水路をゆく・第二運河 29年4~6月のご案内

29_0009.jpg

【ご案内】
水路をゆく・第二運河にようこそ!
モーターボートなのになぜか艪がついている、全長わずか21ft(約6m)の木っ端ブネに乗る道楽船頭は、川や運河をうろつくのが大好き。いにしえの水運全盛期に思いを馳せつつ、閘門・水門や橋、フネブネの姿を楽しみながら、各地の水辺や博物館、遊覧船を訪ね歩くブログです。東京とその近郊にある可航水路の、自艇航行による全線ご紹介を目指しています。

画像は、クリックすると別窓・別タブで拡大表示できます(初期のものの中には、原寸掲載で拡大しないものもあります)。
当ブログ掲載の本文、画像の無断使用はお断りいたします。
いただいたコメントは、管理人承認後の表示となります。
誹謗中傷が含まれるもの、公序良俗に反するもの、当ブログの趣旨にそぐわないものなど、コメントの内容によっては、管理人の判断で予告なく削除させていただく場合があります。悪しからずご了承ください。
各記事と関連のないコメントは、できれば、この「ご案内」のコメント欄にお願いいたします。
お問い合わせなどありましたら、右欄最下段のメールフォーム「船頭に電信を打電」よりお願いいたします。
ボートオーナーの方へ…当ブログに掲載された水路を航行され、事故を起こされても、管理人は責任を負いかねますので、航行にあたっては、各艇長の責任で安全航行をお願いいたします。

当ブログは、ブログサービス「Doblog」にて作成していた、「水路をゆく」の姉妹ブログとして、20年4月6日に開設、「航行水路メモ」を主な記事にしてまいりましたが、21年2月8日以降、Doblogに障害が発生、更新が不可能になったため、本文記事をこちらで継続することとなりました。
なお、サービス終了に伴い、閉鎖されたDoblog「水路をゆく」に掲載していた記事は、FC2ブログ「水路をゆく 過去ログ」に移設しました。

【更新履歴】
【4月1日更新】タイトルバック画像を更新しました。新砂水門を通航する東京税関監視艇「あさひ」。29年2月19日撮影。

4月16日のさくらしべ降る水路…4

(『4月16日のさくらしべ降る水路…3』のつづき)

204016.jpg水門をくぐって、小名木川西端の桜並木区間に出てみると‥‥。ううん、こちらも日照など条件がよろしいのでしょうか、手前ほど葉桜のパーセンテージが上がっている状態でした。

しぼったスロットルを少し開いて、両岸をきょろきょろと探しながら前進。南にある各河川にくらべて、桜の密度がだいぶ粗いせいか、水面に浮く花びらもあまり見られません。あ、左に見える高橋船着場、元はこの向こう、東にあったのが、橋の西へ移動したんだ。

204017.jpg
‥‥と、高橋北詰に、まだ満開に近い一本を発見! 遠くから、ざあっと花吹雪を舞い散らせているさまが目に入り、急いだものの着く前に風がぱたりと止んで、「あ~あ」とタメ息が漏れはしましたが、一同大いに盛り上がりました。

204018.jpg
高橋をくぐった東側、北岸には、ご覧の浚渫船がスパッドを下ろしていました。なるほど、高橋船着場を移転したのは、この工事のためだったのですね。中川船舶の「61号千羽丸」でした。

204019.jpg目を転じて南岸は、護岸の前に錆色の鋼管矢板が、びっしり打ち込まれていました。

一見した様子からして、一段低めたテラスを造るとか、そういったレベルのものではないようです。護岸のさらなる強化、耐震化といったところでしょうか。これが徐々に東西へ向けて広がってゆくとなれば、繋留船たちにとっては厳しい環境になりそうです。


204020.jpg
さらに進むと、クレーン船を中心に、曳船や台船がひとかたまりにもやった、工事船団が出現。河道の3分の2近くを占める、結構な規模です。

一番外側にいるのが、鋼管矢板を俵積みした台船。その長大なこと、堅固な地盤まで達する深さを実感させるものが。横を通るときは、曳き波で揺らすとゴロンと崩れてきそうで、首をすくめながら最微速にしぼったものでした。
撮影地点のMapion地図

(29年4月16日撮影)

(『4月16日のさくらしべ降る水路…5』につづく)

にほんブログ村 マリンスポーツブログ ボートへ
にほんブログ村

タグ : 小名木川 江東内部河川 浚渫船 台船

4月16日のさくらしべ降る水路…3

(『4月16日のさくらしべ降る水路…2』のつづき)

204011.jpg
ちょっと戻って。黒船橋のS字屈曲を曲がり切れば、当然見えてくるのが大島川水門。更新工事もついに竣工、久方ぶりに二径間揃って解放された姿を見ることができました。

工事成ってからくぐるのは、これが初めてです。新装開店後のくぐり初めとまいりましょうか!

