広島の水上バス…7
(『広島の水上バス…6』のつづき)
●右手、平和公園側の岸にもやっている、派手な塗装のヤマハSRV…。昨日本川の船溜で見た、アレだ!
ここで船員さんが、「あれはね、『雁木タクシー』いうて、雁木のあるところならどこへでも行ってくれるフネです」。雁木とは、岸のところどころにある、石段のことですね。
私の顔に「乗ってみたい」と書いてあったのか、船員さんは親切にも、ボートに乗っている初老の男性に、大声で料金のことを訊いてくれたのですが、やりとりをする間もなく、我々の水上バスはあっという間に通り過ぎてしまいました。いや、お気持ちだけでも嬉しいです…。
●元安川の最上流の橋、元安橋を見上げたところ。平成4年に、戦前風のデザインに復刻されて竣工した、美しい装飾のある橋です。
もちろんこうして、裏側から見れば、現代の構造であるのはわかりますが、橋脚を含めて戦前らしい感じがよく出ており、なかなか魅力的です。
●終点、元安橋船着場が見えてきました。干潮なのですから当たり前ですが、昨日とは打って変わって、すっかり高さが低くなり、雰囲気が違って見えます。
ここでぐるりと転回して、桟橋に着けるのでしょうが、水位が低く、可航幅が狭まるこの時間帯、乗っているこちらまで緊張しそう…。
●おっ、桟橋の下流側にちょこんと繋がれているこの作業艇、イイ感じ…。
ええと、カロライナスキフでしたっけ(確証なし)? 紺色の船体に、赤く塗ったハンドレールがよく映えて、いかにも働き者といった雰囲気。下げられた看板には「緊急巡廻船」とありました。
●見事な転回ぶりで桟橋に達着。東京に倍する干満差、澪筋をたどる面白さと、初めての広島の川は驚きの連続でした。
楽しいお話を聞かせてくださった船員さんと、がっしり握手してお別れ。お世話になりました! また機会があったら、ぜひ訪ねたいものです。
【撮影地点のMapion地図】
(21年7月5日撮影)
(『雁木タクシー…1』につづく)

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ここで船員さんが、「あれはね、『雁木タクシー』いうて、雁木のあるところならどこへでも行ってくれるフネです」。雁木とは、岸のところどころにある、石段のことですね。
私の顔に「乗ってみたい」と書いてあったのか、船員さんは親切にも、ボートに乗っている初老の男性に、大声で料金のことを訊いてくれたのですが、やりとりをする間もなく、我々の水上バスはあっという間に通り過ぎてしまいました。いや、お気持ちだけでも嬉しいです…。

もちろんこうして、裏側から見れば、現代の構造であるのはわかりますが、橋脚を含めて戦前らしい感じがよく出ており、なかなか魅力的です。

ここでぐるりと転回して、桟橋に着けるのでしょうが、水位が低く、可航幅が狭まるこの時間帯、乗っているこちらまで緊張しそう…。

ええと、カロライナスキフでしたっけ(確証なし)? 紺色の船体に、赤く塗ったハンドレールがよく映えて、いかにも働き者といった雰囲気。下げられた看板には「緊急巡廻船」とありました。

楽しいお話を聞かせてくださった船員さんと、がっしり握手してお別れ。お世話になりました! また機会があったら、ぜひ訪ねたいものです。
【撮影地点のMapion地図】
(21年7月5日撮影)
(『雁木タクシー…1』につづく)

