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花畑運河

東京通運時代の河川航路図二題

●通運丸船隊を続々就航させ、関東の河川航路に覇を唱えた内国通運も、時代の流れには勝てず、大正8年12月に川汽船事業から撤退。東京通船株式会社がその後を引き継ぎました。お題の東京通運株式会社は、東京通船が昭和4年に改称したものです。縮小相次ぐ最末期の河川航路を担った、いわば関東の川汽船時代に、自ら幕を引かざるをえなかった企業といえるでしょう。そんな「悲劇の船社」のイメージがある、東京通運の銘が入った航路...(2017/03/24 Fri 00:04)

初夢大妄想戦記・進撃の埼玉河川軍!

●松の内なら大目に見ていただけようと、お目汚しまで、ひとつ本当に下らないモノを開陳したく。あるいは初夢にかこつけて、とんでもないことをとお叱りの声もありましょう。そこはこれ、一水運バカの妄言と、ご海容いただければ幸いです。念のため、以下の駄文はフィクションです、現実の事件、実在の団体・人物などとは一切関係はありません。ええ、本当に。【▼「続きを読む」をクリックしてご覧ください】...(2014/01/03 Fri 22:31)

最強可航河川・中川散歩…2

(『最強可航河川・中川散歩…1』のつづき)●屈曲区間を抜けて、中流部に入り北上開始。写真は中川橋、低い土手と広い空を楽しみながらの遡上です。気になったのは、どういうわけだか魚探がまったく効かず、測深ができないこと。細かい気泡が多く含まれているとか、水質の問題でしょうか。中上流部については、比較的水深が安定している中川ですから、そんなに不安はありませんでしたが、帰途は潮位が低い時間帯にあたるため、浅瀬...(2010/05/31 Mon 21:51)

分水路打通作戦【水道橋1号分水路編】…4

(『分水路打通作戦【水道橋1号分水路編】…3』のつづき)●ゆるく左に曲がってゆく分水路の奥に、かすかな光に輪郭を浮かび上がらせて、水面にくっきりと倒立像をつくっているあれは…!「神田川分水路まつり…8」で見た、1号・2号の両分水路を結ぶ唯一の疏通口、角落しの溝が切ってあるところから、「地下水門」と勝手に名付けた、4径間の開口部です!ついにここまで来たんだ!●近づいてみると、開口部の天井にアイが並んでいるのは...(2010/03/21 Sun 23:05)

水路をゆく・第二運河 21年2~3月のご案内

■「水路をゆく・第二運河」にようこそ!土木建造物や船の大好きな管理人が、水運全盛期への愛惜を胸に、全長21ft(約6m)の小さなモーターボートに乗って、東京周辺の川や運河をうろついたり、素敵な川景色や、舟運時代の面影を求めて、水辺や博物館を訪ねるブログです。少しづつですが、東京とその近郊にある可航水路の、全線ご紹介を目指しています。■ボートオーナーの方へ…当ブログに掲載された水路を航行され、事故を起こされ...(2009/03/31 Tue 23:59)

花畑水門との再会

(『綾瀬川再訪…6』のつづき)●2ヵ月半ぶりの再会ながら、初めてこの目で見る、花畑水門の表側。ご覧のとおり、水門は閉鎖が常態のため、中川から入って花畑運河を走ってきても、綾瀬川には抜けられず、もちろん水門の表側を見ることはできなかったので…。大げさではなく、ちょっとした感動がありました。●私はどういうわけだか、水門の写真は、真っ正面から撮るのが好きです。陸の上からでは、はすからしか撮れないような場所にあ...(2009/03/23 Mon 20:04)

綾瀬川再訪…6

(『綾瀬川再訪…5』のつづき)●環七通りを渡す、加平橋が近づいてきました。簡素な外観の鋼桁橋とはいえ、いままで視界に入ってきたものが、全体的にグレーがかっていただけに、ウグイス色に塗り上げられた桁が、やけに美しく見えてしまいます。●その後ろに控える高速道路は、ジャンクションと見まがう規模の、加平出入口。小菅ジャンクション同様、こちらも道路が形づくった三角形の真ん中に、太い水管橋が渡されていました。快晴...(2009/03/22 Sun 19:08)

花畑川

大きな地図で見る花畑川所在地:東京都足立区六木3~足立区神明1延長:1.5km最小水深:A.P.-2.4m(メモ参照)最小桁下高:A.P.+3.2mメモ:中川(青印)と綾瀬川(赤印)を短絡し、中川上流と東京方面との舟運の便をはかるために開鑿され、昭和6年に竣工した水路で、花畑運河とも呼ばれる。中川側に六ツ木水門(青鋲印)、綾瀬川側に花畑水門(赤鋲印)があるが、六ツ木水門は常時開なのに対し、花畑水門は常時閉で、実質通り抜け...(2008/12/31 Wed 17:27)
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