204012.jpg
渋めな塗色に、更新前とは正反対の雰囲気でまとめられた、どこか硬派な感じのする巻上機室。もう少し目立つ色を取り入れて、自己主張してもよさそうな気がしますが、これも嫌いではありません。勘亭流もどきのアンドン銘板(?)は、ちょっと笑いを誘うけれど(ごめんね)。

足場で覆われ、角落しで塞がれて、台船がデンともやうあのわさわさした空気にも惹かれますが、静けさを取り戻し、こざっぱりとした表情の水門と向き合うと、やはりホッとさせられます。

204013.jpg光の具合があまりよくないので、表は少し引いて一枚。管理棟(左手)も併せてリニューアルされたのがわかります。扉体の色が‥‥いや、せっかくの竣工後初くぐり、無粋なことはいいっこなし。

これで、26年7月20日以来、通りがかるたびにスナップしてきた、更新工事の進捗観察も終わりと思うと、何やら感慨深いものが。特に親しんできた水門だけに、どこか格別の思いがあったのでしょう。


204014.jpg

204015.jpg水門と別れて隅田川に出たところで、ほぼ正面に望めるのが対岸、新川一丁目あたりの河畔公園。あら、遠目に見たかぎり、こちらはまだあまり散っていないような。

この日は最初から、スカイツリーの櫓下を訪ねてみようと考えていたので、迷わず小名木川へ。新小名木川水門も更新工事中ですが、前回、昨年11月20日とくらべてみると‥‥ううん、パッと見あまり変化がないような。外からはわからないところで、工事はどんどん進んでいるに違いないのでしょうが。
撮影地点のMapion地図

(29年4月16日撮影)

(『4月16日のさくらしべ降る水路…4』につづく)

にほんブログ村 マリンスポーツブログ ボートへ
にほんブログ村

タグ : 大横川 隅田川 小名木川 江東内部河川 大島川水門 新小名木川水門

4月16日のさくらしべ降る水路…2

(『4月16日のさくらしべ降る水路…1』のつづき)

204006.jpgで毎度おなじみ、大横川の桜みっちり区間に入ったわけですが‥‥‥‥まあ、さもありなんと申しましょうか。

ともあれ、ちょっと初夏の香りすらする暖かな好天と、澄んだ河水に感謝するばかり。絶好の川走り日和であることには、違いないのですから。ゆるりと新緑を楽しんでまいりましょう。




204007.jpg諸々の好条件が揃ったせいか、透明度はご覧のとおり高レベル。河底が白く透けて見える水面に、点々と花弁がたゆたうさま、いや、まさに春の贅ですわい。

汐浜運河でも触れたように、花筏とはいかないまでも、まばらに浮かんだ花びらが途切れなく、地紋のように続くさま! 川面がピンクに染まる華やかさはなくとも、名残りの佳さといいましょうか、こんな時期もあるんだなあと、改めて惹かれた次第です。

204008.jpg
散ったとはいえ、ここは水面低く枝をさしかけるのが身上の大横川。瑞々しい葉の傘をさしかけた名残の花たちが、舷側近くで迎えてくれました。

204009.jpg
花弁を落としたしべもあらわに、紅色に染まった濃厚な枝ぶりを見上げて。

こうして眺めると、字のごとく「さくらしべ降る」という季語が実感されて、何だかとても新鮮。盛りを逃したとはいえ、馴染みの水路に新たな表情を見せられて、かえってトクをした気分でした。

204010.jpg
おおお、練兵衛橋北詰の一本だけ、満開に近い咲きっぷりですね! ここだけ種類が違うのか、それとも日照や風通しの関係なのか‥‥。
撮影地点のMapion地図

(29年4月16日撮影)

(『4月16日のさくらしべ降る水路…3』につづく)

にほんブログ村 マリンスポーツブログ ボートへ
にほんブログ村

タグ : 大横川 江東内部河川

4月16日のさくらしべ降る水路…1

えらく気取ったお題にしてみましたが、半ばは桜の見ごろを逃した悔しさであります。

先週9日は満開のタイミングだったにもかかわらず、雨時々曇りですっかりやる気を削がれ、今週16日も芳しくない予報と、毎日曜日の悪天候にくさっていたところ、どうやら持ち直して出港と相成りました。