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広島の水上バス…6
(『広島の水上バス…5』のつづき)
●下路式の橋が少ない、などとこぼしていたら、下路式の橋が出現…。ポニートラスの本川橋です。
現在、平和公園のある中島町一帯は、かつて広島随一の繁華街で、この橋の創架も安土桃山時代に遡り、当初は猫屋橋と呼ばれていたとのことです。
●近づいてみると、石張りの装飾が施された橋脚、リベット組みのトラスと、星霜を感じさせる外観…。
Wikipedia「本川橋」によると、なんと橋脚は明治30年竣工の先代橋のものを、そのまま使っているとのこと。爆心地から近いだけに被爆損傷し、現在のトラスは戦後、昭和24年に架けられたものだそうです。
●びっしりともやった繋留船の列を横目に、昨日渡った丁字形の橋、相生橋に近づくと、いよいよ本川ともお別れ。船員さんの話に耳を傾けつつ、写真を撮ったりしていたので、本当にあっという間の遡上でした。
ここで船はぐっと面舵を切り、元安川に入るのです。
●これも昨日眺めた分流点の突端、「滋仙寺鼻」の丸みのある護岸を右に見ながら、180度近い回頭で、元安川に進入。
右へ左へと、澪筋をたどる下流部もスリリングな面白さがありましたが、分流点を実感しながらぐるりと回るここも、ある種この航路のハイライトとも言えるのではないでしょうか。
●滋仙寺鼻を回り切ると、目前に原爆ドームの姿が広がりました。
干潮時なので、昨日見た川の様子とはだいぶ表情が異なり、岸辺には長々と砂洲が露出して、石垣が美しい護岸も、ずいぶんと高く見えます。
おや、ドーム前の石段下には、舟が一艘もやっていますね。何だろう?
【撮影地点のMapion地図】
(21年7月5日撮影)
(『広島の水上バス…7』につづく)

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現在、平和公園のある中島町一帯は、かつて広島随一の繁華街で、この橋の創架も安土桃山時代に遡り、当初は猫屋橋と呼ばれていたとのことです。

Wikipedia「本川橋」によると、なんと橋脚は明治30年竣工の先代橋のものを、そのまま使っているとのこと。爆心地から近いだけに被爆損傷し、現在のトラスは戦後、昭和24年に架けられたものだそうです。

ここで船はぐっと面舵を切り、元安川に入るのです。

右へ左へと、澪筋をたどる下流部もスリリングな面白さがありましたが、分流点を実感しながらぐるりと回るここも、ある種この航路のハイライトとも言えるのではないでしょうか。

干潮時なので、昨日見た川の様子とはだいぶ表情が異なり、岸辺には長々と砂洲が露出して、石垣が美しい護岸も、ずいぶんと高く見えます。
おや、ドーム前の石段下には、舟が一艘もやっていますね。何だろう?
【撮影地点のMapion地図】
(21年7月5日撮影)
(『広島の水上バス…7』につづく)

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広島の水上バス…5
(『広島の水上バス…4』のつづき)
●曲線を取り入れた優美な感じの桁橋は、中島神埼橋。遠目にはちょっと古風に見えましたが、昭和60年竣工とのこと。船員さんのお話が面白く、つい撮り忘れてしまったのですが、写真右の青いラッタルが見えるところには、ポンツン式の船着場がありました。
航路を維持するための、浚渫はしているのですか、と質問したところ、「漁業権や市の予算その他の理由で、難しい場合が多い」とのこと。う~ん、ご苦労が絶えないようですね。
●広島の目抜き通り、平和大通りを渡す橋、西平和大橋が見えてきました。
橋脚を透かして、繋留船の列が見えました。上流側には、結構な規模の船溜があるようですね。
●暗緑色に塗り上げられたガーダー、中央をアーチ状にくり抜いた橋脚など、シンプルな鋼桁橋ながら、メインストリートを渡す橋にふさわしい貫禄が感じられます。
東京と異なり、上部構造を持った下路式の橋が少ない(ほんの一部しか見ていないのに、こう断ずるのも生意気ですが…)のは、何か理由があるのでしょうか。橋上からの眺望を重視しているとか、何か市としての方針があるのかもしれませんね。
●初めて間近に見る、広島の川の船溜。面白く感じたのは、その繋留方法です。
通常の水上繋留のように、ブイを一隻宛設けて、それにもやいを取るのではなく、太いロープを長々と流路方向に渡し、そのロープの途中に、ちょうど枝のように各艇のもやいを植えてある(?)という方法のようです。
●西平和大橋を過ぎると、もう右側は平和公園。目的地の、元安橋船着場まであとわずか…。
船員さんと、川っプネ話に花を咲かせながら、せめて残りの時間を存分に楽しむこととしましょう。
【撮影地点のMapion地図】
(21年7月5日撮影)
(『広島の水上バス…6』につづく)

