7月23日のフネブネ…1

青空は時々のぞくものの、頭上を覆う雲は決して薄くなく、勢いヨタ写真を撮る気も萎えようというもの。それでもいくつか、オッと思わせる出会いや発見がありました。まずはフネブネから。
砂町運河では、鋼材を積んだ大型台船「380号三栄丸」を曳く曳船に遭遇。被曳航船(ひかれぶね)がこれだけの図体になると、曳船が爆音高く踏ん張っても速度はまさに牛の歩みです。


あちらは何分、運動が制限されていますから、邪魔にならないよう十分間合いを取って追い抜かせてもらうと…。
左前方よりもう1隻の対向船が(右写真)。おおお、あれはめったに出会えない! 忙しくなってきました。

●海洋大学のカッターです! スタンジング・ラグ(間違っていたらごめんなさい)2檣に、バウスプリットが見えるのでジブも備えているようですね。飴色に磨き込まれたマストや木部、汚れ一つない白い船体が美しく、丁寧に手入れされていることが感じられます。
マストは立てているものの縮帆しており、3~5番と10~12番のクルーで櫂漕中です。使っていないローロックには、ちゃんとポペット(櫂座栓)がはめられているのも、訓練中らしく引き締まったいい感じですね。荒川まで漕いで、沖に出たら帆走訓練といったところでしょうか。漕いでいるクルーは大変だろうなあ…お気をつけて。

しかし、「雲取」に護衛艦、その間には港内曳船と、晴海埠頭には珍しい濃厚なメンツで、一種物々しい雰囲気。いや、自分的には、こんなご馳走はまたとないのですが。
【撮影地点のMapion地図】
(23年7月23日撮影)
(『7月23日のフネブネ…2』につづく)

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浜離宮散策
(『竹芝散策』のつづき)
●食い足りない、とは言っても、特にあてもなく、とりあえず浜離宮に向けてほてほてお散歩。首都高がかぶさった海岸通りに出て、ふたたび汐留川とご対面。私の立っているこの部分、道路が水面上にはみ出した、桟道になっているのですね。
最奥部は浅くなっていて、小魚の玉(群れ)がいくつも見られる、緑濃い静かな水面。ちょっと前までは、かなりの繋留船が見られたのですが、現在はごらんのとおり一掃されて、入口はブイで塞がれています。
【撮影地点のMapion地図】
●道路の拡幅によるものでしょう、いまやささやかな堀割となってしまった、汐留川沿いに歩を進めます。浜離宮一周は、ベカ舟かカヤックでないと難しそう…などと、あらぬ方に考えが及ぶのが水路バカ。
かつては、現在の東京高速KK(いわゆる『会社線』)のルートを銀座まで伸び、外濠に接続していた汐留川も、浜離宮の環濠と成り果てて幾星霜…。もし、今でも残っていたら、頻繁に訪ねたに違いありません。
●中の御門橋から浜離宮庭園に入り、鳥の声を聞きながらお散歩。と言っても、お目当ては木々やお庭の泉水より、やはり水路…。
庭園の北側にある、お花畑とボタン園を囲むように、L字に掘られたこの水路(入園時にもらうパンフレットでは、単に『内堀』とあり)の佳さが、以前来たときから気になっていたのです。
【撮影地点のMapion地図】
●天端に土盛りを残した、すこし積みがゆるんで波打った護岸の石垣、ところどころに切られた、水際に下りるための石段、潮が引いて、堆積した泥を露出させる水辺、そして、大きく張り出した橋台地のある橋…。
これで、両岸に河岸場や蔵があったら、江戸から明治初期にかけての、それも隅田川西岸の水路風景…それこそ、龍閑川や東堀留川といった、かつての商業地の堀割群を、髣髴させるような眺めではないでしょうか。
●これで、荷足舟の遊覧サービスでもあったなら、まさに江戸期の水路の動態保存となるのでは…などと、栓ない妄想を起こさせるほどの、佳さがあるわけです。
庭園の、眺めて楽しむ泉水としては違和感のある、直線的な入堀の由来はわかりませんが、幕末に、徳川家の海軍屯所が設けられたこともあるようですから、それに関係した施設かもしれませんね。
ともあれ、水運全盛期の「都市河川」が、現代によみがえったような感すらあるこの内堀、末永く大切にしていただきたいものです。
●都内でも珍しい、江戸の香りのする水路風景を楽しみつつ、水上バス乗り場の近くまで来たら、ちょうど両国行きが到着するとのこと。ここで一気に「お腹いっぱい」まで持ち込もうと、乗船することに。両国なら総武線への便もよいし、一石二鳥です。
乗り場で船を待っていると、おお、海洋大学のカッターが、ここまで入ってきた! 平日でなければ見られない船影に、テンション急上昇。これで水上バスに乗れれば、お腹いっぱい間違いなし!
(21年6月26日撮影)
(『水辺ライン初乗り…1』につづく)

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最奥部は浅くなっていて、小魚の玉(群れ)がいくつも見られる、緑濃い静かな水面。ちょっと前までは、かなりの繋留船が見られたのですが、現在はごらんのとおり一掃されて、入口はブイで塞がれています。
【撮影地点のMapion地図】

かつては、現在の東京高速KK(いわゆる『会社線』)のルートを銀座まで伸び、外濠に接続していた汐留川も、浜離宮の環濠と成り果てて幾星霜…。もし、今でも残っていたら、頻繁に訪ねたに違いありません。

庭園の北側にある、お花畑とボタン園を囲むように、L字に掘られたこの水路(入園時にもらうパンフレットでは、単に『内堀』とあり)の佳さが、以前来たときから気になっていたのです。
【撮影地点のMapion地図】

これで、両岸に河岸場や蔵があったら、江戸から明治初期にかけての、それも隅田川西岸の水路風景…それこそ、龍閑川や東堀留川といった、かつての商業地の堀割群を、髣髴させるような眺めではないでしょうか。
●これで、荷足舟の遊覧サービスでもあったなら、まさに江戸期の水路の動態保存となるのでは…などと、栓ない妄想を起こさせるほどの、佳さがあるわけです。
庭園の、眺めて楽しむ泉水としては違和感のある、直線的な入堀の由来はわかりませんが、幕末に、徳川家の海軍屯所が設けられたこともあるようですから、それに関係した施設かもしれませんね。
ともあれ、水運全盛期の「都市河川」が、現代によみがえったような感すらあるこの内堀、末永く大切にしていただきたいものです。

乗り場で船を待っていると、おお、海洋大学のカッターが、ここまで入ってきた! 平日でなければ見られない船影に、テンション急上昇。これで水上バスに乗れれば、お腹いっぱい間違いなし!
(21年6月26日撮影)
(『水辺ライン初乗り…1』につづく)

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