204001.jpg
昵懇のM艇長ご一家と一緒に、急上昇する気温で靄にけぶる運河上へ出てみれば‥‥。海洋大のカッターが、新砂水門前で帆走準備をしているシーンに出くわしました。

チャージの指揮の下、漂泊しつつマストを立て、索具を張りときびきび動く艇員の皆さん。南風の強い日だったので、沖に出ればだいぶガブったでしょうが、セイリングにはもってこいだったかもしれません。

204002.jpg

204_003.jpgM艇長は初見の新イグアナクレーン。緑の塗色が、周りの新緑と似合ってよい感じです。さてこの右側、都市計画運河橋梁をくぐった向こう、西岸にある一群の桜はどうでしょう。

ああ、やっぱり‥‥と口をついてしまいますが、ほとんど散って葉桜になる前、残った蘂(しべ)の赤味が目立つ、ちょっと寂しい感じ。でも、どこかに少しは名残り咲き(?)があるかもと、探しつつ微速で進むことに。


204005.jpg汐浜運河に入ると、花筏‥‥とまではいかないものの、一面に花びらが途切れなく浮かんで、見つめていると無限に続く地紋のようです。

この日は水のコンディションも良好で、透明度もそこそこあったため、ときおり跳ねる魚の水音に加え、たゆたう花弁も日ごろに増して風情があり、よいものでした。



204004.jpg
平久川から大横川に入ったところで、同乗ご一同から「あっ、あそこあそこ!」と声が上がりました。汐見橋西詰の角にある一本、まだ花を落としておらず、結構な咲きぶり!

いや、ようやくの感がありましたが、風が吹くごとにざあっと散る花吹雪とともに、破顔して見入ったものです。やはり水路の桜は、好天下でこそと改めて思ったものでした。
撮影地点のMapion地図

(29年4月16日撮影)

(『4月16日のさくらしべ降る水路…2』につづく)

にほんブログ村 マリンスポーツブログ ボートへ
にほんブログ村

タグ : 砂町運河 曙北運河 汐浜運河 大横川 イグアナクレーン

水浜電車と涸沼川航路

前回の文末で触れたとおり、鉄道会社が運航した内水航路つながりということで、水浜電車(後の茨城交通水浜線)の連絡汽船について、ちょっと触れてみたいと思います。

思えば、那珂湊・大洗周辺は「那珂川にも走っていた川蒸気」、「大貫運河跡を訪ねて」、「勘十郎堀…1」でも紹介したように、内水航路史に関心がある向きには見逃せない土地柄でもあります。江戸以来の廻船航路の寄港地でもあり、河川物流の要衝でもあった当地が、かつて誇っていた実力を物語るように感じられて、大いに惹かれるものがありますね。

201055.jpg
水濱電車及連絡汽船
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。


この絵葉書を入手したのは、もうずいぶん前になります。写真自体は多く出回っていたようで、過去に何度か雑誌や本で目にしたことがあるため、「川舟である」こと以外は特に感じ入ることもなくファイルにしまって、長い間そのままになっていました。

下で改めて触れますが、船が浮いている川は涸沼~那珂川河口を流れる涸沼川で、電車が走る飯桁橋は、平戸~磯浜停留所間に架けられた橋梁です。

201056.jpg
船のみトリミングして拡大。船尾に機械室と操舵コンソールをまとめ、船首側を客室としたスタイルで、内燃機関と見て間違いないでしょう。船尾水面付近に舵頭が見えていますが、甲板上に舵柄がないことから、操舵索かギヤで連結した舵輪式のようです。

写真で見たかぎりでは行き足がなく、船上の人物もどことなく退屈しているような雰囲気なので、電車と船を一枚に収めたオフィシャルフォト撮影のため、電車が来るのを待っていたのかもしれません。下掲の「水濱電車」には、この一瞬後と思われる、電車がもっと近づいたカットが掲載されています。

201057.jpg水濱電車
―水戸から大洗・湊へ―
 
小野寺靖 著
並製本 226ページ
平成25年8月31日 第二刷


さて、この絵葉書をふたたび取り出してみたのは、この本と出合ってからです。高校教員をされていた著者の小野寺氏が、長年の成果をまとめられたいわば郷土史誌ですが、車輌から廃線跡ガイドまで情報量は豊富で、初版発行1年あまり(初版:24年1月20日)のうちに、重版がかけられたのもうなずけます。