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航路を維持するための、浚渫はしているのですか、と質問したところ、「漁業権や市の予算その他の理由で、難しい場合が多い」とのこと。う~ん、ご苦労が絶えないようですね。

橋脚を透かして、繋留船の列が見えました。上流側には、結構な規模の船溜があるようですね。

東京と異なり、上部構造を持った下路式の橋が少ない(ほんの一部しか見ていないのに、こう断ずるのも生意気ですが…)のは、何か理由があるのでしょうか。橋上からの眺望を重視しているとか、何か市としての方針があるのかもしれませんね。

通常の水上繋留のように、ブイを一隻宛設けて、それにもやいを取るのではなく、太いロープを長々と流路方向に渡し、そのロープの途中に、ちょうど枝のように各艇のもやいを植えてある(?)という方法のようです。

船員さんと、川っプネ話に花を咲かせながら、せめて残りの時間を存分に楽しむこととしましょう。
【撮影地点のMapion地図】
(21年7月5日撮影)
(『広島の水上バス…6』につづく)

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広島の水上バス…4
(『広島の水上バス…3』のつづき)
●西岸に寄せて吉島橋をくぐったら、今度は右へ舵を当て、東岸寄りにもってゆくというジグザグ航行。操縦者は、澪筋が頭に入るまで、相当な緊張を強いられそう…。
近づいてきた第二橋は、古びた肌合いのコンクリート桁橋、舟入橋。やはり、右から三径間目に「航路」の表示があります。
●複雑な澪筋を把握するのは、大変でしょうと船員さんに問うと、「まず右手のあのビルを目指して、通り過ぎたら、左のあの屋根を目標にして…」と、目標の取り方の例を熱演してくれました。
私は、これだけ浅いところを通る船なので、てっきりウォータージェット推進だと思っていたら、船員さんによるとシャフト船(プロペラ推進)なのだそうです。なおさら座洲には、気を遣うわけだ…。
岸に釣り人さんの姿がちらほら見られるようになると、船はぐっと速度を落とし、引き波を立てないように進みます。しかし、大潮の満潮になると、あの釣り人さんの背丈の、倍くらいのところまで水面が来るわけですね。今さらながら、東京との違いを実感。
●次の橋は、初めての下路式の橋ですね。朱色の塗装も鮮やかな、古典的な魅力の鋼ローゼ、住吉橋。
初代橋創架は明治43年、以後幾度となく増水時に流出の憂き目に会い、「流れ橋」という不名誉な俗称を得たのだそう。澪筋は「航路」表示のとおり、ここも右に寄っています。船員さんによると、この橋は桁下が低く、満潮時の通過は難しいのだとか。
●住吉橋のすぐ上流にある、新住吉橋。国道2号線を渡す橋です。
ここでようやく、澪筋が河道中央に来た模様。左には繋留船もちらほら見えます。
●二つの橋名の由来でもある、東岸にある住吉神社。手前の護岸上には、神事に使うのでしょう、伝馬らしい和船が置いてあり、目を引かれました。白木の色からして、まだ新しい舟のようですね。
櫓走舟かしら、と思っていたら、船員さんが「櫂で漕ぐんですよ」と教えてくれました。今は護岸の上に鎮座した状態ですが、満潮時はもちろん、水に浮くのでしょう。
【撮影地点のMapion地図】
(21年7月5日撮影)
(『広島の水上バス…5』につづく)

