に改称したものです。縮小相次ぐ最末期の河川航路を担った、いわば関東の川汽船時代に、自ら幕を引かざるをえなかった企業といえるでしょう。

そんな「悲劇の船社」のイメージがある、東京通運の銘が入った航路案内を二つ掲げてみました。長距離河川交通のたそがれに思いをはせつつ、妄想を交えあれこれと垂れ流させていただきます。
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タグ : 川蒸気船通運丸参宮丸東京通運一銭蒸気絵葉書・古写真

渡船と一銭蒸気に思いをはせて

152014.jpg最近古書店で出会った本ですが、これは小躍りしたくなりました。明治からの渡船や、一銭蒸気‥‥主に客用艀を曳く汽船航路のデータをまとめた、資料集だったからです。

今まで関心を持ちながら触れ得なかった世界だけに、大いに渇きをいやした気分になれました。以下覚え書き的に内容を紹介したいと思います。

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タグ : 隅田川川蒸気船一銭蒸気絵葉書・古写真

通運丸の先っぽ?

川蒸気のイメージを求めて」の続きみたいなお話なんですが、先日見つけた絵葉書に、外輪川蒸気らしい船影が写っているものがありました。前の二枚同様、全体がしっかりフレーム内に収まっているのではなく、先っぽ程度なのが寂しいところですが、嬉しい掘り出し物には違いありません。


(復興せる大東京)兩国橋と隅田川」のタイトルでもおわかりのように、震災直後、現在の両国橋が竣工する前の、大正末から昭和初期の撮影と見てよいでしょう。以前紹介した永島丸の写真から、40数年を経て定点撮影したことになりますね。

主題である両国橋は、現在の橋が昭和7年に完成した後、一径間を亀島川の南高橋として移設しています。橋の中央径間近くを走る2隻の船は、曳船が客用艀を曳く、通称一銭蒸気。水上バスの先輩です。画面左に見える、屋根付き桟橋に達着するところでしょう。

さて、本題の川蒸気らしき右の船、残念ながら後半部が写っていないので、外輪かどうか判じられませんが、よく見てみると、屋根の上に何か黒いものが横たわっています。先端の形状からして、これは外した煙突ではないでしょうか。低い橋をかわすため、煙突は着脱ができたと言われていますが、実際に外してあるのを見たのは初めてです。

また、船首周り、甲板上をブルワーク(波除け板)で囲ってあるのも珍しく感じました。「川の上の近代」ほかに写真が掲載されていた、当時の各船社の川蒸気は、手すりのみでブルワークを備えたものはなかったからです。
このころは、生き残った明治以来の川蒸気たちにとっても、最末期といってよい時代ですから、改修を重ねて外観が一変していたとしても、不思議ではありません。外輪船から暗車(スクリュー)船に、大改造された船があった、という話もあります。


さらに気になったのが、船首のブルワーク側面に、船名表記らしきものが見えること!
人着写真に、アミ点の粗い活版多色刷りときては、こうして拡大したところで、もちろんはっきりとは読めないのですが、一番右の文字(?)「丸」に見えませんか? とすると、3文字で「通運丸」?

いや、通運丸は、「第××通運丸」とナンバーが振られるはずですから…、「丸」に見える右の模様みたいなものが、「第×」なのかしら?
大正末~昭和初期まで生き残っていた川蒸気は、内国通運から東京通船(のちに東京通運)に経営が移ったとはいえ、ほとんど全てが「第××(号)通運丸」を名乗っていたはずですから、まあ、通運丸には違いありますまいが…。
もうちょっとハッキリ写っていたらなあと、絵葉書を眺めながら無いモノねだりをする、冬の夜長であります。


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