連絡汽船についても相応のスペースが割かれており、ここでようやく、絵葉書の船の概要に触れることができたわけです。以下、気になったところを抜き書きさせていただきましょう。

水浜電車は大正11年12月28日、浜田~磯浜間の開通をもって開業したのですが、翌12年7月1日、水戸中心部に近い本一丁目~浜田間の延伸後、12月20日に平戸~湊(那珂湊)の間約2マイルに、涸沼川を活用した連絡汽船の運航を始めました。平戸はこの時点の終点である磯浜の一つ手前、涸沼川北岸に位置します。

汽船部門の規模は部員9名、機材が汽船3隻、曳船(客用艀のことか?)2隻で、「これらは湊汽船を買収したもの」だったそう。
なお平戸停留場から河畔の汽船発着場までは、約200m離れていたので、乗換の便をはかるため本線から分岐し、汽船乗場に直結した支線が造られました(Mapion地図でいうと発着場はこのあたり)。絵葉書にも写っている鉄道橋は、現涸沼橋の約120m上流に位置していたそうです。

また、「(平戸)発着場には、上流の涸沼に数ヵ所の発着場を持つ会社の汽船や、下流の湊町と結ぶ別会社の船も出入りし、涸沼と湊を結んでいた」ようだ、との記述もありました。
大正15年12月14日、磯浜から那珂川河口南岸に近い、祝町までの延伸区間が開通すると、連絡船はお役御免になり、3年余りの短い命を終えたそうです。

小野寺氏のご研究のおかげで、絵葉書の船のいわくは理解できたものの、すごく気になった下りが二つ!
「これらは湊汽船を買収したもの」
「発着場には、上流の涸沼に数ヵ所の発着場を持つ会社の汽船や、下流の湊町と結ぶ別会社の船も出入りし、涸沼と湊を結んでいた」

湊汽船って‥‥もしかして、「湊鉄道汽船部」のことかしら? あの、水戸~那珂湊航路を最後に運航していた?

那珂川にも走っていた川蒸気」ですでに触れましたが、念のため「常陽藝文」昭和60年8月号を開いてみると‥‥。
那珂川汽船から汽船事業を買収した湊鉄道(現在のひたちなか海浜鉄道湊線)は、大正12年、湊鉄道汽船部を廃止しています。これが那珂川における汽船定期航路の、実質的な終焉となったそう。

水浜電車の連絡汽船運航開始は、大正12年12月! これが本当だとすれば、那珂川の川蒸気の一部(おそらく運航要員も)が、ごっそり水浜電車へ移籍したことになるなあ‥‥。
湊鉄道と事前に協議して、部分開通前から譲渡の上汽船運航を企図していたのか、それともたまたま近場で入手できる出物があったので、泥縄式に汽船航路を仕立てることにしたのか。「水濱電車」にはそれ以上の記述はないのでわかりませんが、このタイミングの良さにはあれこれ妄想させられます。

もう一つ、平戸の発着場を他の船社、しかも複数の船社が利用していた件も、すんごく気になります。上流の涸沼行きはともかく、競合航路である下流域の便も発着していたというあたり、そんな賑わった時代があったのかと興味をそそられますが、本書の記述はこれだけです。機会があったら、また調べてみるとしましょう。
ちなみに「常陽藝文」の記事によれば、那珂川汽船が運航していた時代の涸沼航路は、明治36年に湊~大貫間運航開始、同43年廃止されたとのことです。

いや、しかし思った以上に面白いですね、那珂湊・大洗周辺の河川航路は! 豊かな内水が、小さな汽船たちで賑わったころを思うと、一枚の絵葉書から妄想もむくむく広がるものがあります。宿題も一つできたことだし、調べものがてら、また訪ねてみたいものです。

にほんブログ村 マリンスポーツブログ ボートへ
にほんブログ村

タグ : 絵葉書・古写真 涸沼川

「参宮丸」船隊? の面影を拾う

201054.jpg東京通運時代の河川航路図二題」で紹介した、鹿島参宮鉄道の汽船「参宮丸」の絵葉書を目にしてから、あっ、アレはもしかして‥‥と、思い当る件がいくつか出てきました。

以下はほんのメモ書きですが、以前掲げた絵葉書から再掲しつつ、備忘録としたいと思います。

「続きを読む」をクリックしてご覧ください

続きを読む »

タグ : 川蒸気船 絵葉書・古写真 霞ケ浦 土浦 横利根閘門 閘門