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近づいてきた第二橋は、古びた肌合いのコンクリート桁橋、舟入橋。やはり、右から三径間目に「航路」の表示があります。

私は、これだけ浅いところを通る船なので、てっきりウォータージェット推進だと思っていたら、船員さんによるとシャフト船(プロペラ推進)なのだそうです。なおさら座洲には、気を遣うわけだ…。
岸に釣り人さんの姿がちらほら見られるようになると、船はぐっと速度を落とし、引き波を立てないように進みます。しかし、大潮の満潮になると、あの釣り人さんの背丈の、倍くらいのところまで水面が来るわけですね。今さらながら、東京との違いを実感。

初代橋創架は明治43年、以後幾度となく増水時に流出の憂き目に会い、「流れ橋」という不名誉な俗称を得たのだそう。澪筋は「航路」表示のとおり、ここも右に寄っています。船員さんによると、この橋は桁下が低く、満潮時の通過は難しいのだとか。

ここでようやく、澪筋が河道中央に来た模様。左には繋留船もちらほら見えます。

櫓走舟かしら、と思っていたら、船員さんが「櫂で漕ぐんですよ」と教えてくれました。今は護岸の上に鎮座した状態ですが、満潮時はもちろん、水に浮くのでしょう。
【撮影地点のMapion地図】
(21年7月5日撮影)
(『広島の水上バス…5』につづく)

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広島の水上バス…3
(『広島の水上バス…2』のつづき)
●…と、勢い込んでキャビンから飛び出る前に、またも左舷を下り便が通過、慌てて取って返し、カメラを構えます。
こちらは直線的な、なかなかスマートなデザイン。客席窓は大きく、眺望も良さそうです。アクアネット広島船隊、なかなか個性的な船をそろえているようですね。
●間もなく左舷側に見えてきたこれ、なんだか物々しい感じで、船の造修施設かと思ったのですが…。
デッキに出てきた船員さんによれば、カキの水揚げに使う施設のこと。
●本川の第一橋である、吉島橋が見えてきました。船はぐっと取り舵に当てて、西岸ギリギリに寄せてゆくようです。
どうやら、河道の中央は浅いようですね。干潮時の今は、なおさら航路が制限されるというわけでしょう。
●吉島橋西詰近くの岸壁には、河川清掃船がもやっていました。船名は「びあ」? やはり、二つの船体の間に、コンベアを備えているのでしょうか。
東京のそれは、航行時にもよく行き合ったことがありますが、他地方のものを見るのは初めて。川の街ならではの装備と言ってよろしいでしょう。
●吉島橋をくぐるとき、桁を見上げると、昨日見た相生橋同様「航路」の文字が…。
こんな岸近くの径間に澪筋が寄っているとは、やはり意外で、広島の川の厳しさがうかがい知れるとともに、川走りの醍醐味が早くも味わえたような気がして、軽く興奮してしまいました。
まだまだ、楽しませてくれそうです!
【撮影地点のMapion地図】
(21年7月5日撮影)
(『広島の水上バス…4』につづく)

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こちらは直線的な、なかなかスマートなデザイン。客席窓は大きく、眺望も良さそうです。アクアネット広島船隊、なかなか個性的な船をそろえているようですね。

デッキに出てきた船員さんによれば、カキの水揚げに使う施設のこと。

どうやら、河道の中央は浅いようですね。干潮時の今は、なおさら航路が制限されるというわけでしょう。

東京のそれは、航行時にもよく行き合ったことがありますが、他地方のものを見るのは初めて。川の街ならではの装備と言ってよろしいでしょう。

こんな岸近くの径間に澪筋が寄っているとは、やはり意外で、広島の川の厳しさがうかがい知れるとともに、川走りの醍醐味が早くも味わえたような気がして、軽く興奮してしまいました。
まだまだ、楽しませてくれそうです!
【撮影地点のMapion地図】
(21年7月5日撮影)
(『広島の水上バス…4』につづく)

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